ふたりの出逢い

 紗英と有紀は東京から電車で2時間ほどの山間にある、人口1万人程度の小さな街の高校2年生だ。この街は戦前、国策による雑草を繊維に加工する産業があり栄えたが、現在は地場産業や名所が特にあるわけでもなく、B級グルメによる街おこしや、町の外れにある大型複合ショッピング施設が唯一の憩いの場となっている。


 そんな町に稲垣有紀は1年生の2学期に転校してきた。

 教室に入ってきた瞬間に全員の生徒が気が付くほどの、都会の雰囲気と立ち振る舞いの上品さ。親の仕事の関係からニューヨークで最近まで暮らしていたという自己紹介で、余所者への警戒心は即座に羨望と好奇心にかわり、休み時間には人垣ができるほどの人気者になった。


 紗英はそんな様子を一歩引いて眺めていた。それは紗英が同性愛者、いわゆるレズビアンだからであり、有紀に恋心を抱いたからだ。思春期特有の性的な不安定さから来る感情で、「思春期レズ」と呼ばれるものなのかと悩んだこともあったが、思い返してみると、生まれてから一度も男性に恋愛感情を抱いたこともないので、自分はレズなのだろうと確信している。


 そんな紗英はなんとか距離を縮めたいと思いつつも上手く行かない。

 何から何まで自身の好みと一致する有紀には、とても恥ずかしくて近づけない。一度勇気を出して話しかけたが、どうしても目を見て話すことができず、また言葉が上手く出てこない。あまりにも露骨なアプローチで同性愛者であることがクラスに知れると、狭い田舎町ではいじめの対象になるのではないかという不安もあるのでカムアウトも告白もできないというもどかしさも、有紀に近づきにくい一因だった。


 こんな距離感の二人だが、ある天気の良い10月の放課後、いつもの山頂でで紗英が雑草を一人で吸っているときに出会ったことをきっかけに急接近した。


 いつものようにリラックスして、お菓子もあるしセッティングは完璧。あとは寝ないように注意しながら深く深く落ちてゆくだけ。雑草を肺まで吸い込みながら、有紀を想う。田舎の町でマイノリティとして平々凡々と暮らす予定だった私の前に、どうしてあの子は現れたのか。これはチャンスなのか罠なのか。そんなことを考えながら深いところに意識が落ちた紗英は、自分の下半身に手が伸びてゆく。


「あの」


 突然声をかけられ、紗英は我に返った。ふと顔を上げると、そこには有紀がいた。


「あの、大丈夫ですか?」


 なんで有希がいるの? 決して大きいとはいえない胸が、爆発するかと思うような心臓の鼓動を感じながら、紗英は思考と目の前の世界が微妙にかみ合わない脳をフル回転させて、渾身の一言を絞り出す。


「なに?」

「同じクラスの遠藤紗英さんですよね。具合が悪そうですが大丈夫ですか?」


 有紀には気分が良くなっている紗英が、具合が悪くて座り込んでるように見えたらしい。具合が悪いどころか最高の気分だった所に、目の前には何故か有紀がいる。しかも自分の名前を覚えていて、現実なのか夢なのかわからなくなってきた。


「ほっといて。大丈夫だから」

「でも、目は虚ろだし、しゃべり方も変ですよ。本当に大丈夫なの?」


 有紀は真剣に心配していた。さすがの優等生のお嬢様だけあり、責任感や他人への関心は人一倍強い。

 そんな思いやりをよそに、紗英は雑草の事がバレたらまずいという気持ちと、憧れの有紀と、気分がリラックスしている勢いでこのまま会話を続けたいという思いが交錯して、さらによくわからなくなってきた。


