大学生がゲームする話

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大学生がゲームする話

 もう七十時間くらい同じゲームをしている。

 ゲームと言っても普通のゲーム機を買ってソフトを入れてみたいなタイプのものではない。携帯に入れて画面を連打し続けたりガチャガチャをやるようなタイプのものでもない。

 PCゲームだ。フリーのシューティングゲーム。

 このゲームは何と言うか……、一言で言えばクソゲー、というやつだろうか。あまり普段はゲームをする方でないから断言するのも憚られるのだが。

 まずこのゲームは大手サイトにアップロードされておらず、発見すること自体が難しかった。

 大学の友人から『フリーゲームなら無限に時間が潰せるよ』とのアドバイスを受けてその日の昼間からインターネットで面白そうなゲームを漁っていたのが四日前のこと。ほとんどカウンターの回っていない個人サイトでこのゲームを見つけた。とりあえずウイルスチェックしてダウンロードしてサイトをブックマークに登録したけれど、今ではどういう経路でサイトに辿り着いたのかすら覚えていない。

 そしてファイルを解凍してゲームを開始。

 キーを押す前に死んだ。

 『GAME OVER』と表示された画面をしばらく呆然と見つめていた。リトライしたら次は二秒で死んだ。

 気が狂っているとしか思えない速度と密度の弾が一斉にプレイヤーキャラクターを包囲して一瞬で圧殺される。

 なんだこれは。

 なんだこれは、と思いながらも私の指はリトライボタンを押していた。

 生来負けず嫌いな性格をしている。人生の大抵の場面では、『勝負の土俵にそもそも乗らない』という選択をすることで決定的な対立は避けてきたけれども、こういう誰も直接的には争うものがいない、私が勝っても負けても誰も気にしないような場面になると、かえってその気質がものすごく強く出る。

「捻り潰す」

 威勢よく言葉を吐いて、次は十秒保った。その次は二十秒。その次は……。

 このゲーム、何がひどいかと言えば、この人間に強烈な恨みでも抱いているとしか思えない難易度もそうだが、それをを除けばとても完成度が高いというのもひどい。

 最初の意味不明なチュートリアルを攻略すると、綺麗なイラストの登場人物が出てきて、やけにワクワクさせるようなストーリーを展開し始める。この場面を目にすることができたのは地球上でまだ作者と私だけなのではないだろうか。別に私のゲームの腕が特段優れているとかそういうことではなく、まずあのサイト自体がかなり過疎地のようだったし、あの導入でゲームを始めた人間が『楽しみなゲームだなあ! ようし、頑張るぞう!』となるとはまず思えないのだ。

 しかし私は尋常ならざる闘争心の下、序盤を切り抜けることができてしまった。『絶対に負けたくない』という思いと、『純粋に物語の先を知りたい』という気持ち。ふたつが合わさり極端な原動力が発生する。

 そうして気が付けばセーブ画面には『71:42』の文字が。

 丸三日もやっている。指先が脳になっているような感覚がする。目が指になって動いているような気がする。

 いきなり即死させてくる不条理にももう慣れた。発狂段階はとうに通り過ぎ、ものすごい眼精疲労と痙攣する指先と麻痺する脳が存在を部屋全体に拡散させていく。一種の境地だ。

 昨日は食事をしただろうか。入浴は? 朝日の存在はもはや時間の連続性を断ち切ることはできない。

 ただ目と指と脳だけが反射で動き、世界はもはや画面の中の方が重みがある。

 極限状態にまで研ぎ澄まされた私の精神は今完全に画面の中の主人公とシンクロしている。命を削る主人公。体調が限界すぎて同時に命を削る私。これほどのバディがかつて存在しただろうか。

