第3話 清掃獣を粉砕せよ!

 名乗りポーズを決めたところで、爆発や閃光が起こるわけではない。これは単なる、ヌメリの悪ふざけなのだ。しかし、警戒する様子のQ・キュートを見て、何かしらの効果があったのだと、ひろは思うことにした。そう思わないと恥ずかしくてやってられない。肩越しにちらりと見れば、富子とみこは笑いをこらえて妙な顔になっていたし、店長は無邪気に拍手していた。

「地球のバイオ兵器ってわけね。いいわ、その実力見てあげる」

 Q・キュートが身振りをすると、清掃獣が前へ進み出た。

「清掃獣サボーン、その下等生物を消毒しなさい!」

 サボーンはいきり立つ猫のようにシャーと吠え、浩に飛び掛かってきた。鋭い爪が生えた右手が無造作に突き出され、浩はサボーンの突撃をあっさりと受け止めた。その体躯からしてあるはずの衝撃を、彼はほとんど感じなかった。

「お兄さん、後は任せますね。私はサポートに専念します」

 微かに感じられていた拘束が消えた。身体の制御が、ヌメリから浩に移されたのだ。

「アイ・ハブ・コントロール」

 やけくそで浩は答えた。空耳のように、クスッと笑うヌメリの声が聞こえた。浩は左の拳を叩き込み、サボーンを殴り飛ばした。技術も何もない力任せの一撃だった。清掃獣は漬物屋に突っ込み、ぬか胡瓜きゅうり茄子なすを辺りにまき散らす。浩は追い打ちを掛けようと漬物屋へ歩み寄った。彼が自分の姿を目にしたのは、その時だった。ショッピングモールの二階通路を支える柱に貼り付けられた、大きな鏡にそれは映っていた。概観は人型だが、全身を覆う褐色の甲殻は節足動物のようで、表面は微かにぬめりを帯びている。まるで、SFホラー映画に出てくる異星生物と、宇宙刑事を掛け合わせたような格好だ。これでは勧善懲悪の特撮ヒーローではなく、怪獣大決戦にしか見えない。

「サボーン、バブルボムよ!」

 浩が漬物屋に足を踏み入れようとしたところで、Q・キュートが命令を叫んだ。漬物樽を弾き飛ばして素早く身を起こした清掃獣は、ギザギザの牙が生えた口から大量のシャボン玉を吐き出した。身構える暇もなかった。眼前でシャボン玉が弾け、激しい爆発が連鎖的に起こった。爆風をまともに食らった浩は、通路の真ん中あたりまで吹き飛ばされ、仰向けに倒れ込んだ。直撃を食らってぎくりとしたが、痛みは感じなかった。しかし、まったくのノーダメージと言うわけではないようで、爆風を受けた場所が、ただれたように白く変色していた。

「休ませるな、サボーン!」

 清掃獣は巨体を宙に舞いあがらせた。敵の意図に気付いた浩は後転の要領で素早く下半身を引き起こし、両腕の力だけで床の上を低い軌道で飛んだ。数瞬前まで浩が転がっていた場所に清掃獣が落下し、短く太い足で人工大理石の床を粉々に踏みしだく。難を逃れた浩はジャンプの勢いを活かし、半ば這うような格好で床を滑りながら、富子と店長の前まで来て停止する。

「そのポーズ、見たことあるわ。ほら、アメコミの蜘蛛系ヒーロー?」

 富子が言った。

「かっこいいわよ、ヒロくん!」

 店長が、また拍手した。

「感想はいいから、二人とも早く逃げてください。すぐ近くにバックヤードの扉があります。店長、鍵は持ってますね?」

 店長はエプロンのポケットから鍵を取り出して頷いた。

「急いで」

 清掃獣がのしのしと迫ってくる。浩は床を蹴り、サボーンに突進した。カウンター気味に短い腕を振り回し、殴りかかってきたサボーンの攻撃を、浩は身を沈めてあっさりかわす。そうして彼はサボーンの下半身に肩から突っ込み、強く足を踏み込んで巨体を担ぎ上げた。腹に力を込め、ふうと息を吐きながら両手を伸ばし、サボーンの巨体を頭上に高々と掲げる。饅頭の原料になる重たい小麦粉の袋を、日頃から上げ下ろしする彼には造作もない事だった。もちろん、清掃獣は小麦粉の袋とは違うから、短い手足をばたつかせて激しく抵抗した。しかし、鋭い爪が生えた浩の指先は、サボーンの身体にがっちり食い込んで外れない。浩はQ・キュートをねめつけ、満身の力でサボーンを宙高く放り投げた。サボーンは緩くを弧を描きながら、Q・キュート目がけて真っ逆さまに落下する。しかし、Q・キュートはひょいと右手を突き上げただけで、清掃獣の巨体をあっさり受け止めた。

