♯2
低軌道ステーションからOEV壁面用移動基地〈エルカ〉で下ること30分弱。
パシフィカOEVピラー壁面上・高度100キロ、中間圏の上。
――配属三日目。
〈エルカ〉から降車した私の視界一杯を、真っ白なピラーの壁面が覆っていた。
いや、ホントにその壁の色が真っ白だったわけじゃ無い。ただ、太陽の光に燦々と照らされまくった結果そう見えているだけらしい。
ピラーの壁面は、本来は例えるなら鉛筆の芯のような黒っぽい銀色をしているのだそうな。それがピラーを構成するCNMの色なのだ。
こうして間近で(落下しながらじゃなく)見るピラー壁面は、その黒銀の糸で編んだ、目の荒いストッキングの生地ように見えた。直径200メートル、長さ5万キロの柱を形作るにしては、恐ろしく薄い。良く見ると、透けて向こうの景色が微かに見えるほどだ。
だが、5万キロの長さの柱を、重力と遠心力に耐えて維持させるには、柱の太さ以上に軽さが重要なのだ。このピラー壁の厚みが恐ろしく薄いのは、軽さを求めた結果らしい。
見上げれば、白い柱は微かに霧のかかったような黒い空を背景に、視界の彼方で細く収束し、点となって消えていた。その途中に、先ほどまで自分らが乗っていたOEV壁面用移動基地〈エルカ〉が、柱に巻きつくようにして停車しているのが見える。
円筒状の客車を繋いだ列車の側面から、ピラー壁面接地用のタイヤ付きのアームを左右に何対も伸ばしたようなその姿は、メカ芋虫かメカ百足のような姿だった。
特に事情がないかぎり、我々は基本的に〈エルカ〉によって作業高度数キロ圏内まで運んでもらい、〈エルカ〉を作業ベースにして任務にあたる。
いちいちヴァリスだけで419キロも上下移動するのは現実的じゃないからだ。それにヴァリスは恐ろしく汎用性に富んでいるけど、その積載能力に関しては〈エルカ〉に頼らないとどうにもできない部分があるらしい。
現場で必要となる道具やら材料やらは〈エルカ〉に運んでもらわないといけないし、作業が長期間に及ぶ場合は、パイロットが食事や睡眠をとる為にも〈エルカ〉が必要になってくるわけだ。
〈エルカ〉こそが、我々ヴァリスパイロットの第二の我が家となるのだ。
中にはコンヴィニエンツ・アルファ小隊隊長のヒューレット氏や、ミッションディレクターのカーミラちゃんなど、数人のスタッフがいて、私らのヴァリスでの作業をサポートしてくれている。
見上げていた視線を、今度は上空から下方へと移動させると…………いや、見下ろすのはまだ止めておこう……どうせ雲海とか雲とか海とか雲さ!
『お、あったぞユカリコ君、こっちだ』
「ふぁ、ふぁい!」
ピラー壁面に立ち呼びかけるヴァリス3号機が指さす方へ、返事をしながら恐る恐る、そろりそろりと向かうと、私の乗った
長さは視界の彼方までありそうな割に、幅の方は最大30センチも無い。
裂け目の奥を覗き込んで見ると、深さは5センチ程しか無いらしい。
『一年前の崩落事故で出来た裂け目の一つだな』
アルファ小隊ヴァリス3号機のパイロット、マーティン・ワトソン氏が教えてくれた。
この裂け目は、一年目の事故で落下した低軌道ステーションの破片が接触して出来たものなのだ。
私がそうであったように、真空故に重力に引かれるまま加速しまくった破片は、音速を超える速度となり、こんな細い割にえらく長い裂け目を壁面につけるに至ったのだろう。
実はこの裂け目は、幅はそのままにもっと長くなる可能性もあったのだが、この軌道エレベーターのピラーというものが、月の重力や地軸の傾斜のおかげで日々あちらこちらへ微妙にカーブするものであり、落下した破片がたまたまそのカーブの外側に接触してきた為、300メートル程度の裂け目ですんでいるのだそうな。
