第12話 退魔師
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うそだろ……。
「おいって……」
白い顔をした奴は起きる気配がまるで無い。
それもそのはず、丸一日こんな状態でいたのだ。普通に目覚める訳が無い。
死んでいて、当然だ……。
化け物なら別だが。人間だったら、普通死んでる。
鼻の頭を汗が伝っていく。まじで死んでんのか……。いや、八雲はああ言ってたんだ、まだ――。
この時の俺は冷静に程遠い、パニックに陥っていた。
だから、引っ張っても揺さぶっても全く動かない八雲を見て、簡単に
往生際悪く、なにがなんでも足掻いてみせようとしていた。
心臓マッサージ、即ち蘇生だ。
手順はうろ覚えだが、今俺がやるべきことはこれしかない。もうそれしか縋れない。
俺は渾身の力を込めて丸焦げの大木に自身を滑り込ませて八雲を引き摺り出そうとした。
「っ、ぐ!ぐく、くっ、う!!」
尋常じゃない重さが全身を覆う。
駄目だ、この体勢じゃ八雲を下から出してやれない。しかも倒れた木一本にしてもかなりの重さ。俺一人じゃ投げ飛ばすことは愚か、ロクに持ち上げられもしない。
かと言って簡単には諦められない。
俺が生きて此処を出るにはこいつの生存に懸っているのだ。
戻る道はない。少しでも希望があるのなら、無謀な事でもなんでもやってやる。
これ以上ないってぐらいの力を腹の底から発揮させ、背負った大木を上げていく。若干隙間に余裕が出来たがまだだ。
しかし、それを剥がされたからか、意識の無い八雲がごぼっと血の混じった汚水をそこで噴き出した。
「八雲聞こえるか!起きろ……!!」
やばい、流石に重い、腰ががくがくする。
「俺をこんな場所まで引っ張ってきたくせに、簡単にくたばんじゃねぇコラァア!責任取れ!!」
それでも声を振り絞って。しつこく俺は喚きまくる。
叫べば叫ぶだけ焦りが募って声が震えた。
起きろ、起きろ起きろ。
頼む。
死ぬな。
死ぬな。
死ぬんじゃない――!
日向の顔が一瞬浮かんで、消える。
俺が傷付けて、死んだ日向の顔が……。
「八雲――!!」
どんなに叫んでも。
やはり八雲は目を覚ましてはくれない。持ち上げる腕が痺れ、脚の限界だけが迫る。
血管が浮き出る腕に更に力を込め、負けるものかと、脚を強く踏ん張り直した。
その時――。
大木の重みが前触れなく、ずっしりと増して、俺の片方の膝が地に折れた。
さっきまでと違う、なんだこの重さは……。
「え……」
かと思ったら、俺の額辺りに何か湿ったものが触れた。
嫌な予感と共に首を伸ばして上を向く。
俺の額に張り付いたのは長い黒髪。視界に飛び込んできた血走った双眼から目が背けられなくなった。
「――うっ、……ふふっ、ふ、うふ、ふ」
女、……女だ。
俺が持ち上げていた木の上に女が乗っかっている。身を乗り出して覗き込んでいるのか直ぐ真上に顔がある。それも巨大な風船みたいな――あり得ないくらい膨張した醜い顔だった。
「ひぃぁっ――」
女は薄い笑みを浮かべ、絶叫する俺の頭部を鷲掴みにして、鋭い爪を立てた。
重みと、力が抜けるので、大木がぐんと下がっていく。
女の手から逃れようと俺は頭部を振り乱すが、掴む力が強すぎて離れない、寧ろ更に爪が食い込んで痛い。
