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「やあ、袴田君」
「おつかれさまーッす」
「もうそろそろ交代かぁ。そういえば袴田君、今日は着くの早いね」
「ああ、はい、まーちょっと」
入店して、慣れ親しんだ挨拶を交わし会釈しながらバックルームに入ると、長瀬さんが時計を見ながら目ざとく突っ込んできた。
「仲間内で久々に集まったんですけど、あんまり長居すると本当に飲まされそうだったんで」
「ははぁ、早めに抜けてきたと」
「そんな感じっす」
あの魔のカーブの犠牲者にだけにはなりたくないしな。
「そうだね、袴田君がいなくなったら夜勤組が減っちゃって困るしなぁ、ハハハ」
こ、の、バーコード縁起でもないことを。
違いないとばかりに長瀬さんも笑い出した。く……長瀬さんまで。
俺は二人の笑い声を背にバックルームでユニフォームに着替えた。
そう言えば竹中さん来てるはずなのに今日はまだ見てないぞ。
また陳列棚の整理でもてしてるんじゃないかと、バックルームから顔だけ覗かして店内を見るも竹中さんらしき人はいない。
あっれま……。
「竹中さん来てますよね」
「うん、来てるよ、来てるっちゃ来てるね」
店長に聞いてみたら意味深な言葉で返された。
「竹中君ならトイレで」
「あぁ」
トイレ掃除ね。
「吐いてるけど」
「……ハァ!?」
なんで!?
言ったと同時に長瀬さんがなんの前触れもなく豪快に噴き出した、と思ったら高らかに笑い出した。
それにビクッとする俺と店内に溜まっていた数人の客。
「ヒャハハハハハハ!ハハハ!アハハハハ!」
「長瀬……さん?!」
だめだ、長瀬さんは火がついたように腹を捩らせて笑っている。ここまでツボるなんて一体なにがあったっていうんだ。
「ぶはははははっ!はっ、はっ、はひっ、いひひひひ!!」
店長は長瀬さんの背中をさすりながら鎮めようとするも、長瀬さんは不気味に笑い続け、あまりにもそれが酷いもんだから、客が一人足早に出口に逃げて行った。
「長瀬君、そろそろ落ち着いて、お客さん引いてる……!」
「うっ、うひっ、ふぁい……す、すいま、ぶほはっ!!」
うわー、長瀬さんってツボ入ると腐れ縁のあいつら以上にぶっ壊れるんだ。
ていうか、竹中さんがトイレで吐いてるって……。
「あの……店長」
「あー、実はねぇ」
話を聞くとこういうことだった。
「つまり、竹中さんは、道路で轢かれた猫の死体を見て気持ち悪くなって」
勤め先のコンビニのトイレで嘔吐しているらしい。
まじか。
いやいや、竹中さんだぞ。
あの竹中さんだぞ、おい。
このコンビニの守護神であらせられる竹中さんだぞ。
コンビニに寄り集まって来る悪霊達を追い払い、此処に転がり込んできた新人達をたった一人で幾度も守ろうとしてきた。
鎧兜の厳つい守護霊を持つ、竹中さんだぞ。
そんなクールで敵なし隙なし(俺のイメージ的に)の竹中さんが猫の死骸ごときでそんな……。
と、思っていたら店の奥の方のトイレのドアが開いて。
そこからよろよろと体を揺らしながら竹中さんが出てきた。
「袴田さん、どうも……こんばんわ」
俺と顔を合わせるなり、竹中さんは元から白い顔を青白くさせて挨拶をした。
明らかに普通じゃない。
こんな弱々しい竹中さん、初めて見た。
「だ、大丈夫ですか」
思わず駆け寄ってそう言えば竹中さんは、なにが。という顔をして見せたので。
「あ、いや。店長が、竹中さんが戻してるって言ってたもので。道路にあった猫の死骸見て参っちゃったって言ってましたけど、竹中さんに限ってそんな……」
ないですよねぇ、と苦笑いした瞬間。
竹中さんの顔が思い切り強張って。
「うっ、ぐぅっ!!」
変な声で喉を鳴らしたかと思ったら、片手を口に当てて前屈みになった。
顔色がもの凄く宜しくない。
おまけに両肩がプルプル震えて、目尻がめちゃくちゃ潤っている。
「あの……」
「……」
「竹中さん……道路にあった猫の死骸み……」
「っ、うぐっ!!」
「……」
「……」
「竹中さん、もしかして……猫」
「ゔうぅう!!」
まじか……!!
