5

「遊んで下さってどうも有難う御座いました。楽しかったです」


 あれから校内を適当に回って、文化祭はあっけなく終了した。


 来客を次々に送り出し、校内は慌ただしく後片付けに追われ、早々とオブジェや装飾が外され始める。


「俺らも早く戻って片付けやんねぇと実行委員に睨まれんな」


 それもそうだと。もたれ掛かっていた壁から背を浮かせて下級生の階の廊下を歩き出したら。


 隣の教室から切り裂くような叫び声が上がった。


 驚いて振り向いたのは俺達だけじゃない、その場で片付けをしていた生徒の殆どが、叫び声が放たれた教室の方を見た。


 その直後――。


「きゃぁぁあああああッ――」


 転がるように教室から数人の女子生徒が飛び出してきた。


 廊下に体を投げた彼女達は悲鳴を上げながらその場に次々にしゃがみ込む。


 過呼吸みたいに激しく息を乱す者、ぼろぼろに泣き崩れている者。


 明らかに普通の状態じゃない。そんな彼女達が出てきたのは『1-2』の教室。


 壁や扉におどろおどろしい装飾や立て掛けられた不気味なマネキンを見るに、お化け屋敷をクラス企画にしていたのだと直ぐにわかった。


 教室の扉や、らんまには、まだ取り外されていない暗幕がつけられているせいで、中の状況を知ることができないが。出てきた数人の女子生徒達の取り乱しようからしてその場にいる誰もがただ事ではないと察知した。


 廊下中に悲鳴が響き渡ったのだ。人集りができるのには数分も掛からず。

 なんだなんだと、上級生が集まり泣き喚く女子生徒に事情を聴こうとしたが、彼女らは錯乱状態に陥っていて、首を振り乱して悲鳴を上げるだけ。


「おい、なんだよ、なにがあったんだよ」

「ヤバくねェか……」


 西村と田中が顔を見合す。


「おれ、先生呼んでくるわ」


 冷静に言いながら、人集りを掻きわけて木下が職員室に走る。


 そのうち数人の男子生徒が問題の教室に近付き、恐る恐る扉に手を掛けて中に入ろうとしたのだが。


「おい……、あかねぇぞ」

「……は?」

「嘘だろ?中から鍵かけてんのか?」


 後ろと、前と。

 両方の扉を乱暴に揺さぶったり蹴ったり、はたまた引っ張ってみても。扉はびくともしない様子だ。


 一人が廊下の隅で震える女子生徒に声を投げかければ、その中の一人が泣き声を張り上げて信じられない言葉を発した。



「かぎは、かけてないです!なにもしてない……っ!かぎは、っ、なにもぉぉおっ……!!」


 そうなのだ、鍵は生徒の悪戯防止にと去年中からかけられないようにしたのだ。だから、職員室にある鍵を使わない限りは……。この中の何人の生徒が、そんな馬鹿なことが、と思ったことか。


 俺だってそうだった。

 何が起こっているのか全く分からない。


 けど、何かが、普通じゃないことがこの場で今起きているのは事実。


「誰かが扉を塞いでいるんじゃないのか、おい!いい加減にしろよ!外は凄い騒ぎになってんだぞ!ふざけてないで出てこい!!」


 同学年の柔道部の主将が扉を叩いて声を張り上げる。


 それでも中からは返事もなければ誰も出てこない。

 何も聞こえてこない。


「なにこれ……」

「どうなってんの?」


 文化祭の余韻を楽しむように比較的賑やかに行われていた後片付けだったが、予期せぬ事態に空気は一変。


 大半の生徒が表情を強ばらせていた。


「不審者……?」

「まさか?」

「ねぇ、やばいでしょ、完璧これヤバいよ」

「もしかして……あれかな」

「なにが」

「出ちゃったんじゃないの?」

「出たって……」

「本物が……ほら、よく言うじゃん」

「こういうことしてると寄ってくるって、やつ?」

「そうそう」

「幽霊……!?」

「ほんとに!?」


 誰かの発した一言の所為で、その場がどよめき、空気がおかしな色に染まった。


 不安が、得体の知れないものへの恐怖にすり変わっていく。そしてそれが全体に感染していく速度は凄まじいものだった。


「んな、いるわけないだろ!」

「そうかもしれないじゃん!出たんだよ!本物が!!」

「きっと呼んじゃったんだよ!怒らせたんだよ!!」

「信じられるかそんなもん」

「なんか聞いたことあるよ、こういうのやると、幽霊とか怒るって」

「馬鹿!とりあえず先生呼べ!!」


 かみ合わない会話があちこちから飛び交う。


 恐怖に顔を引きつらせる女子、それを聞き声を荒げる男子、馬鹿馬鹿しいと言ってその場を去る生徒、騒ぎを聞きつけて新たに人だかりの中に加わる生徒、携帯電話でムービーを撮る生徒、動揺する奴らを見て何故か楽しそうな顔をしている生徒。