 そしてとうとうラストバトルが訪れる。

 燃え上がるような展開に身体は熱を宿す。筋肉は震え、今にも走り出してしまいたくなる。

 見惚れるほど美しい画面が咲いた。乱れ飛ぶ光弾に脳が悲鳴を上げながらも、ほとんど第六感にアクセスするように指を動かしていく。

 勝てる、これなら勝てるぞ、と魂が昂ぶったところで、信じられないことが起こった。

 仲間からの声援が画面に複数表示されている。

 光弾を邪魔するような位置や文字の濃さではない。しかしそれがかえっていやらしい。

 読みたい。

 この最高の場面で仲間の声を受け取らずしてどうする。そんな思いが光弾とは別に文字列にまで眼球を追尾させる。右目と左目が別々に動いているような感覚すら芽生える。

 この最終戦を隅々まで楽しみたい。

 しかしここで負けるのも嘘だ。この場面で負けるなんてことが許されるはずがない。

 私は勝つ。

 すべての要素を堪能しつつ、一発で。

 主人公が新たな力に目覚めて光弾の威力が変化する。私も脳の新しい場所が開けていく感覚がする。

 勝つ。

 勝つぞ私は。

『頑張れ!』『君ならできる!』『信じているぞ!』『帰って来なかったら許さんぞ!』

 そうだ、私ならできる。世界を救える。信じろ。私は必ず、必ずこの主人公を、

――仲間の下に。

「っよし!」

 画面が止まる。

 光弾が消える。

 最後の一撃は、主人公から最後のボスへ。主人公の残り体力はほんのわずか。

 それでも、私の勝ちだ。

 エンディングが始まった。それを私はくらくらするような気持ちで見ていた。

 感動的だった。私は成し遂げた。ラストバトルの最中、呼吸でも止まっていたのか息切れをしている。あるいは単なる睡眠不足から来る過労か。

 そして最後はハッピーエンド。幸せそうな主人公と仲間たち。彼らの人生はこれからも続いていくのだと、その空気が予感させる。

 とんでもないゲームだと思ったが、七十時間をかけた価値はあった。偽りなくそう思った。ふう、と息をついてタイトル画面に戻ったところで、メニューに『SPECIAL』と書かれた項目が追加されていることに気が付いた。それを軽い気持ちでクリックすると、ブラウザにジャンプして――。

『Thank you for playing!』

 と。

 その言葉とともに、仲間と笑う主人公のイラスト。

 ほんの一押し。けれどそれが最後の一押しで――。

 ボロボロ涙がこぼれてきた。嗚咽した。こんな風に泣くのはいつ以来だろう。乾いた瞳を滑るように雫が落ちていく。

 何か作者に伝えたいと思った。

 すぐにサイトから連絡先を探したけれども、どこにもない。メールアドレスは載ってないし、掲示板もない。無味乾燥な製作報告のブログをクリックして、コメント機能の閉鎖に落ち込んで、けれど苦し紛れに押した拍手ボタンで運良くコメント欄が現れた。

 とにかく打ち込む。『面白かったです』『このキャラが好きでした』『いつか別の作品もプレイしてみたい』。正直な想いをこれでもかと言うほど書き連ねた。一回分じゃ足りなくて、二回に分けて送ることにした。

 そうしたら二回目のコメントが少しだけ文字数が余っていることに気が付いて、折角だから、と付け加えた。

『でも五面の強制高速スクロールはいくらなんでも人間がやるものじゃないと思いました。許さんぞ』



「ということで月曜と火曜の授業はすっかり出損ねてしまった」

「馬鹿でしょ……」

 水曜の学食。二限の授業を終えて友人と向かい合っていた。

 長い前髪の下から心底呆れたという顔で私を見ているのは、何を隠そう私にフリーゲームを勧めた張本人だ。

「馬鹿とはなんだ。勧めたのは君だろう」

「まさか普段ゲームやらない人が三徹でゲームするとか思わないでしょ……。何その体力……」

「試験前は他の学生だって徹夜したとか何とか言ってるじゃないか」

「いやまあそうだけどさ……。そういうのは基本的につらいことする自分に酔ってたり、本当の本当に切羽詰ってたりするだけで、何の理由もなく三日三晩集中する人とかいないから……。伝説の勇者か何か?」

「理由ならある。面白かった。負けたくなかった」

「ほんと顔の割に童心忘れない子だな……」

 『顔の割に』という部分は本当に必要だろうか。対面に座る友人をじっと見つめてみるけれど、そんな視線は意に介さず、学食の特盛ラーメンをずずーっと啜っている。『見た目の割に』と言うなら、彼女こそ細い身体の割によくもそんなに食べるものだ。私の目前にあるエコノミー定食とはカロリーに多大な差がある。

「で、何だったっけそのゲーム」

「ん、ああ」

 これだ、と言ってスマホに表示したままのサイトを友人に見せる。

「まあ個人サイトだからかカウンターの回りは悪いが、それでも面白かったぞ。プレイヤーを人工知能か何かと勘違いしているとしか思えない難易度だったが」

「……これ、カウンターの回りが悪いっていうかさ」

 彼女は少し気まずげな顔をする。

「なんだ、どうした?」

「このサイト、カウンター千前後しか回ってないでしょ? で、これたぶんページごとにアクセス数加算されるから、一年くらいやってるとしてホームページの管理者がアクセスした回数とか考えると……」

