第6話 墜落のある光景


「あ、あれっ、もしかしたらニャ太郎かもしれません!」


 校庭に出たところで、倉持日向が声を張り上げた。

 張り上げたといっても弱々しい音量であり、俺は危うく聞き逃すところだった。

 

「どこだ? どこにいるって、猫はっ?」


「サ、サッカー部の皆さんの向こう側に今見えたような気がしたんですけど……急に見えなくなってしまいました」


  サッカー部は校庭の西側を占拠している部活だ。今まさに練習試合の最中だが、そこを突っ切っていくわけにはいかないだろう。

 俺は当然迂回していくと思っていたのだが――違った。


「猫太郎待てええええ! オラオラどけどけ汗臭いサッカー部共っ、名探偵ののか様のお通りだっ!」


 摩耶が練習試合に突入する。

 それにならって橘と倉持日向も付いていってしまえば俺も行くしかない。

 

 突然のちん入者に試合はストップし、サッカー部員の視線が四人に集中する。好奇のそれが憤りへと変わり、今にも怒鳴られそうなところを俺は謝辞を連発してなんとか食い止めた。

 ――って、何で俺が謝るんだよ。


「おい、摩耶。なに考えてんだ、お前っ。猪突猛進ちょとつもうしんにも程があるだろ。名探偵ならもっと冷静に行動するものなんじゃないのか? いやお前は迷探偵のほうだが」


 という俺の指摘も右から左で、摩耶は校庭の脇に設けられたフェンスにぴったりと張り付いて「どこだぁ、猫太郎めーっ」と鼻息を荒くしていた。


 ニャ太郎見つけたら焼いて食うつもりか、お前は。


「なあ、橘からも少しは言ってやれよ。狩りの下手な肉食獣さながら、勢いに任せて行動したってニャ太郎は――」


 俺はそこで橘を見て唖然とした。

 橘はシルクハットを被り、あごには先尖りの短い髭を付けていたのだ。

 ――なにやってんだ、橘? なにがどうしてそうなった?

 俺は聞いた。

 橘は答える。


「これはぁ、『アンリ・バンコランモード』ですぅ。獲物を追い詰めることが趣味のアンリ・バンコランになり切ることでぇ、私の中の犯人を捜す嗅覚が飛躍的に上がるはずなんですよぉ。でも、いつかはと思って用意していたこの小道具がぁ、まさかもう使えるとは思わなかったなぁ」


 嬉しそうな表情の橘だが、俺の心境はとても複雑だ。

 摩耶バカのサポート役と思っていた橘までがバカをやっているのだから。

 俺は、自分でも形容できない微妙な笑みを浮かべて、「そっか、良かったな。それとニャ太郎は犯人じゃないぞ」と橘に言葉を送る。


「あの、アンリ・バンコランって、もしかしてあの名探偵のアンリ・バンコランですか?」


 それは倉持日向だった。

 

「ああ、そうだ。ミステリー作家ジョン・ディクスン・カーが生んだ悪魔以上に悪魔的な名探偵ハンターな。でもよく知ってたな。ある程度ミステリーに興味がないと普通は知らないと思うが」

 

 メフィストフェレス(ファウスト伝説に登場する悪魔)を思わせるアンリ・バンコランは常に冷笑的であり、彼が内包する残虐性が犯人にとって恐怖の的だったというのを、何かの本で読んだことがある。

 そしてそのアンリ・バンコランの趣味が獲物はんにんを追い詰めるというのも、そのサディスティックな性格に起因するということも――。


髑髏城どくろじょうというミステリー小説を読んだことがあってそのときに」


 倉持日向は言う。

 それはつまり、ミステリーに興味があると捉えてもいいのかもしれない。

 ちょっとした思惑が脳裏を過ぎったとき、摩耶の声が聞こえた。


「何をしている? チャッピー。早くこっちへ来い。『超すいりくらぶ』の活動は校外へと移ったぞ」


「あれ? どうやってそっちに行ったんだよ。フェンスを乗り越えたのか?」


「違いますよぉ、そっちに大きな穴が開いてるんで、そこから出てきたんですぅ。ニャ太郎君も多分その穴から出たと思うんですよぇ。日向ちゃんの“急に見えなくなった”っていうのはぁ、ニャ太郎君がその穴から校外へと出てしまったからなのかなぁって思ってぇ」