 紗英はここで苦し紛れの悪戯を思いついた。


「私はね、今ね、科学の実験をしているの」


 すこし話すと頭がすっきりしてきた。言葉も出てくる。


「THCが脳に及ぼす影響を確かめているの」


 すると有紀は意外な返事をした。


「なんだ、雑草やってるんだ。日本だと珍しいね」


 すがすがしい笑顔で確信を付く有紀に、紗英は思わず真顔になってしまった。過去に神社の境内で人に見つかった事もあったが、ほとんどがお年寄りで、何をしているのかすぐに察するのか「ほどほどにね」と笑いながら立ち去ることがほとんどだったので、まさかズバリと指摘されるとは思いもしなかった。


「私にも分けてくれないかな。久しぶりだなー」


 と、うれしそうに紗英の隣に座る。口から出る言葉とは対照的に、その振る舞いは美しい。紗英は圧倒されつつも軽くうなずき、スクールバッグからアルミホイルで作ったパイプとライター、そして小分けにした雑草を取り出した。


「これ、どこ産?」と産地をを聞いてくる有紀。

「そこ産」と神社の裏手を見つつ、手製のパイプに雑草を詰める。


「こんな所で取れるんだ、自生してるのか、ふむふむ」


「日本ならどこでも採れるっておばあちゃんが言ってた。それこそ渋谷の交差点の植え込みでも育つらしいよ。たまに東京の河川敷で育てて捕まる大学生とかいるからさ」

「ねえ、何で私の名前知ってたの? あんまり会話した覚えないんだけど」


 紗英は準備が出来たパイプを、まずは自分が試すために口元に近づけながら、率直に疑問を聞いた。


「んー、転校してきたからクラスのみんなが私に色々な質問してくるでしょ、でも遠藤さんは」

「紗英でいいよ」


 紗英はくわえたパイプにライターで火をつけて、静かに吸い込む。


「紗英は一度話しかけてきただけで、そのあと、とても素っ気ないから、何だか私嫌われてるのかなって思って“一生恨むノート”の一ページ目に遠藤紗英って極太マッキー使って思い切り書いたからよく覚えてる」


 微笑みを浮かべた優しい表情を一切崩さずに、恐ろしい事を紗英は言うので、有紀は肺いっぱいに吸い込んで貯めていた煙で思わずむせ込んでしまった。


「ごめんなさい、冗談冗談」

「真顔で怖いこと言うのやめて……」


 咳き込む紗英に自分のスクールバッグからペットボトルを取り出すと、大丈夫? と渡し、一口飲むのを見届けると落ち着くのを待って話し始めた。


「本当はね、紗英は目立つから覚えていたの。ショートボブのヘアスタイルに、なんとなく男の子っぽい感じで、私とは正反対でとても目立っているの。とても素敵で、いつかお話をしたいと思っていたけど、嫌われているのかなって思ってたのは本当よ」


 紗英は、嫌うどころか大好きです。素敵なんて滅相もございません! と大声で言い出したい気持ちを抑えつつ、パイプに雑草を詰めて有紀に渡す。

 ありがとう、と笑顔で受け取ると、なれた手つきで口元に運び、ライターで火を付けるとゆっくりと吸い込む。


 しばらくその様子をうっとりと眺めていたが、有紀がふぅと、肺で吸収されてほとんど残らない煙を吐き出したタイミングで口を開いた。


「向こうだと、みんな普通に雑草やるの?」

「そうね、おおっぴらに吸う人はいないけど、個人で使う分を持っているだけなら捕まらないし、州によっては成人していればお店で買えるから、悪いものという意識もないの。パーティーアイテム感覚かな」

「すごいね。日本じゃ考えられない」

「でも、未成年は捕まっちゃうから、隠れて吸うよ。友達の家で親がいない時とか。でも独特の香りがするから、親にはバレてるんじゃないかなぁ」


 そうなんだー、とポカーンと話を聞く紗英。

 有紀が来る前から雑草を吸っていたので、だんだんと思考力が落ちてきて、さらにリラックスしてきた。言葉を出したいが、頭に浮かんでいる事が上手く発声出来ないような気がする。もちろん気のせいだが、紗英は雑草を吸いながらこんなに会話をしたことがないので黙り込んでしまった。


