6
分かり合える人も、理解してくれる人もいない。そして家族にさえ、気持ち悪いからそんなことを言うなと否定され、八雲は突然目覚めてしまった力の所為で、寂しい幼少を送っていたようだ。
「信じて貰えないって。やっぱかなり辛いもんか……」
「そりゃな……、ガキん時やったから余計にってのもあったけど。視えるんはそのうち嫌でも慣れて平気になった。でも、嘘吐きって呼ばれるんは……何回言われても、慣れんとこがあったわな」
「そう、か……」
「でもな、嫌なことだけやなかったで。こんな俺にもダチが出来た。そいつらが初めて俺を信じてくれた、嘘吐き呼ばわりせんかった……。すげぇ嬉しかったんや、たった一人でも信じてくれる奴がおるんは、ほんまに救われることなんや」
笑って応える八雲は本当に嬉しそうな顔をしていた。
「だからかな、……この力を上手く
「お前、凄い奴だな」
「ん?何が?」
「だって、普通いきなりそんなもんが視える人生になっちまって、んな前向きになんかまずなれねぇよ、お前凄いよ。俺は……そんな何十年も、堪えられない」
慣れる気なんてしない、これからずっと死ぬまでこのままだなんて、そんなの、嫌だ。
「俺も最初は、同じこと思っとった」
「笑っていいぞ、こんな年になってもガキみたいにビビってんだからな」
「笑えねェよ。誰だって最初は受け入れられんわ。でも安心しぃや、その力、ずっとそのままっていうことも無いんや、ある日突然パッと消えたり、徐々に視えなくなっていくっていうのもあるんやで」
それ本当か。
「条件かはわからんけど、前例を知っとる」
「出来れば、早いうちに消えてくれるといいとか思ったりする……」
「ハハ、まあ此処でバイトしとるうちは無理やろな」
「……そうだよなぁ」
小学の頃から幽霊やらを視てきた八雲でも、余裕綽々で自ら心霊スポットに足を踏み入れるのだ。
消えなくとも、最悪慣れる見込みはあるのかもしれない。いやでも、慣れたくないけどな。
そこで、また八雲がいきなり立ち止まる。今度はなんだ。
突然止まるからすり抜けてしまった。
「なに止まって……」
振り向いて言いかける、と……。今まで流暢に喋っていた八雲の様子がおかしいことに気がついた。ゲラゲラ笑って、歩を進めていた奴は、頭からペンキでも被ったんじゃないかと思うぐらい、顔面もなにもかも真っ赤に染まっていて。目を大きく見開いて、彫刻のように固まっていた。
最初に現れた時と同じ悲惨な状態と全く同じだ。
「八雲……!?」
一体何が。
「……近い」
「は!?」
目から口から赤を滴らせて言った短い言葉に俺は驚愕しながら声を張り上げた。近いって……なにが……。
「俺がぶっ倒れた場所……、そうだ、思い出した、俺は――」
その先を言う前に、何がそうさせたのか奴は頭部を抱えて激しく痛みを訴えた。
「ど、どうしたんだよ!おい!」
「あの時の激痛だ。多分……、場所が近いから……!っ、いてッうう……!!」
その瞬間、奴の姿が大きくブレて、なんだか、透けていたのが一層透明度を増したというか。上手い言葉が見つからないが、視えている奴の全体が少しだけ消えていっているように視えたのだ。
「おい、しっかりしろよ……!」
幽霊に痛覚は存在しないかと思っていたのに、目の前の八雲は痛みに打ち震えながら、荒い呼吸をしている。
「ヤバい、なあ……」
「なにがっ、なにがヤバいんだよ」
「ちっとばかり、タイムリミットが迫ってるみたいやわ」
「タイムリミットって……、それは」
「ああ、本体の方がかなり限界きてて、幽体の俺の方も……、この霊磁場に取り込まれ始めとる」
「なんだよ、それ」
