第5話 ペットを飼うならマンションで

 少し背伸びして購入した中古マンションへの引っ越しを終えた翌日、上村うえむらしんろう妙子たえこの夫婦は挨拶回りをすることにした。702号室に入居した新太郎はまず、隣の701号室のチャイムを鳴らした。


 表札には「高田たかだ久光ひさみつ良枝よしえ・ルウ」とあり、40代半ばぐらいの女性が玄関を開けてくれた。――高田良枝だった。


 妙子が菓子折りを差し出す。すると良枝は挨拶もそこそこに、胸に抱いたトイプードルの話を始めた。

「この子は、ルウちゃんです。お着替えが大好きで……」


 新太郎と妙子は、その後も延々と続いたペット自慢に話を合わせた。やっとキリがいいところを見つけて、「ほかのお宅にもご挨拶に行きますので……」と言って解放されたときには、30分以上が経過していた。


 次に向かったのは、反対隣の703号室。こちらの表札も「長谷川はせがわ博史ひろし寿子ひさこ・サリー」と、ペットらしきカタカナの名前があった。


「このマンション、ペットを飼ってる人が多いみたいね」

 表札を指差しながら、妙子が新太郎に言った。

「ルウちゃんの次はサリーちゃん……。犬だと思う? それとも猫?」


「私、犬だと思うな」

「うん、俺も同感」


 新太郎がチャイムを押すと、インターホン越しに聞こえたのは男性の声だった。


「どうも、長谷川です」

 出てきたのは、60代とおぼしき白髪の男性だった。――大切そうに抱いていたのはチワワだったから、ふたりとも正解だ。


「うわー。可愛い子ですね!」

 妙子が顔を撫でようとすると、チワワはその指をめた。

「サリーといいます。2歳の女の子です」

 ひとしきり遊んだ後で本来の訪問の目的を思い出し、妙子は慌てて菓子折りを差し出した。


「お宅のお子さんは、おいくつで?」

 菓子折りの礼に続き、長谷川はごく自然に聞いてきた。

「いえ、うちはまだ子どもがいないんです。夫婦ふたりだけで……」


 妙子の答えに、長谷川は驚いた様子だった。というより、眉をひそめた。

「え、いないんですか? それは、よくないですなあ……」

「まあ、そのうちに……と思ってますけど」

「『子はかすがい』といいますからね。うちの子も――」


 その言葉をきっかけに、長谷川もペット自慢を始めた。さきほどの高田良枝と同様、こちらも永遠に続いた。


 両隣だけで合計1時間ものペット自慢につき合わされ、新太郎も妙子も疲れ果てていた。6室ある7階のフロアを一気に挨拶して回ろうと思っていたが、いったん自宅に戻って休憩することにした。


「ペット可のマンションって、少ないじゃない? だから、そういう人が自然と集まったのかもしれないな」


 新太郎が言うと、妙子もコーヒーを入れながら同意する。

「ルウちゃんもサリーちゃんも可愛かったから、気持ちはよくわかるけどね」

「言っちゃ悪いけど、溺愛しすぎの感がなかった?」

「ちょっとね……。どっちも、すっごくお金がかかってたし」


 新太郎は、妙子からマグカップを受け取る。

「そう?」

「両方とも、キラキラの服を着せてあったでしょ? あれ、全部ブランド物だったよ。服だけじゃなく、首輪とかも全部ね」


 妙子は、ブランド物にうとい新太郎に詳しく説明してくれた。どうやら、両隣の2匹のペットは、フランスやイタリアの一級品で全身を埋め尽くされていたらしい。


 それからふたりは、残る3室への挨拶を済ませた。その結果わかったのは、フロアすべての家庭で犬が飼われており、判で押したようにブランド物で満艦飾にしてあるということだった。


「どの家も強烈だったねえ……。マンション中、みんながみんなペット狂みたいな人ばっかりだなんて……」

「この調子だと、うちも飼わなきゃいけなくなるかもね」

「いやあ……俺、犬も猫も飼った経験ないんだよ。妙子はある?」


 妙子は、首を横に振る。

「子どもの頃に飼いたいと思ったことはあるけど、お母さんが猫アレルギーだったらしくてダメだった」

「ペットも悪くないけど、何かと面倒だろ? ブランド物で飾り立てなくたって、それなりに金もかかるし」


「よく病気するから、病院の費用も大変みたいよ。トリミングとかもね」

「……そうだよなあ」

「ワンちゃんより、私たちにはまず人間の子どもが先よ」

 結婚して4年。新太郎も、そろそろ子どもがいてもいい頃だと思っていた。


          *


 翌朝、チャイムが鳴った。インターホンを受けた妙子が、新太郎に言う。

「マンションの組合長さんが挨拶したいって。一緒に出て」


 ふたりが玄関を開けると、組合長の女性が立っていた。その背後には、高田良枝と長谷川博史をはじめ、7階フロアの住人たちが全員そろっている。それぞれが大量のペット用グッズを抱え、持ち切れない分は廊下に積み上げられていた。


「な……何事ですか?」

 その言葉を無視して、組合長は新太郎に1匹の子犬を押しつけてくる。


「当マンション組合の規定により、これからお宅にお子さんを迎えるための最善の準備をいたします。では、さっそく取りかかります」


 組合長が宣告した次の瞬間、全員が部屋になだれ込んできた。

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