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もし、現れなかったら。それが意味することは……。
って、なに首を突っ込もうとしてるんだ俺は。
心配しているのか?あいつを?
悪い感じのしない奴だったけど、あいつはただの他人。
俺には、そうだよ……関係無い。
もとはと言えば自分から樹海に踏み込んでそうなったんだし。あんな無茶ぶりいきなりされて、頷けるはずがない。断って正解だったんだ。
青年には気の毒なことをしたが、俺にも俺の人生ってもんがある、危険な目には分かっているなら遭いたくない。
青年もちゃんと納得していたことだし。
そうだ、いいんだ、別に俺は。
別に、俺は。
三本目の煙草に火を点ける。
しかし、どんなに時間が経っても気分が良くならない。寧ろもやもやしたままだ。考え出したら止まらなくなる。
いいや、考えるな忘れろと言い聞かせようとしても。どうもだめだ、気になる。
「っー、クソ」
煙草を灰皿に押し付け窓の縁に頭をくっ付ける。
ああは言っていたけど、大丈夫なわけがないだろ。
体の方がまだ生きていたとしても、樹海に人間が一人、しかも酷い怪我を負っているのだ。
誰かの助けを借りずに無事に帰ってこれるのか。
何をしようとしていたのか知らないが。
あいつは、純粋に俺に助けを求めていた。それだけは分かる。
それを、俺は……。
けど自分が言ったことに対して否定もできない。俺だって怖いのだ。
助けてくれと言われたってそれ程力になれる自信はないし、最近、少々臆病になっているのも正直なところ。
だからと言って、青年をあのまま立ち去らせてしまったことに対して、少しばかりの申し訳なさを感じていないわけではないのだ。
俺が竹中さんのように、もっと余裕があって力があれば。「よっしゃ、じゃあ助けてやろう」と、頼もしく言えたのかもしれないが。
俺に頼みに来たのがそもそもの人選ミス。
そう思えばちょっとは気楽になるかと思ったが。もやもやは晴れることなく、逆に罪悪感の芽が俺の胸の内で顔を出し始める。
『悪いけど、変なことに巻き込まないでくれ』――。
なんて、嫌な奴だったな、俺……。
余裕綽々ではあっても生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされている奴に、もっと気の利いた言葉をかけることは出来たはずだ。かけてやるべきだった。
これじゃあ、あいつにあの時吐いた台詞と同じ様なものだ……。
日向を突き放した時の言葉と……。
明日の夜。あいつがコンビニに来なかったら。俺の所為になる……、のかも。
俺が助けてやらなかったから、俺が、見捨てたから。
見捨てた。
そうだ、当然のことだ。
助けを求めてきた奴に消えてくれと言って、見捨てたんだ。俺。
自分が嫌な目に遭いたくないばっかりに。
人を、一人、見捨てた……。
日向の時と、同じように。
信じてくれと言われて、突き放し。見捨てた。
同じだ、同じ、展開じゃないか……。
夢で日向が吐いた言葉が俺の中で回り始める。あの青年も、俺を怨むのか。
助けようとしなかった俺を。
胸の辺りに吐き気ではない嫌な感じが渦巻く。
もっと、よく考えるべきだった。
混乱していたのもあった所為で、判断が甘かった。
……ちゃんと考えろよ、どんなに危険だからって、行きたくない場所だからって。
人一人の命が懸ってんだぞ。
あいつは頼りが俺しかないって言っていた。
だったら、俺が力を貸してやらなければ、あいつは……。
例え見ず知らずの人間だったとしても。死ぬのは重すぎる。
数日後、朝のニュースで見覚えのある写真と共に、死体発見だなんてトピック見たら。それこそ一生のトラウマもんだ。
俺は時計を見るなり立ち上がる、もう直ぐ深夜一時。うだうだはしていられない。早い方が良いに決まっている。
正義感なんてのは生憎持ち合わせちゃいない。ただ、これが放っておけるレベルじゃないってことだ。
助けなければという気持ちは無い、けど、俺の一言で人が死ぬのはもう沢山。
大木の下敷きになって今も必死に命を繋いでいるあの青年の姿が脳裏に過る。
「待ってろ……」
今、行ってやる、俺が……!
「――ほんまか!あんちゃん!!」
とりあえず懐中電灯を探さなければ、そう思い立ったと同時に、天井から逆さ吊りの状態で、眼前に青年が現れた。
「どぅううううううおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
お決まりのパターンである。
「袴田さぁぁああああああああんん!?うっっっるさいよぉおおおおおおお!!」
再び上の階にやってきて深夜だというのに金属みたいな声を張り上げる大家さんに何度も頭を下げてやっとのことで帰した後。
俺の布団の上の辺りに足を思い切り崩して座っている青年を俺が睨みつけたのは言うまでもないこと。
こいつのお陰で俺は一体、何度心臓が止まりそうになったことか。
「どういうことだ、説明しろコラ。いなくなったんじゃなかったのかよ」
「やー、ひょっとしたらワンチャンあるんやないかと思って、実は気配消して密かに待っとったん」
あんちゃん見た感じ良い人そうやったから。
ニシシと、してやったりという顔をする青年の首を出来ることなら締めてやりたいが、今俺がそうしようとしても多分すり抜けるから無理だ。
幽体離脱状態だっていうのに、こいつこの状況で幽霊の気分を存分に味わってやがる。
「さて。聞くけどあんちゃんほんまにええのん?」
「あ?」
「ほんまに見ず知らずの赤の他人の俺に力を貸してくれるん?」
両腕を頭の後ろで組んで青年は問う。
「あんちゃんも分かってはるとは思うねんけど、樹海って一般人には結構キツイもんやで、しかもあの場所は普通とはちゃう、人を悪い方向に持っていくオーラが充満しとるさかい、あんちゃんが危険な目にもしかしたら遭うかもしれん、頼んだのは俺やけど、無理強いはしたくないねん」
「あんだけ必死に頼んどいて今更引くのかよ」
「一般人はなるべく巻き込みたくない主義やから」
「じゃあお前は一般人じゃないのかよ」
どっからどうみてもそこら辺にいそうな若者じゃないか。
「そいつは、まー後で説明するわ」
なんだそりゃ。
「俺としては有難すぎるんやけど、やっぱリスクが高すぎるっつーか」
「おい、ぐちゃぐちゃ言ってる暇なんてないんだろ、一分一秒でも早い方がいいんじゃないのか」
「せやねんけど」
なんだよこいつ、俺が行ってやるって言ってんのにまだ他に言葉を挟みたいみたいだ。
「正直な、正直に言わせてもらうとな。行きたくない、めっちゃくちゃ行きたくない。樹海なんてまっぴらだと思ってる、百万円でもくれんなら入るの考えるけど、お前は百万円なんてくれなさそうだし、ここでお前の言うとおりにする俺はかなりのアホで損な奴だと思うぜ。こんな見ず知らずの奴にそこまですることないって、本当は思ってんだ」
「そりゃごもっともな考えですわ」
「けどな、見ず知らずでも俺が手伝ってやんないとお前死ぬかもしれないんだろ?もしかしたら、かもしれないけど。俺が此処で助けてやらないでお前が死んだら、俺はかなり後味が悪い。お前はなんか余裕ぶってるけど死ぬって重いんだよ。お前が俺に声をかけた以上、お前の死は無条件で俺にも圧しかかってくる」
怨まれるのが怖いんじゃなくて。
また同じ過ちをしてしまうんじゃないかというのが。怖いんだ。
日向と、そしてこの素性も知らない他人の死、二つ分の重みが圧しかかった時。
俺は、どうすればいいのか。
「そ、そんなに深く考えとったんかい……、なんか、すまんことしたな……」
「押しかけてきた後に謝んなよ、くそったれが」
「むむ……」
「俺じゃ多分力なんてのにはなれないとは思うけどな、お前の本体探したら救急車くらい呼んでやるよ、本当それぐらいしかできないけどな」
使いもんにならない俺の前に現れたのは完全にお前の人選ミスだから。
「それでもいいなら連れてけよ、俺はもう開き直る、今月はあれだよ、変なことに巻き込まれる月間だよ。もういい……もう諦める」
「あん、ちゃん……!」
俺が深い深い溜め息を吐いたその後、青年は長い前髪から覗いたキツイ吊り目を気持ち悪いぐらい潤ませる。
「なんて良い人なんや!ほ……、惚れたわその寛容さと男気にっ!」
……寛容さ?男気?え、違うよ、全てを諦めただけなんですけど。
「ほんまに俺の本体一緒に探してくれるんか」
嬉しそうに体を前のめりにして何度も俺に訊いてくるから、それがうざくて顔面パンチしたらやっぱりすり抜けた。
「げっ、やっぱ通り抜けんのかよ」
「協力してくれる人がおるんはやっぱり心強いわ!おおきにな!あんちゃん!この恩は一生忘れんわ!」
青年は嬉しそうにそう繰り返す。
もしかしたら、彼は今まで心細かったのかもしれない。
それをわざとヘラヘラして隠していたのだろうか。
「おっしゃ!俺の命あんちゃんに託したる!」
おいちょっと待て!その言葉重過ぎ!そんな重いもん任せるな!
「そんかしあんちゃんの身の安全は俺が保証したる!絶対にな!」
「保証って、お前幽体離脱状態だしなんもできないだろ」
「まー基本的にはな、けどこんなでもちっとは役に立つで」
「は?」
「特に樹海に入るからには俺がおらんと多分あんちゃん無事に脱出できへんと思う」
なんのことを言っているのやらと思ったが、ここで下らない話をしている時間は無い。非常に不本意ではあるが、俺はこれから人命救助の為にあの樹海に踏みこまなければならなくなってしまったのだ。
軽く着替えを済ませ、鞄に持てるだけの荷物を詰め込むことにした。
ロープ、はないから、荷造り用のビニール紐を二巻き。
水と、マッチと、戸棚にあった缶詰めをいくつか。
方位磁石って確か狂っちまうんだよな……、うちにそんな気の利いたもんなんか初めからないけど。
軍手と、虫除けスプレーと、あと、なんだ、動き易い靴?
「遠足のしおりじゃないんだからよぉ……」
もう既に薄々自覚はしていた。
これ、俺、かなり面倒なことに首突っ込んでるって。
思えば思う程、顔が引きつっていく。
……あ、そうだ。懐中電灯、懐中電灯どこだ。
震える手で押し入れ漁るも、肝心の懐中電灯がみつからない。
うちになかったか。懐中電灯。
「そういやお前、まだ聞いてなかったけど、名前なんていうの」
振り返って、布団の上で寝ながら俺の準備待ちをしている青年に訊ねる。
いつまでもお前ってのもあれだしな。
此処で会ったのも何かの縁。名前ぐらい聞いておいてもいいだろう。
俺が言えば、奴はそういえばと頷きながら、体を起き上がらせ。
そこで初めて名乗った。
口端を吊り上げ、ニヒルな笑みを浮かべながら。
「俺の名前は
これから、よろしくな。あんちゃん――。
透けた片腕が俺の前に差し出され。
最悪の夜が始まった。
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