 色んな奴がいて、誰もがみんな好き勝手に言葉を吐き散らす。

 何が起こっているかなんて、誰一人把握してもいないのに。

 確かじゃない言葉を吐いては、お互いを煽っていく。


 空気がおかしい。


 明らかにこれは混乱の方向に向かっている。

 俺はその様子を冷静に見ていた。

 なにが幽霊だ、と。


 心の中で予期せぬ事態に冷静さを見失い騒ぐ奴らを馬鹿にしていた。


 だが――。



 その中でただ一人、教室の方を静かに見つめ、悲鳴も、不安も漏らさずに、口を結んだまま隣に立っている日向を見た時。


 そんな気持ちがどこかに吹っ飛んだ。

 まるで、こことは別の場所に一人だけいるような。そんな気になる程、奴は俺以上に落ち着いていた。


 誰も馬鹿にしない、この事態を面白がってわくわくしている感じでもない。

 この中で、日向だけが違うものを見ている。


 そう感じたと同時に、奴が一歩前に足を踏み出し。


 赤眼鏡を流れるような手つきで外した。


 さらっと艶のある黒髪が揺れ、外された眼鏡を日向は俺の手に押し付けた。


「先輩、ちょっとこれ、持ってて下さい」


 お前、なにを――。


 言う前に日向が人ごみの中に潜り込んで、前に進んでいく。

 俺はそれを追いかけて、眼鏡が傷付かないように片手を持ち上げながら、生徒達を押し退けていく。


「日向、ちょ、お前どこいく……」


 日向は何も言わずに淀みなく進み。


 遂には教室の扉の真ん前に辿りついた。


 一人だけで教室の扉の前まで出てきた日向にその場の全員が注目し。


 指揮者を前にした演奏者のように、ざわついていた空気が一瞬にして静まりかえった。

 日向が扉に手をつけば、今まで散々開かないと騒がれていたそれが軽い音を立ててスライドされた。


「ちょっと中を見てきますので、暫く誰も入らないで下さいね」


 振り返って、集まった全員にそう告げると問題のその教室に日向は足を踏み入れた。


 眼鏡を外し、怖いくらい落ち着き払った日向の言葉に、誰も異議を唱えるものはおらず、また、日向に続こうとする者もいなかった。


 俺を除いては。


「あ、待て!」


 きっとこの時、殆どの人間が微かな恐怖心を抱いていたんだと思う、教室の向こうは不気味なほど真っ暗で、何があるのか分からない、日向ほど肝が据わっている奴など男子でもいなかっただろうに。


