2
なにか思っているのなら、俺の前に出てきてなんか言ってくれよ。
笑ったっていい。わたしの気持ちが分かったでしょう?と罵ったっていいさ。
あんなに純粋なお前を、俺は、……。
「――ねえ、先輩」
突如、背後から響いた。
「どうして…………」
聞き覚えのある声に驚いて振り向けば、俺の直ぐ真後ろに。
長い黒髪、丈が膝まであるスカートにセーラー服。
赤いフレームの眼鏡。
綺麗に切り揃えられた前髪。
幼さの残る顔に、どこか不安げな表情を浮かべた。
日向が立っていた。
「どうして……、あの時、わたしを信じてくれなかったの」
日向……。
「先輩なら、信じてくれるって、思ってたのに、な……」
あの時と何も変わらないままの姿で俺を見ている彼女。
日向……日向なのか。
「わたし……悲しかった」
そう言った日向の額から、ツーと、赤い血が零れていく。
何本も、何本も、佇む日向の額から、血の線が……。
ごくっと息を呑み、なんの前触れもなく眼前に現れた後輩に、俺は恐怖を感じて後退りをする。
しかし。
ただ一度、瞬きをした瞬間。
彼女は俺の視界から消えてしまった。
「日向っ……!!」
呼び掛けても、どこにもいない。
辺りを見回して、探しても、そいつはもう見つからなかった。
がらんとした墓地に俺の声が木霊するだけ。
涼しい風がその場に吹き抜けて、額の汗を乾かしていく。
なんだったんだ……今のは。
日向、だったのか。
本当に、日向が……。
俺の呼び掛けに応えたのか……。
『わたし……悲しかった』――。
いや、日向じゃなきゃなんだっていうんだ。
俺は墓の前で拳を強く握る。
あいつは、あの頃のまま……、まだ、この世に未練を残しているのか。
『先輩なら、信じてくれるって、思ってたのに、な……』――。
やっぱりあいつは、俺のことを……。
「っ、く……」
俺はどうすればいい。
何をすれば、日向、俺は許されるんだ。
教えてくれ。
教えてくれよ――。
いくら心の中で呼んでも、それ以上、奴は俺の前に姿を現す事は無かった。
ほんの数秒だったが、くっきりと俺の前に姿を現した日向は俺に充分過ぎる程の衝撃を与えた。
日向が俺に言った言葉が、あの表情が離れなくて、心にぽっかりと穴が開いてしまったみたいだった。
◆◆◆
「袴田君?具合でも悪いのかい?」
コミケで不在の平井さんの代理で入った店長に顔色を窺われるも、俺は適当にごまかした。
この人もこの人で意外と鋭いから厄介なんだ。バーコードのくせして、くそ。
「最近夏バテで、ちょっと食欲ないだけですよ、主食が最近ソーメンになってて」
「そうなの?いやー、ダメだよ若い人はちゃんと食べなきゃぁ」
だから夏バテなんだってば……。
「ふー……」
「本当に疲れてるんだね、だいじょうぶ?」
「大丈夫っすよ、体力だけはあるんで、ぶっ倒れない程度に働きますよ」
って言っても、客足の途絶えた店内でつっ立って、清掃と発注と検品と、たいしたことしないんだけどなぁ。
そうそう。あの猫の一件から、ヤンキー共がぱったり姿を見せなくなった。
あんなことがあったんだ、下っ端共も相当ビビってたし。曰く付きは本当だったと今頃怯えている頃だろう。こちらとしては万々歳だけど。
最近は騒がしさがすっかり消え、深夜帯は久々に静かになった。
「今日は何も起きないといいねぇ」
「そういえば店長も視えるんですよね」
「少しだけね、見かける程度」
「そ、すか」
「袴田君、あれ視たことある?女子トイレ」
「え、いや、ないですけど……?」
「たまに深夜に掃除で入ると、扉開いたところの上から女の子が逆さ吊りで出てくるから気をつけてね」
「はい!?」
「年は、中学生ぐらいなのかな……たまに出るから」
「は、はぁ」