「……」

「……まあ、面白かったなら良かったんじゃない?」

 つ、とスマホを机の上でスライドして返される。

 面白いのにな、これ。

 けれど『このゲームはとても面白いです』なんてことをインターネットで宣伝するようなアテがあるわけでもない。

 だから私は。

「シューティングにハマったならたぶんあのへんも好きなんじゃないかな」

 友人が親切にも勧めてくれる他のフリーゲームを、とりあえずスマホにメモするだけだ。



「ん」

 それから三ヶ月。夏の期末が終わったころ、久しぶりに例のサイトを覗いてみたら更新があった。新作だ。サイトのカウンターはあれ以来百程度しか回っていなかった。

 進捗報告ブログもそれ以外に一切更新はなく、どうせならこの場所も使えばいいのになんて思ったりもしたけれど、何はともあれとりあえずダウンロードだ。

 それからファイルを解凍、プレイ開始。

 今回の作品はシューティングではなかった。

 現代ファンタジーRPG。少なくとも説明書きを見る限りではそのように思えたのだが。

 始まったのは前回と同じく地獄めいたチュートリアルだった。

 コマンド選択型のターン制バトルに思えたが、そんなことはなかった。

 何がすごいってこのゲーム、素早さの概念が完全にプレイヤーの私に依存している。つまり、私がコマンドを入力する速度がそのままキャラクターの行動速度になっている。そして敵も容赦なく襲い掛かってくる。最初に技の確認をしていたら一斉に群がられて一瞬で全滅した。意味が分からない。これはアクションゲームか?

 三回くらい全滅してようやくパーティメンバーの特徴をつかんだ。そして次に気付いたのは戦闘自体がやたらシビアな難易度に設定されているということだった。

 子供の頃にやったそれとはまるで違う。なんだか知らないがものすごい勢いで体力が削られていくし、戦闘が長引けば継戦力の違いですぐにすりつぶされる。

 チュートリアルで百回負けた。なぜか異様にサクサクしたリトライシステムだったから、本当にスムーズに。

 この作者、馬鹿なんじゃないのか。

 改良するならそこではなく難易度自体にしたらどうなんだ。

 しかしそんなことを考えながらも私の心臓はすでに昂ぶりを見せている。闘争本能は正直なのだ。友人から紹介されたゲームも確かに面白かったが、こういう楽しみ方もある。

 次はクリアするまでに五日かかった。

 さすがに体力が限界に達したので途中で睡眠を取った。

 最後はやはり嗚咽した。

 知能が三倍くらいに高まったような気がした。

 感想の拍手は、今度は四回に分割された。



 異変に気が付いたのは二学期が始まってからのことで、結構遅れたのだと思う。

 夏休み中、ずっと例のサイトは一週間に一本くらいのペースで短編ゲームを更新していた。

 いくら難易度が高いとは言っても短編だ。私はだいたい一日かければクリアできてしまうが、しかし作る方はどうだろうか。

 二週間に一本。それは正常なペースか? ひょっとしてこの作者はフリーゲーム製作に己の時間のすべてを注いでいるのではないだろうか。

 まあそれくらいなら、時間を持て余した学生が、ということで納得できたが、どんどんそのゲームの内容が暗い、というか切羽詰った感じになってくると。

 一作目からしてシリアスな空気を持ってはいたものの、なんというか最近は……、生々しいというか、ファンタジーにくるむ部分がどんどん少なくなってきているような気がする。

 いやまあ面白かったのだが。『社会』だとか『労働』だとかいう巨大な文字が虹色に光りながら襲ってくるゲームなんかは、もはや盛大に開き直っているという感じでかなり笑えたのだが。

「さすがに心配になってくるな」

「私は君の方が心配だけどね……」

 学食でそんな話をしていたら、なぜだか友人は私の方に話の矛先を向けた。私はうどん、彼女はカツ丼のLサイズ。相変わらず健啖家だ。

「なぜ」

「いやだってさ……。あのサイトのゲーム全部やってるってことでしょ?」

「感想も全部に出してるぞ」

「律儀……、ってそうじゃなくて。私もあれ夏休みにちょっとトライしてみたけどさ、人間がやる難易度じゃないでしょ」

「確かに私もそう思うが、やればできるものだ。ストーリーも面白いし、高い壁ほど乗り越えるための気力が湧いてくる。あの難易度のゲームを乗り越えた先で語られる苦難の末の大団円は、強いカタルシスがあるぞ」

