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 干からびたコンクリートに染み渡るように雨水がぽつぽつと落ちていく。


 それは数分も経たぬうちに次第に強さを増し、あっという間にバケツをひっくり返したような豪雨となった。


 お陰で客足は完全に途絶えてしまって。

 俺達は店内の点検をしながら、木々を激しく揺さぶる暴風と、凄い音を立てて地面を叩く豪雨が治まるのを静かに待った。


 土砂降りの雨が生き物みたいに唸りを上げてガラスを叩く、雑木林の木々が倒れそうなぐらいに風に煽られて、何故か見ていて冷や冷やした。


「やあ、いきなり来たね、多分朝には治まると思うけど」

「あの木倒れそうですよね」

「細いのは倒れるだろうね」


 夏にこういった嵐がきて、木々が倒されるのは珍しくないと店長は言う。


「道路塞いじゃう時もあってさ、でも大抵直ぐに業者さんがどかしに来るから心配ないよ」


 それから一時間経っても、雨足は一向に弱まらず、天候は荒れ続けた。遂には雷鳴まで轟き始め。その音の大きさと、間隔の狭さからなかなかの近さだと推測できた。


「停電するかもね」


 懐中電灯を用意する店長。

 外は最早大洪水で、雨水を遮断する為に一旦全ての戸や窓に鍵を掛けた。

 たった数時間でここまで荒れるなんて。天気予報でこんな台風が来るなんて言っていただろうか。――と、そんなことを思っていたら。

 外の景色が一瞬にして眩い光に包まれた。


 強いフラッシュ。次の拍子には轟音というよりも爆音が全体に響き渡り、それに少し遅れて地鳴りが鼓膜を刺激した。


 何が起きたのか分からなくて、思わず体が強張った。


 店内の蛍光灯がぶちんと数十秒ぐらい落ちて、点滅を繰り返す。


 ごぉおおぉおおんと、雑木林の中で一際でかい音が響いて消える。


 そこでやっと、雷が落ちたことを把握した。


「結構近いところに落っこちたみたい」


 すげぇ、雷が近くに落ちるとああいう風に見えるんだ。迫力がハンパない。

 店長が言うには恐らく落雷は樹海の中に突っ込んだらしい。


「多分あの音だと倒れたね」

「まじっすか」

「大丈夫、此処から近いけど木だから」


 木が一本倒れようが此処ではたいした被害にはならない。

 樹の海とも呼ばれるくらいだからな。

 直に通り過ぎるよ。店長のその言葉通り、およそ数時間で嵐は去っていき、明け方にはすっかり晴れてしまった。


 今日一日はまたカラッと暑くなりそうだ。

 道路の所々に枝やら葉やらなんやらが転がってかなり汚い状態になっていたが、幸い転倒した木が道を塞いでいるということはなく、俺は難なく家に帰ることができた。


 あー、ねみい。

 どうせ昼間暑くったって、俺は夕方まで眠りの世界に旅立っていることだろう。


 カーテン閉めて扇風機回して、せいぜい寝やすい環境を作るとしよう。


 自宅に着くとどっと疲れが出て、そのまま軽くシャワーを浴び、一番快適と思える超薄着で布団に倒れ込み、俺は眠った。


 ◆◆◆


「800、……20円になります」


 ただひたすらレジ打ちをしていた。


 今日は変な日だ。こんな時間帯だってのに客が後から後から入ってきて、俺の目の前には長蛇の列。


 一人が出て行けばOLや会社帰りのリーマンがぞろぞろ入ってくる。


 なんなんだろうか、今日はどっかで飲み会でもあったのか?


 機械みたいにレジ打ちをして、袋に詰めて、お釣りを渡しての繰り返しで、だけど客足は途絶えなくて。おいおい、この列一体どこまで続いてんだよと、顔を上げて列の長さを確かめようとした俺の視界に、見覚えのある顔が飛び込んできた。


