♯3
カーゴコンテナを引っ張りながら、なるべく下を見ないようにさらに10キロ程ピラーを下ると、一機の人型形態のヴァリスが、ひらりと下から私を追い越して視界の上方に踊りでた。
その動きは、ピラー壁面上がまるでスケートリンクであるかのごとく華麗にして優雅だ。
待ち切れなかった彼女の駆るヴァリス1号機だ。
『やっほ~いユカリコ、待ってたぞ~い』
嗚呼、仕事中の緊張感とかまったく無いその御声……。
『ゼルラ! 途中でどっか行かないでってば!』
下方では、同じくセナジン君の駆る人型形態のヴァリス2号機が、次の作業場所で待っていた。そのマニピュレーターに握った何か白い棒状の物を、ぶんぶん振りながらゼルラ氏に抗議している。
『おぉっと、わりぃわりぃ』
全く悪びれてないゼルラ氏のヴァリスと共に、私は次なる作業場所に到着した。
まったくマーティン氏といい、ゼルラ氏といい、壁と床がごっちゃになったような立ち方をしている。これでは私のヴァリスが床に這いつくばっているみたいじゃないの!
だが、ゼルラ氏達はべつに恰好つけて、重力に90度逆らいピラー壁面が床であるかのごとく立っているわけではない。
人型時のヴァリスは、この体勢で上空を見上げている時が、パイロットにとって一番楽な姿勢であり、また壁との距離が適度にある為、両椀を最も有効に使えるのだ。
『えっへん、ここでの作業はだなぁユカリコよ――』
『あんたとゼルラが折りまくった
『あー! セナジ~ン、オレが言おうと思ってたのに!』
『はいはい悪かった悪かった! ボクが悪かったから早く作業を終わらそうってば!』
初めて会った時と同様、お二人とも相変わらず仲が御よろしいようで、さっそく痴話げんかめいた会話をしていらっしゃる。
「あ~……あのぅ、で、ここでの作業とは?」
私は何とか二人の間に割って入り尋ねてみた。
『うむ、ここでの作業はこれ、この
ゼルラ氏のヴァリスが、セナジン機の持っていた白い棒状の物を指して答えてくれた。
「ぽーるって……あれですか?」
私は空を見上げた。重力があること意外ほぼ宇宙と言って良い高度のピラー壁面、その太陽光からの影になっている部分に、縦方向に並んだ無数の赤い光点が、ゆっくりと明滅しているのが見えた。夜に航空機が誤って衝突しないように、高層ビル等の建造物の縁部分に付いている赤いランプ、その軌道エレベーター版だ。
この航空障害灯は、地上50メートルから地上5万キロの軌道エレベーター先端部まで全部で20万基ほど付いているそうだ。高度450キロの低軌道ステーションから下の部分だけでも3千灯も付いている。
二メートル程のポールの先端に付けられたランプが、3基ワンセットで最長間隔300メートル毎にピラーを囲むように赤い光を灯し、航空機や宇宙船が、夜、暗闇の中で誤って軌道エレベーターに衝突しない為の目印となっている。
たとえ間隔が300メートルでも、軌道エレベーターがべらぼうに長いもんだから、警告灯の数もすんごいことになっちゃうわけだ。…………なんちゅうスケール!
こんな高度でいったい何がぶつかるって言うのさ!? という気もするのだけれど、なんかの法律上どうしても付けないわけにはいかないらしい。
見ているだけなら、クリスマスの飾りみたいでとても綺麗で結構なことなんだけど、直す側は一苦労だ。
「あの、これもひょっとして……」
『一年前の例の事故で、落っこって来た破片にごっそり持ってかれちゃった』
私が問い終える前に、あっさりとゼルラ氏は答えた。
『まったく一年たってもまだ再設置が終わらないよ。軽く200基は持ってかれたからさ』
『半分は、落っこちてるユカリコを追いかけてたゼルラが、ヴァリスでぶっ飛ばしたようなもんじゃないか』
セナ・ジン君がゼルラ氏に捕捉した。
この小柄で色白、銀髪のザ・美少年みたいな子は、普段は無口でシャイな割に、ヴァリスに乗るとズケズケものを言うキャラになるようだ。
こういう痴話げんかみたいなのは、ヴァリスに乗っている時だけなのかしらん?
ともかく、さっきの裂け目と同じように、この航空障害灯もまた、例の事故によってけっこうなダメージを受けてしまったらしい。数が数だけに元に戻すのも大変だ……こりゃ。
――にしても、このポールを吹っ飛ばしてまで、私を助ける為にゼルラさんが駆けつけてくれただなんて……ああ、この御恩はどうやって返したものやら……。
『諸君よ、作業を再開してはくれまいか』
〈エルカ〉から、大量のポールの入った新たなカーゴコンテナを取りに行っていたマーティン氏の言葉に、私達は慌てて作業を再開した。
ピラー壁面のCNMの繊維に、皿状になったポールの底面を、内部で固定アンカーが広がる特殊なボルトを打ち込むことによって固定していく。
ポール表面は太陽発電パネルになっており、点灯電力は自前で補充し、内臓センサーが暗闇を検知すると勝手に明滅を始める。わざわざ20万灯もあるランプをケーブルで一つに繋ぎ、一カ所からの電力供給で光らせるなんて現実的じゃ無いもんね……。
これはさすがにヴァリスじゃなきゃ無理気な仕事だわ。人力で出来る場所では無いし、かといって自動機械でやらせるには、ちと複雑で不安な仕事だ。
ちなみに、事故で吹っ飛ばされる前のOEVの建造時には、この航空障害灯の取り付け作業はツムギちゃん任せでやったらしい。のんびりと、少しずつ。
どうせピラー建造と同時進行で作っていくのだからそれで問題無かったのだ。
ポールはピラー周囲を3等分するように、三本ワンセットで同高度に設置されている。
何故三基ワンセットなのかといえば、ピラーのあらゆる方向から見ても、必ずピラーの太さが分かるようにする為だそうな。
マーティン氏とセナ・ジン君、私とゼルラ氏とで組み、作業を行うことになった。
私はゼルラ氏の指示に従ってポールを持っている係となり、ゼルラ氏がポール底部をピラー壁面にインパクトガン(ピストル型電動ドライバ)でボルト固定し、航空障害灯再設置作業に挑んでいった。
『どうだいユカリコ、やってみたら意外と出来るもんだろ?』
「え、ええ、……まぁ」
私はただポールを支えているだけだったのだけれど――私はゼルラ氏に答えた。
ポールはもちろん正しい位置に押し当てなくてはならないのだが、そこいら辺はヴァリスが設置すべき位置をHMDに表示してくれるので、別に難しさは感じなかった。
『まったく、お前さんが来てくれたお陰で大助かりだぜ。あんたらが来るまで一チームで全仕事回してたんだからなぁ』
「……は、はぁ、そうなんですか」
『前々から新人を入れろってヒューレットにゃ言ってたんだぜ、だけど中々良い人材が見つからなくってさ~。こっちが望むような本当に滅茶苦茶優秀な人間ってのは、ここはスル―してそのまま宇宙に出て行っちまうし、かといって誰にでも務まる程、こいつは簡単な仕事でも無いしなぁ。おまけに体格とかの適正が中途半端に厳しいわ、社内の評判もよろしく無いしな』
「はぁ、そうなんですか」
……一年前に助けられた時から、薄々そう思っちゃいたのだけれど、ゼルラ氏って、ひょっとしたら物凄くおしゃべり好きなのかもしれない。いや、私という同性同世代の新人が来てテンションが上がっているだけなのかもしれないけど。
『一年前、お前さんを助けられたからちっとは良くなったものの、それまではオレ達、結構な勢いで肩身が狭かったんだぜ。ともかく金食い虫の無駄飯食らいだってさ』
ゼルラ氏はヴァリスの肩を器用にすくませながらぼやいた。
セルラ氏の言う肩身の狭い思いというは、私も少しばかり話に聞いていた。
一年前の事故直後、入院した私に多くの人が事情聴取しに来た時、私もまた命を救ってくれたあのロボットについて質問しまくったのだが、ロクな答えは貰えなかった。