「いやまあ君がそれでいいならいいけどさ……。あの超難易度についていってるのたぶん君だけしかいないよね。あのサイトのカウンターいつも通り全然回ってないし」

 友人の言葉に頷く。

 確かにあのサイトのカウンターは相変わらず回っていない。正直なところ私以外の人間が通しでプレイしているということもないと今ではほぼ確信している。

 乏しい訪問者のうちでいったい何人があの難易度のゲームに耐えられるかということだ。しかもあの一連のゲーム、ストーリーを見せる前にとりあえずと異常なチュートリアルを挟んでくるのでそもそもプレイさせようという気がほとんどないんじゃないかと思っている。

「複雑なものだな。あの話を私以外誰も見ていないということを残念がる気持ちもあり、一方で私しかあの話を見ていないという優越感もある」

「正直君たちふたりだけの世界みたいになってるよねあのサイト。製作者も何考えて作ってるんだろ。つらくならないのかな」

「いやだから私はその製作者が最近とてもつらそうだという話をしているんだが」

「いやいや。作品が製作者の心情そのままだなんてことはあんまりないよ」

「そんなものか?」

「そんなものだよ」

 言って、彼女はずぞーっ、と紙パックココアのストローを啜った。あれ一パックだけで二百五十キロカロリーくらいある。

 さて、次の長編ゲームが出たのはその三週間後のことである。



 クリアできない。

 頭がおかしいとしか思えなかった。

 新しい長編ゲームはファンタジーだったのだが、一作目と二作目のバトルシステムが複合されていた。

 シューティングのときの要領でキャラを動かす。なぜかその操作キャラが同時に四人いる。RPGのときの要領でその四人のキャラに適切な攻撃・防御・回復・補助等の行動を取らせる戦略を瞬間的に練る。ほとんどすべてのキーにコマンドが振り分けられている。当然エネミーは一切手加減してこない。一作目のシューティングと同等の容赦なさで、二作目のRPGと同等の策略を持って襲ってくる。

 人間をなんだと思っているんだ。

 脳が爆散しそうな負荷をかけながらもなんとか三面まで辿り着いた頃には、もはやキャラクターを見る、エネミーを見る、戦略を練るとかそういう次元ではなくなっていて、画面を脳に投影しながら魂で操作するような感覚が発生していた。私は超能力開発のテスターでもやっているのだろうかと思いながらも、これならいける、と確信し始めて。

 そこで追加キャラクターが登場した。進むごとにひとりずつ増えて、五面に至る頃には操作キャラクターは七人に増えた。さらに新要素追加でキーの同時押しによるコマンドが大量に発生した。

 眼球が沸騰するかと思った。脳を七つに増やすしかないと思った。変性意識状態にでも到達したのか画面に映るキャラクターたちはとてもゆっくり動いていて指は決して望んだコマンドを逃すことはない。けれど全滅する。五面のボスが強すぎる。高速即死攻撃七連射からどうしても体勢を立て直せない。負けイベントかと思った。すべての面で一度はそう思うけれど。

 ストーリー的には正しいのだが。強大な力を持つ敵に主人公たちは立ち向かっているので、確かにこのくらいの力の差があるのは正しいのだが。

 やりすぎだろう。

 五面ボスに記念すべき四桁回数目の敗北を喫して、とうとう私は睡眠を取って、大学に行くことを決めた。



 向かったのは必修の授業だったけれど、私の所属する学部は基本的に出欠を取らないので、特に出席する必要はない。期末にだけふらっと現れて点数を取れば大抵の単位は取得できる。

 それでもなぜ私が教室に来たのかと言えば、とかく堕落しやすい大学生という身分の自分をしっかりと律するためであり、また、毎回配布されるレジュメがなんだかんだと言って勉強の際には役立つからだ。

 ガラガラの大講堂。授業に出ずに学費だけを支払っている学生たちの存在を考えると、ある種贅沢な気分にもなる。椅子は硬いので、快適かと言われればそうでもないのだけれど。

 教壇にはすでに教員が立っている。教室を見回すと、前方と、入口に近い後方にレジュメが置かれている。取りやすい後方にも置いてあるのは、たまにいるレジュメだけ取りに来る学生で授業が支障が発生しないようにという配慮だろう。私もそこまで前列の方に座るわけでもないので、後方からレジュメを取る。

