3


 店長とコンマ級の速さで視線を合わせて直ちに離す。


 思ったことは同じなはず。

“なにこの客”と――。

 目の前の長髪血塗れ釘バット男の額からゆっくりと赤い血が流れる。

 気付いているのかいないのか、ないってことはないと思うけども。

 この強面顔であんまん下さいとか言っちゃう前に。

 行く場所他にあると思う。いや、行かなきゃならない場所が。


 確認するため、俺はそいつの足元を凝視するも、ちゃんと足はついてるし、透けてもいない。

 だとすると……、本物だ……、やっぱり。

 マジでどうしたんだこの人。

 なんで頭から血出してんだ、どこでやりあった。


 ていうか、人殺してないよなこの人。

 手に持ってるそれ明らかに凶器だよな。


 喧嘩?事故?事件?


 やばいどうしよう、超こわいんだが。

 勘弁してくれよ。なんで俺が夜勤の時にばっか変なこと起こるの。


「あの、……」


 なにジロジロ見てんだよ、とでも言いたげな顔で血塗れ男は俺を睨み立てる。

 いやいや、自分の格好鏡で見てみろよ、ビビらない奴の方が凄いだろが。


「あ、っと、あんまん、あんまんですね……」


 そこで店長が助け舟を出してくれた。

 そそくさとケースから丁度一個のあんまんを取り出し素早く袋に入れて差し出す。


「120円になります」

「……」


 小さな袋を受け取り、パーカーのポケットから二百円を取り出して。俺の手に押し付ける血塗れ男。

 そのまま釣銭の返却も待たずに出口へ向かう。


「あの!お客様お釣りがまだ!」


 店長が言ってもレシートと釣りを貰う気がないのか、振り向きもせずにそいつは外に出ていった。


「な、なに今の人……」

「血……出てた」


 俺と店長は店から血塗れ男が出ていった瞬間顔を見合わせそれはもう派手に震え上がった。


「「こっわ……!!」」


 この間の暴走族の残党か、でもあんな奴紛れていなかったよな。

 それじゃなくたってどうしたらあんなことになるんだ。

 あの客に一体何があったんだ。


 厄介なことに首を突っ込むべからず。

 この間の件でそれを学習したんだ、変なことに関わりたくはない。

 血塗れ男は店の外に出ると駐車場のコンクリートブロックの所に座り込んで買ったあんまんに齧りついている。

 そんなとこに座ってないで今直ぐ病院行け……!!


 こんな時間だとしてもあれなら充分急患として扱ってもらえるはずだ。


「なんなんだろうね、あの人」

「俺が知るわけないっすよ」

「事故にでも遭ったのかな……」

「ああ、車に突っ込まれたみたいなカッコでしたよね、あれ」

「車……ならいいんだけどね。人、殺してきたとかさ……」


 なんて言われたら、外にいる男が殺人犯に見えなくもなくなってきた。

 なにこの恐怖体験。


「ああ……やだなぁ、外行きたくないなぁ……」


 え。それ遠回しに俺にゴミ出し行けって言ってんの?このバーコード。


「俺だって遠慮したいんですけど、最近ヤンキーに絡まれる率高いんで」

「袴田君、『年功序列』って言葉知ってる」

「俺の辞書にはそんな言葉載ってません」

「つれないなぁ……僕店長なんだけど」

「そんなとこで店長の権力振りかざさないでください」


 暫く続く、俺と店長の嫌なことの押し付け合い。


「店長、あの人に足、ありましたよね」

「うん。あったあった」

「あー……」

「ははー……」


 死んだ人間もそうだが、生きている人間もそれはそれで怖いものがある。

 ましてやあの釘バット……、想像したくないが絶対人殴るためのもんだろ……。というかもう殴ってきたっていう可能性も……ああああ嫌だ嫌だ嫌だ!


「じゃあさ、こうしよっか……。僕が裏にゴミを捨てに行くから、袴田君は、……はい」


 店長はバックヤードの棚から出した綺麗なタオルを俺に手渡す。


「なんすかこれ」

「あの男の子に渡してあげて」

「はぁい!?」

「まぁ……一応お客様な訳だし、とりあえず渡すだけでいいから」

「渡したら絶対俺絡まれるパターンじゃないっすか!?」

「いやでも、こういうのもサービス業だから、放っておけないでしょ」

「いや、あれは放っておくべきだと思うんですけど!身の危険を感じます!」


「大丈夫だよ店は一緒に出るから。怖くないから、何かあったらセコム押せばいいから」


 …………。


「っ……た、頼みますよ、セコム」

「うん。任せて、セコム」


 俺達はお互いの身の安全を祈って親指を立てた。グッドラック!


