連逢の3 AntiqueShop グリーン・ヒル(後編)

 それは、初夏に入ろうかと言う少し暑い日だった。

 その日は珍しく客がおらず、中西さんも少し退屈している様子だ。

 わたしがいつものように外の景色を楽しんでいるそのとき、その女性は現れた。

 女性は私の顔を見てまず驚いた。そして、じつをいうと わたしも驚いていた。

 なぜなら、女性は少々大人びた印象に変わってはいるが、間違いなく、わたしの「顔」の女性だったからだ。

 じーっとわたしを見つめていた彼女だったが、意を決したかのようにグリーン・ヒルに入ってくる。

 カウベルがカランコロンと音を鳴らし、中西さんへ来客を告げた。

「いらっしゃい……ませ」

 中西さんは、女性を見るや否や、呆然として彼女を見つめている。

 中西さんを呆然とさせている主は、まるで観察するように彼をまじまじと見つめ、なにかを確信したのか。ようやく口を開いた。

「やっぱり。中西くんだよね? わたしの事、覚えてる?」

「……もしかして……笹原さん!?」

「そう! 久しぶりね」

「あ、ああ、本当に、久しぶり」

 動揺している中西さんに対し、笹原という女性は嬉しさを隠さずにいた。

「元気にしてた?」

「あ、ああ。おかげさまでね」

「もうびっくりしちゃった。私の写真が飾ってあるんだもの。しかも、高校時代の写 真なんて」

「ああ、これ?」

 中西さんはショウウィンドゥからそっとわたしを取り出し、改めて彼女にわたしを差し出した。

「記念だからね。だから、この店の「顔」として飾ってあるんだ」

「やだ、中西くんったら」

 といいつつも、彼女はまんざらでもなさそうでむしろ嬉しそうに見える。

「顔」になっている本人を目の前にして言うのもなんだが、彼女の反応はもっともだとわたしは思った。何しろ、わたし自身もとても気に入っている自慢の「顔」なのだから。

「立ち話もなんだし、奥の席へどうぞ」

「いいの?」

「見ての通り、今日は君の貸し切りだよ」

 中西さんは彼女を奥へと招き一角にある椅子に座ると、わたしをテーブルの中央に置いた。

「お茶でもどう?」

「そうね、頂くわ」

 数分後、中西さんは二人分のお茶を持って現れた。

 余談になるが、ここのもうひとつの売りが彼のふるまうお茶で、これを楽しみにグリーン・ヒルに訪れる常連さんも少なくない。

 わたしは味を楽しむ事は出来ないが、お茶から漂う香りを堪能している。

「あら……ジャスミンティーね。わたしの好み、覚えていてくれたんだ」

「そりゃあ、あれだけ言われつづけられたらね」

「うそ、私はそんなに主張してませんっ」

「いいや、していますぅ」

 お互いの顔を見合わせ、思わず吹き出す二人。

 ジャスミンティーの香り、が二人の時をなつかしの時代へと戻しているのだろうか。

 交わす一言一言が、まるでお互いを通して自分を確かめ合っているようだ。

 そして、笹原さんはお茶を片手にぐるりとあたりを隅々まで見まわした。

「……いい店ね」

「ありがとう、自分でも結構気にいってるんだ」

「なんだか、ここだけ時がとまっているみたい」

「みんなそう言ってるよ。あまりぴんと来ないんだけどね」

「そうね……本人が気付かない事って結構あるもの」

「違いない」

 彼女はおいしそうにジャスミンティーを飲み、ほっと一息ついた。

「――そういえば。どうして、あの時私をモデルに選んだの?」

「……え? いきなり聞かれてもなぁ……」

「是非聞きたいな」

「そうだねぇ……」

 実のところ、わたしもそれに興味があったのだ。

 しかし、わたし自信は聞く事が出来ない。

 そういう訳で、とてもいい機会に恵まれたと思う。

 

 さて。

 