 なるほど、橘のそれは一理ある。というか、そうなのだろう。

 ――ところでこの穴誰が空けたんだ? 俺の推理ではいつも遅刻する奴が近道として使用するために空けただが、さて真相はいかに。


 俺は穴を潜って校外へと出る。

 そして倉持日向が続き、全員が歩道へと集合した。

 にしても、校舎どころか学校まで飛び出すことになるとはな。


「それでニャ太郎はどこに行ったんだ? 右か左かどっちしかないが」


 右、左、どちらも歩道と車道がまっすぐに伸びている。ちなみにそこにニャ太郎はいなかった。

 腕を組んでいた摩耶が何か言おうとする。しかし橘が先を越した。


「右の可能性が高いですねぇ。右の道はすぐそこに住宅街へとはいる道がありますからぁ。マンチカンの足の速さを考慮すればぁ、分かれ道が遠くにある左の道にニャ太郎がいないってことは、そうなのかなぁって」


 なかなか推理の冴えている橘だ。

 果たしてそれが『アンリ・バンコランモード』の恩恵なのかは知らないけどな。……しかし上空のヘリコプターがうるさいな。あれって自衛隊だよな。


 ヘリコプターは迷彩柄をしていて、やはり自衛隊のヘリコプターのようだった。

 そういえば自衛官が探偵をするっていう珍しいミステリーがあったな、と連想したそのとき摩耶がえた。


「た、大変だっ、ヘリコプターが墜落するぞおおおおっ!?」


 ――なんの冗談だよ。

 しかしそれは確かに墜落しそうであり、あっと思ったときは住宅街にきり揉み状態で落下していた。


「大変ですぅ、墜落しましたぁ! ニャ太郎君も住宅街の人も大丈夫かなぁ」


「取りあえず墜落現場に向かうぞっ! なにやってんだよ、ほんとっ」


 俺は駆け出す。しかし摩耶はいち早く現場に向かっていた。

 どうやらそこに謎を見つけたらしい。



 ◇



「クイーンの御霊よ、いざ降臨せん。我、謎見つけたりッ!」


 俺の予想通り、摩耶は現場を前にしておなじみのポーズを取る。

 巻きで頼むぞ、巻きで。状況が状況だから。


「ヘリコプターは確かにここに落ちた。しかしっ! しかし不思議なことにヘリコプターの残骸はなく、周囲の住宅も破損した形跡が一切ない。そういえば落下時に聞こえるはずの轟音すら聞こえなかった。……何が起きた? 一体、ここで何が起きたというのだっ!? 

 浮かべー、浮かべー、名推理ー、閃け、閃け、名推理ー……」


 人差し指で頭をぐりぐりしている摩耶。

 一休さんか、お前は。とんちはいいからちゃんと推理ボケしろよ。


「ひっ、閃いたーっ! そうだ、あたしの推理はいつだって真実の扉にしか繋がっていないっ! 耳をかっぽじいて唯一無二の真実を聞くがいい。……ヘリコプターはバニューダトライアングルに落ちたのだよ。諸君も知っているだろう、あの魔の三角海域のことを。度々たびたび飛行機や船、そして人間の消失事件が起きているあの、バニューダトライアングルと言われる魔の三角海域のこと――」


 スパコオオオオオオンッ!






【なぜ現場に墜落の形跡がないのか――? 真相はこのあとすぐっ】






「よし、ちゃんとボケたな。少し強めに叩いておいたぞ。で、バニューダトライアングルだって? お前、海域って知ってるの? 海だからね、海。ここはどこだ? さっきのアルカトラズ刑務所もそうだけど、ここは日本の東山西町だから。まずはその認識を強固なものにしたほうがいいぞ」


「そうか、ではここは東山西町トライアングルということでいいのか?」


「よくねーよっ。どこをどう繋いでトライアングルなんだよ。……それは置いといて、ヘリコプターは墜落なんかしちゃいない。


 五十センチはあるな。住宅街でそんな大きなラジコンヘリを飛ばすなよな。万が一、人の上に落ちたら大変だぜ。なあ、坊主?

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