♯4

 私が次に目覚めたのは、それから三日後の病室のベッドの上でであった。

 その前に一度、運ばれた病院の緊急救命室で目をさましたらしいが、良く覚えていない。

 なんでも、生身で大気圏再突入したのだから絶対に全身火傷を負っているに違いないと、病院の救命医の方々が、運ばれてきた私をいきなり治療として氷水風呂に放り込んだ時にも、一瞬だけ『ヂベターッ!』と意識を取り戻したんだそうな。

 ……なんてぇことを……。

 治療にあたったお医者様方の説明によると、私の身体には色々症状はあったらしいが、寝てる間の治療で粗方完治し、精神的ダメージはさておき、私の身体は全身の0・8度の火傷と筋肉疲労以外、症状は残って無いそうだ。

 0・8度の火傷って……ようするにちょっと強めの日焼けと、全身の疲れしかダメージが残って無いってことかよ!? う~む……。

 その残りの症状も、一週間程の入院で完治するそうだ。

 お医者様方の説明の次に待っていたのは、様々の職責の人達からの事情聴取の嵐だった。

 軌道エレベーターと人工島に携わる様々な人々、事故調、警察、弁護士、検察、マスコミ、云々がわんさかと私と会いたがり、一体何が起こったのかと話を訊こうとした。

 私はうんざりするほど何度も何度も、自分が体験し覚えていることを話す羽目になった。

 低軌道ステーションへデブリが衝突し、高度420キロから女子高生が転落するも、ほぼ無傷で助かった……などというふざけた出来事があったのだから、まあ当然なのだろう。

 すでにネットやテレビには、人工島にいた観光客を始め、あらゆる人々が携帯カメラ類でとらえた、ロボットに抱えられて軌道エレベーターを降下する私達の映像が数多く流れていた。

 今や私は、話題の人なのだ。

 だが、事情聴取の過程で私が知った事実もあった。

 そもそもの発端が、三日前に起きた太陽フレアの異常で、半世紀前に打ち上げられた某国のスパイ衛星が狂い、起動エレベーターへの衝突コースにのった所を迎撃したものの、発生したデブリが低軌道ステーションの屋外展望台の私の足元に命中した――のが真相らしい……ということや、私がかすり傷程度で助かった様々な理由だ。

 まぁ、私が助かったのは、ミルクレープばりに重なりまくった幸運の賜物だということは、絶対に間違い無いのだけれど。

 運良く最初のデブリの直撃で生き延びたことや、ゼルラ氏が駆けつけることができる範囲にいたことも幸運だったが、私が着ていた試作の宇宙服が、恐ろしく耐熱性に優れたシロモノであったことも重要だったようだ。

 21世紀の半ばに発見された実用的なカーボンナノマテリアルの製造方法は、革命と呼べる程の変化を世界にもたらした。

 ザックリと言えば、それは、軽く頑丈な素材を安価で作れるようになったということだ。

 建物や乗り物、服や家電製品、家具、etc……ありとあらゆる物がCNM製となった。くだんの軌道エレベーターが作られたのも、このテクノロジーの発達があったからこそだ。

 そういえば、私を助けてくれたあのロボットもきっとCNM製に違いない。

 そして、私が着ていた試作宇宙服もまたCNM製であった。

 カーボン《炭素》だなんて、そんなめっちゃ燃えそうなモンで宇宙服作るない! とは思うのだけれど――ここで重要なのは、CNMは頑丈で軽くて安価なことばかりが着目されているが、熱伝導性にも優れているということだ。

 これが私の命が助かった要因の一つだったらしい。

 私が着ていた試作宇宙服には、この特性を利用した耐熱システムが搭載されていたのだ。

 生身で大気圏に突入した際、自身を死に至らしめる程の高熱を、低軌道ステーションの破片や例のロボットに掴まることによって伝導させ逃していたのだ。

 ンなわけあるかいっ! と思わないでもないけれど、助かったのだから良しとしよう。

 目覚めた翌日に、ケイとシズにようやく再会することが出来た。

 あんな事故があったせいで軌道エレベーターの運行再開に時間がかかり、ずっと低軌道ステーションに足止めされ、降りてこられなかったのだ。

 二人は私の顔を見るなり、ポロポロ涙を溢れださせながら抱きついてきた。

 いい友人を持ったもんだ…………私はそう実感すると同時に、それまで彼女達の安否について全く気にもとめていなかった自分に軽い戦慄を覚えた。よく考えたら、彼女達だって充分危ないめにあったのに。

 自分は身体は無事だったけれど、やはりどこか壊れてしまったのだろうか?

