3
「あ、あの――」
掠れた声を出したら、後ろから肩を掴まれた。
振り返ると、そこには青山さんが。目で俺に伝える。
いいから――。と。
「やめ、ます……」
青山さんの後ろに俺が下がった時、中年男性が蚊の鳴くような声で言った。
「やっぱり……っ、かうの、やめ、ます……っ」
目に涙を溜めて、唇を噛み締め。
体を震わせる男性、それを聞いて青山さんはゆっくり頷き、紙幣をポケットに戻そうとするその手を握って、優しい声で促した。
「その方がいいですよ」
「っ、っう、はい……っ」
「その方が、いいんですよ」
言い聞かせるように青山さんが繰り返せば、男性は震えまくっていた膝を折り、その場で
何があったのかは知らない。何があったのかも聞こうとはしない。それでも。男性が帰ろうとするまで青山さんは手を離さず、しきりに頷き、男性の涙が止まるのを待った。
「お気をつけて」
カウンターに出された商品を全て受け取り、背中を縮込ませて店内から出ていく男性を見えなくなるまで青山さんは丁寧に見送った。
ものの数分の出来事。
だが、店員の俺にとっても、店内に溜まる客にとっても、前代未聞のとんでもない出来事だった。
「冷や冷やしたわ……」
最後の客が店から出て行き。青山さんは声を震わせて、倒された熊の如くカウンターにドシンと突っ伏した。
「は……、マジで俺もビビりました」
俺は膝をがくがく笑わせながら、後ろにあるタバコの陳列棚の方に両手をついた。
「袴田くん、凄い汗よ」
「青山さんこそ、顔ヤバいっすよ」
俺達はお互い真っ青な顔をしていたんだと思う。苦笑いすれば、顔の筋肉が痙攣を繰り返した。
「初めて見ました、俺……」
これから、自殺しようとしている人――。
あの重苦しい雰囲気に、もう何日も安眠していないと言わんばかりの酷い顔。
とても一人じゃ飲みきれない量の酒に、あの商品のラインナップ。
何をしようとしているのか、想像なんかしたくもないが、誰だって分かる。
こんな場所であんなもの買ったら……。
やっぱり、しようとする人は本当にいるんだ……。
そりゃいるよな……、だって此処は、そういう場所なんだから。
数日前に不本意ではあったが、俺はあの場所に踏み込んだ。
本物の死体こそ見なかったものの、似たようなものなら嫌という程見た。
思い出したくないが、本当に酷いものだった。深く踏み込む程、亡者が視界の殆どに映り込んで。その一人一人の姿に、また戦慄した。
死後の姿のまま、みんなその場に留まっているのだ。
樹にぶら下がった男、舌を噛み切った女。
思い知らされた、此処がどんなに恐ろしい場所なのかを。
「袴田くんは、初めてだったわよね……驚いたでしょう」
「え、ええ」
「たまにね、ああいう人がやってくるの。凄く解りやすいから、こっちも驚いちゃうんだけど」
そういう青山さんは、ベテランだけあって、何度か相手にしてきたらしい。
「一応長いからね、数人どこじゃないわ……」
「そう、なんですか」
「ああやって、あからさまに買おうとする人もいるけど、中には色んなものに混ぜて気づかれないようにする人もいるの、でも大体わかるわ……この人おかしいって」
「生々しい話ですね……」
「全部本当の話だからね。此処って、幽霊騒ぎだけの場所じゃないのよ……、そういうのにショック受けて、辞めてっちゃった子もいたわよ、自分が売ってしまった所為でって、思い詰めてね」
「俺……あの時何も言えなかった」
「そりゃぁ誰だってあの瞬間は悩むわよ、申し訳ありません売れませんなんて、堂々と追い返すことなんて、あたし達にする権利なんかないしね」
それでも、黙って見ている気にはなれないわよね。と、青山さんは呟いた。
「袴田くんが気にすることないのよ、あの人も、諦めて帰ってくれたことだし」
俺は、青山さんが今日いてくれて良かったと心底思った。この人がいなければ、俺はもしかしたら、あのまま……。そう思うとゾッとしてしまう。
「さっきの人……、大丈夫っすかね」
「さあ、馬鹿なことだったって気づいて、家に帰ってくれてることを祈るわよ」
「そう、ですよね……」
青山さんが言ったように、やはりこのコンビニが抱える問題は、幽霊騒ぎだけじゃないのだ。
こんな寂しい場所に集まってくる自殺志願者達の中にも、何人かが此処に立ち寄ることもあるのだ、さっきみたいに。時給の高さは精神的に過酷な状況に置かれることに比例していた。
自殺志願者を相手にしなければならない時もあるバイトなんて、誰だってしたくないに決まっている。怪奇現象だけじゃない、そんな事情が絡んでいるから、このコンビニでは人の入れ替りが激しいのだ。
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