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「もう怒らないで、許してあげようよ、ね……。みんなは貴方を馬鹿にしていたわけじゃあないんだよ。うん……気持ちは分かるけど、……お祭りはもうお終い。貴方も帰ろう。私が連れて行ってあげるから」


 だめ?だめかぁ?じゃあどうすればいい?……ううん、それはだめ。


 日向は女子生徒の隣で、誰かと会話をしているみたいに喋って、時折困ったといわんばかりに首を傾けて、唸る。


「そうだよね、……嫌な気持ちになるよね、わかるわかる。でももう充分だよ……みんな外に集まってるよ、すっごい大勢、ほんと。このままじゃ帰りづらいでしょう」


 背中を擦り続ける日向。

 女子生徒の握られていた拳が次第に緩んできた。


「…………うん、じゃあそれでいい?わかった、全部燃やすから……約束するからね」


 言いながら、女子生徒の斜め上の方を向いて、何度も頷く。


 教室の温度が変わったのを肌で感じた――。


 女子生徒の緩んだ拳が完全に開かれた時、照明がパッと教室中を照らした。

 異様な肌寒さはもう感じない。

 激しく音を立てていた窓ガラスも鳴り止み、続いて乱暴に扉が開け放たれた。


「大丈夫か――!?」


 数人の教師が入って来て、俺達を囲む。


 どうした、なにがあった?そう何度も問われるも、今まで起きていた出来事を口で説明するのは少々、いやかなり難し過ぎて、言葉が喉の奥で詰まる。


 だって、ほんとう、何が起こっていたのか俺ですらわからなかったのだ。


 教室付近は身を乗り出す野次馬共で埋め尽くされて、みんなが俺達の方を見ていた。


「ちょっと、気分が悪くなってしまっただけみたいです」


 教師に詰め寄られて、狼狽える俺に助け舟を出したのは、説明しようもないおかしな事態を一人で解決させた張本人。


 椅子から崩れ落ち、ぐったりとした一年生を支えながら、教師達を説得し始めた。

 俺が見たことや、日向自身が取った行動は全て伏せ、言葉巧みに、納得のいく内容で。

 ごまかした。


 教師達は優等生である日向の言葉を疑うことなく信じきって、冷房のきかせ過ぎによる体調不良ということで、何人かが保健室に運ばれ、ようやくその場は静まった。

 ただ、教師は納得しても生徒の方は納得がつかない奴が多かったらしくて、何人も日向に集って中で何を見たのか、何をしたのかとか。しばらくはしつこく質問攻めをしていた。

 日向はというと、話す気はさらさら無いのか、教師達に言ったのと同じような言葉を返していた。


 それから後片付けが完全に終わる頃、問題のあった教室の一年生達数人に何度も御礼を言われていた。


 泣きじゃくりながら、謝ったり御礼を言ったりする一年生に、日向は気にしないで、と目を真っ赤にした全員の頭をぽんぽん撫でた。


「先輩ありがとうございました」

「あの。私達、このあと……なにかあったりするんでしょうか」

「心配しなくていいよ、大丈夫」

「よかった……っ」

「うっ……こわかったぁ……あんなの、まだ信じられなくてっ」

「びっくりしたよね、でもこの後なにか起こることはないと思うから、安心して忘れちゃいな」

「う……はいっ」

「ああ、そうそう、使った藁人形、あれ全部燃やしてあげてね。学校の焼却炉の中に入れてもいいから」


 と、最後に伝えて、日向は去っていった。




「お前さっきのあれなに。なにしたんだ」


 装飾もセットもなにもかも片付けられて、通常通りに並べられた机、がらんとして誰もいない教室。


 後夜祭が始まって体育館の方からは奇声や歓声、けして上手くはない馬鹿デカイ歌声が響いている。あっちは随分と賑やかなのに、本館は数時間前まで人でごった返していたのが嘘みたいに静かだ。


 薄暗い自分のクラスの教室に一人残って、外を眺めながら窓際に座っていた日向を見つけて。俺はあの騒ぎの件がどうしても気になって奴に訊ねてみた。


 日向は頬杖をつきながら旧校舎裏から立ち上る焼却炉の煙を見つめたまま応えた。


「女の子を説得してました」


 まぁ、確かに何かを説得していた様子ではあったけども……。


 だけど、お前が目の前でやって見せたことは、そんなこと以上に不思議過ぎた。


「もっとわかりやすく説明してくれよ」


 訴えれば、日向はやっとこちらの方を向き、小さく首を傾げて少しの間黙った。なんだよ、その微妙な顔。


 足を小さい子みたいにぶらつかせて何かに迷っている感じが伝わってきた。


「なに」

「話したら多分笑われます」

「お前いつも俺んこと笑ってんじゃん」

「ですけど」

「笑わねえよ、俺、笑いの沸点あいつらほど低かねぇし」

「……」

「言いたくないのなら、無理に聞かねーけど」

「じゃあ言います」


 なんだよ……!!


