♯3
大気圏突入によって生じる凄まじい熱、振動、減速Gを、仰向けで落下する人型ロボットの胸に抱かれながら必死に耐える。
ほんの数分が数時間にも思えた。
ゼルラ氏が助けに来てくれた。それも巨大な可変人型ロボットに乗って……。
度肝を抜く事態である。だが今はそれどころじゃない。
これで、今度こそ助かったんだよね? そう思いたかった。が、それと同じくらい、まだ終わりじゃない分かっていた。
私は依然として自由落下中なのだ。
だが、今までのような怖さはもう無かった。だってもう一人じゃないから。
大きな機械の腕に包まれるのが、今はとても心強かったのだ。
『ユカリコ……生きて……る……か?』
それまで大気圏突入の轟音で聞こえようが無かったゼルラ氏の声が、ようやく再びヘルメット内に響いた。
「……………はぁ……はぁ……はぁ……はい、生きて……ます」
私は自分で自分の声を確かめるようにして答えた。
長かった大気圏突入の高熱状態が過ぎ去り、空気抵抗によりこれ以上遅くなれない程まで減速しきったのだ。さっきまで私の身を襲っていた減速Gが無くなり、再びあの内臓がゾワゾワするような0G感覚が蘇る。
ゴォ~という会話もままならないようなやかましい風鳴りが、それまでに比べればウソのように静かな、そよ風にも思えるようなレベルのボリュームへと変わった。といっても、日常レベルから考えたら充分やかましいのだけれど。
落下する私達の上下を、空の青と海の蒼が挟んでいた。
ここはもう宇宙じゃない。ここはもう地球と言っていいはずだ。
時々、雲の層が私の視界を一瞬真っ白にしたかと思うと、下から上へと通り過ぎていく。
私達の周りには、大気圏突入でも燃え尽きなかったステーションの破片が、濛々たる煙の尾を引きながら、一緒に並んで落下し続けていた。
私は改めて、私を抱きしめるそのロボットを見た。
全高は優に優に私の身長の倍以上はある。だいたい4~5メートルくらいか。
炎に照らされずに見るそのボディは、どうやら本来は白いカラーリングらしかった。
どうやらというのは、ボディのそこかしこが高熱であぶられて黒く煤焦げていたからだ。
さらにそのボディの端々からは、恐ろしいこと細い靄が、白く伸びて上空へと消えていた。やっぱあれって、いわゆる飛行機雲なのかしらん……。
胴体は自動車モドキ時の空気抵抗を考えてか、とても尖がったデザインをしているので、その胸に抱かれるのはけっこう大変そう思えるのだが、何故か胸には丁度良い場所に掴まる為の取っ手があり、それを握っていればしっかりとしがみ付いていられた。
ゼルラ氏はどこに乗っているのだろうか、きっと後頭部から背中にかけて大きく出っ張ったでかい冷蔵庫みたいな箱状の部分だろう。
頭部は空気抵抗を考えてか、分厚い紙飛行機というか、縁を薄くして横に倒した将棋の駒みたいな薄い楔形をしていて、胴体とほぼ一体化していた。
腕は箱をつないだような良くアニメとかで見るデザインだ。ただ脚部は違った。太腿部は角ばった箱状なのだが、人で言うつま先が前輪、巨大な後輪が脹脛から踵部分を成している。
……あんまり脚はヒトっぽく無い。というか人間と同じように頭と一対ずつの手足があるけれど、全体のバランスはあんまり人間とは似ていない。かといってチンパンジーやらゴリラに似てるわけでもない……つまりは人型ロボットだ。
ってか、なんで有人人型ロボット!? それも可変式!?
二十一世紀も終わろうかという今のご時世に、どこの誰が、何だって有人人型可変ロボットなんぞを、それも軌道エレベーターで!?