 試作宇宙服を作った会社の社長たるケイの父親君もやってきて、こっちが申し訳なくなるほどに頭を下げ、謝罪しまくった。

 私の体験は、実に多くの人たちに影響を与えたようだ。

 低軌道ステーション崩落事件は、大ニュースとなり世界を駆け巡り、私はその中心人物となってしまったわけだけれど、そんな実感なんてあるわけもなく、事情聴取が終わったあとは、慌てて迎えにきた両親と共に帰国するのを待つだけの身となった。

 様々な法的な事務処理やらがあるらしかったが、天下御免のか弱き美少女被害者たる私に、文句をいう人間はいなかった。

 ただ、この軌道エレベーターには、その存在をよく思わない人々も多々おり、私に軌道エレベーターを訴えて一儲けしないかとけしかけてくる人間もいるようだったけれど……。

 本当に、まったくもって、とんでもないめにあってしまった。

 ふと、することが無くなった時、私の脳裏を過るのは、地上420キロから地上までの道程で見たあの景色や、駆けつけてくれたロボット、私を助ける為に必死になってくれたゼルラ氏との会話の記憶だった。

 常識で考えれば、それは二度と思いだしたくない思い出のはずなのに。今の私にとって、その思い出以外の事象など、全て些末なことに感じて仕方が無かったのだ。

 もちろん私は、助けてくれたロボットとゼルラ氏とセナジン氏について、事情聴取の過程で軌道エレベーター関係者に何度も尋ねたのだけれど、何故か皆、言葉を濁し誰にも答えてもらってはいない。せめてお礼の一言くらい言わせて欲しいのに……。

 病院を退院する直前になって、またもや私に話を訊きたいという人間が現れた。

 病室に入ってきたのは、やや小太り、背はあんまり高く無く、広くなり始めた額にやや寝不足っぽい表情を浮かべている中年の白人男性だった。

 今まで事情聴取にきた人間に比べると、ギラギラしていないというか、オーラが無いというか、警戒心を抱かせないなおっさんだ。

 好かれてはいるが、尊敬はされてない学校の先生みたいな感じ。

 彼は私が散々話した高度420キロからの落下体験については、もう充分に訊いているらしく、それまでの質問者達とは全然違う事を訊いてきた。

 やれ何か運転免許は持っているのか? とか、得意なスポーツはあるか? とか、持病やアレルギーを持ってるのか? だとか、高所恐怖症の気はあるか? とか……。高校卒業後の進路は決まっているのか? とか……。

 なんでそんな事を知りたがるのか? 答えてもいいやと思える質問にだけ正直に答えると、彼は大いに満足したらしい。

 彼は「何かあったらここに連絡をくれ」と、一枚の連絡先の書かれた名刺を置いて行くと去っていった。〈何か〉ってなにさ!?

 彼が渡してき名刺には〈パシフィカOEV管理/警備部・VALS隊コンヴィニエンツ隊長 ロドニー・D・ヒューレット〉と書かれていた。





 無事帰国し、残りの高校生活最後の二学期が始まっても、あのゼルラ氏と潜りぬけた強烈な体験の記憶が、私の心から消え去ることは無かった。

 授業中や食事中、夜ベッドに入った時、お風呂に浸かった時、放課後ケイやシズと遊んでいる時でも、私はふと虚空を見つめては、あの時を思い出していたらしい。

 辛うじて学業成績は維持していたものの、何を行うにもどこか上の空のまま、卒業後の進路を決める事も無く、ただ時間だけが過ぎていった。

 家族や友人達は、PTSDに違いないと私をカウンセラーに診せたりしたが、私は自分の心がどうなってしまったのか、うすうす理解し始めていた。

 PTSDなんて関係無い。きっと、私はもう元の自分には戻れない。良い悪いの問題では無く、変わってしまったのだ、不可逆に。

 指輪を捨てる旅から帰ってきたフロドみたいなものだ。

 日常では決して味わえない経験は、私のそれまでの人生で築き上げてきた価値観も優先順位も、何もかも根こそぎ塗り替えてしまった。

 あの鮮烈な体験の後では、日常など生温くて、本気になれなくなってしまったのだ。

 高校卒業後の進路も、べつに死に繋がるような問題じゃあるまいしと、私は心配にならなくなってしまっていた。

 そんな中、私の遭遇した一件を知って、我が兄の息子、十歳になる甥が駆けつけてきた。

 甥にしては年の近いこの少年は、私の事を心配して来たのかと思ったら……

「叔母ちゃん! ヴァリスに乗ったってホント!?」

 第一声がこれだ。さすが私をこんな性格にした我が兄の息子だよ。それとも少年とはそういうものなのか、甥は超ロボット大好きっ子だった。

 因みに乗ったんじゃなくて抱えられたのだよ……我が甥よ。

 てっきり私の無事を確かめに来たのかと思い、可愛い奴だなぁ、ちゃんと幼い心が傷つかないよう慰めてあげようと思ったら…………私を救った例の可変人型ロボットについて、あまりに私が無知だと、逆に何故か説教を喰らってしまった。