ピラーにもっと深刻な損害を与えるような大きなデブリやらは、基本、私を蒸発しかけたあの迎撃レーザーで処理したらしい。逆に言えば、この300メートルの裂け目など、補修の優先順位を一年も後に回せる程度の傷でしか無いということだ。
軌道エレベーターは、直径200メートルもの太さを得ることにより、多少の傷では物ともしなくなったというわけだ。
私達コンヴィニエンツの主な仕事の一つが、これらピラー壁面に出来た傷の補修である。
『見た目よりも大した傷じゃない。縦方向だしね。これが水平方向についた傷だったなら真っ青になってなけりゃならんが。ユカリコ君、こういう場合の手筈は説明できるかい?』
「は……はひ! まずは、た、大気圏内用ツムギちゃんを裂け目の両端に配置します。補修はツムギちゃんに任せ、あとは裂け目の長さによって消費されるCNMを補充。補修が終了次第、ツムギちゃんを回収します」
『うむ、大体合ってる。じゃ実際にやってみようか』
「了解!」
マーティン氏に答えると、私は早速自機を動かした。
マーティン氏の人型形態ヴァリスは、ピラー壁面がまるで床であるかの如く、柱に対して直角にすっくと立っている。
それに比べて私の駆るヴァリスは、90度腰を曲げ、へっぴり腰でピラー壁面に張り付いていた。ピラー壁面を床に例えるなら、私の駆るヴァリスは腰を痛めたお爺ちゃんのようだ。そりゃあ視界一杯を真っ白なピラー壁面が覆うってもんだ。
何かあったらすぐにピラー壁面にしがみ付きたいという本能が、どうしても抑え込めなかったのだ。
いかにヴァリスの足裏が強力な電磁石でピラー壁面に吸いつけられていて、私がどんなドジを踏もうとも、決して外れて落っこちる事は無いと頭じゃ分かっていても、それを『はいそうですか』と信じて安心できるほど、私の肝は座ってはいなかった。
とはいえ初日の体たらくから考えたら、これでもなんぼかマシになった方なんじゃないかと自分で思っちゃったりなんかするのだけれど……。
ヴァリスに初めて乗った時こそアレだったけど、実際にピラー壁面に出て作業をはじめて見ると、初めてヴァリスに乗った時の中途半端な高所恐怖症はどこかへ行ってしまった。
地上4メートルどころか地上から100キロの高見じゃ、恐怖の次元が違うってことなのかもしれない。
そもそもヴァリスはピラー上で使うものであって、倉庫内で乗る物じゃないしね。
それに、いかに私が実際のヴァリスの操縦に恐怖を覚えようとも、今更逃げ出すことなど許されるはずも無かった。
ここまで来て置いて、思ってたのと違う! やっぱりお家に帰るぅ! だなんて許される訳も無く、私はやんわりと、されど否応も無くコンヴィニエンツの面々によって再びヴァリスに乗せられ、二日間、低軌道ステーション内でたっぷりと訓練をさせられた。
人手不足で悩むコンヴィニエンツの人々には、やっとこさ増えたヴァリスのパイロットを諦めるなどという選択肢は無かったのだ。
2チームあるコンヴィニエンツ隊のうちのもう一つ、ブラボー小隊は、二週間毎に繰り返している低軌道ステーションでの待機を終え、私と入れ違いでOEV地上基部へと地上待機の為に降りて行ってしまった。今さら私の替えなどいない。
さらに言えばコンヴィニエンツ隊は、今年、私達新入隊員が来るまで一チームしかなく、今まで5機のヴァリスで全ての任務をこなしてきたのだそうな。そりゃ人手も欲しくなるわ。
私を含め、3人のパイロットと何人かの新人隊員を迎え、更新された新型ヴァリス8機を導入することにより、ようやくコンヴィニエンツは真っ当に仕事がこなせるようになったのだ。
それもこれも、きっかけは一年前の例の事故での活躍が原因だという……。
ともあれ、私はこの軌道エレベーターのピラー壁面上へ、初任務を行う為に帰ってきた……一年ぶりに。
ピラーよ! 私は帰って来た!
