第8話 新規事業課に配属されました

 坂口さかぐち加奈かなが給湯室に行くと、熊谷くまがい令子れいこさんが冷蔵庫の前でしゃがみ込んでいた。


「どうしたんですか?」

「私のチョコがないのよ」

 熊谷さんは加奈の3年先輩で、加奈と同じ部署に一緒に配属されている。気さくで飾らない人柄が素敵な人だ。


「実は、私もなんです」

「え、あなたも何かなくなったの?」

 加奈はコクリとうなずいた。昨日の朝、入れておいたプリンが、午後にはなくなっていた。


溝口みぞぐちさんもアイスがなくなったって言ってるし……てことは、誰かが盗んでるよねえ……」

 熊谷さんは、小さいけれどハッキリした声で断言した。


 この部署は新規事業課という名称で、つい先週スタートしたばかり。総勢18人が新しい部屋に集合し、「誰もが驚く斬新な新製品」を開発するという名目で業務を開始したところだった。


「君たち、どうかしたの?」

 給湯室に、野々村ののむら課長がやってきた。35歳、身長182センチのイケメンで、社内ではやり手として有名な人物だ。しかも独身だから、女子社員たちの羨望の的――。


「課長、大きな声じゃ言えない話がひとつあるんですけど……」

 熊谷さんが、ヒソヒソ声で話し始めた。


「……マジ?」

 熊谷さんの話に驚きながら、課長は冷蔵庫から出したウーロン茶を自分のマグカップに注いだ。ワイシャツをめくった手首の動きが、しなやかだった。


「この冷蔵庫って、18人の部署には小さすぎるんだよね」

 ウーロン茶をゴクゴクと飲んで課長が言うと、熊谷さんも加奈もうなずいた。


 確かに、その冷蔵庫はひとり暮らし用で、加奈の腰ぐらいの高さしかない小型のものだった。

「実は昨日、社内のどこかに冷蔵庫が余ってないか、総務部に聞いてみたんだよ。でも残念ながら、今はないっていう返事だった」


 新規事業課の18人中、女性が14人。どうやら、スイーツやスナック菓子が大好物のメンバーが集まったようで、冷蔵庫の中はほとんど通勤電車みたいな様相を呈していた。どう見ても、入れすぎだ。


「だったら、みんなでお金を出し合って大きいのを買ってもいいかもですね。新品は無理でも、中古ならそんなに高くないですから」


 加奈が提案すると、課長は「それもアリかもね」と同意してくれた。そして、話を続ける。

「――まあ、冷蔵庫を交換するか買うかの件は今後の課題として、入れておいたものがなくなるっていうのは、ちょっと問題だよねえ。ここで言うのもなんだけど、実は俺もシュークリームがなくなったんだよ」


「え、課長もですか?」

 熊谷さんが聞くと、課長は人差し指を立てて口の前に置いた。

「この件は、大きな騒動になる前に解決したほうがいいかもしれないなあ」


          *


「――と、いうわけなんだ。別に、俺は犯人捜しをしたいわけじゃないし、部署が始まったばかりの今、つまらない波風を立てたくないだけ。だから、もし心当たりのある者がいたら、今後はやめてもらいたい。以上!」


 5時の終業チャイムが鳴った後、野々村課長はメンバー全員の前でそう演説した。すると、遠藤えんどうさんが声を上げた。


「そのこと、私とつじさんも先週から気づいてました。それで実は、ふたりで見張るというか……給湯室の人の出入りをよく見るようにしてたんです。冷蔵庫の開け閉めとかも含めて、ですけど」


 遠藤さんと辻さんは40代の女性で、この部署のメンバーでは最も古株に当たる。

「それで、どうでした?」

 課長は、興味をそそられた様子だった。


「現時点での結論としては、他人のものを勝手に持ち出したような人は、誰もいないと思います」

「辻さんも、同じ意見ですか?」

 課長が確認すると、辻さんは大きくうなずいた。


「遠藤さんと辻さん、給湯室に一番近いデスクにいる人たちがそう言うんなら、信用したほうがよさそうだよねえ……。どうなんだろう、自分のものが冷蔵庫からなくなった経験のある人って、何人ぐらいいます?」


 課長が質問すると、全員が手を挙げた。

「おいおい、全員かよ。参ったな……」


 困り顔の課長に、加奈が助け舟を出した。

「一度、実験してみればいいじゃないですか」

「実験? どうやって?」


 加奈は課長にうなずいてから、話を続けた。

「今日、冷蔵庫に何かひとつだけ入れておいて、それが明日まで残ってるかどうかを調べてみるんです。そうすれば、あの冷蔵庫がブラックホールみたいなことをするかどうか、わかるじゃないですか」


「その話、乗った!」

 加奈の案は課長の即決で採用され、ひと粒のチョコだけが冷蔵庫に残された。


          *


 翌朝。

 全員の見ている前で冷蔵庫を開けると、あるはずのチョコはなかった。


「次は俺の飴玉を入れて、後で見てみよう」

 課長はその提案を実行した。1時間後、飴玉は見事に消えていた。


「よし、俺は決めた! これで全部解決だ!」

 課長が、大声で言った。そして全員の前で、高らかに宣言する――。


「まず、この冷蔵庫を徹底的に分析・研究する! 入れておいた食べ物が消える冷蔵庫なんて世界初だ! うちの課で開発して、斬新な新商品として売り出すぞ!」

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