「なるほど。大口を叩くだけのことはあるわね」

 Q・キュートはぎらぎら光る眼で浩をねめつける。浩は警戒しつつも、シャボン玉を食らって変色していた箇所が、修復を始めたことに気を留めていた。それは数秒で、すっかり元の状態に戻るが、浩は身体に異変を感じていた。手足の微かな痺れと、軽い目眩を覚えたのだ。

「ヌメリ、妙な感じがするぞ。これは何だ?」

「傷の修復や力の増幅に、お兄さんの血液中の栄養を使ってるんです。戦いが長引いたり大きなダメージを受けたりすると、おなかが空いて倒れますよ」

「そう言うことは最初に言ってくれ。何か必殺技的なものは無いのか、ビームとか?」

「そんなもの出ません。バクテリアをなんだと思ってるんですか」

 浩は悪態をついた。と、なれば殴る蹴るしか方法はない。しかし、今までの攻撃で清掃獣に大きなダメージを与えた手ごたえは無い。これでは手詰まりだ。せめて、弱点でもあれば良いのだが。

「いけ、サボーン!」

 Q・キュートはサボーンをオーバーハンドで、浩に向かって投げつけた。思いがけない攻撃に、浩はすっかり虚を突かれた格好になった。

「バブルボム!」

 Q・キュートが命じ、サボーンは空中から浩めがけてシャボン玉を吐きかけた。浩は咄嗟に飛び退くが、それはわずかに遅かった。床で弾けたシャボン玉の爆風を受け、彼はバランスを崩してひっくり返った。慌てて身を起こしたところへ、Q・キュートの次の命令が飛んだ。

「メルティンフロス!」

 着地したサボーンは、口から細かな泡を吐きだした。浩は頭上から降り注ぐ泡を横っ飛びに避けるが、転がって立ち上がると右の足首が変色し、その輪郭が歪んでいることに気付いた。

「消毒作用のある泡みたいです。早く洗い流してください。バイオフィルムも分解され始めてます」

 ヌメリが言った。

「洗えと言ってもな」

 洗面台でじゃぶじゃぶ、と言うわけにもいかない。辺りを見渡していると、壁に貼られたフロアマップが目についた。これだとばかりに、浩は清掃獣に背を向けて走り出した。

「逃がすな、サボーン!」

 Q・キュートの声と、サボーンの咆哮が追いかけてくる。まずいことに、溶解液を浴びた右足に力が入らず、思うようにスピードがあがらない。このままでは追い付かれる。何か手を打たなければと考えたところで、浩は素晴らしいアイディアを思い付いた。

「ビームは無理でも、粘液なら出せるだろう。とびっきりぬるぬるの?」

 浩の考えを読んだのか、ヌメリはくすくす笑った。

「任せてください」

 すぐに背後で、ばちゃばちゃと言う水音がした。少し遅れて悲鳴が聞こえた。肩越しに振り返ると、床の上にひっくり返るQ・キュートとサボーンの姿があった。Q・キュートは悪態を吐きながら立ち上がろうともがくが、滑らかな人工大理石に撒き散らされた粘液に手足を取られ、再びひっくり返る。

「あ、パンツ丸見え。役得ですね、お兄さん」

 ヌメリが言った。黒だった。

「くだらないこと言ってないで、どんどん撒き続けろ」

「でも、そんなことしたら、私もお兄さんも干からびちゃいますよ?」

 栄養ばかりか、水分まで吸われていたか。

「水なら、いくらでもある」

 視界が大きく開けた。弧を描くショッピングモールの広くて長い通路の果ては、フードコートを兼ねる巨大な円形の広場になっていた。広場の中央には大きな噴水があり、浩は左足だけで踏み切って、その中に身を躍らせた。水しぶきを上げて飛び込むと、右足の違和感が消えた。バイオフィルムを侵蝕していた消毒液が洗い流されたのだろう。

 たっぷり五分ほど経って、よろめき歩くQ・キュートと、サボーンがようやく追い付いてきた。サボーンは、カニのように口からメルティンフロスを吐き出し続けている。これで粘液を溶かしながら歩いてきたのだろう。バクテリオンの唯一の武器も、あっさり破られてしまったようだ。