 と、そこで。

 そのすぐ前の席に座る学生のスマホの画面が目に入った。普段だったらきっと気が付かなかっただろうが、連日のゲームプレイで敏感になっていた視覚が捉えてしまった。

 あのサイトだ。

「君」

 思わず声をかけてしまった。その学生の肩がびくり、と跳ねる。

「……え、何ですか」

 振り向いたのは、白いセーターがやたらと似合う、茶色がかった少し長い髪の青年だった。だと思う。手が骨ばっている感じがするから。それから声の低さで。

 そして話しかけてしまってから、何なんだ私は、と思った。話しかけてどうするんだ。『後ろからあなたのスマホを覗き見したんですが、そのサイトのゲーム私も好きなんです』とでも言うつもりか。

 疲れが溜まって判断が鈍ったのかもしれない。人違いだったと言って立ち去ろうとして、ふと彼の背中に銀杏の葉がついているのに気が付いた。何もしないよりはこっちの方が言い訳としてはいいだろう、とその葉に手を伸ばす。

「ついているぞ」

「へうっ」

 指先が一瞬だけ背中に触れた。青年は変な声を出した。

「……」

「……」

 気まずい沈黙が流れた。ばっちり目が合って、先に動いたのは彼だった。

「す、すみません……。ありがとうございます……」

「いや……、こちらこそ急にすまない……」

 恥ずかしそうにぺこぺこ頭を下げる青年を置いて中央の席の方に向かう。

 なんというか、アレだな。世の中にはアレな感じの人もいるのだな。

 動揺して指先に銀杏の葉を挟んだままだったことに気が付いたのは、授業が始まってからだった。



 一から四面をノーミスでクリアできるようになっても未だに五面がクリアできない。いくらなんでも難易度設定を間違っているんじゃないかと思ったが、それは最初からそうだと思い直した。というかこの五面ボスは何者なんだろう。主人公と過去に何らかの関係があった人物だということはわかるのだが、それ以上の情報を何も得られないまま延々戦い続けている。

 そんなこんなで文化祭の季節が来てしまっていた。もうその前日だ。とは言っても一年生や一部のサークル以外はあまり関係がないのだが。

 午後から休講ということで、午前の授業を終わらせてから学食で何か食べて帰ろうと思ったが、しかし食券を買って盆を持ってみれば、席がひとつも空いていない。いつもこの時間帯は学生だけでなく近隣の会社員、子供連れの主婦まで来てだいぶ混み合うのだが、今日は学生が特に多い。

 しばらくすれば人は引いていくだろうが、その間ずっと立っているというのも気が引ける。盆を持ったまま外のテラスの方に出てみると、そこらじゅうで立ちっぱなしで塀の上に盆を置いて食べていたり、床に直置きして食事をしている学生たちが目についた。さすがに野外の床は厳しい。そのあたりの塀の前に立って食べることになるか。

 と思ったところで、隣の図書館前のベンチがひとり分空いていることに気が付いた。膝の上に盆を乗せることになるが、立って食べるよりはいいだろう、と少しそちらの方まで足を伸ばしてみると。

「ん」

「あ」

 この間の青年がいた。何やらすごく手の込んだ感じのお弁当を膝に乗せて。

「ここは空いているだろうか」

 予想していなかった顔に少し動揺しながらも尋ねると、青年はこくこくと頷いて少し幅を空けてくれた。そこまで縮こまらなくてもいいんじゃないだろうか。私はそこまで横幅は広くない。

 ありがとう、と言って座る。ぺこ、と彼も会釈で返してくる。

 並んで黙々と食事を始めた。すでに文化祭の準備は始まっていて、食堂横、図書館前の中庭ではすでに立て看板等が運搬され始めている。賑やかになってきた。私も友人たちの出店を冷やかしに一日くらいは文化祭に訪れようか。そして土日はやはり――。

 そんなことを考えていたら、すぐに食べ終わってしまった。周りの人々もかなりはけてきて、先ほどまでは正常だった私と青年の横並びは、今ではほぼ初対面にしては若干不適切なくらいに距離が近いように感じた。

 青年はじりじりと私から距離を離しているが、何か気を遣っているのか思い切って離れたりはしない。電車に乗っているときと同じような感覚だろう。満員のとき隣り合っていて、一気に車両から人がいなくなったとき、いきなり距離を取るのも何だか感じが悪いような気がする。別に私は気にしないからいいのだが。