今にして思えば、あれはこのコンヴィニエンツ隊が、社内で鼻つまみ者になっていたからじゃないのか? と、それから高校を卒業し、パシフィカ・アイランドに来てTAP《ツァップ》に入社する段になり、コンヴィニエンツ隊に関する噂やら評価を聞き私は思うのだった。
正直、あの事故に遭遇して命を救われた立場でなかったなら、軌道エレベーターのピラー上に、万が一の不足の事態に備え、車に変形する有人人型ロボットを開発して張りつかせておこうなんて話は、なんて金の無駄遣いを……としか思わなかったかもしれない。
しかし、万が一の不測の事態は起きた。私を巻き込んで。
このロボット――ヴァリスは必要だったのだ。少なくとも私にとっては。
人類が初めて建造したこの軌道エレベーターでは、当然のごとく、人類が初めて経験する軌道エレベーターならではの事件、事故が発生するわけで。それは時に、発生するまで誰にも予測すら不可能な未知の事象である場合もありえるのだ。
恐ろしくフレキシビリティに富んだヴァリスを開発し、万が一の事態に備えようという考えは、ある意味当然の帰結であったのかもしれない。それが世間や社の他の部署の人々に快く理解してもらえるかはさておき。
『でも、この仕事だって悪く無いんだぜ。見てみろよこの景色!』
ゼルラ氏は(ヴァリスの)両手を広げて回りを仰ぎ見た。
『飛行機よりも高く、宇宙船やら人工衛星よりも低いこの中途半端な高さから世界を見れるのは、この仕事に付いたオレ達だけなんだぜ!?』
「………………」
そう言われても、私にはまだ回りを好き放題に眺める余裕は無かった。
まったく、あの事故から無事生きて帰り、日本で最後の高校生活を過ごしている時は、もう一度、ここからみた景色を見たくて見たくて仕方が無かったのに。こうして実際にパシフィカOEVの【絶対領域】に立って見ると、フワフワと足元が定まらない恐怖に襲われて、逃げ出さないでいるだけで精一杯なのだった。
ゼルラ氏とだって、もっと気のきいた返事をして、楽しい会話がしたいのに……。
『まぁ確かに中途半端っちゃ中途半端な場所だけどさ。でも誰かがやらねばならない必要な仕事だと思うんだけどなぁ~』
「……そ、そうですよねえ」
『どうしたユカリコ? 大丈夫か?』
「は、はい平気です!」
実はちっとも平気では無かった。
なんとか作業をこなしてはいるけれど、内心は、自分という人間の何もかもが、フワフワとして頼り無く情けない気分だった。
自分が、ひどく場違いな所にいる気がしてならなかった。
自分はガキじみた思いこみで、ここに来ちゃったようなもんなのだ。
私はこの半年間で、嫌という程その事を実感していた。
「あ、あの!」
『なぁに?』
「ゼ……ゼルラさんは、なんで……どういった経緯でこの仕事に就いたんですか!? その、私とそんなに歳も違わないのに……あの無理に答えてもらわなくても良いんですけど……」
意を決して、私はずっと訊きたかったことを尋ねた。
「あの、だってこの仕事って、そんな皆が知ってるようなメジャーな職業じゃないし、危ないし、世間一般の女の子がやりたがる仕事でも無いしですねええぇ……?」
ゼルラ氏のような素晴らしい人がなぜこの職業を選んだのか?
言っちゃあ何だけれど、わざわざこの仕事を選ばなくても、ゼルラ氏のルックスなら女優なりアイドルなりにだってなれそうなもんだ。
それに、彼女が言うように、優秀な人間でこの軌道エレベーターにやってくるような人物は、普通そのまま軌道エレベーターを昇りきって、そのまま宇宙へと飛び立ってしまうもんなんじゃないだろうか? その為の軌道エレベーターでもあるし。
なぜ彼女は、この【絶対領域】で人型ロボットに乗る道なんて選んだんだろう?