◆◆◆
時計の針がコチコチと進んで、いつもの人の出入りが少ない時間帯になる。
店長と長瀬さんは、顔色の悪い竹中さんを心配しながらも、(特に長瀬さんが)散々笑ってだいぶ前に帰っていった。
落ち付いたもののまだなんだか気持ちが悪そうな竹中さん。
出入り口付近のレジ前に立って相変わらずぼーっとしている。
疲れた感じのジト目が睡魔と格闘していることをこちらに教えてくれる。
このまま放っておいたら多分また彼は立ったまま眠りの世界へと旅立ってしまうんだろうか。
流石にそれはやめてほしいんだなぁ。なにか起こったら俺の頼りは竹中さんしかいない訳だし。
少しの興味と、あと寝て欲しくないという心細さから。俺は悪いと思いながらもちょっとだけ突いてみることにした。
「あのー、竹中さんって。猫、苦手なんですか」
「――!?」
囁くように言ってみたら。
そりゃあ面白いくらいに竹中さんの両肩は跳ねあがって。
眠そうなジト目を見開いて、首を油のさし忘れた機械みたいに動かして、口をぎゅっと結んだままこちらを見た。
多分あの惨状を思い出してしまったのだろう、さぁっと顔色が悪くなるのが分かった。
瞬きの回数が妙に多くて。冷静沈着な竹中さんがめちゃくちゃ動揺している。
「……」
俺を見たままゆっくりと竹中さんは頷き。
そして小さく、はい……と。
やばい、やばいやばいやばい。
面白い!と思ってしまった俺はマジで性格が悪い。
「猫嫌いって……珍しいですね。寧ろ竹中さん猫似合いそうなのに」
冬とか炬燵で一緒に寝てそうなイメージ。
そう言ったら竹中さんは首をブンブン振ってそれを否定した。そんなに嫌いなのか。
轢かれた猫の死骸じゃなくて猫自体が本当に無理らしい。
俺はどちらかというと犬派なのだが、猫も悪くないと思っている。
あのころころとした体に小さな手足、寄り集まって数匹で寝っ転がっている動画を最近妹に見せられたが、人間はああいう無垢な姿に癒されてしまうのだ。
竹中さんも動物とか結構好きそうだと思っていたのに、どうやら思い込みだったみたいだ。
だけどヤバい、ニヤニヤが止まらなくって。
眠気が吹っ飛んだのを良いことに俺は精一杯ソフトに、その理由を聞いてみた。
そしたら、竹中さんは小さく深呼吸をして、どこか落ち付きの無い様子で口を開き始めた。
「動物は、好きです……犬とか……、でも猫は……猫だけは、昔から……何故か運がなくて」
「運がない?」
「はい……。小さい頃から、近所の猫とかに何もしていないのにひっかかれたり、パンチされたり、何故か追い掛け回されたり、目が合ったら威嚇されたり、毛逆立てられたり、逃げられたり、噛みつかれそうになったり……」
凄い、何もしていないのにそんなに猫に拒絶されるんか、この人。
「え、えー……凄いですねそれ、なんでまたそんな……」
「分からないんです。俺も最初はなんでだろうと思っていたんですけど……小学の時、叔母の家にいた猫に棚の上から飛び下りられて、顔面に着地された後に何故か思い切りひっかかれて」
「うわ、痛そう……!」
「それ以来、猫を見ると……うっ」
そりゃトラウマになるわ……。
他にも、御祖父さんの実家の寺に溜まった何十匹の猫に毛を逆立てられて威嚇されたり、近所のボス猫にマジで喧嘩をふっ掛けられたりと、猫に関してロクなことが無かったらしい。
気の毒だ……、世の中にはこういう人もいるんだなぁ……。
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