まず私とマーティン氏は、そばに停めておいたカーゴコンテナに赴いた。
カーゴコンテナとは、いわばヴァリス用のリアカーであり、リフト形態のヴァリスの後に連結して運び、作業場所まで来たらピラー壁面に固定して、必要に応じて中から様々道具なり材料なりを取りだして使うコンテナだ。
今回取りだしたのは、人型ヴァリス用に誂えたクーラーボックスみたいな丸っこい箱だ。マーティン氏と一機ずつ持ち出し、この箱を裂け目の両端のピラー壁面にあてる。と、箱の底部側面からギシャリと三対のメカニカル脚が飛びだし、壁面に堅固に張り付いた。
この丸っこい箱こそが、件の
起動させたツムギちゃんは、裂け目の端から内側へ向け、その三対の脚で恐ろしくゆっくりと移動を開始し始める。すると、その通り過ぎた後の裂け目が、補修されたストッキングの伝線のように綺麗に閉じ合わされて消えていた。
箱の裏側にある無数の小型作業アームからCNMの糸を繰り出しては、裂け目を縫合し、閉じ合わせているのだ。
その動き、その姿……まるででっかい○ニとかク○とかの虫さんの類だ。
私は一度、このツムギちゃんの裏返を見て後悔している。例えるならカブトガニの裏側を初めて見た時の気分だった。
この丸っこい箱こそが、私達が今立っている軌道エレベーターのピラーを建造した、カーボン・ナノ・マテリアル製の糸を紡ぐ全自動ロボットなのである。この巨大な柱は大小約一万台ものツムギちゃんシリーズによって作り上げられたのだ。
嗚呼、この○ニだかク○見たいなのが、わんさかとこの軌道エレベーターに張り付いている姿を想像するのは、タンポポにびっしりついたアブラムシみたいなのを想像させて、精神衛生上あまりよろしくない……。
ともかく、ピラー壁面に出来た傷は、ピラー壁面を作った物で補修しようというわけだ。
な……わけだけれどさ……。
『うむ、問題なくツムギは動いてるな。なかなか上手いもんだぞユカリコ君』
「へ? ああ、そうなんですか?」
一瞬、マーティン氏の言ってる意味が良く分からなかった。だって私はただツムギちゃんを裂け目の端に置いただけだ。
『それが上手かったって言ってるのさ。確かにただツムギを置くだけだが、この場所、この高さでこの訳の分らんロボットに乗ってそれを行うってのは、普通はなかなか出来ないもんなのだ。よし、次の現場に行きたまえユカリコ君、あいつらが待ってる』
「……え、これで終わりぃ!? ……ですか?」
『今はな。CNM補充があるし、三日後には補修を終えたツムギを回収せにゃならん。何か問題が?』
私はふるふると我がヴァリスの頭を横に振った……ヴァリスに首はないけれど。
『ま、ツムギを置くくらい、普通はわざわざヴァリスでやらんでもなぁって思うよな』
私の思考を読んだかのごとくマーティン氏がぼやいた。
「まぁ、そんな気もぉ~しますねぇ」
新入りの私には、どう答えたものだかまだ良く分からなかった。
『ま、無駄だろうが、なんだろうが、それで給料が出るなら俺は構わんのだがね。それに……この方法に替わる他の良いアイデアも無いしな。ヴァリスは単機多機能過ぎて、製造とメンテに金がかかって仕方無いと思うのだけど……あいつめ!』
などとぼやくマーティン・ワトソン氏は40歳の小柄な英国人紳士だ。
いつも眉間にしわを寄せて、ちょっと神経質そうな印象があったのだけれど、私の教育係を引き受けて下さったりと、意外と世話好きなおじ様だった。ヴァリスに乗っていない時は、故郷に残してきた奥さんと小学生のお嬢さんのことばかり考えているようだ。
私の教育係を引き受けたのも、私を一刻も早く一人前にして、その分自分が休んで、家族と会う時間を増やしたいからなのかも。
元は軍人さんでヒュー隊長とは学生時代からの古い付き合いらしい。なにかというとヒュー隊長について愚痴っている。
今度もまた、ヴァリスという史上稀なる乗り物を作ったヒュー隊長に、色々と思う所があるようだった。
マーティン氏の言うことも分かる。
たかが箱を一個運ぶ為に、わざわざ人型から自動車モドキに自在に変形する有人ロボットを開発するなんて……もっとシンプルに出来そうな気がしてならなかった。
だが、私らコンヴィニエンツの活動エリアたるここ、通称・絶対領域内では、気候の変化に対応する為、低軌道ステーションより上で使われたツムギちゃんよりも、壁面に張り付く力の強化された大気圏内専用タイプのツムギちゃんが使用されており、ピラー壁面に堅固に張り付く分、移動速度が極端に遅くなっている為、こうしてヴァリスで使用場所まで運んでやって、作業が終わったら回収してやらなければならないのだ。
ヴァリスじゃなければできない仕事なわけである。
そして、そのけったいな人型可変ロボットに命を救われた私には、文句をいう資格なんて無いのだった。
初日の初ヴァリス搭乗でやらかしてしまった私としては、まさか、ほんとにこれだけで一つの作業が終わるとは思って無かった、ドキドキしていた自分がアホの子みたいじゃないか。
しかし、同時に私は次の現場への移動を心待ちにしていた。
だって……だって次の現場にはあの人が待っているから!
