彼女は小説を後ろから読む

相楽山椒

彼女は小説を後ろから読む

 夫婦というものは何年連れ添ってもつまらないことで喧嘩をするものだ、私のところも例に漏れず今日もやらかした。食器の重ね方についてだ。


 単発的な小競り合いは違う人間である以上避けられないが、看過できないことを一つずつ解決してゆくことは困難を極める。人と人とが解り合うこと、すなわちそれが、自身らが最上級と認めた夫婦たるものの愛の中に成就をみなければいけないという、脅迫にも近い精神衝動が大抵の夫婦の喧嘩の糸口になりえる。


 夫婦生活とは、比較的大きな喧嘩を恋人なり新婚当時のうちにほとんど済ませてしまうことで互いのボーダーを確認し、その上で付き合うパートナーとして割り切るのが最も平和的な運営を行える。無論、エラーを認識し取り除く作業あってのことだが、ただ、これがなかなか事務的にうまく処理できないことも多い。


 新婚当時、私は彼女に愛読している小説の文庫本を手渡したことがあった。


「この小説面白かったよ、良かったら読んでみたら」


 彼女は快く受け取ると首をかしげながらパラパラとページをめくる。そしてやがてページをめくる手を止めた。


「ふーん」


 私は最初に彼女が何をしているのか気がつかなかった。そしてその行為が信じられずに目を疑った、なんと最後のページを読んでいるのだ。


 彼女のその様子に唖然とし、言葉が上手く見つからず思わず怒りを押し殺し震える唇で苦言を呈していた。


「何でそんな読み方をするんだよ」


「何でって、本の読み方なんて自由じゃない、私はいつもこうなの」


「普通、後ろから、その、結果からなんて読まないよ、第一そんな読み方で面白いか?」


「ええ、面白いわ」


 私は頭を抱えざるを得なかった、確かに読む本人が面白いというならばそれでも構わない、ただ本を書く立場の人間は、特に物語を書く人間は、最後を読み取られないことを前提として構成しているのではないだろうか。


 当時、読書が唯一の趣味だった私は、自らの信念に基づいて彼女にその行いを正すよう提言した、それは著者に対して失礼だと。


無論彼女も「逆に結果がわからないで読み続けるのなんて面白くないじゃない」と自らの信念のもと私に負けじと反撃をした。


 正直、この時の喧嘩ほどひどいものは後にも先にもないといってよかった。私自身もおそらく自分がこよなく愛する読書というものが喧嘩の種でなければ、彼女が本を投げつけ表紙を破る事もなければ、私が怒って彼女の頬をひっぱたくこともしなかったし、仕返しに本棚をひっくり返される事もなければ、私が出て行き三日間家に帰らなかったといった異常事態にまで発展はしなかった。


 その時に比べれば今回の話など、まるで太陽と月を比べるかのような話だ。私が食卓で食べ終わった後の食器を重ねてシンクに運ぼうとしたところを、彼女が大きな声で制した。


「ちょっと、そういうのやめてよね」


「何が、なんのこと?」


「重ねて持って来てくれるのはいいけど油モノは一番上にしてよね、洗うのが二度手間でしょう」


 そんなこと今まで一言も言われた事はないはずだ、と私は抗議した。


「常識でしょう」


 一言で済まされた。そんなこと解るわけがない、いちいち気をつけてなんていられない、運んでもらっているくせにそんな運び方の細かいことまで言うな、とまあ、歳も歳なりにあまり声を荒げることもなく彼女に苦言は呈した。


 すると彼女は水道の蛇口を止め、ならあなたが洗ってみれば、よく解りますからどうぞ、と言ってすたすたと廊下を歩いて玄関を静かに開け外に出て行ってしまった。


 夫婦はこういったつまらない喧嘩が月に一度ほどのペースで繰り返される。そのたびに協定を結ばなければいけないのだと、私は二年前に彼女と陶芸教室で作ったいびつな和食器の糸きりにこびりついたチリソースを洗い落としながら自身に言い聞かせていた。そうだな、なるほど確かに彼女の言うとおりだ。


 まあ三十分もすれば帰ってくる、たいした喧嘩じゃない。次から重ね方さえ間違わなければ、彼女は機嫌を損ねる事もなく、他愛もない会話をしながら食器を淡々と洗うだろう。


 そうやって今日のように小さな協定をいくつも結んだ私たちだったが、ただ一つだけ結べなかった協定がある。


 実はあの時以来私は彼女に小説を勧めたことはない。こればかりは食器のように重ね方を変えればすむというものではないからだ。まるでそれが地雷かのように、一度踏んだ場所は二度と踏まないように避けてきた。二度とこの分野を共有しようなどとは思うものかと。


 彼女と夫婦になってから二十年、子供を作る事もせず、互いに悠々自適にやってきて、よくここまで続いたものだとは思う。私は長年勤めた会社を続けながら、栄誉ある受賞を果たし、いっぱしの小説家なりに本格的に執筆活動を始め、著作も昨日脱稿した分を含めると十冊を数えるまでになった。彼女は一連の私の行動に対し反対もせずむしろ喜んでくれたが、未だに私の作品を読もうとはしない。後ろから読んだら私が怒るからだ。


 それには一抹の寂しさも募る今日この頃、ならばいっそ腹いせに夫婦の暴露本でも書こうかと思ったことはあるが、それなりに名も売れた自分の恥でもあるのでやめておいた。


 作家としてはまだ若いうちに入るであろう私は、実はこの執筆生活をはじめて以来初のスランプに陥っている。そのことを作家仲間に話すと、嫌味のつもりかと相手にしてもらえなかった。


 私は今真剣に悩んでいる、いままで小説を書く時は本当に何も考えずに書けたのだ、実際に賞が取れるなんて事も考えていなかった。だから授賞式はこの賞に関係する人々に申し訳ない気持ちで一杯で、それに会社にどう説明したものか迷っていた。


 ただ、なし崩し的に、私は作家としてデビューするより他なかった。話が大きくなりすぎて、いや、世間から見た私という存在があまりに大きくなりすぎて、引くことが出来なかったのだ。そして何より、私の作品を読んだ事もないであろう彼女が一言言ったのだ。「あなたの人生なんだからやってみたら? 面白いじゃない」


 私は彼女のその言葉には驚いた。正直反対されると思っていたから、そして馬鹿にされると思っていたから公募に出すことも黙っていたのに。そう、人生は面白いから続けて行ける。


 私はデビューから三年、快進撃を続け文壇で私の名を知らないものはいないと胸を張ることが出来るくらいの作家になった事は自負している。しかしながらそんな私が、今更スランプになっているなどと誰が信じようか。


 告白しよう。目下私のその悩みとは、どうすれば最後から読んでも、最初から読んだのと同じだけの面白さを味わえる小説が書けるだろうかということだ。


 その出口の見つからない迷路のような問題を考え出してから、私たちの間で会話が減り続けていたことは認めよう、その些細なきっかけの積算が今日の彼女の苦言となって噴出したのだ、そのことも素直に認めよう。そうだな、一つ屋根の下でいつでも眉間にしわを寄せて難しい顔をして視界の中にいられたのではたまったものではない、反省せねばなるまい。


 やがて彼女がクールダウンの為の外出を終え、何事もなかったかのように静かに帰ってきた。洗って乾燥を終えた食器を水屋にしまいながら私を振り返り、怪訝な顔をして言う。


「ねぇ? 最近いつも何をニヤニヤ笑って考え事しているのよ、気持悪いわね」


 いや、多分私は、私は笑ってなどいない、はずだ。

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