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鼓膜が痺れそうなぐらいの叫び声は、多分グラウンドまで響いたと思う。
日向のその表情を見たのは、後にも先にも、これきりだった。
ずれた眼鏡に、乱れた息。
俺だって散々暴言を吐き続けて息を乱していたが、日向ほどではなかった。
前触れもなく大声を出した日向に、今度は俺が言葉を失えば。奴はもどかしそうな顔をして必死に俺の腕を掴んで引っ張った。
その力は女子とは思えない程強くて、細い指が俺の皮膚に食い込む。
「うまく言葉にできないけど……でも、これは嘘じゃないんです!!」
「はぁ!?」
「わたしには視えるんです、先輩の……!!」
「お前、いてぇよ……!」
「信じてくれなくたっていい、でも、先輩は――」
その先を聞く前に、俺は日向の腕を振り払った。
その反動でよろけ、俺から離れる日向。
赤縁の眼鏡が軽い音を立てて、落ちた。
そして、俺は。
そこで最悪の一言を、日向に放つ。
「訳わかんねぇ……」
願わずにはいられなかった。
この先を、言うなと。
でも……、
「お前の気持ち悪い妄想に……俺を付き合わせるな!!」
頭に血が上り過ぎて吐いた最悪の言葉。
というのはいい訳だ。
言葉は戻せない。言ってしまえばそれまでだ。
いくら怒りに我を忘れていようが。
心ない一言だろうが。
日向にとってはとどめの一撃だったのかもしれない。
弾丸で撃たれたみたいに動かなくなって、眼鏡も拾わず、目だけは俺の方を向いて。
暫く日向は黙っていた。
俺も、言ったと同時になにかから解放されたみたいに熱が冷めて。
数秒前に放った言葉の残酷さにようやく気がつき、息を止めた。
「す……」
何か言おうと、再び口を開いた時。
日向は眼鏡を拾い直し。俺から一歩、身を離し、満面の笑みでこう言った。
「先輩なんて、大っ嫌いです。どうにでもなっちまいやがれクソ野郎です」
もの凄い捨て台詞だったが。
日向の頬には小さな涙の粒が伝っていた。
「は、そうかよ……奇遇だな――俺もだ」
俺は無表情のまま、日向の横を通り抜けた。
これで終わった。
もう何を言っても無駄だと、この時悟った。
だから俺は、そんな言葉を残して屋上から立ち去ったんだ。
階段の踊り場まで降りて、屋上に残った日向の押し殺した泣き声に、一度足を止めたものの、再び戻ることはしなかった。
謝る勇気がなかったんじゃない。
一時の感情でなにもかも壊した救いようのない自分が嫌になって逃げたんだ。
これが、日向と言葉を交わした最後の時だったというのに。
この数日後――日向は、夏休み明けの大雨の日に、俺と喧嘩別れをした屋上から飛び降りて。
――死んだ。
「はぁっ……っ、うぐッ――!」
目が覚めて、胃液が逆流してくる感覚に横たわりながら激しく
すかさず竹中さんがコップにポカリを注いで俺に手渡し、背中をさする。
「洗面所に行きますか」
「いや……」
弱々しく首を振る、前髪からぽたぽた零れてくるのは汗。
「は……」
奥底に封じ込めていた記憶が戻って、日向がどんな奴だったのか、俺は日向をどんなふうに見ていたか……改めてはっきりした。
「ははは、は……」
はっきりしたこと、……もう一つある。
確信できた。
否定ができないくらいに、これはもう決定的とも言える。
「やっぱり、俺が殺したんだな……」
もしかしたら何か見落としていた部分があったかもしれない。そう、淡い期待を抱いていたが。
俺が放棄していた思い出は、思っていた以上に残酷だった。
日向の死因……、俺しかない、俺しか、あいつを追い詰めた奴……いないじゃないかよ……。
きっとあの記憶は、俺が此処最近毎夜見る悪夢に繋がるのだろう。
酷い言葉を浴びさせられ、傷つけられ、嘘吐き呼ばわりされて、俺を呪いながら死んだのだ日向は……。
『じゃあ証明してみせろよ』
そういうことか。
日向は、俺に証明しているつもりなんだ……。
自分が、嘘吐きじゃなかったことを。
自分自身を殺し、俺の前に現れたのは。
あの時吐いた俺の言葉を否定する為――。
怨んでいるに決まっている。
あんな最期だったんだ。
扇風機の風でテーブルの写真が飛んで畳に落ちる。
それを拾う竹中さん。写真に目を落としたまま、とんでもないものでも見たような顔をして、眉間に皺を寄せていた。
小さな声で何かを呟いたが、俺にはそれを聞き取ることはできなかった。
「竹中さん……。有り難う御座いました……これでやっとはっきりした。……日向は、何かを伝える為に俺の前に出てきたんじゃない。俺を怨んで……出てきているんだって」
「袴田さん」
「だって他に理由ないじゃないですか……竹中さんに説明してもらうまでもない、あいつを自殺に追い込んだのは、俺だった……」
「袴田さんの言うように、おそらく彼女は……まだこの世に未練を残して、成仏できていないでしょう」
その一言に、胸の奥がいっそう痛くなった。
「でも」
竹中さんはそれに気づいているのか、言葉を一つ一つ選んで、今にも崩れそうな俺にゆっくり聞かせる。
