♯9
夜がピラー壁面を昇って来た。
そう、ここOEVのピラーでは夜は下からやって来るのだ。まるで夜という海に、OEVが根元からザブーンと倒れ込むようにして浸かっていく感じだ。
夜は地球の太陽とは反対側の面に、針のように細く長い円錐状の影となって伸びている。地球赤道上にそびえ立つ、地球の直径の数倍の長さをもつOEVの塔が、自転によりその影の中へと突入したのだ。
最初はピラー壁面眼下の彼方に見えた暗闇が、昇ってきたと思ったころにはもう包まれていた。
同時に、それまで太陽からの光に押されていた星々の光が、我らの出番とばかりに夜空を覆う。
大気にも太陽光にも邪魔されない宇宙の星々の輝きの美しさは、私達のような職業の人間にしか見る事できない光景だ。
無理に例えるなら、それは新たな世界だ。
地上にいた頃は、自分達は地球に自分が立っていると思っていた。けれど、初めてこの光景を目にした今、自分が宇宙という、地球よりもさらにう~んと広大な世界にいることに気づかされる。自分という分子に対する分母が、一気に何万倍にも広大になった気分だった。
そんな頭上の光景に対し、夜を迎えた眼下の地上世界は、最初はまるで宇宙にぽっかりと空いた巨大な穴のように見えた。
一瞬、そこに吸い込まれてしまいそうな恐怖を覚える。
が、その恐怖は、闇に目が慣れゆくつれて見えてくる、地上の光に数々よって失せて行った。
闇に覆われた太平洋上に、漁船の漁火や、まるでストロボのような稲光が雲の中で瞬いているのが見えた。私達の直下に目を落とせば、星のように小さな、けれども強い光が瞬いていた。OEVの基部のパシフィカ・アイランドの街の灯だ。それが、周りの海面をうすぼんやりと淡いブルーに照らしている。
ここから見るこの惑星の闇夜は、意外と騒々しい……そんな事実にも私は慣れ始めていた。
ピラー上に、まるで道路の端に並ぶ街頭のように、航空障害灯が点々と灯されていく。
そしてその中を、私達はギョギャギャギャギャーッツっとばかりに、タイヤをド派手にスリップさせながら地上に向かって一直線に降下を開始した。
一瞬、あの内臓がゾワワとするようなゼロG感覚が身体を襲うが、すぐにヴァリスの加速力が重力を上回り、コックピット背面に押し付けられるようなプラスGへと変わる。
頭を地上に向けていた為に昇っていた血が、一気に脚に移動していくのを感じる。
「ひいぃぃぃぃい~っ!!」
一年前のトラウマだとかが関係無いレベルでの恐怖に、私は情けない悲鳴をあげずにはいられなかった。しかも今回は夜間での降下だ。
ヘッドライトで細長く照らされた視界の下部のピラー壁面が、猛烈な速度で車体底面を通過していっているはずだったが。のっぺりしたピラー壁面は、スピードを実感させるような視覚的な変化はあまり無い。その事実だけでも充分怖いけど。
前方、夜を迎えた地上世界は、漁船の漁火や、雲間に見える稲光、航空機のライト等、思いのほか光はあるものの、やはり自分が今、猛烈な速度で降下していることを実感させるような変化は無かった。
あとはこの場所では、高度300メートル毎にあるはずの航空障害灯意外に、スピードを視覚的に比較する物は無い。が、その航空障害灯の赤い光が、あまりのスピードに一直線の赤く光る帯となって、視界の左右から私を挟んでゆく。
航空障害灯の左右の間隔は100メートルはあるにも関わらず、左右から押しつぶされそうな恐怖が襲う。
計器を見ない限り、今のヴァリスの正確な速度は分かりようがない。
だが、きっととっくに音速は超えているはずだ。一年前、ただ重力に従って落っこちただけでもべらぼうなスピードになったというのに、今回はヴァリスのタイヤを回転させ、自ら加速しているのだ。
実際、地上のどんなフォーミュラカーよりも、降下中のヴァリスは早いのだ。
下り最速である。
〔いやいやすまん。UD018の正確な組成と重さが分からなかったもんでさぁ、なかなかシミュレートが上手く出来なかったんだな………………べつにユカリコ君の話を聞いたから思いついたプランじゃないぞ!?〕
泣きだす半歩手前の私の状態など一切無視して、ヒュー隊長がなにやら言い訳がましいことをのたまった。
私は視界の邪魔だったので、ヒュー隊長からの画像通信を即効で音声のみに切り替えた。
っていうか、どうやら私とセナ・ジン君の会話はエルカでも聞かれていたらしい。
〔君らにしてもらいたいことは、粗方ユカリコ君が言った通りのことだ。指定された高度、タイミング、スピードでヴァリスのミサイルとライフルでUD018を撃って欲しい〕
隊長の説明と共に、HMDの隅に、エルカから映像データが転送されてきた。
簡素なCGアニメで描かれた真横からみたOEVのシミュレーション映像だ。
OEV上部には私らと思しきヴァリス二機が降下しつつあり、画面右横からはデブリUD018らしき塊が画面のセンターにそびえるOEVに接近しつつあった。
〔セナ・ジンが言う通り、たとえ真上からだろうが、秒速8キロ弱のデブリをミサイルやライフルで撃てば、やはりどう頑張っても粉々にしてしまう……〕
画面上のヴァリス二機が、下を通過しようとしているデブリUD018にミサイルを放ち、90度よりやや下回る角度で命中させると、デブリはやはり粉々になった。
ただし……、
〔がだ……確かにデブリは粉々になるが、それらは全て下方向に飛ばされる為、そのまま大気との抵抗で悪さをする前に燃え尽きる。だから問題無い〕
ほぼ真上からミサイルが命中したデブリは、横方向への運動エネルギーとの折衷で、斜め下へと落ちて行った。
低高度のより濃い大気への接触で、デブリが燃え尽きるのは時間の問題だろう。
粉々になったデブリは始末に負えないが、始末に負えるならば粉々でも問題無いわけだ。
〔デブリのコースは僅かだがOEVの芯を逸れているから、上から見てOEV側から外に向かってミサイルを命中させれば、微小デブリがOEVに与える損害も回避できる〕
画面がOEVを真上から見たアングルに切り替わると、画面中心のOEVから放たれたミサイルが、画面右よりOEVに接近するデブリに対し、前方側面から引っ叩くようなコースで命中した。
これもデブリは粉々になるが、ミサイルの持つ運動エネルギーにより、微小デブリはOEVに触れることなく通過していった。
『お~良いじゃん!』
セナ・ジン君がストレートな感想を漏らした。
だが、私はこのシミュレート映像に、何か腑に落ちないものを感じていた。はて、何が気になったのだろう?
