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 ◆◆◆


 夕暮れ時の駅前は帰宅ラッシュで混んでいて。むっとした空気から逃げるように俺はバイクを適当に停めて、竹中さんとの待ち合わせ場所であるコーヒー店に入った。


 冷房が程良くきいていて、中に入れば額の汗が一瞬にして冷える。


 こぢんまりとしてわざと薄暗い洒落っ気のある店内には、部活帰りの女子高生の群れと、教材を広げた大学生らしき青年、パソコンを片手で操作しながらコーヒーを飲む女性が。


 竹中さんはまだ来ていないみたいだ。

 カウンターでアイスコーヒーと、ショーケース越しにやけに美味そうに見えたクランベリーのスコーンも一つ注文して、俺は奥のテーブルを選んで座った。


 普段こんな店、気軽に入らないから緊張して、変にきょどきょどしながら緑のストローを挿してアイスコーヒーを吸う。

 竹中さんが来たらまず始めになんて言おうか。

 謝るべきか、それともお礼が先か。

 どっちが先だっていいか、本題はそこじゃないんだから。


 コーヒーに映った情けない自分の顔に気づいて思わず苦笑しそうになる。

 昨日までこんなことになるなんて少しも思わなかったっていうのに。


「……」


 口の中に広がるコーヒーが思いの外苦く感じて、ガムシロ入れを取って少量アイスコーヒーの中に垂らし、かき混ぜる。

 竹中さんはまだだろうかと顔を上げて店の中全体をぐるりと見回した。


 その時。

 俺は違和感に気がついた。

 店員とか、店の装飾とかじゃない。

 何がおかしいって、ほら。


 普通“客”は椅子に座ってるもんだろ。


 こんなにも空いているテーブルがあって、椅子だって普通に余ってるってのに。

 店の中には椅子にも座らずに立ったままそこにいる客がいた。


 ノートパソコンをいじっている女性の直ぐ近くに、首を妙に下げて不気味に突っ立っている男がいる。

 俺だけなのだろうか、それがおかしいと思うのは。

 女性の知り合いなのかは分からないが、その男は無言で女性を見下ろしているのに対して、女性は無視をしているのか、その不審極まりない男など知らん顔でコーヒーを飲む。


 女性だけじゃない、他の客も店員もそうだ、不審がったり、誰も男を見たりしない。

 明らかに変なのに。

 暫くして女性はノートパソコンを畳み鞄に入れて、身支度を整え席から立った。彼女が出入り口へと向かえば、少し遅れてのろのろと男がその後を追う。


 女性が自動ドアを開くと女性にくっついて男も同じタイミングで店を出た。



 なにあれ……。


 というか普通に変だと思う人がいるはずだよな俺以外にも、なのになんで誰もあいつを見ていないんだ。店員も特に気にするふうもなかった。


 ぽかんとしてその二人を目で追っていたら、待ち合わせ相手である竹中さんがやってきた。


 竹中さんと女性と変な男はドア付近ですれ違った。が、どうしたことか、別に何があった訳でもないのに竹中さんはすれ違って歩いていく女性に向かって振り返り、目を細めて意味深な顔つきで彼女を見て。それから自動ドアを潜った。


 一体、今の行為になんの意味があったのか。俺にはさっぱりだったが、奇妙なものを見たという気持ちが残り、それを誤魔化すようにアイスコーヒーを一口吸った。

 店に入ってきた竹中さんに合図する前に、竹中さんは奥に座っている俺の存在に気づき、目が合うと竹中さんは軽く会釈をして、カウンターでアイスコーヒーを頼んで受け取り、俺の向かいの席に座った。


「ど、どうも」

「……すみません、遅くなりました」

「あ、いえ。お気になさらず、俺もついさっき来たんで」


 素っ気なく挨拶をする俺に、竹中さんは最速俺に遅刻したことについての謝罪とその理由をきっちり説明してきた。


 どうやら夜勤明けにタイミング悪く入ったバイトが長引いたらしい。


 ていうか夜勤明けにバイトとかすげぇな……、しかもその後俺なんかと会っちゃって大丈夫なのか。


「お疲れ、さまです」


 こくりと頷く竹中さんは少し眠そうな目をしていて、目の下にうっすら隈ができていた。流石にぶっ続けで働けばどんな人間だってそうなるだろう。メールで俺を心配してくれていたが、寧ろこの人の方が心配だ俺は。