「もしかしたら……、なにか他にあったのかもしれません……彼女が死を選んだ理由が」
「他、に……」
他にあったっ、て……。
なにが――。
布団から這い出し、そう訊ねれば。
竹中さんは視線を大きく逸らした。
「知ってるんですか……なにか、わかったんですか」
「……」
「知ってるなら、教えて下さいよ……!」
「それはできません」
「っ、な、なんで……!?」
何度同じ言葉をぶつけただろうか、いくら頼んでも竹中さんは言葉の続きを教えてはくれない。
なんでだ。
じれた俺は竹中さんの肩を掴もうと腕を伸ばした。が――、腕が肩を掴むその前に視界が大きく回り……そのまま。
顔面から畳に倒れそうになる寸前、また竹中さんに助け起こされてしまった。
ほんとつくづく情けねぇていたらくだ……。
「すいません……」
「今のあなたには、言えません。今の袴田さんが知れば……きっと……」
今以上に――……。
竹中さんは言葉の途中で俺を再び布団に横たわらせ、小さく溜め息を吐いた。
どこか切羽詰まった顔をして。
俺は、竹中さんの言葉の続きやその意味を追求したかったが、彼の表情を見て開いたままの口を渋々閉じた。
夜勤組の中でも一番静かで、常識人である竹中さんには、まだ俺の知らない謎がある。
なかなか多くを語ってくれないから。その表情の奥で今何を思っているのか、俺には皆目見当もつかない。
「言っておきたいことがあります」
帰り支度を終えて、竹中さんは振り返る。
「彼女のこと、罪を感じることは仕方のないことなのかもしれません、ですが……、あまり自分を追い込まないで下さい。今のあなたには、自分を責めるよりもまず回復が必要です。ソーメンばかりでなく、ちゃんと滋養のあるものを食べて、早く、良くなって下さいね」
笑顔こそ浮かべないものの、竹中さんなりの気遣いの言葉を俺は有り難く受け取った。
「それと」
「それと……?」
「金曜日から三日間、実家に帰ろうと思うんです」
なんのことかと一瞬呆けたが、すぐに分かった。
「ああ、お盆の時期ですもんね」
「ええ、だからシフトを少し変更してもらって、俺の代わりに店長が入ってくれることになりまして。それで、もし、俺がいない間に……何かあったら、……言って下さい」
竹中さんはそっけなく告げたあと、立ち上がり玄関へ足を向ける。
「あの」
ふと思い出して。錆びたドアノブを握って帰ろうとするその人を俺は短い言葉で引き留めた。
「一つ、いや二つ……聞きたいことが」
「なんですか」
「日向……、あいつを、なんとかして成仏させる方法、ないですかね……」
「例え彼女と接触できたとしても、今の状態では……方法はあっても、かなり難しいと思います……。それこそ……死ぬ覚悟が必要なぐらい」
「そ、……ですか……」
「もう一つは」
促されて、俺は今までずっと気になって仕方がなかったことを打ち明ける。
「どうして、……いつも俺のことを助けてくれるんですか」
一瞬目を丸くして、すぐに細め。
視線を斜め下に送り、黙り込む。
その仕草は話したくないというサインなのか。
「言ったら、多分……引かれると思いますが」
そんなこと言われたら余計に聞きたくなる。
てか、引かれる心配するほどの理由って。
「いや、それでも聞かせてもらえると嬉しいんですが」
竹中さんは非常に言いたくなさそうな顔をして、時計の長い針がもう一度動いてから、教えてくれた。
「自分の為です」
もう少し言葉を添えて欲しいと心の中で思ったけれど、多分顔に出ていた。
「正直に言うと、袴田さんの為じゃない……俺は今まで、全部自分の為に行動をしていたんです」
嫌な奴でしょう?と言いたげな、寂しさを宿す瞳。
なんでそんな顔をするのか。
竹中さんは正直ものだからその答えに嘘はないはずだけど。なんでか、納得がいかないというか。すっきりしないというか。
けれどこれ以上突っ込むことを竹中さんは望んでいないようで。
「じゃあ……俺は、これで」
逃げるように、ドアノブを回して。
別れの言葉を告げて帰ってしまった。
聞いてはいけないことに触れたのかもしれない。
俺は、少し申し訳ない気持ちで、階段を下りていく足音を聞きながら目を閉じた。
竹中さんがいなくなってから、怖いと感じるくらい静かになった部屋。
俺以外、他に誰もいないはずなのに、耳に入ってくる微かな床の軋みや、浴室から時折聞こえる水滴の落ちる音に、俺は敏感に反応を示していた。
胸がそわそわして落ち着かない、体はだるさを訴えて布団に埋もれたがっているのに、瞼が作り出す暗闇に不安を感じているのか心臓が小刻みに動く。
自分はいつの間にこんなに臆病になってしまったんだろうか。と、呆れながら強く目を瞑った。
何度もしつこく寝がえりを打って、頭の中で関係のないことを考え早く眠ってしまおうとするも……。
それから、なかなか眠ることができなかった。
枕元に。
血塗れの日向が、立っているような気がして。
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