 日向、だった。

 どういうことだ。

 なんで日向が、列に……。


 そう思ってもう一度列を見るも、見間違いなんかじゃない、五人目の後ろに、青白い顔をして口から血を流す日向が並んでいた。


 思わず手が止まる。

 列に並ぶ日向、一人だけ、その場にいる人間達とは違う存在みたいな日向。

 日向は俺に目を合わせると、奴らしくもない、不気味さを感じさせる笑みを浮かべて、遠くで口を動かして何かを言った。

 俺は客に急かされて、レジ打ちを再開する。

 釣銭を渡して、一人が出て行き、列が詰められる。

 俺は手を止めたい気持ちでいっぱいになった。

 客を一人帰す度に、不気味な笑みを浮かべた日向が俺に近付いて来るからだ。

 一人帰って、また一人。

 日向はもう直ぐそこまで来ている。


 逃げたい、怖い。


 そう思っても体が言うことをきかなくて、手が勝手にレジを打つ。

 遂に日向が列の最前列に来てしまった。俺は声も上げられず、目を見開いていた。


 日向は何も持っていなかった、カウンターには何も置かず、変わりに両手をついて体をいきなり乗り出してきた。


 視界いっぱいに日向が映る。


 血走った目をして、口を三日月みたいに吊り上げて。

 俺を見た奴は、こう言った。


「絶対に許さない」


 そこで目が覚めた。

 夢だった――。

 嫌な夢だ。尋常じゃない量の汗が額を流れていく。


 扇風機の風を感じないのは、寝ぼけて俺がスイッチを切ってしまったからだろう。どうりで暑いわけだ、この部屋一体何度なんだ。


 真っ暗な部屋。ああ、思い出した……。

 そういや夕方四時頃に、勝手に遊びに来ていた妹に起こされてソーメンを茹でさせられたんだっけ。

 そのまま俺もソーメンを食って、腹が満たされ、またうとうとしながら布団に戻って、見事に二度寝を決め込んでしまったらしい。


 どうやら妹は帰ったみたいだ。外も暗いし今は夜か……。


 汗がじっとり滲む額に手を当てて、目を閉じる。


 夢の中までバイトをしているなんて、どんだけ仕事熱心なんだと、俺は声を出して小さく笑ったが。本心までは笑えなかった。


 日向が出てきた。

 しかも。

『許さない』と俺に言った……。


 今のがただの夢だなんて思えない。

 昨日の墓参りの時と同じ。

 日向は血を流して俺の前に出てきた。

 血は、痛みの象徴。


 今までのこと全部が偶然とは思えない、今の夢も。


 許さない――。


 おぞましいくらい憎しみの籠もった声。

 脳内再生されて、額の汗がまたひやりと伝い落ちた。

 その時。


 直ぐ枕元に人の気配がした。

 電気もなにも点いてない部屋。

 夜風が微かにカーテンを揺らす。

 妹……、なんだ、まだいたのか……。

 暗闇に慣れてきた目で真横を向くと。


 そこに居たのは。

 妹……………………、


 じゃない。


 黒髪の、長い……。

 女。


「――」


 だらんと髪を垂らした長い髪の女、枕元に突っ立ったまんま俯いて俺を見下ろしていた。

 冷静なのは此処まで。


 頭が真横に立つ者を解析不能と判断すると、途端に心臓が豪快に跳ね上がって。


 息をすることを忘れ、俺は真横に佇む者から目を逸らせなくなった。


 頭の中が真っ白になっていく。


 だ、誰……。

 と思った次の瞬間、耳元で苦しそうな呻き声が聞こえ、俯きながら俺を見る髪長の女が何かを言ってきた。



「…………れ……」


 垂れた髪の間から、見開かれた目で俺を見つめている。


「た……、す………け……」


 俺は叫んだんだと思う。

 自分の悲鳴の全てを聞く前に、目が覚めた。今度こそ本当に。


 煌々としたライトの光。つけっぱなしのテレビ。首振りで動く扇風機。

 だるくて仕方ない体を布団から起き上がらせて俺は辺りを見回す。


 今のは……夢……。

 そう認識して俺は脱力した。夢でも嫌だ、けど夢で良かった。

 これ以上ないくらいの悪夢だ。俺は目が覚めたと思ってもそのまま夢を見ていたのだ。

 相当疲れてるな……。タチの悪い夢の所為なのか全身汗でべとべと、時計を見れば零時を少し過ぎていた。

 どんだけ寝れば気が済むんだ俺は、生活リズム崩壊しまくりもいいところ。それよりも、電気もテレビもつけっぱなしで妹の奴帰りやがったな……、あの野郎。

 いつも消してけって言ってるのに。

 今日はバイトが無いからいいものの、流石にこんな不規則な生活をいつまでも続けてはいけない。昼と夜が逆転したって寝る時間はきっちり制限しないと。そう何度も生活基準を正そうとするも、毎回ソーメンしか食べる気になれないんだから救いようがない。

 昼を軽めにしか食べていなかったから、流石に腹が減って、俺は布団から這い出して、台所で適当にソーメンを茹でることにした。あー麺つゆ麺つゆ。

 コンロ下の戸棚から麺つゆの瓶を取り出して、冷蔵庫から麦茶を……。


「――」


 素早く後ろを振り返る。

 特に意味は無い。

 ただなんとなく。本当になんとなくなのだが。

 今、後ろに何かいたような……。そんな気がして。

 なんだよ……さっき見た夢にまだビビってんのか?


