3

 どれもこれも端折って話すことが出来る程どうでもいいものはなくて。全部を話し終えた時、電車は目的地の駅に停まっていた。

 その後、俺は木下に連れられるまま見覚えもない寂れたあぜ道を歩かされていた。


「そうだったんだ……」

「日向が自殺するような要因は他に無かった……俺だったんだ、あいつの死因」

「でも、あの日向ちゃんがマサとの喧嘩だけで自らを殺めるなんて……、おれにはちょっと考えられないよ。だってマサ、彼女に死ねって言ったわけじゃないだろ」


 それに俺は俯いて唇を噛んだ。

 ああ……言ってないさ、死んでくれとも。そこから飛び降りろとも。


「けど、俺があいつに酷いことを言って傷つけたのは事実だ」


 霊視によって蘇った記憶の中での日向の顔が、今も頭の中に張り付いている。

 俺の放った言葉に、心臓を握り潰されたように動かなくなって、声を失って。

 あいつ、泣いてたんだ。

 いつもゲラゲラ笑っていたあいつが。

 泣いて、屋上に一人残されて。


「死ねとは言っていない、それでも、あいつにとって、俺が投げつけた言葉は『死ね』って意味と、同じだったのかもしれない」


 例えそんなつもりなどなくても、人によって物事の捉え方は大きく変わってくる。例えそんなつもりなどなくても。口から吐いた言葉は、二度と引っ込めることはできない。


 人によってそれは心を抉る刃に変わり、人生すら大きく変えてしまう。


 好きだった人が最後に寄越した言葉によって、あのコンビニに自分を縛りつけた竹中さんのように。

 日向もきっとそうだったに違いない。

 俺の言葉が日向の中の大切なものを千切ってしまったのだ。俺にそんなつもりがなかったとしても、日向は死にたくなるぐらいの闇を心に宿したのだ。


「マサ……、気持ちは分かるけど」

「高校の時の俺、酷かったもんな……」


 あの時だけじゃない。

 俺は自分のことばかりだった、いつだって。恥ずかしいのが嫌で、中途半端なのが嫌で。自分の感情を優先して、相手への思いやりがいつも足りない。後悔するのも……、いつも遅い……。


「そうじゃないな……酷いのは、今もそうだな」

「ばか」


 下を向いて歩いていたら、木下が俺の肩を無遠慮に殴った。

 地味に痛くて、でも怒る気力もなくて、じっと奴の方を見たら。今度は肘が飛んできた。思わずよろける。


「なんだよ」

「さっきから聞いてるけど、流石に卑屈になりすぎでしょ。まるで別人、マサじゃないみたいだ。元気出せとは言わないよ、だけど、そのままでいたら絶対よくない。今のマサを本当に苦しめているのは、化けて出てくる日向ちゃんじゃない、マサ自身だ」


 自分で自分の首を締めている。と、木下は言う。


「今も同じじゃない。マサは変わったよ……、日向ちゃんと同じものが視えるようになって、自分の偏見や、彼女の気持ちが少なくともわかっただろう?前は気がつかなかった人の痛みや、誰かに助けてもらえる有難さ。身近な人達が支えてくれる暖かさ。それがあそこで理解できたんだろ。だったらそんなこと言うなよ。マサは人として、沢山の良いことを学んだんだ、あの時とはなにも一緒じゃない」