「いっ、ひょに、ひへ……ぇ」
頭を掴まれて上を向かされ、女の顔を直視させられる。
歯が所々無い口で恐ろしいことを俺に聞かせる。気が付くと、両足にも鈍い痛みを感じた、この状況で確かめようなんて気にはなれない。両足首を痣でも出来るんじゃないかと思う力で強く掴まれている。
多分、何かが絶対そうしてる。想像なんてこれ以上したくない。全身に掛かる重みがまた増す。
どうしてだ。
護符があるから影響は受けないはずなのに、なんで――。
そこで俺は、今さっき派手に転んだことを思い出す。ま、さか……。
あの時に、破れたのか。
それしか……考えられない、じゃなきゃいきなりこんなことになるなんて。
女の力が強すぎて、首の骨が全身に渡る悲鳴を上げる。
こいつ、まさか、折ろうとしているんじゃ……。
「ぁがっ、あ、あ、めろ、ぁめろぉ、っくそぉ!!」
抵抗しても、この前とまるで同じだ、びくともしない。樹海で死んで、長い間留まっていたからなのだろうか、そこら辺にいる幽霊とじゃまるで違う。それとも、この樹海が奴らの力を強力なものにしているのか。
どちらにせよ、このままでは八雲を助けるどころか、俺の首の骨が先に逝く。
なんとか、なんとかしなければ。
そう思っても、両腕は塞がり、足首は掴まれ、頭部も動かないこの状態ではどうすることもできない。
こんな状況なのに聴覚は嫌って程に正常で、聴きたくもない音を拾い続けていた。
何かが近付いてくる音、何かが地を這うような音、呻き声、叫び声、ぼそぼそとしたよくわからない声。
目玉を思い切り動かし、視界の隅を見てみれば。
暗闇から大勢、黒い影たちが一直線にこちらに向かってきているではないか。
樹海に縛られる亡者達は、生者の生気を吸い取り、自分達と同じ目に遭わせようとする。
そうやって何人もの犠牲者を生み出す。そしてその犠牲者が、また次の犠牲者を――。
その意味を俺は身を持って知った。こんな奥深くに入り込んだ俺は、まさに格好の餌食。奴らが無視できる存在ではなかった。
集団で動く肉食獣の如く、亡者達はゆっくり近付き、もう直ぐそこまで来ている。
出発前の竹中さんの心配そうな顔、あやめさんの言葉が頭を過る。
でも、もう何もかもが、遅い。
嫌だ、来るな、来るな……。死にたくない……。
俺はまだ死にたくない――!
こんな終わり方、嫌だ――!
なにも出来ないまま、終わるのは――。
パニックが限界値を超えた。
遂に全身から全ての力が抜けて、女が圧し掛かる大木に俺も押し潰された。
腰が抜けて、落ちてくる大木と地面に挟み込まれる。
終わりを覚悟して強く目を閉じる――。
次の瞬間、衝撃が受け止められた感覚がした。
確かに樹は重く俺を潰している、が、地面には……挟み込まれていない。
微かに隙間がある。
なんで……、俺は全身の力が抜けて、この大木を支えている力はどこにもないはず……なのに。なんで――。
鼻水を啜り、恐怖を殺して片目を薄く開けてみる。
「――!」
大木の下からはみ出したもう一本の腕、そいつが、力強く大木を受け止めて、隙間を維持していた。
そして、その支えている腕の持ち主は。
「や、八雲ぉお……!!」
咳き込み大量に汚水を吐き出しながら、それでも驚くべき力で木を押し上げ、奴は双眼を大きく見開いた。
気がついた――!