 いたらきっと直ぐにでも、俺は勇敢だといわんばかりに開いた扉の中に入ったはずだ。


 俺も、少しは動揺していたはずだった、けど。

 眼鏡を託され、そのままなにが起きているかもしれない教室に突っ込んでいこうとする後輩を、そのまま見過ごすわけにもいかず。

 扉が再び閉められる前に俺は日向に続いて教室に滑り込んだ。


 真っ暗な教室。

 少し肌寒いのは、これは冷房のせいなのだろうか。


 そう思いながら、まず電気をつけようと、手探りで扉付近の照明ボタンを操作した。


 が。


 いくら押してもなにも点かない、教室は真っ暗なまま。

 壊れてんのか。

 光がなければ何も見えない。俺は扉に手をかけてみた。


「は、……かてぇ!」


 開かない。開かなくなっていた。

 鍵は……ついていないはずなのに。


 それと、気のせいだろうか、外からの音が殆ど聞こえてこない……。


 この時既におかしな体験をしているにも関わらず、この当時の俺はそれを直ぐに怪奇現象などというものに結びつけることができなくて。


 変だと思いながらも、取りあえず先に入った日向に呼びかけながら歩を進めることにした。


「日向ー」


 そこかしこに取り付けられたら暗幕をめくっていく、迷路みたいになった教室にはラジカセなのかわからないが気色悪いBGMが流されている。


 それが女の呻き声のようにも聞こえた。ほんっといい演出だな……。


 歩いていたら足に何かがぶつかった。

 携帯のライトで足元を照らし、よくよく見てみたら、


「げっ――」

 人の生首。


 じゃ、ない。


 あれだ、マネキンの頭の部分だこれ、びびった……。


「勘弁してくれよ……」


 ライトで先の方を照らしてみれば、……おいおい。

 呆れて思わず口が開いた。天井の紐でいくつも吊られたマネキンの頭部。


 どうやって用意したのかわからない赤いペンキまみれの白眼をひん剥いたフランス人形。


 壁には生々しさをこれでもかと感じさせる複数の藁人形。どれも胸や頭に釘が刺してある。


 それでも、オカルトチックなものが溢れているだけであって、教室になにか危険なものが潜んでいるような感じはしない。


 後片付けの中途半端なお化け屋敷だ。


 まさかとは思うが……、あの一年生達は自分達で仕掛けたトラップにビビって逃げてきたんじゃ……。


 ……あり得る……。


 どうせなんかの拍子に落ちてきたマネキンや人形に異常に驚いてパニックになってしまったんだろう。

 考えれば考えるほど、そうなんじゃないかと思えてきた。ただ落ちてきただけなのに、ポルターガイストとか、心霊現象とかって思いこんじゃったんじゃないだろうか。

 もう一度外に出てあの一年生達に聞いてみれば万事解決しそうだなこりゃ。そう判断して、日向を連れて教室を出ようとした。


 そしたら……。



 今度はBGMじゃない、すすり泣く声がすぐ近くで聞こえてきた。


「ごめんなさい……っ、ごめんなさいごめんなさい……、ごめんなさいっ……」


 暗幕を捲って向こう側に移動すると、同じ言葉を繰り返して体を震わす女子生徒が真横にいた。


 歯をカチカチ鳴らして頭を抱えて、何故そんなにも怯えているのか。


 しかもその女子生徒の近くには、床に横たわって気絶している者も居るじゃないか。


 なんだ……、これ。


「なぁ、なにが――」


 しゃがんで、女子生徒に事情を聴こうとするも、彼女は全くこっちの言葉に反応しない。

 だめだ。他に何か。この状況を把握するだけの情報は――


「たずけて……」


 ライトを動かしていたら、真っ白い顔が映し出された。


 短い叫び声を上げる俺。


 流石にビビる。だっていきなり……。

 心拍数が半端無く跳ね上がって顔が熱くなる。


「たず、け、て……うっ、うごけ、ないの……」


 目を凝らして良く見れば、ライトに照らし出された白い顔は俺達の学校の制服を着た一年生だった。


 顔を硬直させ、見開かれた両目から涙を流し。こちらに助けを求めている。


 彼女は何故か、両腕をぶらりと投げ出したまま、古びたパイプ椅子に座っていた。


 座ったまま、動かずに俺の方を見て、錆びた機械のごとく言葉を絞り出す。


 その気味の悪さはさながら本物のお化けのよう。


 あまりにも衝撃的すぎて鳥肌が全身に広がっていく。

 わけがわからないと思いながらも、凄い形相をした彼女の方に俺は近づこうとした。


「先輩、だめですよ」


 強い力で腕を咄嗟に掴まれる。


「うぐっ!?」


 携帯を向けたら、そいつが日向だとわかった。


「お前、なに、なにこんなところで、なにして」


 いきなりぬっと現われて、しどろもどろになる俺より何倍も落ち着いた様子の日向は腕を離して、前に出ていった。


 そして、硬直したまま、たすけてと訴える女子生徒の方に歩み寄り、床に膝をついてその子の手を握った。


「大丈夫だよ……。ゆっくり、ゆっくりでいいから深呼吸できる?」


 鼻水をすする音。


 涙を零しながら彼女は頷いて、言われた通りに必死に呼吸を整えようとする。


「そう、うん、それでいいよ」

「ひゅっ、ふひっ、……ひゅ……」


 手を握っていない方の手を背に回し、ゆっくり撫でながら日向は慰めるように言葉をかけていく。

 すると、だらりとしていた彼女の腕が小刻みに震え始め、開いていた手が拳を作り、強く握りしめられた。


 その瞬間、女子生徒の顔が恐怖の色に染まり、同じタイミングで教室の窓ガラスが不自然に音を立てた。


「う、ぁ、……こ、ぁい……こあい、よ……ぉお!」

「大丈夫、なんとかするから――任せて」


 目を瞑って顔を背ける女子生徒に、日向は笑顔で応えて、体を近づけ。




「そろそろ、離してあげようか」



 独り言のような言葉を呟いた。


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