「だとしてもそれじゃあ日向を救えない、俺には力もないし、幽霊と喋ることも多分できない。結局なにも変えられないなら……俺が」

「救う力がないんだったら、じゃあ、あとはもう一つしかないじゃないか」


 救えないなら。

 だったら。

 一つしか、出来ることは無い。


「心を込めて、彼女に謝るしか」

「……っ、そんな」


 そんな甘っちょろい方法で…。


「あいつは納得しねぇよ……」

「でもやる価値はあるよ」

「価値とかそういうんじゃねぇだろ、あいつ、もう死んでて、幽霊なんだぞ、俺のことを殺したいぐらい憎んでる」


 そんな日向に。今更、あの時はごめん、悪かった。だなんて。


「届くはず……」


 聞く耳すら持たないだろう。あいつにそんな余裕などないはずだ。俺の言葉で鎮まるわけがない、いくら心の底から謝ったとしても。日向は止まってくれない。

 俺にもう、あの時の笑顔を向けてはくれない――。



「あ、着いた……」


 無言で歩き続けること数十分。

 年季の入った木造の建物が見えてきた。


 鉛の正門、外から見える金網の向こうには、プールと小さな畑、体育館、グラウンド、ジャージ姿の数人の少年少女。小学生にしては少し大人びていて、高校生にしては体格が未熟な彼ら。


「ここが俺の勤め先、今は夏休みだから、ほとんどの生徒が部活動中」

「そういや、お前教師だったな、今」

「うん、全然そう見えないだろうけど一応ね。で、連れて来たかったのはこっち」


 木下に引っ張られて、俺は校門を潜り、グラウンドを横切り、校舎の裏側に連れて行かれた。


 途中駐車場を跨ぎ、それからもっと奥まで進めば、第二グラウンドなのか、校舎前よりもこぢんまりとした広い場所に出た。

 真緑の金網のフェンス。見覚えのある景色。屋根付きのベンチに、小汚いほっ建て小屋。無数に転がる白いボール。ボロボロのバット。地面に置き去りにされたグローブ。グラウンドの真ん中には、かつては俺もそこに立っていた、懐かしいマウンド。



