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 青年は床に頭をつけて土下座し始めた。

 冗談抜きで切羽詰まった様子が見てわかる。

 詳しい話を聞けば、崩れてきた大木に巻き込まれ、甚大な衝撃を受けた所為で彼の精神は体から離れてしまい、現在進行形で仮死状態。辛うじて命は繋いでいるものの、このまま放っておけば確実に死に至る。

 そこで奴は俺と共に体のある場所を探す為に、あの樹海に一緒に入ってくれと俺に頼み込むのだった。


「冗談じゃない」


 全然笑えない展開だぞおい。樹海って、あの樹海だろ。

 コンビニ周辺の、あの雑木林を抜けてもっと奥深くまで入った。素人が無茶して入れば、戻れなくなると言われる無限の迷路。

 そして……、年間で数多の人間が命を投げ捨てに来ると言われている、自殺の名所。あんなところに行けだって。

 想像しただけで身震いしてしまった。コンビニにいるだけで凄いのだ、あんな濃厚な負のオーラ漂う場所に赴いたら、今の俺はどうなってしまうのか。きっと何十では留まらない、何百といるだろう。それだけじゃない、多分恐らくなかには、霊とか以外に……本物が転がってたりぶら下がってたりするかも……。


「ふっ、ふざけんな!そんなとこ行けるわけないだろ!だ、だ、第一なんでそんなとこに入っていったんだよ!普通しないだろ!お前自殺志願者か!?」

「そんなんとちゃう!仕事や、仕事で入らにゃならんかったんや、そしたら思った以上に手間取って……、返り討ちに……いや、違う!ヘマしたんや!そや、ヘマしただけや!」


 ヘマして死にかけるって……。

 それより樹海に入らなければならないってどんな仕事だよ。


「まあ、自営業兼、裏稼業やさかい、サツとか……あんまり公にされたらあかんのよ」


 マジでどんな仕事なんだよ。


「つっても自分の命がかかってんだろ!?形振り構ってらんないだろ!」

「せやけど……、まだ死ぬと決まったわけやないし」

「こんな一般人に助け求めるんなら、警察にしとけって、確実に助かる。電話するぞ」

「うわ、ちょぉ!待っとくれや!!警察に動かれっと後々面倒で……つか生還したとしても家に帰れなくなるってか」


 ……お前は犯罪者なのか。


「それが嫌なら諦めるんだな、悪いけど、俺はテコでも動かない。危険なのはマジで御免だ」

「ん、な」


 俺はただのコンビニ店員で。一度顔を合わせた訳のわからない客に一緒に樹海に入ってくれと頼まれて、快く手を差し伸べてやるほど慈悲深くはない。


「悪いけど、……変なことに巻き込まないでくれ」


 遠回しに死ねと言っていることになるんだろうか。見ず知らずの奴とは言え、こんなことを言って我ながら悪い奴だと思った。

 俺は落ち着く為に煙草に火を着けて吸う。出来ることなら助けてやりたいが、条件が悪過ぎる。こんな時間に、しかも全く太刀打ちすらできない俺が幽体離脱状態のこいつと樹海に入るだなんて、自殺行為もいいところ。ヘタしたら俺も死体となって樹海に転がることになりそうだ。

 俺だって自分の身は惜しい、最近が散々過ぎて、特に自分のことは自分で守らなければと強く思っている。目の前にいるこの青年が、今、危機に直面していて、誰かの助けが必要なことぐらい、嘘じゃないっていうのはわかる。けど、俺じゃなければだめだということはないだろう。

 こんな俺じゃなくて、他に助けを求めれば応えてくれる奴はいると思う。

 登場の仕方は選ぶべきだが。


「そら、そうやろな……」


 拒んだ俺に激昂するかと思いきや、青年は小さく笑って申し訳なさそうに顔を上げた。


「確かに……、いきなし現れて、俺の為に樹海に入ってくれって。言ってること無茶苦茶すぎるわな。俺が一人でドジ踏んだのに、他人に助けてもらうなんて甘すぎたわ。わりーなあんちゃん、迷惑掛けて、許したってや……」

「お前……」

「昼間、必死こいてテメェの体探しとったんやけど見つからんくて、ツレがおるんやけど、そいつがなかなかどーして方向音痴で、今どこにおるんかわからんくて、代わりに俺に力を貸してくれそうな人って考えてたら、あんちゃんの顔が思い浮かんだんや、昨日俺にタオルをくれた、あんちゃんが……」


 どうしようもなく、あてもなく。俺ならばもしかしたらと思ったのだと言う。


「うん。でも、やっぱテメェのことやからな、テメェで後始末せんとな」


 邪魔したな――。

 そう言うと青年はどんどん薄く透け始めていった。まるで消えていくように。


「おい、……」

「明日の夜、もう一度コンビニに顔を出しに行く。その時、もし……俺がコンビニに来なかったら、そん時は……悪いがサツに電話したってくれや」

「そ、それって」


 その先を言う前に、青年はニカッと笑ってみせた。


「なに、その可能性はほぼ無いに等しい。明日の夜、またコンビニで会おうぜあんちゃん」

「一人で、大丈夫なのかよ」

「他に頼りがないんや、まあなんとかなる!こんな修羅場ぐらいかいくぐったる!」


 死にかけているというのに、自信満々に何を言っているんだ。そう言ってやろうとしたら、青年は本当にこの場から消えようとしているのか、もう上半身まで完全に消えていた。


「おい!」

「じゃな、あんちゃん」

「おいって!お前……」


 待てよ。と、そう言った時にはもう遅く。霧のように、跡形もなく。青年の姿形は綺麗さっぱり視えなくなった。

 行ってしまったのか。


「本当にもういないのかよ」


 呼びかけても返事はない。気配もしない。

 やはりそうだ。あの青年は一人樹海に自分の体を探しに戻ったようだ。

 今起こったことが現実離れし過ぎていて、俺はしばし呆然としていたが、いくら待てどももう一度青年が出てくる気配はない。


「……」


 取りあえず……。気分を少し変えよう、窓を開けてもう一服することにした。

 僅かだが涼しい夜風が入ってくる。

 煙を適当に吹き出しながら、俺は夜空を見上げた。

 あいつ、どうなるんだろうか……。

 ちゃんと無事に生還して、明日の夜に本当にコンビニに訪れるだろうか。

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