〔ああ~、でも問題が無いわけじゃない〕
釈然としていない私に気づいたかのように、ヒュー隊長が続けた。
〔インド洋からのミサイルアプローチで分かったことなんだがな、問題のUD018だが、どうやらデブリというより
私はそのヒュー隊長の言葉から、自分が何に納得していなかったのかが分かったような気がした。
〔つまりだ、君らの持ってるミサイルでは軽過ぎて、普通にこのUD018を撃ったんじゃ、運動エネルギーが足りな過ぎて、このシミュレート通りにはいかんのよ〕
ヒュー隊長の説明を聞きながら、私は転がるボーリングの玉に、横からロケット花火をぶつけてガーターにしようと試みる様子をイメージしてみた。
全くボーリング玉の進行方向を変えられる気がしない。
ボーリング玉に対して、ロケット花火じゃ重量に差があり過ぎるからだ。
これと同じ理由で、私のヴァリス4号機の両椀に付いてる小さなミサイルごときでは、UD018の処理は上手くいかないということなのだろう。
だから私らは今、猛烈なスピードで下方向に加速し、ミサイルの運動エネルギーを上乗せさせようとしているのだ。
重さが足りない分は、その分スピードを上げることで埋め合わせようってわけだ。
〔このシミュレート通りにデブリを処理するには、君らのヴァリスを目いっぱい下方向に加速させ、正しいタイミング、正しい速度、正しい高度からミサイルを撃つ必要があるんだ。さもないと……〕
画面が切り替わり、失敗したバージョンのシミュレーションを映し始めた。
ヴァリスから放たれたミサイルは命中し、デブリを粉々にしたものの、コース自体は大して変わることは無く、微細化したデブリの一部はOEVのピラーに激突していった。
〔ついでに言えばだ、このプランが失敗した場合、デブリは高度120.4キロ地点のピラー付近を通過するわけだが、実は今、丁度その辺りに移送中の低軌道ステーション用のソーラーパネルが止まっていてなぁ。ピラー自体にゃデブリは当たりはしないかもしれんが、かなりの高確率でソーラーパネルにこのデブリは命中しそうなんだなぁ……〕
ヒュー隊長は、まるで他人事のようにそうのたまった。
「ちょっとま待ってください! ってことは……エルカは? そのそばにいるじゃないですか!?」
〔そうだよ。だから君らが上手くやってくれないと、オレ達は下手すりゃあぽ~んってわけなんだな〕
「なんだってそんなピンポイントに危ない位置に……」
〔デブリから非難させる時に下げるくらいなら上げておけ! っていうお偉方の指示で慌てて上昇させたら、ここでバッテリーが切れちまった。今は夜だから充電もできないしなぁ。まさかこんなことになるとはなぁ……〕
「オオゥ……ノォゥ」
私は思わず呻いた。
〔それともう一つ、さっきインド洋から撃ち上げたミサイルの燃料切れの残骸なんだが、ネットを展開してデブリに接触した際に、デブリの重さに負けて引き摺られちゃってさぁ、散々UD018に振り回されたあげく、今やデブリUD018の子分みたいになっちゃって、UD018と一緒に、ほぼ同じ速度とコースでOEVに向かっちまってるんだわ〕
「なぬ!?」
〔だから、そっちのデブリ化したミサイルは、セナ・ジンのライフルで撃ち落としてくれ。たしか対デブリ用ネット弾頭のマガジンもあるはずだよな?〕
軽く言ってくれるよ! 私はすんでのところで怒鳴りだすのを堪えた。
ヒュー隊長が言っていること、それはセナ・ジン君はあのライフル一丁でこの極限状況下でデブリ化したミサイルに弾を当てねばならないということだ。
ライフルが撃つ弾は、ミサイルみたいに勝手に誘導はしてくれないんだろうなあ……。
さらにいえば、私はセナ・ジン君のライフルによる照準補佐無しで、デブリUD018にミサイルを命中させねばならない。
「おお~! 盛り上がってきたぁ~!」
私の緊張と憤りと焦りを余所に、セナ・ジン君は一人ヒートアップしていた。
「でヒュー隊長、その高度と速度とタイミングってのは?」
〔今送る。ちなみにミサイル発射タイミングは今から2分後だ〕
「ノォォォォォ~!」
私の魂の叫び声が響きわたるには、この高度はちと大気が薄すぎた。
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