「おどかしたいだけらしいんだけどね、だから平井さんも竹中君も何もしてないけど」
「そうなんですか……」
「それから、たまに」
店長は店の入り口付近にある『ATM』を指差す。
「そこの『ATM』が勝手に喋り出す時があるんだけど、あんまり気にしなくて良いよ、怖いかもしれないけど。一人じゃない時は滅多に喋らないから」
「う……」
俺はカウンター越しに見える『ATM』から距離を置くべく少し離れた。
「それから……」
「ああもういいです!」
放っておいたらこのコンビニに纏わる怪談百連発でもおっ始めそうだったので、俺は耳を塞いで店長にやめるように訴えた。
「暑いから、涼しくなるかと思って」
「そんな涼しさ求めちゃいません!」
全く。
そんなの聞かなくとも、俺は毎日凄いもん視てんだよ。
足の無い男。首の無い子供。下半身だけの女。どれも皆、客とも呼べないこの地に留まる彷徨える存在。
嗚呼。頼むから、今日は変な事が起こりませんように。平和が一番だよ、何事も。あー、お願いしますよ。今日は店長と二人っきりだから不安はいつもの倍と言っても過言ではないのだ。
祈っていたら、自動ドアが開いてチャイムが鳴った。客だ。見た感じ、二十代くらいの若い男が一人。
そいつは入って来るなり店の中を周りもしないで、つかつかと前のめり気味に歩き、俺のレジの前で止まってこう言った。
「……あんまん下さい……」と。
こいつ……。どうしたんだ。
それが一番最初に抱いた感想だった。
確かにニコニコマートは年中無休で中華まん類は販売しているのだけれど。この真夏に、このクソ暑いのに、わざわざこれを好んで買っていく奴はこの夏に入ってから一人も見たことが無い、しかもスタンダードな肉まんでも、ピザまんでも、カレーまんでも、今夏の新商品『トロピカル☆フルーツまん』でもない。
あんまんをチョイスするというイレギュラー。
普通だったらこの部分に店員として内心突っ込みたくなるところだ。
が。
突っ込むべきところはそこじゃない。
この暑いのにわざわざこんな場所に来て、ほかほかのあんまんを欲しがるところとか、突っ込むべき点はそこだけじゃ留まらないのだ。
深夜一時頃。
訪れた一人の客、推定年齢二十程の若い男。
この間コンビニの前で好き勝手やってくれたヤンキーに劣らぬ程の鋭い吊り目に、肩まで伸びた長い黒髪、目元にうざったそうに垂れ下がる長い前髪。フード付きの赤いノースリーブパーカー、黒のタンクトップ、だぼだぼのダメージパンツ。
スレンダーではあるものの筋肉質な体型。
見た感じはどこにでもいそうな青年なのだが。
なのだが。
何故か。一体全体どこでそれを手に入れたのかと聞きたくなる程ぶっそうなものを片手に携えていて。
真っ赤な木製のバットに、無数の釘を刺した。
いわゆるあれだ、釘バット。
それだけで、一体どこの族ですかと背筋が凍る、が、こんなのはまだまだで。
俺も店長もフリーズさせるレベルの最大の突っ込みどころがそいつには残っていた。
なんせその客。
頭部から血を垂れ流していたのだ。大量に、そりゃあもう、効果音に『どばぁー』がつくぐらい。
一体誰に、後頭部を思い切り殴られたかのような、殺し合いでもしてきたかのような、ひどい有り様だった。
まさに血塗れ、その一言に尽きる。
けどこれは客観的に見た感想で、俺は今、店員として、客として入って来た物々しさ全開の血塗れ男を前にしているのだ。
カウンターを挟んでも、距離は1メートルも離れちゃいない。
なあ、想像してみてくれ。
これが怖くない訳ないだろう。
直ぐ目の前だぜ。
正直ションベン漏らすぐらいだよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます