第7話 約束
八月十五日。とうとう夏休みはあと二週間あまりになった。
手回しラジオからはまた戦争のニュースが流れはじめたのですぐにスイッチを切った。手回し充電は疲れる。八十年前の戦争の話はもう出てこなかった。当事者がみんな死んでいるせいだろう。いまは僕らが当事者ってことなのか。
いや、そんなことはどうでもいい。
あれほど固く約束したのに、彼女との約束を守れそうにない。
一学期の終業式で、僕は勇気をふるって彼女を誘った。別にどこに行こうという予定はないけど(彼女の希望通りにするつもりだった)、一緒に出かけたかった。
夏休みに、彼女と、二人だけで。
「宿題が終わってからね」
「けっこう量があるけど」
文科省の方針で進学希望の学生には途方もない量の宿題がでるのだ。力仕事ができなきゃ頭で仕事しろってわけだった。
「じゃ、こうしない? 休みが終わる二週間前になったら、一緒に答え合わせしましょう」
つまり、夏休み一杯かかるかもしれない宿題を二週間前までに仕上げてこい、という厳命なのだ。一緒に勉強しましょう、ではないところが瀬名さんらしかった。
「だって、自分の将来がかかってるんでしょ?」
「わかったけど……」
「図書館でまってる。宿題が全部おわったら残りの二週間は好きに過ごしましょう」
と、その薔薇星雲っぽい色の瞳でまっすぐに言われたもんだから、終業式の終わったその夜の眠りは浅かった。
なのに今日になっても、宿題は実はまだ完全には終わっていない。徹夜でやったが、数学の解析幾何のところでつまずいてしまった。
断水日だったので、起床してすぐ除菌タオルで体をふいたり身繕いしながら、言い訳を考えていると、着ていく服がないことに気がついた。
別に素っ裸というわけではなくて、某国で安く作って国内で売っていたユニークな店はとっくに無くなっていた、ということもあるけれど、あるのは学校指定の形状記憶ワイシャツ(水で洗っても大丈夫)、学生ズボンのみ。デートでこんな服でいいのだろうか。
待ち合わせ場所は山手の公園で、昔なら市電で行けたけど、今は廃校になった小学校の横を通り過ぎて、かなり歩く。
朝は余裕を持って出発した。朝ご飯は食べてない。というか無い。
公園までは旧市電通りを歩いて行く。陽の昇る道路の東側を歩いて極力日の光に当たらないようにする。今日も太陽は強烈な紫外線をばらまいていたから、僕は学校から休み前に支給されたサングラスを装着した。
これまた進入禁止のバリケードをしている大型スーパーの横を通り過ぎたころに、ようやく図書館の尖塔が見えてきた。この町がものすごく豊かだった頃の造りだから、至る所に正体不明のむだな装飾がある。
瀬名さんはもう待っていた。
図書館前の小公園、太い門柱が落とした日陰に彼女がたっていた。白いポロシャツに茶色のチェックが入ったプリーツスカートから白い足がのぞいている。
よかった。これで僕たち制服デートだ。瀬名さんは整った鼻梁にのせたサングラスをちょいと下げて、いつも僕をキョドらせる視線を飛ばした。もう日焼けしたのかサングラスをはずしたまぶたの下がうっすらと赤い。
「早いね」
「瀬名さんもね」
「もう図書館は開いてるわ」
「夏休みだから開くのが早いんだよ。節電のせいかも」
「そんなことはどうでもいいの」
と彼女は言った。まるで、図書館に来たのがまったく別の目的であるかのように。
重そうなバッグを肩からおろしたから、僕は自然な感じでそれを受け取った。
いつも荷物持ちは僕の役目だ。が、重い。バッグの中でちゃぷんと液体の騒ぐ音がする。
「ねぇ、図書館まで競争しない?」
「こんなに荷物を持たせてかい?」
「あなたなら勝てる。きっと勝てるわ」
「でも……」
「先に行くわよ!」
腕をふりほどいた瀬名さんは、たたっと坂を駆け上がっていく。
こんなに暑くて、風のない日に走るのはちょっとばかり体に無理なのはわかっている。でもかまわない。彼女に追いつけば、何もかもすべてうまくいく……はずだ。
なにしろ僕はまだ十六歳で季節は夏、なんだってできそうだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます