3

 根拠なんか無い、単なる思い付きだった。

 無知な己を心底恨む。こんなことなら竹中さんか平井さんのどちらかに霊を追い払う術を学んでおけば良かった。


 割り箸刺した白飯ぐらいで霊が成仏するかよ、冷静になって自分の馬鹿さ加減に泣きたくなってきた。


 がっくりと肩を落とせば、その血塗れ男は。


「ま、まぁ……よぉわからんけど、気ぃ落とさんといて、なぁ?」


 とかなんか慰めてくる。

 畜生、霊に慰められるとかどうなってんだ。


「……なあ、あんちゃん、ちょっとずつでええから話聞いて欲しいんやけど……。俺んこと、まだ覚えてはるよな?昨日の夜、俺があんまんこうて、あんちゃんがタオル渡してくれたこと」

「ああ……覚えてるよ」


 簡単に忘れられる記憶じゃないからな。


「そっか、良かったわ……、もうあんちゃんしか頼みがおらんさかい」


 時間が経って、少しずつだが今まで振り切れていた恐怖のメーターが下がっていく。


 それは多分、この霊が関西弁で、今まで見てきたどの霊よりも良く喋るから、それが怖さを和らげているのだと思うが。


 視覚的には相変わらず恐怖を煽る要素があり。

 やっぱり俺はまだそいつが怖くて仕方無かった。

 いつまでも顔を強張らせたままでいれば、血塗れ男は顔を顰めて口を尖らせ俺に急接近してきた。


「なんやのん、あんちゃん。あんちゃんも一応視える人間なんやろ?いつまでビビってんねん、別に珍しくもないやろ?」


 ……それを言う前にまず鏡で自分の顔を見てくれ。


 そう伝えれば、奴は何かに気がついたかのような声を出し。気不味そうな顔をして俺から離れて、両手を合わせた。


「わ、悪ぃ悪ぃ、つい忘れとったわ。そりゃ怖がられてもしゃーないわな、ほな、今なんとかするさかいな」


 そう言って、ぐっと目を閉じる。


 別に何か特別なことをする素振りは見せなかったが、途端に彼の体から傷や滴っていた血液がじわじわと、逆再生するように消えていき、ものの数十秒で綺麗さっぱり、血塗れ男は普通の青年の姿に戻った。


 と言っても、相変わらず少しだけ透けてはいるのだが。


「こんなもんでどや?もー怖くないやろ?」

「すげぇ……」


 確かに、だいぶ怖くなくなった、気がする……。

 霊って自由に血を引っ込めたり出したりできるんだな。


「いんや、別にそういうんやのうて、ただちっと正常時の自分をイメージして戻してみただけやねん、出したり引っ込めるんとはちゃうなあ」


 良くわからない話だが。どうやらこいつは俺に悪さをしにきた感じではないらしい。

 しかし、そうでなければなんだと言うんだ。


 疑問がいくつか浮かび上がる。


 昨日来た客、こいつは、確かに昨晩のうちには透けてもいなければ、足もちゃんとついていた。店長と二人でしっかり確認した。


 それなのに今は下半身の方が薄っすらして、全体的に透けている。


 多分俺が手を伸ばせば、空気のように通り抜けるだろう。

 本人が言うように、この青年は間違いなく昨日あのコンビニに来た。


 と、いうことは……。


「お前……、死んだのか」


 そうか、そういう……ことなのか。

 ああ……。どうやらこの青年は、あの後、出血多量でのたれ死んだらしい。


 そりゃあの状態だ、死んだっておかしくない話だったんだ。


 なんてことだ、俺達も他人事みたいに結局なにもしなかったが、あの場でやはり救急車を呼んでいればよかった。


 どんな悲惨な結果を迎えたかは知らないが、あんな姿だったんだ、恐らくはバイクから転落して、そのまま……。


 俺は今出来る精一杯のこととして、丁寧に胸の前で手を合わせた。


「うちに線香なんて気の利いたもんなんてないけど……。とりあえず、御愁傷様……」

「いやいやいやいや!!勝手に殺すな!!」


 ぼきっと、飯に刺さっていた割り箸が勝手に折れた。

 え、何これ、念力……!?


「殺すなって、そういうことだろ」

「俺はまだ死んでへんわ!」

「立派に透けてんじゃねえかよ」

「す、……透けてるけどもな!でもまだ死んでへんのこれでも!」

「知り合いに聞いたことがあるんだ、不慮の事故で死んだ霊はみんなそういうこと言うんだって」


 わからせてやった方がいいのかな、でも俺じゃどこまでやれるか高が知れてるし。これは専門家に電話で聞いてみるべきなのか。


「だぁぁあ!まだ死んでないゆーとるやんけ!言ってみりゃ仮死状態や!」

「仮死状態、え……それって文字的に死んでるじゃん」


 ほっといたらキレ出したけど、見た目が普通に戻ったお陰でそんなに怖くなかった正直。


「だから!分かりやすく言うと、今の俺は幽霊やなくて、死にかけて肉体から離れちまっただけの幽体や」

「幽体……幽体離脱ってことか……?」


 瀕死の状態なんかでよく起こる現象、精神が肉体を離れて動き出すっていう。


「まあ、そんなとこや」


 胡坐を掻いたまま腕組みをして、うんうん頷く青年。


「なんか複雑なことになってるな」

「ああ、今世紀最大の一大事や」

「の割には結構冷静だな」

「じたばたしてても始まらんしな」


 意外と肝は据わっているみたいだ。


「で、その幽霊モドキのお前が、何しにこんなところに」

「やぼったいこと聞くなやあんちゃん、決まっとるやろ」


 垂れた前髪の隙間から鋭い眼差しを向けて、奴は言った。


 あんちゃんに用があるからや――。


 ああ、そう来ると思った。

 追い出す前に、せめて話だけでも聞いてやろうということで。


 昨日の夜まで肉体を持っていたその青年に、あの後一体何があったのかと問いただした。


「話すと長くなるんやけど……」


 本当に長かった。

 その話を要約するとこうだ。


 青年はある事情により、あの樹海の中を探索していたらしい。


 その探索していた理由は一般人には到底理解できない内容らしいので伏せられてしまったが、釘バット片手にどこぞの賊とやりあっていたわけではなかったようだ。


 探索中に思わぬアクシデントに巻き込まれ、危険を察知し一旦コンビニの方まで戻ってきた奴は、その時、俺達と接触したのだ。


 なんとか一息つき、仕事再開ということで、手負いのまま再び樹海に潜り込むも、今度は突然襲いかかってきた雷雨に苦戦。


 そして――。



 最大級の落雷が直撃し、折れて倒れてきた大木に巻き込まれて、下敷きになり……。


 彼が覚えているのはそこまでだという。


「残念だったな」

「いや、残念の一言で終わらせてくれんなや!」


 でもよ、話聞く限りだとそれ、もうやばいんじゃないのか。


 仮にその時点で運良く即死を免れていたとしても、落下してきた大木に下敷きにされれば生身の人間なら身体ダメージが半端無いはずだ、加えて既に大量の血を流していたわけだから、体力的にはかなり厳しい。


 現実的に考えて。数時間ならまだしも、もう丸一日経とうとしているんだ……。


「覚悟はしといた方がいいと思うぞ」


 俺は額に手を当て少し唸ったあと、自宅の電話を取った。


 こういう場合は病院じゃなくて、警察なんかなぁ……。


「おい、ちょい待ち。どこにかけるつもりや」

「どこって……警察。遺体捜査してもらうんだよ」

「警察!?……遺体捜査!?」

「それが一番手っ取り早いだろ」

「俺はまだ生きとるわ!つか待て、警察は……あかん、警察はあかんて!」

「あ!?そんなこと言ってる場合じゃないだろ!?」

「いや……あんま大事にはしとうないっちゅーか」


 なあ、充分大事だと思うのは俺だけなのか。


「こっちにも警察沙汰にはなりとうない理由ってのがあるんや」

「どんな理由だよ」

「そいつは、その…………」


 言うしかねぇかな。と小さく呟いたのが聞こえた。


「なぁ、あんちゃん……、俺はあんちゃんに、あることを頼む為に此処に来た」


 あんちゃんにしか頼めないことだと、そいつは胡座を掻くのをやめて、俺の目を真剣に見つめた。


「あんちゃん、こんなこといきなり言うんは、ひっじょぉぉおに悪いんやけど……ちと……俺の探し物に付き合ってくれへんやろか」

「断る」

「即答かい!」


 声の大きさといい、タイミングと良い。ナイスな突っ込みだ。

 だが。


 俺はこの男の頼みごとを聞いてやるわけには絶対にいかない。


 最近はこれでもかと言う程厄介事がどんどこ舞い込んでくるからな。

 出来ることなら事前回避したい。


「頼むわあんちゃん!俺の体一緒に探してくれ!」

「生々しいこと言うな!絶っっ対に嫌だ!」

「そんなこと言わんといて!はよせんと腐ってまう!」

「ますます生々しいだろ!」

「頼む!頼むわほんま!無理を承知で言っとるんや、ほんまに助けてくれ!!これでも俺めっちゃ困っとるんや!!」

「そんなこと言われたら俺の方が困る!無理だ!俺には無理!」

「そこをなんとか!最期に発した言葉が『あんじゃこりゃあああああああああ!』じゃ恥ずかしすぎて俺泣いてまう!!」

「わ、すげぇダセぇその最期の台詞」

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