 その質問をされた中西さんだが、なぜか答えあぐねているように見えた。

 ちょっとした沈黙の後、彼は胃を決したよ言うに理由を語り始める。

「あの時ってさ。焦っていたんだ」

「焦っていたって……どうして?」

「……何を撮ってもしっくり来なかったんだよ。どの被写体を選んでも、自分の思い通りに行かない。そんな時、花壇で花の世話をしている君を見つけたんだ」

「ふーん……それで?」

「それでって……それだけ」

「なにそれ???」

 笹原さんはすっとんきょうな声をたてた。心のそこから『なんで?』と訴えているのが伝わる。

「だからぁ、そのとき君が無性に撮りたくなったんだよ。それだけっ」

「……そっか」

 と、意味深な笑みを浮かべる彼女。しかし、中西さんは意味がわからない様子だ。

「え?」

 中西さんの反応をよそに、笹原さんは小悪魔っぽい微笑を浮かべはぐらかすように話を続けた。

「ううん、なんでもない。そう言えば、プロの道には進まなかったの?」

「一度はいったけど、自由に撮りたくてね。今は趣味でやってる」

「そっかぁ。じゃあ、腕は落ちてないんだ」

「そうだといいんだけどね」

 しばらくの間、ふたりは思い出話に花を咲かせた。

 そして、二人ともお茶のおかわりをし一息ついたところで彼女が話を切り出した。

「私ね、結婚するの」

「……え?」

 中西さんの動きがぴたっと、止まった。

 必死に隠そうとしているが戸惑いの色は隠せず、わたしにもそれがひしひしと伝わってきた。

「その事でこっちの友人のところを訪ねたのよ」

「……そうか……おめでとう」

「ありがとう」

「式はいつ?」

「10月の半ばくらいよ」

「そっか……」

 その一言の後、中西さんは黙りこんでしまい、笹原さんも表情に陰を落としている。

 柔らかいオレンジの光が、このときはかえって二人に哀愁を漂わせている。

 わたしの知る限り、グリーン・ヒルでこんな空気が流れるのは、これがはじめてだ。


 ながい、ながい沈黙の後――。


「……ねえ、中西くん。あのときの約束、覚えてる?」

 笹原さんは唐突に話を切り出した。

「……え?」

「ほら、良くいってたじゃない。『私が結婚する時は写真を撮って』って。良かったら……その約束を果たして欲しいの」

 意外な申し出に、中西さんは更に慌てた。

「……無理言うなよ。プロでやってる時ならともかく……」

「お願い」

 断ろうとする中西さんの言葉を強引にさえぎり、笹原さんは彼の目を凝視する。彼女の目は真剣そのものだった。

 中西さんは腕を組み目を瞑り、それから数分後。

「わかった……引きうけるよ。でも、ひとつお願いがある」

「……なぁに?」

「これ……もらってくれないか? そして出来ればだけど結婚写真をこれに飾って欲しい」

 中西さんは、わたしを手に取り笹原さんに差し出した。

 先ほどまでの戸惑いの表情は消え、むしろすっきりとした表情だ。

「でも、これって」

「いいんだ。それにさ」

「……それに?」

「これは君に渡すつもりでいたんだ。今の今まで渡せず終いだったけど……それがやっと果たせる。これは……僕の気持ちのすべてだから」

 とても寂しそうで、それでも朗らかな笑顔で、彼は彼女にふたたびわたしを差し出す。

 

 その時、わたしは悟った。

 わたしはこのためにうまれてきたのだ、と。


「……ありがとう。大事にするわね」

 笹原さんにその意図が伝わったのかは、私にはわからない。しかし、彼女は中西さんの目をそらさずに「……ありがとう。大事にするわね」と答え、わたしを受け取とり、そっと小脇に抱えた。

 そして、とても優しい微笑を浮かべる。

  

「じゃあ……中西君、そろそろお暇するわね」

「ああ……元気でな」

「あなたもね……じゃあ」


 後で写真の事で連絡すると言い残し、彼女はわたしを伴って静かにグリーン・ヒルを去っていった。


 ……それから。

 以来、中西さんとわたしが再会する事はなく風のように時が過ぎゆき ――。



 あれから、わたしは高瀬という家で、新しい顔を与えられて日々を過ごしている。

「いってきまーす!」

 ここのお嬢さん、弘美さんが勢い良く飛び出し、自転車のヒロ君を駆って学校へ飛び出していく。

「ほら、あなたも出かけないと遅刻しちゃうわよ!」

「判ってるってば」

 とか言いつつ、マイペースな様子で旦那さんが家を出ていく。

 それを玄関で見送った奥さんは、一息ついて、リビングに戻る。

 いつもの出来事で、そして平和な毎日。

 奥さんは、ほっと一息ついた。

 朝の仕事はこれからまだまだあるが、とにかく一息つける時間が出来たわけだ。

 奥さんは、ふとリビングの棚に視線を移し、わたしの「顔」を見る。

 日頃家族に見せる事のない表情で、わたしの「顔」――いや、わたし自身を見ているのだろうか。

「中西くん……」

 奥さんは、かつてグリーンヒルで中西さんに見せた微笑を浮かべ、私の隣にあるフォトスタンドを軽くつついた。

 そこにはかつてのわたしの「顔」だった彼女の写真が飾ってあり、そしてその隣りには彼女の結婚式の写真がある。

 中西さんが取った、約束の写真だ。

 これが今のわたしの「顔」。

 中西さんの想いと、彼女の幸せがこもった一枚。


「さ、今日も頑張らなきゃ、ね」

 

 彼女は、主婦の顔に戻るといつものように朝の片づけをはじめる。


 今のわたしの楽しみ。

 それは、彼女が選んだ幸せを見ている事。

 そして、わたしはふと気がつく。

 中西さんがわたしを彼女に渡した理由に。

 そう。彼はわたしに託したのだ。


 彼女の幸せな姿を、ずっと見守りつづけて欲しいという願いを込めているのだと――。

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