「あの、もしあれだったら日にち変えても俺は全然……」

「……いえ、平気です」

「ああ、いやでも」

「あの場所で本格的に霊障を受けてしまったのなら、一日でも早く話しておかないといけませんから」

「れ、……れいしょう?」


 専門用語だろうか……、聞いたことのない単語が出てきたが、俺はすぐに黙り、コーヒーを見つめながら難しい顔をし始めた竹中さんを待った。


「霊障というのは袴田さんが霊に干渉されて受けた影響のことです」

「はあ……」

「そんなこといきなり言われても訳が分からないですよね」

「…………少し」


 俺のリアクションを見て察したのか竹中さんは小さく溜め息を吐いた。


「信じてもらえないようなことを言っているのは自覚しているんです、それでも言わずにはいられない……」


 そうしなければならないと言うような目をする竹中さん。


「この話をすることで余計気味悪がられて、理解できない、関わりたくもないと言って殆どの人が信じませんでした」

「みんなに忠告してたんですか」

「はい。俺が危険だと思った人にはみんな」

「……」


 この人、一体今まで何人の人にこんな話をしてきたんだ。

 それで何人の人に信じてもらえたんだ。

 何人の人に、俺がしたような目で見られてきたんだろう。


 なんとなくだが、この人が無口で、話の仕方がどこかぎこちない理由がわかった気がした。


「話して下さい、お願いします」


 今度はちゃんと聞きますから。

 そう俺が言えば、竹中さんは少し間を置いて、躊躇うような素振りを見せながらも話し始めた。


 あの夜何が起きたのか。

 あの場所が本当はどういうところなのか。

 竹中さんが言うには、視覚、感覚的に感じるよりずっと、あのコンビニが建っている場所はかなりよくない位置にあるらしい。

 自殺の名所として恐れる人の念と、実際にそこで本当に命を絶った者達の念が複雑に絡み合い、生きている人間に悪影響を及ぼす程の邪悪な空間を形成しているのだという。


 その空間のことを専門的に『霊磁場』と呼ぶらしく。

 その霊磁場は簡単に言うと、強い巨大なバリアみたいなもので、人に影響を及ぼせば及ぼす程バリアの力は強まり。強力なバリアを更に勢力を拡大させる為に、それらは生きている人間を取り込み、はたまたそこで死んだ者達の魂をもバリアの内に閉じ込める。


 取り込まれた人間は、後者のようにしてその場所に縛り付けられ彷徨い、生きた人間のエネルギーに引き寄せられ、次なる犠牲者を生み出す。

 という、悪循環過ぎる負のサイクルが出来上がっていた。


 そこまでは俺もなんとか頑張って理解した。


「その……、霊磁場ってのの中にあのコンビニが建ってるんですね」


 竹中さんは静かに頷く。


「あそこに溜まる霊や、人の思念は、みんな自殺した人や、飲み込まれて命を落とした人が殆どです。怨みや未練を残している霊にとっては生きている人間程羨ましく思える存在はいません。あのコンビニはまさに霊達の恰好の餌場と言ってもいいくらい、魅力的に映っているんですよ」

「餌場って……」

「24時間いつでも人がいて、おまけに明るい。通り過ぎたり、ただ何気なく入ってくる霊もいますが、中には生きている人間が羨ましくて、憎くて、悪さをしにくる者もいます」


 コンビニの外で目を血走らせて中を凄い形相で食い入るように見つめるあのボロ服の女と、防犯カメラいっぱいに顔を映らせてわけの分からない言葉を叫んでいた男の顔がフラッシュバックして。


 俺は全身に鳥肌が立つのを感じて身震いした。


「そういう霊達が生きている人間に取り憑き、引きずり込もうとするんです。自分達と同じ目に遭わせる為に――」


 その理由があまりにも人間じみ過ぎていて、ぞっとした。


「じゃあ俺が見たあの男の人って……」

「樹海の奥深くにある沼で……自殺した人です」

「うえ……、ま、まじかよ」


 自分のユニフォームにべったりついた手形……。リアルな水音……。

 これ以上考えたら吐きそうだ……。


「なんでそんなに詳しいんですか……」

「あの人はもう何回もあのコンビニに来ていますから」

「うッ……」

「気持ち悪くなりましたか……」

「いや、大丈夫。……続けて下さい。……なんであの人は俺を」

「袴田さんが生きている人間だということで、取り憑こうとしていたんだと思います。その理由はさっき言った通りです。あの時、かなり疲れていませんでしたか」

「あ……」


 そういえば。


「ああいう類は、精神的にも肉体的にも弱い人間を真っ先に狙ってくるんです、その方がつけ入りやすいから……」

「あの……」


 そこまで言われて俺はおずおずと発言の合図を手で示しながら竹中さんに尋ねた。


「霊とかなんとかってやっぱりまだ俺完全に信じられないんですけど……それでもあの時のことはマジだって認めてます……。もし、あの時、俺……竹中さんに助けられなかったら……どうなってたんすか」

「知りたい、ですか」

「もしかして死んでたとか……」

「悪くて……」


 真顔で言われた。

 まじか。


「いや、いやいや、でもそんな!流石に死ぬっていうのは言い過ぎじゃ!」


 と言ってみるも、竹中さんの目はマジだった。

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