「声小せェぞォォオッ――!!!」


 バッターボックスに立ったひょろ長いユニフォーム姿の男子生徒が勇ましく声を張り上げれば、グラウンド全体が大声でそれに応える。


 まだ身体も完全に出来あがっていない、小柄な少年達。

 その中でも一際小柄で、身長もかなり低い少年が、マウンドの上に立ち、深呼吸をして、大きく振りかぶる――。


 投球され、次の瞬間には、バットの僅か下を潜り抜け、捕手のグローブの中に納まる。

 聞き覚えのある、快感ともいえるような、ボールとグローブの革が擦れる音。あの体格にしては、いい球筋だと思った。


「可愛いだろ、みんな」


 フェンスに指をかけながら木下が満足そうに言う。どうやら奴は俺にこれを見せたかったらしい。そして、此処まで俺を引っ張って連れてきた本当の理由は。


「ちなみに、監督募集中なんだ」


 だそうだ。


 ◆◆◆


「監督だぁ?」

「そう、マサにピッタリだと思って」

「つか、俺かよ」

「野球の知識とそれなりの指導力があればいいって、資格とかはゆくゆく取ってもらうかもだけど、後は学校側と部員と親御さんの承諾かな」

「顧問は」

「一応今のところおれが見てる」


 お前かよ……。


「二ヶ月くらい前にさ、監督が病気で亡くなって……。この学校にはおれを含めて野球の経験者がいないから、一般の人でコーチをしてくれる人を募集してるんだ」

「そんなことしなくったって、お前が指導してやりゃいいじゃん、ちっと勉強してさ」

「おれじゃだめだよ、やっぱり経験のある人じゃないと、で、考えたらマサが適任かなぁと思って」

「なんで俺だよ、大学いったならまだしも高校止まりだぜ」

「でもマサ、高校の時は『チームの要』とか『マウンドの暴君』って呼ばれてさぁ、みんなを引っ張ってたじゃん」

「あー、なんかそんな厨二っぽいあだ名誰かにつけられたな」


 確かに覚えはあるが、そんなのは引っ張ったうちに入らない、練習に身が入らない奴、いつまでもうだうだ言って練習してる奴らを片っ端から怒鳴っていただけだったし。


「なんだかんだみんなマサについてってたじゃないかよ、マサにはチームを纏める才能があるんだよ」

「んなもんないない」

「ねぇ、頼むよ。このチームを救うと思ってさ」

「無理、俺には救えない」


 どうしてって。俺は『要』と呼ばれていた頃の俺ではないし。指導力なんてない。つか現役離れて何年経ってると思ってるんだ。


「いくら中学だからって、急募で適当に監督つけるより、もう少し待ってちゃんとした監督探してやった方が良いだろ」

「それも考えたんだけどさ」


 木下はグラウンドの部員達に目をやる。


「あいつら、監督が亡くなってから試合で負けっぱなしでね、元気に振るまっていてもどうもまだ心の整理がついてないみたいで、殆どの奴らが前に進めていない。……俺も顧問だから色々助言はしてるけど、あんまり力にはなれてないし。やっぱり今のあいつらに一番必要なのは、チームを引っ張ってくれる新しい指導者なんだよ」

「俺でなくたっていいだろ、向いてる奴は他にごまんと……」

「いや、おれはマサにやってもらいたい」

「どうして」

「こうやって見てると、思い出さない?」


 あの頃の感じを、イキイキしていた自分を、と。落ちていたボールを俺にさし出す木下。


「まぁ指導する側だけど、野球することには変わりないでしょ。おれは……あのチームだけじゃなくて、マサにも元気を取り戻してもらいたいんだよ。前を向いて、ただひたすら走っていた昔みたいに」



「んなこと言われても……」



 野球は今でも好きだ。それでも、自分からもう一度関わろうという気にはなれない。どんなにあの頃が楽しかったとしても、思い出すのはけして良いことばかりじゃない。右肩を握り締めたら、嫌な記憶が再度蘇る。

 好きであれば好きであるがゆえに、俺はそれに熱中して、周りが見えなくなる、一人で突っ走る。日向のように、誰かを傷つけるんじゃないかと思うと怖い。

 これは俺がやるべきことじゃない。


 悪いけど、他を当たってくれよ――。

 そう言おうとしたら。

 中学生達が俺と木下に気がついたらしく、ゲームを中断してぞろぞろとこちらに集まってきた。


「木下先生しゃーす!」

「センセー!誰っすかその人!」

「しゃす!!」

「しゃあす!」

「こんちわーす!」

「隣にいる人だれ?」

「もしかしてこの学校のオービーじゃね?」

「しゃーすっ!」


 みんなばらんばらんに挨拶しながら、キャップを取ってフェンス越しに群がってくる。

 汗を滴らせ、こんがり日に焼けた肌をした中学生らは、珍しそうに目をぐりぐりさせて俺を見てきた。

 あどけなさが抜けない顔、まだまだ成長の見込みのあるひょろっこい体。やかましいくらい元気の有り余る中学生達に俺は控えめに挨拶を返した。


 まぁいいや、少ししたら適当に理由つけて帰ろう。そう目論んでいたら、木下が俺の肩をがっちり掴んで勝手に中学生達に紹介し始めた。


「こいつはおれの高校時代の友達。……で!この野球部の新しい監督になってくれる。かもしれない人!」

「ちょっ、オイ!」


 止めても遅かった。

 木下の話をばっちり聞いた中学生達は次の瞬間驚きの声を上げ、目を輝かせ、小動物みたいにその場で飛び跳ねたかと思えば。フェンスに次々に押し寄せてきて、みんなで俺を質問攻め。流石は中学生、勢いがハンパない。


「新しい監督!?」

「ほんとっすかセンセー!?」

「よろしくお願いしゃあぁぁすッ!」

「どこの高校だったんですか!」

「ポジションは!?」

「すっげえ!」

「甲子園行ったことあるんですか?!」

「いくつですか!?」


 興奮を抑えきれない坊主軍団に、木下は落ち着くように声をかけながら一つ一つの質問に応えられずにいた俺に代わって喋り出した。


「年はおれと同じで、ポジションはピッチャー。こいつは高校時代野球部のエースと呼ばれていた、超エリートプレイヤーなんだ。頑張ってるみんなの話を聞いてぜひ力になりたいって申し出てくれてね、有り難い話だろ!」

「木下――!」


 誰がエリートプレイヤーだ!口から出任せ言いやがって!それに申し出てねぇし!今さっき知らされたばっかりだし!


