3
「ナ゙ーオ」
あの斑模様の猫がいた。
瞬間何もかもがぶっ飛んだ。
なんであの猫がこんなところに――。
ゴミ捨て場の前に座って、暗闇に目を光らせながら、尻尾を一定のリズムでゆっくり振るその猫は、間違いなく夕べ白猫の死骸の前に佇んで俺を恨めしそうに見つめていた猫だった。
「ナア゙ーオ」
鳥肌が立つくらいに不気味な声。
にゃーおとかって普通の鳴き声とは程遠い。
猫ってこんな声でも鳴くんだ。
「ナァ゙ア゙アア」
昨日のように大きく口を開けて、警戒混じりなその鳴き声、明らかにおかしい。
この猫は俺に何を訴えているんだ。
だが、猫が何を訴えかけているかなんて俺にわかるはずもなく、昨日の今日で、どうしてまた俺の前にこの猫が姿を現したのか、だっておかしいだろ。
また何かよからぬことが起ころうとしているのかと思ったら、自然と体が震えてきて、俺は持っていたゴミ袋をゴミ捨て場にぶっ込んでその場から立ち去った。
何事も無かったかのように平静を装いながら、店の前に戻ってきたが、手は汗でびっしょりで心臓がバクバクいっていて、誰がどう見ても冷静じゃなかった。
25歳のフリーターは店内の明るさを見て情けなくも安心してしまった。
恥ずかしい話だ。
聞こえないぐらいの小さな溜め息を吐く。
ヤンキー共はまだ店の前で溜まっていた。
迷惑にも程があるだろ……、ったく、早くいなくなれよ。
おかしな疲労感を感じつつも、ヤンキー達の溜まり場をぐるっと大きく遠回りして店の入り口まで歩いていく。
「――そーいや、あれ。轢いた猫まだいたよな」
背後から偶然聞こえてきた声に思わず足が止まった。
「あー……、あの白猫ね」
「流石に腐るの早いよなあ、ハエがめっちゃたかっててよ」
「かーなりキモくなってたよなぁ!!ハハッ!しかもくせーし!」
ちょっと待て……。
その話。まさか……。
「ハッ、オレらの前に飛び出してくんのが悪いんだよ、あれじゃまるで轢いて下さいって言ってるようなもんじゃねーかよ!」
「カハハ!今時の猫ってアホだよな、ボケっとし過ぎだろ!アハ!」
一人が笑って数人も釣られて笑い出す。
……そのまさかだ。
こいつら、轢いたんだ。
トンネルの出口にいた、あの猫を。
こいつらがあの猫を轢いたんだ。
轢いといて。なんで笑ってられるんだ。
こいつら頭おかしい。
「別に人轢いたわけじゃねぇし、どーでもいいだろそんなもん」
派手な色の頭をした男が吐き捨てるように言った。
それを聞いて、俺は頭に血が上ったように顔が熱くなった。
こいつら……。
俺は別に猫愛好家でもなければ、動物愛護団体でもない。
こいつらのする話に興味なんか無い。けど。
人じゃなければ何轢いたって構わないってか……。
聞き捨てならない。こんなふうに笑われて。無残な姿にされたあの白猫が不憫過ぎる。
それに……こいつらの所為で俺は、あの斑模様の不気味な猫につき纏われて、また良からぬことに巻き込まれていると思うと。
無性に……、腹が立つ。
猫が何故、俺の前に姿を現すのかは知らないが、猫が恨むべきはこいつらで、俺ではない。
間違いないのは、このヤンキー達があの白猫を轢いて、斑模様の猫の怒りを買ったこと。
それを何も知らずに、笑い飛ばしているということ。
胸の内で静かな怒りが込み上げてきた。
「おい、テメェなに話聞いてんだよ」
後頭部に軽い痛みが走った。
と、思ったら、アルミ缶がコンクリートの地面を打って転がった。
そのアルミ缶は俺の後頭部目掛けて投げられたものだった。
「っ、の――」
この、野郎!てめぇこそなにすんだ!そう怒鳴ってやろうと思ったが、振り向いた瞬間そんな気は直ぐに失せた。
十数人いるヤンキー全員が、こっちを見て目をぎらつかせていたからだ。
それも、思い切り喧嘩を売る気満々のオーラで。
やば――。
そう思って後退りすれば、リーダー格らしい男がフラフラ大きく体を揺らして俺に近付いてきて、肩を思い切り突き飛ばしてきた。
そりゃ突然そんなことされれば誰だって驚くことで、俺は怒りを瞬時に忘れて、心臓を飛び跳ねさせてしまう。
こいつ、年下なんだろうけどめちゃめちゃ身長たけぇ……!
「おい店員、今俺らの話盗み聞きしてたよなァ?なァ?」
はいそうですなんて言えなくて、俺は歯を食いしばって突き飛ばされた肩を庇うように片方の腕で押さえた。
その行動が反抗だと捉えられたのか、リーダー格は眉間に深い皺を寄せて、ガン飛ばしてきた。胸倉を思い切り掴まれて苦しい、酒臭い荒い息を間近で吹きかけられて不快感に思わず顔を背ける。
全く……酒が入ったこういう人間って本当にタチ悪い。
「んだよォあ、文句あんのか、アア゙ッ?」
「店員の分際で俺らの話に聞き耳立ててんじゃねえよォ」
「なんか言いてぇなら言ってみろよコルァ!?」
胸倉を掴んだ男だけじゃなく。後ろの取り巻き共も口々に騒ぎだす。
こいつら……。
仲間が後ろに居ないと、酒も飲めねえ、暴れることもできねえのかよ。恥ずかしい奴ら。
俺はこういう奴らが嫌いだ、大嫌いだ。
ロクに働きもしないで、似たような奴ら集めて問題起こす奴らが。他人に大迷惑かけてるのを知らずに平気で大笑いできる人間――。
「て……、つ、……れ」
「あァん?」
「天罰くだれ」
胸倉を掴まれたまま言い放った言葉に、目の前の男の眼の色が変わる。
俺は殴られると確信した。
否、殴られることを覚悟して、その最高にヤンキーを逆撫でる爆弾発言をしたのだ。
いつもだったら、ただなんとなく流されて、腑に落ちない結果だったとしても、自分の安全を優先する俺だったが。
今夜は兎に角機嫌が悪かった。
だから、少し痛い思いをしたとしても、自分の心に少しだけ素直になってやったのさ。
斜め上から飛んでくる堅そうな拳。
おい……なんだよあのゴツく尖ったシルバーリング。
あんなの……、真面目に喰らったら。
血が出るじゃないですか。
俺は反射的に目を瞑った。
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