「ヌメリ、ちょっと考えがある」

 浩が手早く説明し「できるか?」と問えば、ヌメリは「任せてください」と請け合った。

「水遊びとは余裕ね、バクテリオン」

 Q・キュートが言った。彼女はひどい有様だった。髪は乱れ、ぬるぬるする床を転がったせいか、身体のあちこちに粘液が付着している。

「一緒にどうだ、Q・キュート。さっぱりするぞ?」

「遠慮するわ」

「そりゃあ、残念だ」

 浩は右手の拳をサボーンに向けた。手首の甲殻が、細いパイプ状に変形する。

「何か企んでいるようだけど、そうはさせないわよ。サボーン、バブルボム!」

 機先を制しようとQ・キュートが命令を発するが、浩はそれを待っていた。

「ヌメリ、今だ!」

 浩の指先から浩の指先から透明な粘液が、消防車の放水のように勢いよく噴き出し、サボーンの口の中へ注ぎ込まれた。

「貴様、何を!」

 Q・キュートが叫ぶ。その答えは、すぐに出た。サボーンのシャボン玉は宙を飛ばず、ごぼごぼと口からあふれ出るばかりだった。しかも、それは床に落ちても弾けず、ビー玉のようにころころと転がる。

「さわれるシャボン玉って知ってるか?」

 唖然とするQ・キュートに向かって、浩は言った。

「シャボン液に多糖類を混ぜると、丈夫なシャボン玉を作ることができるんだ。そして、バクテリアか分泌する粘液の成分は、多糖類だ」

「おのれ……」

 Q・キュートはぎりぎりと歯噛みしてから、サボーンに命じた。

「汚らわしい粘液なんて、溶かすまでよ。サボーン、メルティンフロス!」

 サボーンの口の中に、きめの細かい泡が現れた。浩は「詰みだ」と呟いた。次の瞬間、膜を溶かされたシャボン玉が破裂し、サボーンの口の中で次々と爆発を始めた。連続する爆音の中で、Q・キュートの口が「ばかな」と動くのが見えた。サボーンの四角い身体が膨らみ、歪んで、大音声と閃光を放ち四散した。

 衝撃波は浩のところにまで届いた。白い塊が一つ飛んできて、浩はそれを受け止めた。爆発がおさまり、手の中の塊を見ると、それは拳大の石鹸だった。色からしてサボーンの身体の欠片のようだ。石鹸を床に放り投げ、辺りの様子を見ると、近くにあった赤い看板のハンバーガーショップや、シアトルスタイルを売りにするコーヒーストアが、爆発の衝撃で大ダメージを受けていた。テナントのみなさん、ごめんなさい――と、浩は胸の内で謝った。

 床に倒れ伏したQ・キュートは、元の場所からほとんど動いていなかった。咄嗟に伏せて、爆発の衝撃から身を守ったのだろう。さもなければ、爆風でもっと遠くへ吹き飛ばされていてもおかしくない。しばらくして、彼女はよろよろと立ち上がり、浩を睨み付けた。煤や埃やサボーンの欠片にまみれて見た目はひどい有様だが、目立った怪我は無く、火傷の一つもなかった。あれほどの爆発に巻き込まれても、無傷でいられる清掃員の強靭さに浩は驚くばかりだが、それは少なからず予想していた事でもあった。

「バクテリオン」

 ぼろぼろになりながらも、Q・キュートは不敵に笑った。

「サボーンを倒したくらいで、いい気にならないで。次はこの私、マダム・Q・キュートが直々に……」

「ヌメリ、ぶっかけろ」

 浩はQ・キュートに噴射口を向け、容赦なく言った。

「サー、イエッサー!」

 ヌメリが嬉々として答え、再び粘液を噴射した。

「ちょ、この、ふざけた攻撃は、やめっ……!」

 Q・キュートは両腕で顔をかばい、全身を粘液にまみれながら抗議する。しかし、粘液の勢いに押されてたたらを踏んだところで、足元にできた粘液だまりに足を取られ、「きゃあ」と可愛らしい悲鳴を上げながら仰向けにひっくり返った。鈍い音がした。Q・キュートは、そのまま動かなくなった。

「後頭部、打ちましたね」

 ヌメリが言った。

「そうみたいだな」

 浩は淡々と答えた。Q・キュートがどんな改造手術を施されようと、頭部を強打すれば脳しんとうを起こすのは、当然のことだった。頭を激しく揺り動かせば、その中に収められた脳も同様に揺れるからだ。それは、どれほど頭蓋を頑丈にしたところで防ぐことはできない。もちろん、某サイボーグ漫画の敵幹部のように、胴体に脳を内蔵しているのなら話は別だが、ともかくバクテリオンの粘液攻撃は浩の予想を超える効果を発揮したのだった。