 いや、健康健全な女子高生にしては、充分以上に詳しい方だと思うのだけれど……何せ例のあの人から超無駄に英才教育を受けて育ってきたから。

「叔母ちゃんを助けたのは、軌道エレベーターの保守点検・警備及び救難活動用に開発された可変拡張昇降服! ヴァリアブル・アグメンテッド・リフティング・スーツ。略してヴァリスVALSだよ! 知らなかったの! あ~超うらやましいっ!!」

 甥っ子は、自分で作ったらしいそのヴァリスとやらのプラモデルを、自慢げに見せびらかしながら、いかにそのロボット・ヴァリスが格好良く、素晴らしいかを熱弁した。

 いわく、ヴァリスとは、軌道エレベーターで起きるかもしれない数々の不測の事態に対応すべく、無人機械には無い咄嗟の判断力と責任能力を持つパイロットを乗せ、地上1キロから420キロまでの0気圧から1気圧の環境変化に耐え、且つ軌道エレベーター壁面上を自在に高速移動でき、ありとあらゆる作業が出来る器用なマニピュレーターを有する昇降機を開発した結果、まるで自動車のような四輪移動リフト形態から、一見、人型に見え無くも無i人型作業形態ヒューボットに可変するようになった重作業服―――――なのだそうだ。

 なるほど――わからん。

「あと、人が乗ってるんでロボットじゃなくってスーツだから! もしくはビークル!」

 なんだかこの子の将来が今から心配だわ……。

 ヴァリスについて、【ザ・パシフィカ】の病院で軌道エレベーター関係者に尋ねた時は何故か答えてもらえなかったが、いわゆるロボットオタクの間では常識らしい。

 プラモデルまで発売になってる程だ。

 どうやら、この甥っ子は、無事だと分かったなら、このうら若き美少女叔母の心の変化なんぞにゃ興味無いらしい。

 甥は私に生で見たヴァリスがどのようであったかを、熱心に尋ねてきた。

 甥の持ってきたプラモデルは、なんでもメーカーが僅かな情報から無理矢理商品化したものなのだそうな。にも関わらず、それは正しく私を助けたあのロボット……じゃなかった、VALSヴァリスの縮小モデルだった。

 日本のプラモデル屋さんは凄いなぁ。なんていうか……その執念が。ついでにまだ幼いのにその変形する人型ロボットのプラモを組み上げてしまう我が甥も凄い……。

 プラモを見る私の脳裏に、あの鮮烈な体験が蘇った。

 私はこんなのにひっ掴まっていたのか――と。

 ん――――待てよ……。

 何か、今とても重要な情報を得た気がする……。なんで今まで気づかなかったんだろ!

『お、よ~し、やっ――たか。どうやら生きてたみ―――――ヴァリス《VALS》隊の――ルラ。ゼルラ・イキュイナーだ。今そっちに向かってるから、そのま――線は繋げ―――』

