第2話 棺に入っていない死体
摩耶ののかと橘アリスは俺と同じ一年らしい。
そして『超すいりくらぶ』は今年から始まる部活だそうだ。
普通、入学したばかりでいきなり部活を新規立ち上げしようなどとは思わないが、一体、どんだけ推理したいんだか。いや、その攻めの姿勢はいいと思うよ?
「ところでチャッピーは何で、我が『超すいりくらぶ』に入ろうと思ったんだ? やっぱし聞いておくべきだよな、そこは」
先頭を歩く摩耶が振り返って聞く。
ちなみにチャッピーとは俺の小学校からのあだ名だ。
自己紹介をした際につい言ってしまったのだが、まさか早速、そのあだ名で呼ばれるとは思わなかった。
いや、いいけどさ。気に入ってるから。犬みたいであれだけど。
「ミステリー小説が好きだからだよ。……本当はさ、課題図書について部員同士で討論するような、一般的なミステリー研究部ってやつに入りたかったんだが、ないんだよな、この高校。だからまあ、……しょうがなく?」
「そうか、エラリー・クイーンが好きか。あたしも好きだ。うまくやっていけそうだな、チャッピーよ」
「いや、待て。何でエラリー・クイーンに限定するんだよ? つーか、[しょうがなく]の
しかし摩耶は聞いていなかった。
鼻歌を歌ってやけに気分がよさそうだが、勝手な断定をしておいて、それに気をよくでもしたのだろうか。
「ののちゃんはぁ、エラリー・クイーンがとっても大好きなんですぅ。だからぁ、チャッピー君がエラリー・クイーンが好きだって言ったから、すごい嬉しいんですよぉ」
だから言ってないって。
でも、もういいや。あながち間違ってはいないから。
……ちなみにエラリー・クリーン(1905~1985)とはアメリカ生まれの有名なミステリー作家であり、そして彼の書くミステリー小説の主人公でもある。間違っても摩耶ののかとかいうクソガキに降臨することなどない、とても御高名な方なのだ。
「それで? 橘ももちろん好きなんだろ? エラリ……あ、いやミステリーが。じゃなきゃ、部活まで立ち上げたりしないもんな」
「もちろんですよぉ。私が今最も興味があるのはぁ、『ゲーデル問題』に影響を与える『不完全性定理』ですかねぇ」
「――は?」
「不完全性の定理はぁ、ある形式体系がコンシステントであるとしてもぉ、その証明はその体系の中でしか得られなくてぇ、それ以上の強い理論を必要とすることを意味してるんですぅ。だからなんですよぉ」
「――何が?」
「純粋数学の完全な
「そ、そうなんだ。……あのさ、それってミステリーに何か関係あるの?」
「大ありですよぉ。だって『初期クイーン論』に繋がっていくんですからぁ」
「ふ、ふーん。そっか」
「そうなんですよぉ」
何者なんだ、この巨乳は?
『初期クイーン論』という文言はどこかで耳にしたことはあるが、にしたって高校生が興味を抱くものでもないだろう。しかも、こんなポワァンとした雰囲気の女子が。
それはそうと。
「おい、摩耶。俺たちは一体どこに向かってんだ? 活動するのは部室じゃないのか?」
「活動の前に生徒会室に行かないといけないんだ。入部届けを生徒会に届けて、初めてチャッピーが我が『超すいりくらぶ』の一員として認められるからな」
そういや、そういう手続きが必要だったか。
そのときだった。
「わっ!? な、ななな、なんということだっ!!」
摩耶が仰け反るようにして驚いたのは。
「おい、何があった!?」
俺は摩耶が凝視している教室の中を除き見る。そして、
――うっそだろ……っ!?
心臓が止まるほどに
「えぇっ!? あ、あれはぁ、もしかしてぇ、いわゆるぅ、死体とかいうものですかねぇ?」
橘も驚いたようだ。
でもそれは一瞬で、次に何が起こるかを察したように摩耶を見ていた。
「クイーンの御霊よ、いざ降臨せん。我、謎見つけたりッ」
教室に飛び込んだ摩耶がいきなり叫び、そして例のポーズをする。
例のポーズってのは、ステッキの柄に両手とあごを乗せて両足を少し広げるやつだ。どうやらそのポーズをすると、エラリー・クイーンの御霊が降臨するらしい。
――んなわけないだろ。
心中で突っ込む俺の眼前では、鬼気迫る表情の摩耶が、女子生徒を前に独り言つように言葉を発していた。
「教室に女子生徒の死体。鈍器で殴られたのか側頭部部付近には多量の血液あり。その血はまだ乾いていないようで被害者の顔色もいい。おそらく死後硬直も始まっていないことから推するに、どうやら殺されたばかりのようだな。……しかし犯人もバカな奴だ。被害者が残したダイイングメッセージ(死の間際に残したメッセージ。大抵は犯人を示している)に気付かずに去っていくとはな」
ん? ダイイングメッセージ? そんなのあるのか?
「この血をよく見てみろ、ヴェリー部長にファインバーグ警部」
摩耶がこちらに見向く。
どうやら橘がヴェリー部長役で、俺がファインバーグ警部役のようだ。
しかし何でファインバーグ警部なんだよ。クイーン小説じゃ、かなりマニアックなキャラクターじゃないか。ここはヴェリー部長役を俺にして、美人秘書のニッキー・ポーター役を橘がやればしっくりくるんじゃないのか。どちらも小説での出番が多いんだし。
なんてことを思いながら俺は橘と共に摩耶のところへ行く。
そして言われた通り、それを見る。
「どこがメッセージなんだよ? 文字には全く見えないが。なあ?」
俺が同意を求めると「ですねぇ」と橘も頷く。
すると摩耶が声を荒げた。
「ええい、無能な奴らめっ。普通の文字じゃなくてこれは絵文字なんだっ。この角度で血をよく見てろ。ほら、絵文字の顔に見えてきただろ? そしてあたしはこの顔を知っている。……そう、あたしの推理はいつだって真実の扉にしか繋がっていないっ! 犯人……それはあたしと同じクラスの田中だっ! だって絵文字の顔が田中にそっくりなんだも――っつううう!?」
俺はげんこつを落としてやった。
多分それが俺の役目なんだろうと半ば確信して。
【女子生徒がこのような状態で倒れているのはなぜか――。真相はこのあとすぐっ!】
「無能はお前だよ。ほぼ即死だと思われる被害者が自分の血で絵文字描くとか、どんな超能力者だよ。それに田中って人にも失礼だろ。こんなムンクの叫びの顔を更に歪めたような奴いるかよ。……それにな。大体、この女子生徒は被害者でもなんでもなくって――」
俺がそこまで言うと、倒れている女子生徒が動いた。
そしてもぞりと立ち上がると一言。
「いつまでやってるんですか?」
その顔はどこまでも険しく、同時に当然の反応でもあった。
「あれ? 死んでないじゃん」と摩耶。
「当たり前だろ。この人は演劇部の人で死体を演じていたんだから。ここは演劇部の部室なんだよ。ほら、早く出るぞ。あ、すいませんっ、お邪魔しやした~」
俺達の茶番が終わるまで待っていてくれた演劇部の皆さん。本当にありがとう。新入生歓迎演目『東山西高校の殺人』は必ず見に行きますね――。
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