 浩は噴水の縁をまたぎ、Q・キュートへ歩み寄った。意識の無い彼女を見下ろして、どうしたものかと思案する。破壊活動を行った犯人として、縛り上げて警察へ突き出すのが順当だが、果たして火星人を裁く法などあるのだろうか。

 その時、どこからかシューシューと言う奇妙な音が聞こえてきた。ヌメリが「上です!」と叫んだ。見上げると、鉄骨とポリカーボネートで出来た透明な天井の向こうに、蒸気を噴射しながら近づいてくる黒い物体が見えた。物体は強靭なポリカーボネートにあっさりと穴を開け、浩の頭上に落下してくる。

 浩は咄嗟にとんぼを切って躱し、身構えて物体を見た。それは黒光りする鋼の装甲に固められたロボットに見えた。身の丈はサボーンとさほど変わらず、全身から真っ白い蒸気を噴き出す様は、まるで蒸気機関車のようだ。

「我が名は――」

 と、機関車男は低い声で言った。

「蒸気将軍オズマ。地球の戦士よ、貴殿の名を聞こう」

 浩は身構えたまま答える。

「バクテリオンだ」

 すると、オズマはばさりとマントをひるがえしてから、銃身のような形をした右手を、意識の無いQ・キュートへ向けた。失敗は死をもって償えと言うことか。

「よせ!」

 浩は叫んだ。しかし、銃口から出たのは弾丸ではなく、蒸気だった。噴き出す蒸気は、見る間にQ・キュートにまとわりつく粘液をはぎ取った。するとQ・キュートが、香港のカンフー俳優のような奇妙な声を上げて飛び起きた。彼女はオズマを見て、眉を吊り上げる。

「なにするのよ、熱いじゃない!」

「失礼、マダム」

 オズマはぺこりと頭を下げ、左腕をQ・キュートの腰に絡めてから浩に目を向けた。

「バクテリオン、今日のところは貴殿に勝利を譲ろう。マダム・Q・キュートを倒してみせた、貴殿の戦ぶりに対する我からの敬意だ」

 Q・キュートは、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

「いずれ、また相見(あいまみ)えよう」

 オズマは足の裏から蒸気を噴射して、ゆっくりと宙へ浮かび上がった。そうして、自分が空けた天井の穴から空へと消え去った。


   *


 富子は、何かがおかしいと感じていた。店長の案内でバックヤードの廊下を進んでいるが、方向的に外へ向かっているようには思えない。しかし、店長は迷いなくあっちへこっちへと指さすので、彼女は黙って指示に従うしかなかった。ほどなく、目の前に扉が現れた。ノブを回して押し開けると、そこはモールの端にある噴水広場だった。

「あらまあ。間違えちゃったかしら。ごめんなさいね」

 しょんぼり謝る店長に、富子は「気にしないでください」と言って笑みを向けた。

「あら、ヒロくん。噴水の中でなにやってるのかしら?」

 店長が言うように、噴水の中にはバクテリオンがいた。彼はマダム・Q・キュートと、シャボン玉をころころ吐き出すサボーンに対峙している。

「さわれるシャボン玉って知ってるか?」

 バクテリオンは言った。それで、富子はすぐに状況を察した。彼は、バクテリアが分泌する多糖類を使い、サボーンの爆発するシャボン玉を封じ込めたのだ。富子は「やるわね」と胸の内で浩を称賛した。しかし、床を転がるほどの強度を生みだすとは、どんな成分なのだろう。大学で細菌学を学ぶ富子としては、非常に興味をそそられた。

「汚らわしい粘液なんて、溶かすまでよ」

 Q・キュートが叫ぶのを聞いて、富子は素早く扉を閉めた。少し間を置いて、扉の外で爆発音が響いた。店長が「あらまあ」と目を丸くする。割れれば爆発するシャボン玉を溶かせば、そうなる事は明白だった。爆発音がおさまり再び扉を開けるとサボーンの姿は無く、Q・キュートが床に倒れ伏していた。