バッ……カじゃないの!? と言いたいところだが、今まさに、そのロボットに助けていただいた私にはそんなこと言う資格は全くもって無かった。
『ユカリコ、聞こえてるか? ユカリコ!?』
「は、はひ!」
『大丈夫か? なんか薄気味悪く笑ってたぞ』
「ほ、ホントにぃ?」
自分の置かれた状況の異常さに、脳内麻薬が出まくってるのかもしれない。
『いいかユカリコ、もうちょい我慢してくれ、これからまたピラーにひっ着いて、減速を掛ける。ともかくあんたは、そのまましっかりと掴まっていてくれ!』
「はひ!」
私の心の内など知るよしも無いゼルラ氏の言葉に、私は素直に従った。
まだ助かったわけじゃない。一番の難関をクリアしただけだ。ここで気を抜いて死んだらアホだ。私はロボットにしっかりとしがみ付いた。
私が抱いたゼルラ氏はどうやってここまで助けにくるのか? という疑問の答えは、この可変ロボットで軌道エレベーターの柱の壁面にひっ付いて降りて来るというものだった。
今は、柱から離れ、私を抱えて柱のすぐそばを自由落下中だけれど、当然、安全に止まるのには、また柱の壁面に張り着かなければならない……そういうことなのだろう。
まさかこういう事態を想定して、この人型可変ロボットが作られたわけじゃないだろうけれど、こんな所業は可変人型ロボットじゃなければ絶対に無理な話だ。
凄い! 可変人型ロボット凄い!
どうやら私はまた薄気味悪く笑っているようだった。
『ほいじゃあ…………行くぞ!』
ゼルラ氏の声と共に、私は抱えたロボットが身をよじり、背面状態から180度向きを変え、私を抱えた胸を下、地上方向に。脚部をピラー壁面方向に向け、あの紙飛行機みたいな頭を利用し、空力制御で柱に近づく。
太さ200mの白い柱のディティールが、まるでランニングマシーンの床のように高速でロボットの足元を通り過ぎていく。
吸い込まれるように細まり、海上へと続いて行く白い柱の先には、ゴール地点の人工島【ザ・パシフィカ】の姿が待ちかまえていた。真上から見るそれは、多数のギガフロートが幾何学的に集まって、まるで巨大な雪の結晶のようだ。
もうすぐ地べたに足をつけられる!!
……だが、ここでちょっと待って考えてみてほしい。
時速数百キロで動くランニングマシーンに、ひょいと飛び乗ったらどうなるかを。
『あら』
「ぎやあああああああああああああああああああああぁぁぁぁ!!!!」
高速で前方(地上)から後方(上空)へと過ぎ去る白い柱の壁面に、ロボットが足を接触させたその瞬間、ロボットは前につんのめった。それも恐ろしく高速で。
素人が柔道のナントカ掃いみたいな技を、突然くらったようなその衝撃を、千倍にしたような感覚が私を襲った。
そのまま抱えた私を壁面に激突させなかったのは、不幸中の幸いなのかもしれない。が、私は突然襲ってきた縦の回転運動によって、ロボットから遠心力で吹っ飛ばされた。
私は今度こそ自覚を持って絶叫した。
世界が目まぐるしく空、海、空、海と回転する。せっかく掴まえてもらったのに、私はまた一人で大空に放り出されてしまった。
「ひぃぃぃぃぁああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
『あ~! ゴメンゴメン!』
なんとか縦回転状態を脱したゼルラ氏のロボットが、空を泳ぐようにしてやってきて再び私をキャッチしてくれた。
ごめんじゃないよ! 超ビックリしたよ!
私はもう、ついさっきまで抱いていたような、助かるかもという楽観的な気持ちは持てなかった。
てっきり、出来るからやるものだと思っていたよっ!。
『すまんシクッたわ。もういっぺんやるぞ』
私をつかまえたロボットは、再びエレベーターの柱へと向かった。そして……
『あら』
「ぎやあああああああああああああああああああああぁぁぁぁ!!!!」
柱の壁面に足を付けようとしたロボットは再び盛大につんのめり、私は吹っ飛ばされ、そして『あ~! ゴメンゴメン!』となんとか縦回転状態を脱したゼルラ氏のロボットが、時計塔から落ちたクラリス姫を追いかけるどこぞのドロボー三世のごとく、ワタワタと空を平泳ぎするようにして追いかけ私をキャッチしてくれた。
無駄に人間くさい動きをしよるロボットだ……。
どうでもいいが、再びキャッチされた私は、ロボットの胸のあたりにしがみ付きながら、背中とお尻をロボットの大きな手に包まれるようにして抱えられていた。
ああ、これって世に言う『お姫様だっこ』!? まさか人生初のお姫様だっこのお相手が、ロボットであったとは! ……人間相手ですらないって!!