 いつもなら食べ終わればすぐに食器を下げてしまうけれど、食堂の中はまだ出て行く人間で渋滞している様子だったので、少しこの場に残ることにした。ベンチに座ったまま携帯を取り出して、例のサイトを開く。

 ゲーム攻略の停滞感を打ち破るような何かが見つからないかと、漠然とした期待を抱えながらいつものようにサイトのブログをチェックして――。

「へうっ」

 青年がまた変な声を出した。何事かと思って隣を見ると、青年はさーっと顔を青くしている。

「大丈夫ですか」

「はは、は、はい……」

 どう見ても大丈夫ではない。

「気分が悪いようなら……、保健センターか。付き添いますが」

「いやいやいや、そんな滅相もないです。本当にすみません……」

 謝られるようなことでもあっただろうか。けれど大丈夫ではなさそうな青年だが、喋り方は割としっかりしている感じで、体調自体には問題なさそうだ。となると。

「……もしかして、私が怖がられているのだろうか」

「へうっ」

 どうもそうらしい。

 前々から結構そういうことがある。知らない人からの『怖い人』認定。未だに理由はよくわからないのだが。

「……私が、何かしただろうか」

「いえそんな何も……」

 聞いてみても原因がわからない。思わず考え込んでしまい、膝の上の盆に視線を落とす。

「へうっ」

 ここか。ダウジングのようになってきた。

 膝の上を見つめるけれども特に何の変哲もない。食べ終えた食器があるだけだ。あるいは私の食事風景が異様だったりするのだろうか。と言っても友人からそんな指摘をされたことはないし――。

 あ。

 と気付いて、手に持ったままのスマホの画面を点灯して、少し振ってみた。

 隣の青年はそれを見て明らかに顔を引きつらせている。

 スマホの画面を青年に押し付けるように近付けると、どんどん上体を反らして逃げていく。

 しかしこれだけではわからない。どうもこのサイトが苦手なようだが、それがどういう理由なのか。

 じっと見つめて視線で問いかけると、とうとう耐えかねた青年が口を開いた。

「五面で強制スクロールしてすみませんでした……。許してください……」

 その言葉は私の頭の中でぐるぐると回り。

 ぐるぐると回り。

 ぐるぐると。

「ファンです」

 とりあえず握手を求めた。



「ということは、君はこのサイトの製作者ということでいいんだな?」

「はい、そうです……」

 少しは落ち着いた様子の青年に問いかけると、彼は頷いた。世間とは狭いものだ。中々信じがたい事実だったが、私が感想で送った『五面の強制スクロールは許さない』という発言を知っている様子だったので、信頼することにした。

「それなら別に堂々としていれば……。実際面白いゲームなわけだし……、あ、いや、すまない。あまりこういう文化に慣れていないのだが、こういうのはマナー違反だったりするのだろうか」

「まあリアルとネットの境を壊すのは結構嫌がられることも……。でも最近はどうかな。結構ソーシャルな繋がりも増えてきてるし……」

「いや、不快にさせたなら申し訳ない。それなら以後君には……」

「あ、そんな別に。僕は気にしてませんから。ただ今後はそういうことも頭に入れておいてもらえらば、余計なトラブルも減るかな、と……」

 青年はとても良い人らしい。虹色に輝く『社会の常識』の文字を盛大に破壊するゲームを作っていた人間と同一人物とは思えなかった。

 それから彼はおずおずと私に問いかけてくる。

「それで、えっと……。あなたはいつもゲームの感想を送ってくれる方ってことで、いいんですよね?」

「ああ、その通りだ。いつも楽しませてもらっている」

「すみませんでした、五面の強制スクロール……」

「いや、その、こちらこそすまない。あの面の難易度が高すぎることについて最終戦の仲間の言葉を借りて少しだけ感想を付けただけのつもりだったんだが、私が意図した以上に悪い文面になってしまっていたみたいで……」

「最終戦の……?」

「ほら、あの『帰って来なかったら~』の……」

「ああ……。なんだ、そうだったんですね」

 これはいけない。理解されなかったジョークの解説をしているときほど気恥ずかしいものはない。誤解が解けたのか青年は安心した顔になったので、すまない、ともう一度だけ謝って話を変える。

「ところで五面と言えばなんだが、最新作の五面ボスはどうやって攻略すればいいのだろうか。いや、製作者に聞くのも野暮だとは思うんだが、もう一ヶ月近く詰まっていて……」

 しかし私の問いに、再び青年の顔は強張る。

「え、いや、知らないです」

 ん?