「此処で死んだ奴はみんな、成仏できん足枷をつけられとる。せやから留まっちまうんや、俺も、此処で死ぬことになるんなら、そう、なっちまう……。今丁度、そうなろうってとこみたいや……、これじゃ、ほんまにミイラ取りがミイラやんな……」
「弱気なこと言うなよ……なんとかなんねぇのか!」
「解決法は、逸早く体に戻ることやねんけどな……。けど、あかんな、磁場の力が強すぎて、かなり引っ張られとる、このままじゃ、近いうちに俺も、悪霊に……」
おい、それ、かなりまずいってことじゃないかよ。
「そうかも」と、返す八雲。呑気な言葉とは逆に苦しそうな表情で、必死に抗っているようだった。
「そうなったら、自我が無くなって、あんちゃんを、元の場所に戻せへん」
「こんな時に他人の心配してんなよ!――おい!」
そのうち見ていられないぐらい、八雲は苦しみ、叫び声を無理に噛み締めた声を上げる。
どうする、俺はどうすればいい。恐怖を和らげてくれた八雲の異常事態に、俺は再び冷静さを失っていく。そんな時だ。
タイミング悪く、嫌な事は立て続けに起こる。周りの空気が明らか冷たくなった感じがした。後ろから不自然に風が吹き抜け、森全体をざわめかせる。
八雲が地面に片膝をついて忌々しげに呟いた。
「あかんわ、来るな……」
今にも消えそうな状態で、木々の向こうの暗闇を睨み付ける。それが何かに向かって威嚇しているように見えた。
「あんちゃん……頼みがある。こっから今直ぐ、離れてくれ」
それは逃げろってことか……!?
「説明してる暇は……ない、今からもの凄くヤバいもんが来ようとしとる。そいつを直視したらあかん」
「もの凄く……ヤバいもん」
「俺がこないな姿になっちまった原因や。そいつはそこら辺にいる雑魚とは比べもんにならん。人間霊やない、この場所に集った恨み妬み怒り、人間の汚い感情が折り合い重なって生まれた存在、多くの人間を引き摺り込む連鎖の大元、諸悪の根源や。普通に生きている人間が視たらそれこそ精神やられてまう。あいつは超ド級に危険な存在や、護符も多分効かん、俺がなんとか足止めする。せやから……!」
早く行け。と、そう奴は繰り返した。
「あんちゃん、この先に黒いバンがあるはずや、そいつを探せ、そんで思いっきり叫べ、そしたら直ぐに駆け付ける……!」
「お前!」
「躊躇してる暇ない!行け……!」
怒鳴られて、俺は苦しむ八雲を見ながら戸惑うも、それでもこの場にこれ以上留まろうものなら本当に洒落にならないことが起こると察して、何度か振り返りながら、地に膝をついて動けなくなった八雲を置いてその場から離れた。道無き道を。力の限り駆け抜ける。今直ぐになんとかあいつの本体を探してやらないと、本気でヤバい。その危機感だけが信号となって俺という人間の全機能を動かしていた。
心許ないライトの明かりだけを頼りに。汗を拭う暇もない、立ち止まってしまったら、きっと恐怖で竦んで二度と走れなくなる気がした。此処で命を経ったと思える亡者達が何度か視界に飛び込んでくるも、俺は叫び声を上げながらパーカーのポケットの護符を握り締めて、やり過ごした。
枝と一緒に揺れて白目を剥いた女。地面に転がって薄笑いを浮かべる男。口から大量の血を流して、半分千切れた舌を出して、手を繋いで樹の根元に並んで座っている男女。頭の半分がぱっくり無くなっている、岩の上に投げ出された老人。
嫌という程に此処で死んだ者達を視た――。俺は走りながら涙目になる。
なんで俺今こんなところにいるんだろう。次第に情けない気持ちでいっぱいになる。
俺、なにやってんだろう。湧き立つ後悔の念。確かにああは言ったさ。赤の他人でも人が死ぬってのが胸糞悪いから俺は此処まで乗り込んだ。最初は勘弁してくれよと思ったが、協力してやらなきゃ絶対後々嫌な思いをするから、自分が楽でいたいからという自己中心的な理由で八雲に手を貸してやった。人助けがしたいっていう理由なんかじゃない。全部、自分が後悔したくないからだ。人生に邪魔なもんを作りたくないから。