彼女について知りたいことは山ほどあった。けど、それ以上に知りたかった。今の自分に必要なことを。
『――ふむ、そうだな』
ゼルラ氏はヴァリスで器用に顎に手をあてて黙りこんで数秒考え込むと、こちらを向いた。
『悪いがその質問には、オレはうまく答えられそうにないなぁ』
「え……」
『別に何かやましい事があるからじゃないぞ! ただ、オレとセナジンはな、このパシフィカ・アイランドで生まれて、もの心ついた頃からまだ開発段階だったヴァリスを乗り回して、このパシフィカOEVに張り付いていたからなぁ』
「にゃ……」
彼女の答は、私の想像にはなかったものだった。だけれど言われてみれば確かに、ゼルラ氏みたいな、私と指して歳の違わない女の子が、こんなけったいな仕事に就くには、そういった運命の巡り合わせめいたものがあって当然なのかもしれない。
『え~と、つまりだな、オレはオレ個人の積極的自由意思によって行動した結果、ヴァリスに乗っているって~わけじゃないんだな。単に気が付いたらこうなってたってだけだ。……でもユカリコはそういうことを聞きたかったわけじゃないんだろ? すまんな』
「『すまん』だなんて、そんな……」
『ああ、だけど今のこの仕事にゃ不満はないぞ。他に何も出来やしないってのもあるが、オレはこの仕事が好きだし、自分に向いてると思ってる』
ゼルラ氏はそう言うとかかっと笑った。
『どっちかというと、その質問はオレがユカリコにしたかったんだけどなぁ』
「確かに、普通はそうなりますよね……」
『ユカリコはこの仕事が嫌になっちゃったのか?』
「!」
『そんな事はないです』という言葉は、どういうわけか私の口から出て来ることは無かった。これでは図星を指されたも同じじゃないか。
私は辛うじて猛烈な勢いで(ヴァリスの)顔を左右に振った。
『まぁ、オレたちとしちゃ、好き嫌いや、辞めるか続けるかの判断は、もうちょっと働いてからにして欲しいけどなぁ~……でも』
「なんですか?」
『もし、この仕事が辛くて苦しくて続けてて不幸に感じるなら、オレ達に気を使わないでスッパリ辞めて構わないからなユカリコよ』
ゼルラ氏は普段の朗らかさのまま、そう告げた。
『確かにヒューレットに、ユカリコをスカウトしろって言ったのはこのオレだけどさ、別に俺はお前を不幸せにしたくてアンタを推したわけじゃ無いんだからな』
「…………………………………………はい!? 今なんと?」
『だから、お前を不幸せにしたくて……』
「その前!」
『確かにヒューレットにぃ……』
「その後!」
『……あ、あのユ……ユカリコをスカウトしろって言ったのはこのオレ……』
「な・ん・で・す・てぇ~い!」
私は気が付くと、ピラー壁面にすっくと立ち、ガオ~とばかりにガッツポーズしていた。
いつの間にか、見まい見まいと思っていた下方を視界に入れしまっていたが、気にはならなかった。眼下に見えるのは予想した通り、雲海とか雲とか海だった。
あと、それから遥か下方のピラーに巻き付くようにして、巨大なステゴサウルスの背びれを輪にしたみたいなものが巻き付いているのが見えた。
そういえば、現在、地上基部で製造したソーラーパネルの、低軌道ステーションへの移送が行われている最中だというのを聞いた覚えがある。それが丁度今、ピラーの下方高度90キロ辺りに見えているのだ。
なんて不思議な景色! 見た事もない巨大人工物と、遠く低くに浮かぶ雲が、視界の中に同時に納まるなんて!
嗚呼、世界がこんなにも美しかったとは! 今まで何を恐れて、私はビクビクとしていたのかしら!
『……なんか急に元気になったね……』
「い~っやっほおぉ~い!!!!」
『ホント、マジ元気になったね……』
私は雲に向かって、せいやっとばかりに正拳突きを繰り返した。
「あ、あの! 何故にゼルラさんは私なんかをヒュー隊長に推薦したんですか?」
『ん~あ~、まぁ……なんとなく…………って答じゃ駄目だよな』
ヴァリス越しの私の視線でも、ゼルラ氏には通じたようだ。
『ん~と、お前はその……例の事故を生き延びたからな。まずそれが理由の一つだ』
「二つめは?」
『二つめぇ!? 二つめは~そうだな~、お前さんはただ生き延びたんじゃなくてだな、なんていうか、自分の力で生き伸びた。もちろんオレ達の助けや運の良さもあるけれど』
ゼルラ氏はヴァリスを腕組みさせ、言葉を探しながら続けた。
『ユカリコは自身の意思と努力によって、あの状況下で生き延びようと模索して実行した……ってのが、コンヴィニエンツのヴァリス乗りに向いてるんじゃないかって思ったのさ』
「お……おぉ」
ぶっちゃけ、憧れの人にそんな事を言われて、嬉しくないわけ無かった。私が彼女の言っている意味をちゃんと理解してるかはさて置き。
『あ、あのなユカリコよ。なんでテンション上がってるのか知らんけど、オレは別にお前さんについて個人的なことはほとんど知らないんだ。だからオレがヒューレットに言ったことなんて無責任極まりない内容なんだぜぇ?』
ゼルラ氏はそういうが、それでも私は嬉しかった。
だって、一年前の高度420キロから地上までの、あの短い間の出会いだけで、私のことをそう評価してくれたということなのだから。
『仕事……続けようか』
「はい!」
コンヴィニエンツ配属三日、その日の作業を私はなんとかやり遂げた。
その日はもう一度、今度は地上から昇って来るゴンドラを見ることが出来た。
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