「……知らない? 製作者なのに?」

「……あの、あれ、正直人間がクリアできるってことを想定してないっていうか。最初のやつからそうなんですけど、そもそも誰かがストーリーを把握すること自体を想定してなかったっていうか」

「……何のためにつくっているんだ?」

「その、何かしてないと落ち着かなくて。それで昔からイラスト描いたり小説書いたり料理にハマったりしてたんですけど、最近ゲーム製作もやってみたって感じで。だからその、つくり込むこと自体が目的で、誰かがプレイするとかは考えてなくて、誰にもクリアできないようなゲームをつくって、一応ネットに置いておいた、みたいな」

「……」

「だからその、あなたからクリア感想が届いたときは世の中には物好きですごい人もいるんだなって感じで。せっかくだからと思ってじゃあもっと難しいのつくってみようかなみたいな感じで悪ふざけしちゃって……。でもどんなに常軌を逸したゲームをつくってもものすごい早さクリアされていくから最近は正直ちょっと怖いっていうか……」

「…………」

「す、すみません!」

 本当にプレイヤーに人間を想定していなかった。あれだけつくり込んだゲームを一切プレイさせる気がなかったというのも衝撃だったし、人間にクリアさせる気がなかったはずのゲームを普通にクリアしている自分にも衝撃を覚えた。

 しかし出されたゲームをクリアして怖がられるというのも理不尽な話ではないだろうか。毎回『Thank you for playing!』のイラストを用意してくれていたじゃないか。

「そうか……」

 ちょっと落ち込んだ。すると青年は慌てて。

「あ、でもやっぱりあれがクリアできるってすごいと思いますよ! たぶん世界で何人もいないと思います! それに遊んでくれて嬉しいです! ありがとうございます!」

 あわあわとフォローしてくれる。その仕草をじっと見ていると、しかし彼はまた急に怖がったように口を噤んでしまう。

「その……、恥をかいたついで、と言ってはなんだが、私は何か人を怖がらせるような要素があるだろうか。今回のゲームの話を抜きにしても、私はどうも人から怖がられることが多くて……」

 気付けばそんなことを尋ねていた。前から気になってはいたのだ。しかしどうもそういうことを友人に聞くのも恥ずかしくて今まであえて原因を究明せずにいたのだが、すでにこの青年の中で私は『常軌を逸した変態ゲーマー』くらいに認識されているのだろうし、これ以上下がる評価もあるまいと、思い切って聞いてしまった。

 青年は言いづらそうに、あー、だの、うー、だのと唸りながら視線を宙にさまよわせて。

「……たぶん、表情の起伏が小さいからなんじゃないですか。無表情の美人って何か圧力があって怖いので……」

「すまないがよく聞こえなかった。もう一度言ってくれないか?」

「だからその、美人の人は表情が……、あの。本当に今聞こえませんでしたか? この距離で?」

「すまない、聞こえていた。ただできればもう一回言ってほしかったので厚かましくもリクエストしてしまった」

 正直に謝ってみたら、ちょっと困ったような顔で青年は応えてくれた。良い青年じゃないか。『労働』とかいう文字を虹色に輝かせていた人と同一人物とは思えない。と、そこでふと思い出した。

「君の方は大丈夫なのか?」

「……え、何がですか?」

「いや、最近何か君のつくるゲームから、限界感?が溢れているというか……」

「あはは、もう限界なんで」

 なぜか急に青年の笑いが乾いた。

「……大丈夫か?」

「いやもう昔からダメっていうか、いつも限界なのを誤魔化し誤魔化しやってきたんですけど、ほらもう大学二年の秋だと色々将来の話とか出てくるじゃないですか。だからもう不安で不安で何もかもダメかなーって」