「――ッああ゙!?……ってめ!どこやないわ、樹海や例の樹海!この方向音痴が!お前こそどこほっつき歩いとんねん!はよう来ぉへんとしばき倒すぞくらァァアーッ!!」



 店を出ると血塗れ男が携帯電話片手にキレまくっていた。

 イキのいい関西弁でまくし立てる彼は、どうやら電話の相手に大そうご立腹。


「アホが!これが怒らんといられるかっちゅーの!!」


 血に濡れた前髪をかき上げて怒りを露わにしている。とてもタオルです、使って下さいなんて言える状況じゃあない。


「完全に舐められとるわ!あいつら俺をハメて崖から落としやがった!!」


 崖……って今聞こえたけど……。

 落とされたって……。


「袴田君、あとは頑張って」

「い、っ、店長!」


 逃げるように店長は裏に向かった。

 店長こんにゃろー!やっぱ俺一人で行くなんざ酷だよ!


「ああ?……俺?たわけ、生きとるわちゃんと。ええから、はよこっち来いや。瘴気が濃すぎて俺一人じゃなかなかはかどらん、お前がおらんと今回は流石にヤバいかもしれん。ああ……、ああ、直ぐな、……迷うなよ……おう」


 血塗れ男はそこで携帯電話から耳を放して通話を終わらせた。

 で、顔を上げたそいつと俺の視線ががっちり合ってしまったのがその時。


「なに見とんねん」


 ムスッとした表情に低い声。

 眼力すげぇ、今にも噛み付いてきそう。

 ああ、もうこれ何度目。

 これだから最近の若い奴って……。


 しかし相手は怪我人、俺の手にはタオルと十円玉が八枚。


「あ……の、これ、良かったら、止血に使って下さい」


 内心ビビりまくりなのを隠しながら、彼の前にタオルを差し出す。

 あー、逆ギレされるかなぁと思っていたら、意外にもそいつはすんなりと俺からタオルを受け取った。


「あ。…………すんません、じゃ、使わせて貰います」


 軽ッ。


 迷わずにタオルを広げて額の辺りをゴシゴシし始めた。

 数秒前まで怒りを露わにしていた人間が、なんだこの変わりよう。

 タオルを顔に押し付けて、「あ」と、声を上げてそいつは少し気まずそうに俺を見る。


「洗って返した方がええですかね」


 いい……。返さなくて良いから。

 変なとこ律儀だった。


「それから、さっきのお釣りです」

「あ、ども……」


 釣り銭も渡し、ノルマ達成。


「ぷはぁー、あー。あんちゃんおおきにな、ちっと楽になったわ」


 血をタオルで拭き取った青年はすっきりしたのか、俺に礼を言ってニカッと笑ってみせた。

 案外常識があるみたいだ。絡まれる心配が無くなってほっとする。

 止血が完了しても青年の体は良く見ればそこら中に擦り傷や切り傷、どこで作ったのか見当もつかないような傷があった。

 彼は此処に来るまで本当に何をしていたのだろう。

 怪我の数々、会話の内容からして加害者ではなさそうだけれど。


「余計なお世話かもしれないけど、病院行った方がいいですよ、なんならここで救急車を……」


 そう言えば青年は、きょとんとした顔になりバットをバットケースの中にしまい。それを肩に担いで立ち上がる。


「心配してくれておーきに、あんちゃん。せやけど俺まだ仕事の途中やさかい、今病院に世話になるわけにはいかんのや」


 血を吸ったタオルを適当に首に掛けて、傍に停めてある、これまた真っ赤なスポーツバイクに跨った。


「また此処通りかかったらタオル返しにくるわ、……ほな」


 言って、奴は颯爽とその場を後にした。


「あれ、帰っちゃったの?」


 謎の血塗れ青年がコンビニを去ってから直ぐに店長が戻ってきた。


「なんか仕事があるとか言ってどっか行きました、タオルは今度通りかかったら返すそうです」

「へ、へぇ……、別にいいのに、直ぐ病院行ってくれるといいんだけどね」

「さあ……。でもあんまん食う体力はあったみたいですし」

「仕事って…………なんだろうね」

「か、考えるのよしましょうよ」


 なんか怖い。


「とりあえず、後で僕周辺見てくるから、なにかあったら110番しようか」

「はい……」


 嵐のような予期せぬ事案に気圧されて、俺達は暫く冷や汗を浮かべていたが。


「あ」


 ふと、店長が掌を空に向かって広げる。


 落ちてくる大粒の雫。

 雨だ――。

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