1-2

「リヒトくん、おはよう!」




 朝食を済ませ、簡単に後片付けをした後。


 仕事に出たルークスを見送り、畑で草むしりをしていたリヒトに、隣人の中年女性が声をかけてきた。




「ああ、ナミおばさん。おはようございます」


「昨日は野菜のおすそ分け、ありがとうね~。よかったらこれ食べて!」




 そう言って彼女が差し出してきた籠には、卵が山のように盛られていた。




「あ……ありがとうございます! 助かります、いつも……」


「あらあら、いいのよ~。その代わり、また今度お願いね?」




 ここ、リップル島の住人たちは、基本的に全員が自給自足の生活を送っている。


 ある者は畑を耕し、またある者は家畜を飼う。


 あるいは、裁縫を得意とする者や、木こり権大工として働く者もいる。


 そして、収穫物はお互いの家で分け合いながら、毎日の衣食住を賄っているのだ。


 それでもどうしても足りないわずかな日用品などは、村から選出した2~3人の若者が、毎月1度島外へ買出しに出かける程度で済んでいる。




「畑が終わったら、また剣術修行?」


「ええ、まあ」


「大変ねえ。っていうか、ルークスさんもよくやるわよねぇ? この島に魔物なんていやしないのに」




 ルークスの本業は木こりだが、その傍らでリヒトを含む村の少年たちに剣術を教えている。


 リヒトが覚えていないほど小さいころの話だが、どうやら自分とルークスは外の大陸からこの島に移住してきたらしい。


 とはいえ、彼女が言うように、この島にいるのは『魔物』と呼ぶのすら怪しい害獣程度のものであり、彼らが思う存分剣を振るえる環境にあるとは言いがたいのが現状である。


 リヒトもそれを分かってはいる、のだが。




「でも、少なくとも僕は楽しいですよ。父さんは本当に強いですし、教え方も上手いし」


「そりゃそうでしょうけど、自慢の剣術が畑荒らしの猪相手じゃ張り合いがないわよねえ。


 あ、でも島の外には、恐ろしく強い魔物の親玉がいるって噂なのよ。リヒトくんは知ってる?」


「魔物の……親玉?」


「えぇ、そうよ。やっぱり外は物騒ね~。やっぱりこの村が一番……」




 ナミの言葉を半分も聞かず、リヒトはふと考える。


 彼女が言う『親玉』どころか、一般的な魔物とすら戦ったことはないが、それはきっと人間にとってはかなりの脅威なのだろう、と思った。


 ルークスのように強い人間ならばともかく、一般人ならばとてもかなわないような相手でもあるのだろう。


 そう、まるで……




『死ね……レム!!』




 夢に出てきたあの男のように。




 いや、彼は自ら『魔王』を名乗った。


 とすれば、きっと彼が『魔物の親玉』で間違いないのだろう。




(あの人が、もしもそうだとしたら)




 何故、辺鄙な片田舎の少年である自分が、そんな夢を見るのだろうか?




「……こぉら! リヒト!!」


「うわわっ」




 つい考え込んだリヒトの耳元で、大音量の怒鳴り声がびりびりと響き、思わずリヒトは飛び上がる。


 危うく落としかけた卵の籠を必死で押さえながら、声の主に目をやった。




「と、父さん」


「あらルークスさん、どうも」


「こんにちは、ナミさん。リヒト、そろそろ修行の時間だぞ。草むしりは終わったんだろうな?」


「う、うん。ごめん、つい話し込んじゃって」


「よーし、じゃあ準備して来いっ。今日はいつもより厳しく行くぞ!」


「は、はい!」




 そう発破をかけられ、慌てて籠を置きに家の中へ駆け込む。


 ついでに2階の寝室に上がり、置いてあった訓練用の木刀を取って戻ってきた。




「よーし、じゃあ行くかぁリヒト!」


「リヒトくん、頑張ってね~」


「ど、どうも……」




 呑気なナミの声に苦笑いで返しながら、リヒトは張り切るルークスの後を駆け足でついて行く。


 村の広場に出ると、井戸の側で洗濯をしていた二人の中年女性が、ふたりに声をかけた。





「おや、ルークスさんとリヒト坊ちゃんだよ」


「あらまぁ、また剣の練習に行くの? 相変わらず仲がいいねえ」


「やぁ、どうも~」





 豪快に笑いながら女性に手を振るルークスの側で、居心地悪そうにリヒトは俯いた。


 何しろ、もともとこの島出身ではない上に、この島ではほとんど必要のない戦闘訓練を好き好んでやる木こりと、その息子。


 二人して木刀をぶら下げて歩いている姿があれば、目立つのは至極当然なわけで。


 先ほど隣人・ナミにも言ったように、リヒト本人は剣の修行は好きだし、ルークス本人のことは、当然嫌うはずもない。


 が、妙に気恥ずかしくなるこの瞬間だけは、どうにも苦手だった。




「あっ、ルークスおじさーん!」




 そうこうしていると、今度は村の子供が大きく手を振ってこちらに駆け寄ってきた。




「おう坊主、今日も元気そうだな!」


「うん! おじさん、おにーちゃんと『しゅぎょう』に行くんでしょ? ボクも行きたい!」




 そう言う少年の腰には、リヒトのものよりも二回りほど小さい木刀がぶら下がっている。




「うーん、悪いな坊主。今日はこいつと一緒にやるって決まってんだよ。だから、今日は坊主の修行はお休みだなあ」




 申し訳なさそうに肩をすくめるルークスの言葉に、少年はわかりやすく頬を膨らませる。




「え~、つまんなーい」


「はっはっは、子供は正直だなあ。それなら、明日は坊主と一緒にみっちり修行するかあ」




 豪快にげらげら笑いながら、ルークスがそう言うと。


 少年は今までむくれていたのが嘘のように、ぱあっと顔を輝かせた。




「ほんと!?」




 まっすぐに期待の眼差しを向ける少年に向かって、おう、と大きく頷いて。




「『男の約束』って言うだろ? その名のとおり、男は約束を守る生き物だからなぁ」


「うん!! 絶対だよ、『おとこのやくそく』絶対守ってよね!!」



 満面の笑顔でそう言い残して、元気よく走り去っていく少年を見送りながら。




「うんうん。ガキはあんなふうに走り回って遊ぶのが一番の修行だなあ」




 満足げに頷きながら一人ごちるルークスを見て、思わずリヒトは噴き出した。




「あん? なんだリヒト、一人でニヤニヤしやがって」


「ふふ……ううん。なんでもないよ」




 怪訝そうに眉根を寄せるルークスにそう言って、リヒトは彼と並ぶように再び歩き出した。




 言い方を変えれば『辺鄙な村で剣術に励む変わり者の木こり』ではあるが、彼の剣術によって村の作物が守られた前例は多々存在する。


 そして、例え子供相手だろうと遠慮もせず、懸命に剣術を教えてくれる彼を、教わっている子供たちだけではなく、村人全体が彼を心の底から慕っているのだ。


 村の誰からも頼りにされ、愛されているルークス。


 そんな男が自分の父親であることが、リヒトは何よりも誇らしかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【Angel Feather】 青蜜柑 @bluewillow51

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