 あれはただの夢だっていうのに。何を怖がっているんだ俺は。


 最近変なことが立て続けに起こっている所為だきっと。日を増すごとに歪に形を変えていく日常に俺は少しずつストレス溜め始め、些細なことにも過敏に反応するようになっていた。


 持って生まれたわけじゃなく、ある日突然そういう能力に目覚めてしまったわけだが、俺も竹中さんや平井さんみたいに平然として何事も冷静に受け止められる日が、来るのだろうか。


 この能力はいつか俺の中から消えてくれるのか。

 これから一生ついてまわるものなのか。

 非日常的なものを、全部当たり前のものだと……俺は。


 茹であがったソーメンを水切りして皿に盛り、折りたたみ式のテーブルに夜食を置いて、御馴染みのメニューにさして食欲も湧かないが、それでも口に運ぶ。


 深夜のテレビはバラエティが丁度始まって、お笑い芸人と今流行りのアイドルが賑やかなBGMと共に登場したところだ。

 このアイドル好きじゃないんだ……。

 もさもさ口を動かしながら適当にチャンネルを変えていく。

 深夜アニメに、ニュース、いくつかのバラエティ、海外ドラマ。

 何を観ようか、なかなか気を引く番組が見つからない。


 と。


「あ……、なんだ……?」


 天井の蛍光灯がいきなり点滅して。部屋の中が薄暗くなる。

 接触不備か、俺は立ちあがって適当に触ってみる。

 それでも蛍光灯は点滅を繰り返して、消えたり点いたり。

 おかしいな、この間新しいものに取り換えたばかりなのに。


 なんで……。


 変に思いながら、ソーメンを口の中に放り込んだら。

 今度はテレビの画面にノイズが走った。


「う!?」


 カラーだったのが白黒になって、なんの前触れもなく激しく揺れる。

 思わず箸を取り落としそうになった。


 故障にしてはタイミングが悪過ぎる。ライトにしろテレビにしろ、なんだこれは。


 これは……、ただの接触不備とかじゃなくて、まさか……。

 そこまで考えそうになって、俺は身体を乗り出し、渾身の力を込めてテレビをブッ叩いた。


 ブブッ、ブー。とおかしな音を立てたテレビは、俺がしてしまったことで本当に壊れてしまったのか、砂嵐の画面になってしまった。


 蛍光灯はいまだに不具合を起こし続けている。

 変なことは更に起こる。


 俺の耳元、それか脳内からなのか、低い機械音みたいな音が聞こえ始めた。

 音はずっと伸び続けて、鳴り止まない。


 回っていた扇風機が、いつの間にか止まっていた。


 蒸し暑かった空気が、どうしてかひんやりとしてきた……。

 この現象……。

 前にも一度似た様な体験をした。

 これは、なにか嫌なことが起こる。

 前触れ。


 バチンとテレビが消えたのがその時。

 ライトが一定のリズムで点滅する。

 テレビの音が消え。

 しんとしているはずなのに、耳鳴りと、だんだん焦りと不安を増幅させていく俺の心臓の音とで、辺りがやけに五月蠅く感じた。


 覚悟はしていた。したくなんか無かったが。絶対にこれはもうそういうパターンだと思った。


 足掻くこともせず、ただ静かにその瞬間を待った俺だったが。

 いざ出てこられると。もう駄目だった。

 冷静さなんて保てる方がおかしい。

 慣れることなんてきっとこれから先ない。


 一気に薄暗く落ちたライトの証明。

 テーブルを挟んだ向こう側。俺の正面に。

 長い黒髪を垂らした血だらけの女が現れた。

 顔ははっきりと見えない。だが、前髪の隙間から片目だけが覗いて。


 その女は恨めしげに俺を見つめていて。


 目尻、顎、首筋から。鮮血の筋が伝っている。

 日本のホラー映画の定番とも言えるようなその容姿。


 そいつはまさしく、俺が見た夢に出てきたやつだった。


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