『あ~、だがその前に……』
次の現場へと向かおうとした私を、マーティン氏が呼び止めた。
『向こうを見てごらん、もうすぐ面白いものが見れるから。大丈夫、下を見ろってんじゃないから』
「は、はい?」
マーティン氏のヴァリスがピラーの天空方向を指さした。
即されるままに見上げると、そこには、さっき見たのと変わらない黒い空があるだけだった。真昼間なので、太陽光が勝って星は良く見えない。
一体、何を見ろっていうの?
『あと20秒、そろそろ伝わって来るはずだ』
――だから何が? と口に出して尋ねようとした時、彼の言うように、伝わってきた。
最初は自分が緊張しているが故の震えかと思った。だが、それはけっして気の迷いが生みだした錯覚では無かった。
ヴァリスが揺れていた。
いや私達のヴァリスがひっついているピラー壁面が、微かに振動していたのだ。それが、ヴァリスの機体ごしに伝わってきたのだ。
その振動は、気が付いたかと思うとみるみるうちにに激しさを増していった。
「ちょ、何事?」
まさか地震? なんてバカなことを一瞬考えてしまう。
『見えた!』
そんな中、マーティン機の指すはるか上空のピラー壁面がキラリと光っているのが見えた。その光はピラー壁面の振動の激しさと共に、猛烈なスピードで私達に近づいてきた。いや、近づいて来たと言うより、ピラーを伝って降下してきたのだ。
ピラーの振動は、その降下してくる光がもたらしたものなのだ。
「これって、ひょっとして……」
私が答を口にする間も無く、その光は私達の元に到達し、一瞬、ピラーの内部からストッキングのように薄いピラー壁面越しに私のヴァリスの足元を照らすと、そのまま地上へと向かって行った。
同時に振動が最高潮に達し、それまでのビリビリとしたものから、ぐらんぐらんといった方がいいよいなレベルにまでなった。ちょっと大き目のブランコに乗ってる気分が近いかもしれない。
今足元を通過しそれは、一年前、低軌道ステーションに向かった私達が乗ったのと同じ、軌道エレベーターのピラー内部を通過するゴンドラだった。
数百人もの乗客を乗せた巨大なチクワ、あるいは切る前のバームクーヘン見たいなOEVの昇降機の箱が、今、私の足元を猛烈な速度で通過していったのだ。
それが、このピラー壁面越しに見えてしまうのだ。
まるで凍った湖面の上に立っていたら、真下を巨大UMAが通り過ぎていったような感覚だった。
『ここより上で通過されると速すぎて分からないからなぁ。この高度だとゴンドラも減速が大分効いててなんとか見ることが出来るだろ?』
「……すごい」
私はマーティン氏の説明にも、ロクに返事をすることが出来なかった。
私達がひっ付いているピラー壁面が、おそろしくゆったりとだが、まだ揺れていた。
真空無音の宇宙ではあったが、ピラーを伝ってゴンドラの移動による振動は、確実にヴァリスにも届いていた。
凄く当たり前の事なのだが、私はこの光景を見てようやく実感したのかもしれない。
この無闇矢鱈と長い柱は、人が昇り降りする為の物なのだ。それも多くの人々が。
その事に一体どんな意味があるのか、私にはまだ分からない。だからせめて、私は去りゆくゴンドラに向かって、精一杯ヴァリスの手を振って見送った。
「さようなら~」そして「おかえりなさい」と。
そしてうっかり下を見そうになって、慌ててピラー壁面にしがみ付いた……。
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