「あの怪獣、どこへ行っちゃったのかしら」

 店長がぽつりと言った。

「ヒロくんが、やっつけたみたいですね」

 Q・キュートはよろめきながら立ち上がり、バクテリオンに向かって負け惜しみのようなことを言った。バクテリオンは逡巡もなく腕を突き出し、そこから噴き出す大量の液体を彼女に浴びせかけた。Q・キュートの身体を滴る液体の粘度からして、菌体外多糖に間違いないだろう。Q・キュートは噴き掛けられる粘液を避けようとするが、仰向けにひっくり返って頭を打ち、意識を失った。ほどなくして現れた、蒸気将軍を名乗るロボットが彼女を連れて退散したのを見て、富子は店長を支えながら扉の外へ出て、初陣を飾ったバクテリオンに歩み寄った。

「ヒロくん!」

 店長が呼ばわると、バクテリオンはこちらを向いた。彼は二人を見て、少し責めるように言った。

「なんで逃げなかったんですか」

「バックヤードの中なんて歩いたこと無かったから、店長さんに案内してもらったんだけど、そうしたら、ここへ出てたの」

 富子は苦笑交じりに言い訳した。不可抗力だと言う思いは多少なりともあったが、店長のトジッレベルを甘く見ていたのは、彼女の過失に違いない。

「ごめんね、道を間違えちゃって」

 店長は申し訳なさそうに言った。バクテリオンの姿なので表情は読めないが、おそらく浩は同情の眼差しを富子に向けていた。

「さっきの、黒いロボットは何だったの?」

 富子が聞くと、浩は肩をすくめて答えた。

「あれも清掃員みたいですね。あんなのが七人もいるって考えると、うんざりしますよ」

「そうね」富子は笑みを浮かべて言った。「お疲れ様。とりあえず、元の格好に戻ったら?」

 浩は頷くが、なかなか変身を解こうとしない。彼は戸惑うように富子を見て説明した。

「ヌメリが、合体を解除したがらないんです」

「どうしたの、ヌメリちゃん?」

 富子が問うと、バクテリオンはヌメリの声で答えた。

「せっかく、お兄さんと一つになれたのに、もう離れろなんて冷たすぎです。ぷんぷん」

 ぷんぷん?

「おまえ、何か隠してるだろう?」

 わざとらしいヌメリの言い様に、浩は何かを察したようだった。

「えーと……実は、お兄さんに話し忘れた事があって」

 ヌメリはおずおずと言った。浩が、ぎくりと身じろぎした。

「まさか、一度バクテリオンになったら、元に戻れないなんて言うんじゃないだろうな?」

「あ、それはないです。何回合体しても、生まれたときから変わらない格好に、きれいさっぱり戻れますので心配いりません」

 ヌメリは請け合った。しかし、彼女は「でも」と付け加えた。

「いっぺん、おウチへ帰ってからにしませんか。きっと、その方がいいですよ?」

「こんなエイリアンじみた格好で、外を歩き回れるわけがないだろう。いいから、さっさと元に戻してくれ」

 それで、ヌメリはようやく「わかりました」と言って、ベリベリ音を立てて浩の身体から剥がれ落ち、床の上でしばらくうごめいてから少女の姿に戻った。しかし、彼女の方はすっかり元通りと言うわけではなく、尺が縮み低学年の小学生ほどになっていた。富子は、どう言うことかと首をひねるが、すぐその理由に思い至った。ヌメリも清掃員との戦いで消耗したのだ。浩もずいぶんくたびれているように見えるが、彼女の方は文字通り身を削って戦っていたのだろう。

「あらまあ」

 と、店長が言った。富子も同じ気分だった。

「ヒロくん、これ」

 富子は、浩から預かっていた紙袋を差し出した。ヌメリが浩の部屋から着てきた、Tシャツとジーンズを詰めた袋だ。浩がそれを受け取ると、富子はくるりと背を向けた。笑い出しそうになるのを懸命にこらえた。ヌメリは言ったではないか。生まれたときから変わらない格好に、きれいさっぱり戻れます――と。背後で浩が毒づいた。紙袋のがさがさ言う音が聞こえた。少し間を置き、ファスナーを上げる音がしたところで富子は振り返った。上半身裸の浩がヌメリを睨み付けていた。決して隆々と言うわけではないが、彫刻したように浮き上がる筋肉で覆われた身体は、なかなか見事なものだ。浩は「服をどうした?」と剣呑な声でヌメリを問い詰めた。

「おまんじゅう屋さんの前で脱ぎました」

 ヌメリはとぼけて言った。

「おまえのじゃない。俺の服だ」

 ヌメリは答える代りに、そっぽを向いてぴーぷー口笛を吹いた。

「答えろ」

「だから、おウチへ帰ってからにしましょうって言ったんです。そりゃあ、お兄さんはいい体してますけど、こんな往来で見せびらかすのは、ちょっと公序良俗に反するんじゃないかと」