「この学校、昔から身長が天井につくぐらい高い女の子が住みついてるんです」


 おい。


「まてまてまて、天井!?住みついてるって!?」


 笑いはしないけど話題がいきなり凄い方向にぶっ飛んだぞ。

 俺の言葉に応えずに、日向は話を続けていく。


「髪が膝位まであって、見た目は怖いんですけど、話せば普通です……、わたし、一年の時からちょくちょく見かけてましたから」


 そんな奴がいたら目立ってしょうがないだろうが、そんな電柱女は悪いが一度だって見たことない。


 奇妙すぎてどこからつっこめばいいか苦しむ事を淡々と話す日向を、俺は表情を硬くしたまま見ていた。


「何十年も前の此処の生徒です。でもその子、不気味だからっていう理由で周りから虐めを受けていたらしくて……、気持ち悪い、とか、呪われそうとか言われて。いつも黒板に悪口書かれたり、トイレに閉じ込められたり……」


 机の中に白装束と、五寸釘と、藁人形入れられたり……。


「虐めに追い詰められて。二年生になる前に、教室で首吊っちゃったんですよ」



 だから、首が曲がってるんですよね。



 そうぼそりと呟いた日向の目は恐ろしいぐらい据わっていて、背筋がゾッとした。

 いつの間に怪談話に変わったのかと思いきや、どうやらそうではないらしい。


「あの教室の一年生達は、そのことを知らずに、藁人形をお化け屋敷の装飾に使ってしまったんです。彼女はそれを、自分が馬鹿にされたと思い込んで怒ったんですよ……。わたしは、それは違うと彼女に伝えて、納得させただけです……、ああいう空間は気づいていない人が多いけど、結構簡単に集まってきたりするんです」



「あの、その彼女ってのは……」

「すでに死んでる人です」

「な……」

「中学生くらいからです、そういうものが普通に視えるようになって……。眼鏡かけてると少し視えにくくなるんですけど」


 眼鏡を少し外して、またかけ直し。日向はぎこちない笑顔を作った。


「ヘンな話ししてごめんなさい。どん引きですよね」


 わたし知ってますよ、と。日向は椅子から立ち上がった。


「先輩がこういう話大嫌いだってこと。噂、よく聞くから」

「否定は、しねぇ……けど」

「自分の目に見えないものなんて、そうそう信じられませんもんね。すみません、もうこんな話、先輩の前ではしませんから」


 正直言って、いきなりこんなこと言われて、少し驚いていたのもあったし。すぐにこちらから何かを言う気になれなかった。


 あの時おかしなことが起こったのは事実だが、いきなり幽霊がどうのなんて言われてもピンとこなかった。だって幽霊ってのはさ、怖いと思う奴が頭の中に思い浮かべる想像の中のものだろ……と、俺は信じていたから。


 けど、日向の顔は真剣そのものだし、いつもみたいにヘラヘラはしていない。嘘を言っているようには見えない。


 それなのに、俺が昔から抱いていた頑固な常識が、日向を信じようとすることを邪魔するのだ。


「悪い……なんか俺、やっぱそういう話、いきなり言われても、ピンとこねェってか」

「いいんです、信じて欲しくて言ったわけじゃないから。むしろそういう反応の方が先輩らしくてなんか安心します」

「なんだよ、それ」


 ただ一度、この時俺が日向の言葉を真正面に受け止めて、信じてやれば。


「先輩は、いつも真っ直ぐで、ブレないとこがいいよね。羨ましいです、自分に素直なところ……」


 こんなふうに、寂しそうな笑顔の奴を見ることはなかったんだろう。


「素直なのは、お前のほうだろ」

「わたしは……、人の顔色窺ったり、周りのことばっかり気にして、なかなか自分を貫き通せてないし……、先輩見てると、たまに先輩になりたいって思いますよ」


 なんだか凄く意外なことを聞いた気がして、俺は瞬きを繰り返す。

 誰よりもゴーイングマイウェイな奴がなにを言うか……。つか、……俺になりたいって。


「今のは嘘なのか?ほんとなのか?って、おま……どっからどこまで」

「さー、どっからどこまででしょうね」


 上履きを軽く鳴らしながらスキップをして、俺の隣をすり抜けた。


「あーあ、文化祭あっと言う間に終っちゃいましたね」

「俺は清々する」

「そうですもんねー、次はお待ちかねの夏大ですもんねー」

「マウンドにいる時、お前変なちょっかい出してくんなよ、手ェ振ったり。あ、今日みたいして客席で楽器光らすのも禁止だかんな!」

「お、それはナイスアイディアだぜ」

「やるなよ。絶対」


 本館に殆どの生徒がいないため、俺達はその日、初めて肩を並べて堂々と校内を歩いた。


 日向はさっきの表情を忘れてしまったかのようにいつもの調子で俺の横をふらふらしながら歩き、俺は時折肘で日向をど突きながら進む。


「信じてますよ。わたし、先輩が甲子園まで行けるって」

「言われなくても全力出して勝ち進むつもりだっての。お前こそ、音紛れるからって外すなよ」

「はい……!」


 不安定だけど、このなんとも言えない関係が、俺は嫌いじゃなかった。


 体育館までのけして長くない道のり、薄暗くなって静まり帰った廊下、ぐんと伸びた影。


 日向と二人で歩く速度を、俺が少しだけ遅らせたのは。


 もう少しだけ二人でいたかったから、だった。


 文化祭が終わっても、夏の大会が終わって、俺が引退しても。


 この関係は、まだまだ、これから先もずっと続くものだと思っていた。


 そうだと疑わずに、俺は、日向の隣で、木下達にも見せない顔で笑っていた。

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