愛玩生体人形『片眼のリンネ』(1)
要は残酷な勝ち抜けゲームなのだ。美しい者から、求められて売れていく。醜い者にできるのは、羨みながらそれを見送ることだけ。そしていつか現れるかもしれない買い手を、延々と待ち続けるだけ。
来る当てもない相手を待ち続けること以上の不幸が、この世にあるだろうか。待ちながら、醜い者たちは、最悪の未来を胸の中で反芻し続ける――じぶんを必要としてくれる人間が、世界じゅうに、だれひとりとしていなかったとしたら――もしそうだとしたら、じぶんの生きている価値はなにもない。
かれらの選択肢は、たったふたつ。死か、もしくは死よりも辛い惨めな余生をなお生き続けるか、ただ、それだけ――とても悲しいことだけど、それはどんな世界でもおなじだし、いつの時代でもおなじことなのだ。
「まだ売れてないのか、その黒メイドは。ええ? 店主よ」
蝋燭だけが灯りの薄暗い店のなか、上等そうなスーツに身を包んだ常連客は嘲るようにそういった。
店主と呼ばれた陰気な青年は、媚びるようにへらへらと嗤う。かれの名は
「いい黒メイドなんだがね、どうにも買い手がつかんのだよ。どうだい、旦那。こいつはおれのお勧めなんだがねえ」
「冗談じゃない」客はその黒メイドを無遠慮に眺めまわし、金の腕時計を巻いた左手で払うようなジェスチュアをする。「こんな傷物の中古に、高い金を払えるもんか。この値札は、ふざけてるのか? 高級外車が買える値段だぜ。中古の型落ち黒メイドに、どう考えても釣り合わない額だろう」
コギトはなにも答えず、にやにや嗤いながら、商品である黒メイドのほうへちらと視線をやった。
黒メイドは、その小柄な肢体を現代的にアレンジされたメイド服で包み、黒いワンピースから伸びる白く細い四肢を、てらてらと光る革ベルトに拘束されている。憐れみを誘う蒼白な頬。右眼の下にはくまが走り、左眼に至っては白い眼帯で塞がれている。口にはボールギャグを咥えさせられ、その隙間からは、艶かしい喘ぎと涎が流れ落ちていた。
「黒メイドを拘束するのは法律違反じゃなかったか? まあ、こんな商売やりながら、法律もくそもなかろうがね。さいきんは黒メイドの扱いにもいろいろ世間がうるさくて敵わんよなあ、お互い」
常連客は肥った脂肪まみれの躰を揺らす。しかし、心の中では、拘束される黒メイドに性的な昂奮を覚えているのは明らかだった。コギトはわずかに紅潮する客の顔を見逃さないし、わずかに上がる客の心拍数も聞き逃さない。
「リンネ、って呼んでやってくれないかね」コギトは眼を合わせもせず、客にいった。「リンネ――それがこの娘の名まえさ。黒メイドって呼ぶと、やっこさん、どういうわけか、機嫌を悪くするもんでね」
「そりゃ失礼した。腐ってもレディーというわけか」
コギトは口を尖らせ、品なく嗤う客を見上げた。
「ばかにしてやがるね、旦那。リンネはただの黒メイドじゃあないぜ。十年前、黒メイドが初めて一般に売り出された型がこいつさ。有栖川マリーって映画女優、知ってるだろう? 当時の人気ナンバーワンでね、その映画女優を、原型にしてるってわけだ。発売当時は名器と謳われたもんだが、つぎつぎ発売される新製品にとって替わられ、正規品はもうとっくに絶版になっちまった。こいつは正規品からコピーした海賊版だが、それでも貴重なお宝なんだ。恐らく、世界じゅう探したって、こいつが最後の一品だろうぜ」
「プロのあんたがそういうんだ、さぞかしレアな黒メイドなんだろう」肥った常連客は皮肉っっぽく金歯を覗かせた。「だけどな、コギト。おれは型落ちの、しかも中古の傷物なんかに用はないんだ。あんたも黒メイド売りなら、わかるだろう?」
コギトは、うんざりしながら頷く。黒メイドを買う客は、独占欲の満足のために金を払っている。かれらが欲しがっているのは、じぶんだけの黒メイドなのだ。だから、中古の黒メイドは多くの場合、ほとんどまともな値はつかない。何処のだれともわからない薄汚い男どもの手垢にまみれた黒メイドに、いったいだれが高い金を払う? 金持ちの客どもは、どうせ高い金を払うのなら、最新の最上位品を手に入れたがる。だれの手垢もついていない、じぶん以外の主人を知らない黒メイドを――だ。
「有栖川マリー」ひっひっひ、と客は嗤った。「そういえばいたなあ、そんな映画女優も。たしかに人気があった! あの頃はな。だけどこの世界は移ろいが早くて残酷だ。もうだれも引退した映画女優なんかに見向きもしない」
客は狭い店のなかをぐるりと見て回り、一体の黒メイドの前でぺろりと舌なめずりをした。
「こっちの黒メイドがいい。手足が長くて現代的だ。この丈の短いメイド服はコギト、あんたのデザインかい? この黒メイドの健康的な色香を引き立てるいいデザインだ。金髪というのも見目鮮やかだな、黒いメイド服によく映える」
常連客が選んだのは、海外の人気グラビア・アイドルを原型とする黒メイドだった。売り出されたばかりの最新モデルで、市場での評判もすこぶる上々だ。それだけに、もちろん値も張る。一等地の家が一軒、まるごと買えるほどの値段だ。しかしそれでも、ベスト・セラーになるほどの狂信的な売れ行きをみせている。
だけど、この金髪の娘もそのうち飽きられ、すべての人に見捨てられるときがくるだろう――コギトは客から札束の山を受けとりながら、そう思った。
まいどあり――慣れた手つきで手早く数え、コギトは低く頭を下げる。
客は金髪の黒メイドを受けとると、満足げににやりと嗤い、まるで口づけをするようにコギトの顔をぐいと覗きこんだ。
腐ったような口臭が、コギトの敏感な鼻をかすめる。
「コギトよ。あんた、この界隈でなんていわれてるか知ってるかい? 売り物にならんような黒メイドにばか高い値段をつけて暴利をむさぼる最低の黒メイド売りだって評判だぜ。腐った客を食い物にして、腐った黒メイドを食い物にする。あんた――ハイエナだよ。人の心が、ないんだな」
コギトは一瞬、笑顔を崩した。
ハイエナ――か。まさしく、そのとおりかもしれない。
だけど、もう、後戻りなんてできないだろう。この世界で生きることを選んだ時点で、他人に賞賛されるような人生は、かなぐり捨てたも同然だ。
コギトはもう一度、眼帯の黒メイドに眼をやった。リンネ――と呼ばれる黒メイドは、涙で片眼を潤ませている。イヤイヤをするように、悩ましげに太腿をすり合わせ、革ベルトから伸びる鎖をちゃらちゃらと鳴らし続けている。良心を捨てることだけを考えてきたコギトだったが、黒メイドの惨めな姿に、一片の憐れみを抱かずにはいられなかった。
「ハイエナ……か」
コギトはもう一度、噛みしめるようにそう呟く。
常連客はすでに、金髪の黒メイドを連れて、跫音を響かせ立ち去っていた。(続く)
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