「変に期待させるような言い方すんな!」


 小声で言いながら木下を睨む。

 笑ってんじゃねぇぞ、このモジャモジャ……!


「ピッチャーだってよ」

「加藤!良かったじゃん!」


 加藤、加藤。と、呼ばれて前に押し出されたのは、中でも一番と言っていいくらい小柄な部員。

 マウンドに立って投げていた、背の低い投手だった。

 前に出されて、少しおどおどしながらも、彼は俺に丁寧に頭を下げた。


「あ、あ、えと……色々、話、聞きたいです……同じポジションとして」


 けして暗いわけじゃないのだろう、緊張して声が小さくなっているのだ。

 拳を握り締めて、肩に力が入って極端に上がっている。


「オレ、前の監督のこと……まだまだ忘れらんないけどっ、ちゃんとついてくんで……!沢山、投げ方教えて下さい!そんで、オレ達を勝たせて下さい……!」


 子犬みたいにぷるぷる震えながら、加藤君は部員達にちゃかされながらも必死な顔つきで俺の目を見つめた。

 小さくても、野球に抱く情熱は一人前、彼を見てそう感じた。


 おう、任せろ。


 普通だったら胸を張ってそう言ってやるべきなのだろう、かと言って無責任に引き受けるわけにもいかない。


「いいかー、みんな盛り上がってるけど、まだ決定じゃないからなー」


 フェンスを鳴らして騒ぐ部員全体に言い聞かせた木下を、今度は俺が引っ張ってグラウンドから離れた場所に連れて行く。


「やめろよな、勝手に話進めんの」

「いいじゃん、ハカマダ監督。かっこいいよ?」

「お前な……」


 倉庫裏の涼しい日陰の中。

 俺は腕組みをして、木下に今した話を取り消せと迫る。


「なんで俺が監督なんて」

「そう怒らないでよ」

「いきなり言われても困る、俺は全くの素人なんだぞ」

「スタートは誰だって素人じゃないか」

「だからって……できるわけねえ!あんな期待の眼差しで見られたら裏切るのに罪悪感めちゃくちゃ感じまくるじゃねぇか!」

「みんな嬉しそうだっただろ?」


 ああ、そうだな。誰かさんがでたらめ並べてくれたお陰でな。投げやりにそう応えた。


「必要なんだよマサが」

「できねぇって言ってるだろ」

「そこをなんとか頼むよ。マサがやってくれれば、あの子達はもう一度前に歩き出せるんだ。久々に見たよ、あいつらのあんな嬉しそうな顔。あんなに喜ばれて、マサも少しだけいい気分になっただろ?」


 返事は返さないけど。

 正直、ほんのちょびっと嬉しかった。

 相手から三振とって振り向いた瞬間、チームメイト達に喜ばれた感覚となんとなく似ていた。

 俺だってあの頃はチームに必要とされることが嬉しかったのだ。みんなが喜んでくれるから、それも確かに野球が好きな理由の一つだったのかもしれない。

 そう思ったら、またあの時みたいにって……。そんな気持ちになってしまいそうだった。


「マサもだよ、マサも、そろそろ前に進まなきゃ。自分がしたいこと、一番分かってるのはマサだろ。立ち止まって、悩んで、考えて。もう充分なんじゃないの」

「……充分、なんて」


 そんなのねぇよ。

 いくら立ち止まっても、もう充分だなんて、自分で認めることなんかできない。


「日向ちゃんの為に立ち止まるんじゃなくて、日向ちゃんの為に……、生きられなかったあの子のぶんまで先に進む、そう考えればいいんじゃないかな」


 罪に引きずられて希望を失くしかけていた俺にとって、それは暗闇に灯りをともすような助言だった。

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