……だが、サイズ比から言ったら、これってお姫様だっこというよりも、母親に抱きかかえられた赤ちゃんと言った方がいいのかも。
『あれ、おっかし~なぁ……思ったより難しいなぁ……』
「ど、どどど、どううすんですかゼルラさん!!」
『いや一人だったら楽にできるんだぜ。ただ人を抱えたままなんて経験無いからさぁ』
恐ろしいことに、ゼルラ氏にとっても二度のピラー壁面への着地失敗は、想定外の事態だったようだ。
良くが分からないが、どうやらロボットの両手が私の身体で塞がっているため、バランスがとれなくてうまく着地できないということらしい。
『ははははは…………………これはマズイかも……』
「今なんか言いました!?」
私は、今一番頼りにせざる負えない人間から、今日一番不穏な言葉を聞いた気がした。
軌道エレベーターの柱に着地できない。それはつまり、このままでは減速無しで軌道エレベーター基部の、あの雪の結晶みたいな人工島【ザ・パシフィカ】の地面に激突するってことだ。
危険はそれ以外にも迫っていた。
私達と並んで落下している低軌道ステーションの破片が、突然白い煙に包まれると、ボシュっと爆発……いや蒸発したのだ。
『あ、まずい。迎撃がはじまっちゃった……』
「なんですか!? なにそれ!? どういう意味ですか!?」
『え~とだな、落下した破片が下の【パシフィカ・アイランド】に激突して被害を出さないよう、下からレーザー砲で撃って気化処理させてるんだなぁ』
ゼルラ氏はさらりと答えた。
天文学的予算を費やして建造され、何千何万人という多くの人命を預かっている軌道エレベーターは、全人類にとっての至宝ともいうべき存在であり、絶対に千切れたり、破壊されるようなことがあってはならないわけで、当然、ありとあらゆる事件事故、テロ等に備えた策が用意されている。
デブリ対策はもちろんだけれど、例えばテロリストによって、ミサイルやらハイジャックされた旅客機による体当たりやらで、軌道エレベーターを攻撃してきた場合に備え、迎撃用の強力なレーザー砲も備えられているという……というか今見た。
レーザーと言えば、映画で見るような光る真っ直ぐな筋みたいなのを想像していたのだが、今、次から次へと落下する破片を撃っては蒸発させているレーザーは、まったく目に見える光は発していなかった。微かに気化、爆発した跡の煙の後方に、それらしきレーザーの白い光の直線が、フラッシュのように瞬いたような気がするだけだ。
だが、そんなもんで撃たれたら、私は骨一本残すことなく天に召されるであろことは間違いないわけで……、
「え、それってウチらも危ないんじゃ……」
『一応、オレ達は迎撃優先順位の一番最後にしてもらってるはずだぜ。絶対防衛限界高度を切らない限りは撃たれないはずなんだが…………』
「それってそのなんちゃら限界高度を切ったら私らも撃たれちゃうってことなんじゃ……」
『まったくそのとおりだ』
「それって、あとどの位の猶予があるんですか!?」
『う~んと、長くてあと30秒ってとこかな?』
「わ~ん! もう駄目だ~!!」
ロボットにしがみ付いている手を離せたなら、私は頭を抱えて泣き叫びたかった。
いつの間にか、一緒に落下していたはず低軌道ステーションの破片は、見えないレーザーによって一つ残らず蒸発させされ、今やこの空にいるのは、私と私を抱えるロボットだけになってしまっていた。
いつの間にか眼下にもう雲は無く、かわりに【パシフィカ・アイランド】の人工島構造物が視界を覆う程に巨大になって迫っている。宇宙にいた時より遥かに遅くなんているはずなのに、私は自分が猛烈なスピードで落下していることを、今頃になって実感しだしていた。
そして不思議なことに、自分らが落下しているのに、何故か地面の方がせり上がってきているような感覚がする。
ロボットの足元の白い柱は、地上に近づくにつれどんどん迫ってきているように見えた。
幻覚ではない。軌道エレベーターの柱の基部は、地上部分ではひっくり返したラッパのように末広がっているからだ。
我が身を待つ運命は、レーザーに焼かれるのか、地面に激突するのか、はたまた無理に柱の壁面に取り着こうとして壁面に激突するのか……。
「わ~ん! お母ちゃ~ん! お父ちゃ~ん! そ、それから……お、お兄ちゃ~ん!!」