「っ、っぐぉおぉ、ぉおおおおおおおおおおっ――!!」
奥底から声を捻り出し、八雲は体勢を整えながら、両腕を用いて大木を持ち上げようとする、俺があんなにも苦戦していたというのに、奴の馬鹿力で木はめきめき上がっていき、隙間に余裕が生じていく。
俺もそれに加勢して、邪魔なそれを押し退ける。
「ふっかつじゃぁぁあああああああ――!!」
二人してゴリラみたいな奇声を上げて、遂に俺達は大木の下から這い出ることに成功した。
八雲は血塗れ傷だらけだが、それでも口元を拭い凛々しい顔をして、地面に尻を着く俺を力強く引っ張り上げてくれた。
こいつ、本当に蘇りやがった。
「いやぁ助かった!よーやっと元通りや!」
「おッ、おま、おまァアア!!」
漸く取り戻した体を捻ってストレッチする八雲の両肩を掴み、俺は半ベソで思いの丈を訴えた。
「のやろぉお……!死んだかと思っただろうが!!」
「いやー、ほんま申し訳ない!これでも結構危なかったわ!!」
「結構どこじゃねぇ!本当に俺、全部諦めかけたんだぞ!!」
「かんにんやで、でもあんちゃんのお陰で助かった!メッチャ感謝しとるわ!!」
あんちゃんがいなけりゃ、ほんまにくたばっとったわ。と、笑いながら洒落にならないことを言い、八雲は転がっていた釘バットを拾い上げた。
八雲が完全復活を果たしたのは喜ぶべきことだが、忘れちゃいけないのがこの状況。木に張り付き、さっきまで俺を苦しめていた女を含め、そこかしこに無数の悪霊達が溢れかえって俺らを取り囲んでいるのだから。
「どうすんだ八雲」
どうやって逃げる。
臆して一歩下がる俺に、八雲は何故かケタケタ笑いながら、こう応える。
「逃げる?……いいやその必要はない。俺が一体残らず、ぶっ飛ばす……!」
口端を鋭利に吊り上げた八雲は、逆に俺の一歩前へ出た。
「ゆーたやろ、俺はプロの退魔師。悪霊をあるべき場所にぶっ飛ばすのが仕事や。こっから先は……大船に乗ったつもりで、どーんと俺に任せたってくれや」
今まであんちゃんが体張ってくれた分、俺も張らない訳にはいかないと。
「よくもぎょうさん恥かかせてくれたな、揃いも揃って情けねえツラしやがっておんどりゃあ……」
八雲はぬかるんだ地面に足を使って何かを
「耳の穴かっぽじって良く聞け亡者共!日本随一の退魔師、八雲 茜が今から全員漏れなく三途の川までカキーンと飛ばしたるから!!覚悟しぃや――!!」
悪霊の大群に怯みもせず、死にかけていた人間とは思えない獣のような咆哮をかまし。奴は勇ましく、現状を見据えた。
自信に満ちた背中。
凛とした声。
八雲の放つオーラに全身がビリビリする。
「って……、ハタチになってもこういう中二っぽいこと言っちゃう俺って……なんか恥ずかしいな」
「そこで照れるのかよ!!」
がくっと前につんのめった。
頼むよ、こういう場面だろ、締めろよ、締めてくれよ。お笑いにしなくていいから。ガツンとお前が言う退魔師の力を見せてくれよ……!
「あーはいはい、せやな、仕切り直し、仕切り直し!」
頼むよお前。
俺何もできないんだからよ。
「あんちゃん、びっくりして腰抜かすなよ」
仕切り直しという言葉通り、八雲は真剣な顔付きに戻り懐に手を突っ込んだ。
出てきたのは奴のパーカーよりも赤い、血の色をした怪しい紙の束を二つ。八雲はそれを宙に向かって高く高く放り投げた。
「な――、んだこれは」
ばらばらになって空に舞う数多の紅い紙。八雲が地に描いた印を一度だけ大きく踏んで叫ぶ。
八雲が叫べば、宙に舞った紙達が一斉に形を変え、姿を成し、一枚一枚が同じ様に――“折り鶴”へと
口をぽっかり開け、夜空に繰り広げられる奇術に、俺は釘付けになる。
こんな摩訶不思議なこと今まで見たことあるだろうか。紙が空中で勝手に姿を変えるなんて。
こんなことが、これが、退魔師ってやつなのか。
これが、八雲の力――。
これならば。状況を打開できるかも、
目を疑いたくなる光景ではあったが、妙に納得し俺は、目を見張った。
しかし――。
折り鶴達が宙を優雅に舞い出したその直後――どうしたことか、力を無くしたが如く重力に従い真っ逆さまに墜落し出した。
あれ……。
とそこで思ったのは俺だけではないらしく。
「あり?」
へにゃへにゃと降ってきたそれらを見て。八雲も首を傾げて声を上げた。
なにかがおかしい。
「俺の式神が……」
「八雲……」
「あ……、あー!あああー!!」
「どうした!!」
しまったと口に手を当て叫ぶ八雲。
次の瞬間とんでもないことを奴は口にした。
「あかん……、前日の雨で紙が濡れて、これじゃ使いもんにならん」
やっちゃったよ。という顔をしてこっちを見てくる奴に、俺は拳を振り上げずにはいられなかった。
「お前やっぱドジっ子だろ!?」
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