 あはは、と空笑いする青年。私は友人の『作品≠製作者の心情』という言葉を思い出していた。割とそのままじゃないか。

「いやでも、あれだけのものがつくれるなら、そっちの方面でやっていくこともできるんじゃないか」

「やー、無理ですよ。やっぱりどこも基本的には人間関係が基本で、僕はそれがあんまり得意じゃないので……」

 そうだろうか。初対面の私とこれだけ話せていれば十分だと思うのだが。

 青年は、はあ、と溜息をついてお弁当箱を閉じた。その中身が残っていたのが気になって少し見つめていると、青年はその視線に気が付いて私に尋ねる。

「……よければ食べますか? まだ箸をつけてないところもあるので」

 別に空腹という訳でもなかったのだが、ちょっと考えた。初対面の人間のお弁当からおかずを奪う。許されるのだろうか。

 通常許されないとは思うのだが、しかし私は気になっていた。先ほどイラストやらゲームやらと同列に並べられた青年の料理の腕が。

「よければ少しだけもらいたい」

 言うと青年はお弁当を差し出してくれたので、私は自分の箸を取る。青年が、このへんは手をつけてないです、と言うあたりから取るものを選ぶ。

 やけに形が良いので卵焼きにした。箸でつまんで口に運んで。

 美味しい。

「えっ」

 動揺するくらい美味しい。

 不可思議な気分で咀嚼していたら青年は不安げに尋ねてくる。

「すみません、不味かったですか?」

 ごくん、と飲み込んで。

「いや、美味しい。昔夢の中で食べた料理くらい美味しい」

「はあ……」

「それを全部もらっていいだろうか」

「え、でもこのへん箸つけちゃってますけど」

「私は気にしないが、君は気にするだろうか」

「……まあ、それでいいなら」

 困った顔の青年からお弁当箱を受け取る。困らせてばかりで申し訳ないが、申し訳ないのとは別に過剰な美味しさが存在していたのでさっと平らげてしまう。

「ありがとう。美味しかった。これ一本でも食べていけるんじゃないか」

「いやそんな。大したものじゃ、」

「いや、これはすごい」

「……ありがとうございます?」

 私が感想を押し付けると、青年は不思議そうな顔をしながら礼を言う。しかしこのお弁当はどう考えてもおかしいと思う。味覚に未知の反応が発生している。これだけの取り柄があって、どうしてこの青年はあんな限界的なゲームをつくるに至ったのだろう。

「まあその、君なら人生も何とかなるだろう。これだけ色々できるのだから」

「はあ……」

 いまいち反応が悪い。

「なんならどうにもならなかったらしばらく私が世話してもいいし」

「えっ」

 次の反応は過敏だった。自分でも何を言っているんだと思った。友人相手ならともかく、どう考えても初対面の人間にかける言葉ではない。散々彼のサイトのゲームをやりすぎて距離感を見失っていたのだろうか。それとも最近の過剰な集中のせいで脳が奇怪なことになっているのだろうか。それもこれもあのゲームのせいということにならないだろうか。

 心の中でそんな浅ましい言い訳をしていると、青年はふふっと笑って。

「やっぱり良い人なんですね」

 と。その発言の意図がわからず私が首を傾げていると、青年は続ける。

「なんだかとんでもない変態プレイヤーだとは思ってたんですけど、毎回すごく丁寧な感想送ってくれるから、良い人なんだろうな、って思ってたんです。しょうもないゲームもちゃんとプレイしてくれるし」

 本当に変態だと思われていた。

「今の、慰めようとしてくれたんですよね?」

 そういうことにしておいてほしい。口が滑ったとかではなく。

 青年はお弁当箱を持って立ち上がる。それから私の方を向いて。

「ありがとう」

 と言って笑った。見習いたいくらい綺麗な笑顔だった。

「未来のパトロンさんは何かやりたいゲームありますか? 今やってるのが終わるくらいまでにはつくっておきますよ」

「……え、いやそんな」

「遠慮しないでください。どうせあのサイトのゲーム、あなたしかプレイしてませんから」

 まさかとは思っていたが、本当に私しかあのサイトに訪れていなかったのか。

「どうせならもっと人がいるところに置けばいいのに」

「元々誰かがやるとは思ってませんでしたし……。それに千人に少しだけ刺さるゲームよりも、ひとりに思いっ切り刺さるゲームの方が好みですから」

 まあ確かに、その人のいないところに置いたゲームは私にしっかり刺さったわけなのだが。

「で、どんなゲームがやりたいですか? RPG? シューティング? それともサウンドノベル?」

 首を傾げて聞いてくる青年に、私の答えは。

「それはもちろん――」





 それから。


「このゲーム、人間じゃクリア不可能なんじゃないか」

「だから言ったのに……」

「あ、行けた」

「えぇ……? ほんとに人間なんですか?」


 小さな部屋。気の合う友人。楽しいゲーム。美味しい食事。

 大学生特有の堕落には、より一層注意を払わねばなるまい。

 少なくとも、私の方は。

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大学生がゲームする話 quiet @quiet

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