「これ、軽いね。もう少し吸うといい感じかな」


 有紀は灰をすてると新しい雑草を詰めて火を付ける。ゆっくりと深く吸い込むと、取り残しの種があったのか、パチッと鋭い音で弾けた。


 しばらく息をとめていたが、限界なのかゆっくりと煙を吐き出す。


 雑草の煙は、肺にため込むことにより、効果的に体内に吸収されて脳に作用する。大きく深呼吸して限界まで息を止めて、ゆっくりと肺の空気を押し出すのが理想的な使い方だ。


「紗英って、もしかして同性愛者?」


 またも確信を突く質問を有紀はぶつける。またかと思いつつ、紗英は戸惑いながらも自然と口が開いた。


「そうだよ。私はレズビアンだと思ってる。思春期は判断が難しいみたいだけど、自分ではレズビアンだと意識して生活してる」

「だと思った。すぐわかったよ」

「なんでわかるの?」

「だって、向こうにはカムアウトしてる人たくさんいるもん。私の通っていた学校でも何人かいたし、お父さんの会社のお友達にもいる。みんな普通に生活して、仕事してる。隠すこともしないし、女同士や男同士で結婚している人もたくさんいるよ」


 だいぶ気分が良くなってきているのか、トロンとした目で饒舌に話す有紀。学校では見たことがない姿に紗英は少し興奮してきた。


「なんていうか、特徴みたいなのがあるの。ああ、この人はそうだなって。でも日本だとみんな隠しているから、それが余計にわかりやすいの」

「20人いると1人か2人はゲイだって言われてる。うちのクラスは40人だから、私以外にももう1人はいるよね。男子の木内って怪しくない? あいつはトランスだと思う。筆箱とかシャーペンが全部ピンクなんだもん。ねーちゃんのお下がりとか言ってるけど絶対に嘘、アピール露骨すぎて、あれバレバレだよね」

「うん、私もそう思うよ。何度か話をしたけど、接し方とか距離感が男の子じゃないんだよね。実はニューヨークのゲイの事をすっごく聞かれたもん」


 お互い一気に話したあと、しばらく見つめ合うと2人は大声で笑い始めた。そうだよね、バレバレじゃん、と息が出来なくなるほど大笑いして、有紀は「苦しい、助けて、息が出来ない」と笑い続けている。


 落ち着いてきて、肩で息をしながら「もうだめ」「死んじゃう」「腹筋崩壊」などと言葉が出る度に思い出し笑いをしていたが、このままだと雑草の作用の一つである多幸感で、延々と笑い続けてしまうので有紀が話題を変えることにした。


「そういえばさ、私たち間接キスしてるよね」


 真顔で切り出す有紀。そばに置いてあるパイプとペットボトル。確かにお互いが口を付けている。


「もしかしてイヤだった?」


 レズビアンだと知られている以上、そういった反応は覚悟していた。紗英は過去にも好きな女の子に思い切って告白したことがあるが、「冗談でしょ」と笑って流された事がある。それ以来恋愛には奥手だ。


「ううん、そういうの無いよ。なんだか嬉しいなって思ったの」


 用意してあったお菓子に手を伸ばしながら有紀は続ける。


「ねえ、キスしようよ。親友の挨拶だよ」

「いいの? 私レズビアンだよ」

「だからキスしたいの」


 たまらずに紗英は有紀に優しく抱きつくと、何度か軽く唇をあわせた。そしてお互いの舌を様子を探るように合わせ、そのままディープキス。お互いを確かめ合い、顔を離す。


「私、有紀の事が好き。大好き」


 思わず口に出る紗英。


「そんなの知ってるよ。すぐわかったもん」


 悪戯な笑みを浮かべて、有記の耳元で囁く。


「紗英、私も好きよ」




 つづく

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