マルコメX

@RionHearted

※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体・食品会社とは一切関係ありません



 彼は味噌で、名前は無かった。

 外見からしてきっとマルコメの出身であろう彼も、もちろん地元ではきちんとした名前を持っていたはずだ。でも彼は頑なに自らのことを語らなかった。だから僕たちは彼のことをエックスと読んでいた。戦争が終わる前なら、きっとペケと呼ばれていただろう。

 腹が減っては戦はできないし、戦争が終わっても食事は続く。僕たちはそれまで以上に忙しくなっていた。相変わらず目にする主食はサツマイモばかりだったし、げっそりした人々が瓦礫の中を行き交っていた。僕たち大豆族は一生懸命だった。いつか食事が生存のための難関ではなく、日々の生活を潤す娯楽になる日が来ることを信じて。豊かな時代こそが調味料の本領なのだ。


 Xがぶらりと現れたのはそんな頃だった。

「呑気なもんだね」と彼は言った。「きっと連中が全てを変えちまうよ」

「連中?」と僕は聞き返した。「連中っていったい誰のことだよ?」

「今にわかるさ」


 当時はXの他にも新顔が僕たちの周りに姿を見せ始めていた。たとえばチョコレートは子供たちに人気だった。或いはコーラ。そして何よりパンだ。コメがなかなか勢いを取り戻さない中、それはあっという間に数を増やしていた。

「やあ、よろしく」とパンはにこやかに言った。「どうやら君たちも菌を使った食品らしい、仲良くしてくれ」

「もちろん」僕たちは握手を交わした。「君たち主食があってこその調味料だ」


 そうして徐々に飢えは克服されていった。食卓は明るさを取り戻し、僕たちの心も沸き立っていた。いよいよ再び味で勝負する時代がやってきたのだ。


 しかし次第に僕たちは異変を感じ始めた。消費量が少なすぎる。

「ゲンタン、ってなんなんだよ」

 ようやく元気を取り戻したはずのコメは、どこか寂しそうだった。

「せっかく八郎潟も埋めて、これからフル回転って時だったのに」

 僕たちの出番も減っていた。隣町の醤油たちも所在無さげだった。原因は徐々に明らかとなった。和食から人々が離れているのだ。

 なるほどXが言っていたのはこのことか、と僕たちは理解した。しかしわかったからと言ってどうにかなるものでもない。

「まさかパンとスープを追い出すわけにもいかないしな」

「何を食べるか選べる時代になっただけでもいいことだ」

「ともあれ、みんながお腹いっぱいならいいや」

 僕たちはそう言って納得しようとした。別に嘘ではなかった。もう飢え死ぬ子供を見るのはうんざりだったのだ。


 でもXは納得しなかった。

「別に何を食うかなんて勝手だけどな」とXは言った。「でもそうやってこの星から消えていった食い物がどれだけあるんだよ? 100年後の連中は味噌汁も飲めない、刺身も食えない、おにぎりが何かわからないんだぞ? お前らそれでいいのか?」

「いいわけはないよ」と僕は言った。「でもどうしろって言うんだ?」

「俺に考えがある」Xはニヤリと笑った。


 その後のXの精力的な活動には目を瞠るものがあった。

「味だけでは中々状況を覆せない、気に食わないがパンだって美味いことは美味いんだ」

 いつだったか、Xはそんな話をしていた。

「だから別のベクトルを持ち込む」

 そしてXが前面に出したのは「健康」だった。

 曰く「和食はヘルシーである」、「魚を食べると頭がよくなる」、「豆腐でハンバーグを作ればカロリーを抑えられる」、「納豆は身体に良い」……

 本当に根拠があるのかはわからなかったが、しかしそれらは確実に人々の心に訴えかけていた。戦争が去って身近から死が遠のき、皆が健康に目を向け始めていた。少しずつだが確実に、食卓に和食の出番は増えていった。


 しかし洋食も黙って見ていたわけではなかった。

「醤油や味噌は高血圧の原因になります」とパンは高らかに謳いあげた。「それに皆さんは魚を獲りすぎている。このままでは世界から魚が消えてしまう」

 彼らのネガティヴ・キャンペーンは苛烈だった。僕たちは有色調味料として差別の目を向けられることが多くなった。こそこそと胡瓜の付け合せとして身を隠しながら、僕たちはかつてコメと共に食卓を席巻した日々を懐かしんでいた。


 Xは必死になって戦った。でも劣勢は明らかだった。牛丼を250円にして勢いを取り戻しかけたのも束の間、70円のハンバーガーに人気を取り返された。

 さらに洋食は離間策まで打ってきた。「白味噌は有色調味料とは呼べません。名誉洋食として我々の仲間に迎えましょう」

 Xは対抗して味噌パンを開発したが、所詮は群馬ローカルだった。Xは徐々に憔悴していった。でも僕たちにはどうすることもできなかった。調味料は食べられるだけなのだ。食べさせるわけにはいかないのだ。


 しかし徐々に潮は変わってきた。あらゆる領域で多様性が見直されるようになり、少数調味料の保護が叫ばれるようになった。その代表として、世間の目はXに向くようになった。

 でもXは、差し伸べられる手を頑なに振り払った。

 あるインタビューで彼はこう言った。

「食品は文化じゃダメなんだ、陳列棚の中のサンプルじゃ……実際に皆の血となり、肉とならなければ、何の意味もない」

 そこで砂糖のインタビュアーはこう尋ねた。

「では私たち白色調味料が、あなた方のためにできることは何でしょうか?」

 Xの答えは明快だった。

「Nothing!」

 そう、Xの生き様は甘さとは無縁だったのだ。


 終わりは突然だった。

 ある朝Xは死んでいた。寝ている間に冷蔵庫から出されて、腐っていたのだ。さすがのXも熱帯夜の前には無力だった。

 犯人はわからなかった。Xの激烈な姿勢は敵だけでなく味方からも疎まれるようになっていたからだ。より穏健なキッコーマン牧師がXの後を継いで、Xのことは徐々に忘れ去られていった。

「私には夢がある。豆腐を使ったイタリアン、味噌を使ったフレンチ……」


 そして歴史的な和解の日が訪れた。和洋食の相互交流が始まり、その一環として作られたトマトラーメンが人々を困惑させた。確実に世界は広まった。畑の肉として、大豆食品は世界中で重宝されるようになった。

 けれど食卓に上るたび、僕はXのことを思い出す。彼はその生命の全てをもって塩辛さを、味噌の味噌たる所以を体現していた。


 Xはよくこう言っていた。

「埋もれるなよ。舌に一撃でも与えてやらないと、混ざる意味も無いってもんだ」

 そして彼はその死をもって、世界の隠し味となったのだ。

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