けど。けど、けど、けど。
一時のテンションに任せて、こういう選択は簡単にするもんじゃない。世の中には適材適所って便利な言葉があるんだから。
この時、改めて思った。
心霊スポットに平気で行こうとするカップルは馬鹿だって。そして、自分で決めたことなのに大声で叫びながら涙目で樹海の中を走り回る俺は、もっと大馬鹿だって。
胃の奥がずくりと痛んで、喉の奥が跳ね上がる。もう自分がどこに向かって走ろうとしているのさえ分からない。命綱代わりのビニール紐はいつの間にか切れていて、鞄の端でぷらぷら跳ねている。
俺はもう後に戻ることが出来ない。前にただ進むしかない。草に顔を掠ろうが、枝にぶつかろうが、前に前にともがくように走る俺は。自分でも滑稽すぎて、猪突猛進のイノシシに思えた。
必死になっているうちに、俺は下に意識がいかず太い樹の根に足を取られて、思いっ切り地面に転がった。
地面から剥き出しになった石に頭を打ち付け、ぬかるんだ土の上に放り出され。ますます虚しい気分になって、もうどうにでもなれ、と自棄になりながら軽く出血した頭部を押さえて弱々しく体を起こす。
顔を上げた途端、冷静になった。さっきまでと場の雰囲気が違う……。
相変わらず頭上には枝葉が犇めき合って夜空すら見えないが、いつの間にか俺は少し開けた場所に出ていた。
樹がそんなに密集していない代わりに、周りを大木が固めている、広い場所。
派手に転んで顔や膝、至るところが痛んだが、なんとかまだ動かせる。
懐中電灯を掴んで拾い、俺は警戒しながら辺りを照らす。
そこらへんのホラー映画なんかより百倍怖い。時折背後から不自然に吹いてくる風に何度も心臓が止まりそうになる。ライトが何かを映し、反射した光に飛び上がるが、直ぐにそれがなんだか分かった。
車……、車があるぞ……。
かなり高いところから落下してきたみたいな、土や埃塗れの車体が殆ど崩壊しているワンボックスタイプの汚い軽自動車。窓ガラスが酷く罅割れて車中までは良く見えないが……こんな場所で見るスクラップ同然の車は相当気持ち悪い。
誰かが乗り捨てたとは思えない。何故こんなところにこんなものが。
ていうか、待てよ……。これ……。黒のバンじゃないかよ……。
顔がみるみると引き攣っていく。八雲は言っていた、黒いバンを探せと。
じゃあ、まさか……、此処に……。
バンの周りを怖々調べ、辺りを照らし、俺は人の形を探した。焦りながら今度は車体の裏にまわり込み、ライトを持つ手を伸ばした時。
心臓が一際大きく叫んだ。
みつ、けた……。
丸焦げになって荒々しく倒れた痕跡を残す大木に、文字通り下敷きになって倒れている。赤いノースリーブパーカーを纏い、長い髪を地に乱した、うつ伏せ状態の人を。
「や、――」
放り出された腕の近くに転がる真っ赤な釘バット。
二つの瞳を閉じて、前日の雨の影響か泥と血だらけの顔をした八雲に俺は滑り込むようにして駆け寄り、呼びかけた。何度も、体を揺すって。
「おい……!おい!聞こえるか!しっかりしろ!」
呼んでも奴はピクリともしない。全身に怖気が走る。
し、し、……死んでる……。のか……。
混乱の果てに爆発して今にも飛び散りそうな思考を必死に動かす。そうだ、息を、息をしているか確かめろ。
奴の口元に慌てて手を当てる。
「……」
おい。これ。
息、…………して……ない。
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