「おまえだって素っ裸じゃないか」

 浩は紙袋から引っ張り出したTシャツに、袖を通しながら言った。

「私はいいんです。幼女の裸が嫌いな人間なんていませんから」

 ヌメリは「えへん」と胸を張った。

「人類全員をロリコンみたいに言うな。それより、俺の服をどうした?」

 浩はしつこく聞いた。ヌメリは視線を泳がせた。きっと、何か言い訳をでっち上げようと、思案を巡らせているのだろう。しかし、ついに彼女はあきらめ、こう答えた。

「食べました」

「は?」

 浩が素っ頓狂な声を上げた。

「食べました!」

 そう言って、ヌメリはぺっと何かを吐き出した。粘液にまみれたそれは、ベルトのバックルや、ボタンやファスナーなど、衣服に付いていた金属パーツだった。富子は驚いた。天然、合成ともに、繊維をこれほど短時間で分解する細菌など、聞いたことが無かった。

「なんで、そんなことをしたんだ?」

 浩は、すっかり毒気を抜かれた様子で聞いた。

「合体の邪魔だったんです。肌にぴったりくっ付かないと、パワーアシストが出来ないから。怒りましたか。怒りましたよね。お兄さんの一張羅を食べちゃったんですから。ええもう、覚悟はできてます。さあ、チョップでもなんでもしてください。でも、優しくしてね!」

 ヌメリは威勢よくいうが、浩が手をのばすと身をすくめてぎゅっと目を閉じた。浩はチョップもゲンコツもせず、ただ彼女の頭にぽんと手を置いた。

「そう言うことは、前もって言ってくれ」

 ヌメリは目をパチクリさせてから、「はい」と素直に言った。

「次からは、着替えを用意しとかなきゃならないな」

 浩は渋い顔で呟いた。

「普段から着る服も、考えといた方がいいですよ」

 ヌメリが助言した。

「そうだな。おまえに食われても、惜しくない服にしよう」

「化繊はやめてくださいね。あんまり、美味しくないから」

「天然繊維は高いんだよ。好き嫌いするな」

 そう言ってから、浩はぎょっとしてヌメリに聞いた。

「おい、ポケットに入れてた携帯と財布と鍵はどうした。まさか、それも食ったんじゃないよな?」

 ヌメリは脇腹をぽんぽん叩いて、口の中からスマートフォンを吐き出した。

「私も路頭に迷いたくないので、食べないように我慢しました。えらいですか?」

「おう、よくやった」

 浩は笑顔でヌメリの頭をくしゃくしゃ撫でた。その時、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。

「大変!」店長が言った。「ヒロくんが逮捕されちゃうわ」

「なんで、俺限定なんですか」

 浩はゲンナリした様子で聞いた。

「だって、その子――ヌメリちゃんは、浩くんの彼女さんなんでしょ。相思相愛でも、子供と恋人同士だなんて言ったら児童なんとか法違反にならない?」

 そして店長は、ちょっと考えてから付け加えた。

「それにヌメリちゃん、裸んぼうだから色々と誤解されそうだもの」

 それを聞いて浩は、何かを思い出したように「あっ!」と叫んだ。

「ヌメリ、服だ!」

「おおう、そうでした。お巡りさんが来る前に、早く回収した方がいいですね」

「当たり前だ。俺の十日分の食費より高かったんだぞ。急げ!」

 二人は並んで、ばたばたと走り出した。しかし、彼らは肝心なことを忘れている。服を買ったときより、ヌメリは三〇センチ以上、縮んでいるのだ。もちろん、ぶかぶかの服でも全裸よりはマシだから、富子は二人を呼び止めようとはしなかった。サイズが違おうと、結局はそれを着て帰らなければならないのだ。例え、大枚をはたいて買った物が台無しになったと知り、浩ががっかりすることは明白だとしても。

「あの二人、本当に仲良しねえ」

 店長がにこにこ笑顔で言った。富子も笑顔を返し、「そうですね」と同意する。恐らく二人は気付いてないが、浩はとっくにヌメリの作戦にはまっていた。さもなければ彼も、次は着替えを用意しようなどと言わないだろう。つまり、それは彼が、またバクテリオンになるつもりでいると言うことだった。結局のところ、可愛い女の子はそれ自体が罠なのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

増殖武装バクテリオン 烏屋マイニ @mai-ny

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