 それはゼルラ氏の声を初めて聞いた時の言葉だ。

 そして……。

 私は甥っ子を放ったらかしにして、【パシフィカ・アイランド】旅行に持っていった荷物をひっくり返すと、あのおっさんから受け取った名刺を探し出した。

 〈パシフィカOEV管理/警備部・VALS隊コンヴィニエンツ隊長 ロドニー・D・ヒューレット〉、そこには確かに〈VALS隊〉と書かれていた。

 そして彼への連絡先も……。





 ――一年後。

 無事高校を卒業してから半年、故郷を旅立ち、【パシフィカ・アイランド】に来ていた私は、数々の訓練と研修期間を終え、再びあの〈白いストッキング〉に昇ろうとしていた。

 我が兄いわく、若者が抱く〈夢〉なるものには二種類あるのだそうだ。

 一つは恋愛方面の〈夢〉。

 彼氏彼女が欲しい、両想いになりたい。運命の人と出会いたいというアレだ。ふうふむ。

 ゼルラ氏に対する私の思いが、それにあたるのかは分からない。だから会って確かめよう。

 で、もう一つの〈夢〉、職業方面の夢。

 将来はパイロットになりたい。女優になりたい。プロスポーツ選手になりたい。公務員になって堅実に暮らしたい……ラノベ作家になりたい!!!! 等々といったアレだ。

 私が抱くことになったこのもう一つの〈夢〉が、私に向いているのかは分からない。

 ただ、絶体絶命から助かるという体験をして変わってしまった私の心を、もう一度満たすには、再びあの場所に行くしかないと、そう思えたのだ。

 私はあのおっさん……ロドニー・D・ヒューレット隊長のえらく遠回りなスカウトに、見事に引っかかってしまったらしい。

 高度420キロから地上1キロまでの管理/保守点検/警備/救助を一手に引き受けるVALS隊コンヴィニエンツは、今、絶賛人員募集中だった。

 私は高校卒業と同時に再び【パシフィカ・アイランド】を訪れると、OEVを建造し、運営している〈ツォルコフスキー・アルツターノフ・ピアソン・OEVコーポ〉通称ツァップ社への入社試験をパスし、半年間ものコンヴィニエンツに所属する為の数々の訓練を乗り越え、そして今日、ピラーの壁面を移動する巨大な芋虫のようなヴァリス輸送用昇降車、EV壁面用移動基地〈エルカ〉へと乗りこんだ。

 行き先は高度420キロの低軌道ステーション。積み荷は、新型ヴァリスと新人隊員だ。

 もうすぐあの人に会える……。

 ノイズ混じりの声と、シルエットでしか知らないゼルラ氏は、一体どんな人なのだろ?

 その時が近づくにつれ、私の鼓動はトクトクと早まり、胸の奥がキュンと焦げ付くような感覚が増していった。

 ああ~、これってやっぱりアレなの?

 ゼルラ氏に会ったらどうしよう? とりあえずお礼を言っとく? 一年も前の事を今更言うだなんて変かしら!? で、お礼を言ったらその後は!?

 重力は大して減っていないはずなのに、私の足は床から浮き上がってしまいそうだ。

 何の覚悟もできないまま、〈エルカ〉は低軌道ステーションに到着する。

「ヒーハーッ! やった~っ! ついに来たぜセナジン! おNEWのヴァリスが!」

 ハッチが開くなり、そんな雄叫びと共に〈エルカ〉内に誰かが飛び込んできた。

 目の覚めるような深紅の髪を、見事なポニーテールしているのがまず目を引く人物だ。

 私より若干高めの身長、白い肌、身体にやたらフィットしたヴァリス用パイロットスーツを纏ったその身体のバストとヒップは、まるでどこかを目指すかのようにツンの上向きに張りだし、その間のウエストは反則なほどに細く締まっている。まごう事なき美女……いや美少女だ。

 その人物は私の前を駆け抜けると、積まれていた新型ヴァリスに飛び付いた

「待ってよゼルラぁっ! 抜け駆けなんてズルいよぉぉ!」

 数秒遅れて、そんな情けない言葉と共に、短い銀髪頭の絵本から出てきたような美少年が駆けこんできた。年齢は私と同じか一つ下くらいか………。

 いや! そうじゃなくて!!!!!!!!!

 私の前を駆け抜けた美少女は、銀髪の少年の声に振り返ると、同時に私の存在にも気がついた。否応も無く、眼と眼があった。

「お!? あんたか? 噂の新人って……あれれぃ~!! あんたユカリコじゃん! 久しぶり! なんでここにいるの!? 覚えてるか? 俺だよゼルラだよ! ん?」

 ああ、これはもう間違い無いらしい。

 その美少女は私に気づくなり、問答無用でいきなりギュッとハグして来た。

 地上から420キロのこの場所で、私は生まれて初めて恋した人と再会した。

 たとえその人が、自分と同い年くらいの美少女であったとしても、私の早まる鼓動と、胸の奥がキュンとざわめくような感覚は、なんら変わることは無かった。

 あああ、あ~……これは………………これは面倒なことになったかも……。




 あ、そうそう、ヴァリス隊が活動する、ここ、宇宙にしてはGがまだ存在し、さりとて地上というには余りにも高い高度420キロから1キロまでを、軌道エレベーター業界では、どこのどいつが言いはじめたのか〈絶対領域〉などと呼ぶのだそうな。

 そして私達、〈絶対領域〉を守る人々のことを……



 絶対領域の守護者 第一話『not(zero)gravity』       了

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