『落ち着けユカリコ! まだ終わったわけじゃない!』
これはもう、いよいよパニックになってもいいんじゃないかと思い始めた私に、ゼルラ氏が怒鳴った。
「何か手があるんですか!?」
『いや、それは……無い事はないんだが……』
「あるなら早く何とかしてくださいってばよっ!!!」
『ああ~、うん。だけど、あ~まぁ~多分、上手くいくというか、なんというか……』
事ここに至って判然としないゼルラ氏の反応に、私は脳の血管がブチ切れそうになった。
「はや~くッ!!」
『ああ、分かったよ! ……………くそ!』
それでもなお、ゼルラ氏は一瞬躊躇すると、ようやっと叫んだ。
『……こら~セナジン! いるなら早く来~い!』
散々、焦らした挙句、ゼルラ氏が叫んだのはそんな誰かを呼ぶ言葉だった。
「へ?」
どうやら、ゼルラ氏の言う【残った手】というのは、能動的な事では無いらしい。
というか、他力本願だった。
状況にも何も変化は無かった。大体、あなた以外に助けが来るなら、もっと早くにきてそうなもんだし…………。
虚しい沈黙が続いた。
『……こ、こ~ら~!! セナジン! いるなら早く来いって………』
『来たよ~お待たせっ!』
ゼルラ氏が僅かに焦りを滲ませ再度叫んだその時、唐突に返事は来た。
と同時に、私達と迫る【ザ・パシフィカ】の地面と、その間の軌道エレベーターの壁面上に、横合いから突然新たな自動車モドキが躍り出た。
『遅~い!!』
怒鳴るゼルラ氏。私も同じ気持ちだったが、怒鳴るより驚きが先に来てしまっていた。
今までこの自動車モドキはどこにいたんだ? と一瞬思ったが、きっと、私達とは反対側の柱の壁面を今まで追走していたのだろう。
『仕方ないじゃん。ゼルラがほったらかしにした破片を、オレがライフルで細かく砕いてたんだか……』
『いぃ~から早く掴まえてってば!』
『わ~ってる! 分かってるてば!』
自動車モドキ二号の人は、ゼルラ氏となんだか痴話喧嘩みたいな会話をしながら、ゼルラ氏に答えるように、私達の前方でばしゃりと人型ロボットに変形すると、上半身だけを180度回転させ、両手を広げて後ろを向いた。
人間では不可能な体勢に一瞬ぎょっとなるが、ロボットなのだから不思議じゃなかった。
『ゼルラ! 後ろを向け!』
『了解!』
「ひやっ!」
ちょっと待ってという間も無く、私を抱えるロボット・ゼルラ機が180度回転、仰向けとなり、ロボット・セナジン機に背を向けた。
『いくぞ!』
セナジン氏のその掛け声と共に、ゼルラ機の肩越しに見える前方ロボット・セナジン機の広げた両腕の内側から、何かが発射された。
「ひっ」
なんか撃たれた!? と一瞬目をつむる。しかし、私の掴まるロボットにはカンッという僅かな振動が襲ってきただけだった。
恐る恐る目を開けると、ロボット・ゼルラ機の背中に、ロボット・セナジン機の腕から伸びるワイヤーらしきものが撃ちこまれていた。発射されたのはこれか!?
『そりゃ~い!』
掛け声と共に、セナジン機がワイヤーを引っ張り巻き取る。
「わひゃあああぁぁぁ」
何か言う間も無く、私がしがみつくロボット・ゼルラ機は、どがしゃ~んとばかりにセナジン機の腕に背中から抱きとめられた。同時にゼルラ機の脚部がセナジン機によって、軌道エレベーターのピラー壁へとに押しつけられる。
シュバッ!!
次の瞬間、頭上に雷のような閃光が瞬いた。見上げれば、ゼルラ機の分厚い紙飛行機みたいな形の頭部が、白い煙に包まれ吹き飛んでいた。
「ぜぜ、ゼルラさん!?」
『おおっと危ねぇ、危ねぇ』
まったく危機感の無さそうなゼルラ氏の呟きが、無線越しに聞こえた。
煙が晴れると、頭部があった場所には戦闘機のコックピットのような丸っこいキャノピーが見えていた。吹っ飛んだのは紙飛行機のような三角形の外ッ皮だけのようだ。
キャノピーは金色のサングラスみたいに光を反射して、その奥は良くは見えない。が、ゼルラ氏らしき人の頭のシルエットがぴんぴんしているのが分かった。どうやら私らは迎撃レーザーで焼かれる半歩手前で、なんとかピラーに張り着くことが出来たようだ。
「…………もうやだ……」
『よし、止まるぞセナジン!』
『あいよ!』
私の肉体的、精神的疲労なんぞお構いなしにゼルラ氏達は示し合わせると、下半身のみを自動車形態に変形させ、軌道エレベーターの壁にひっついたまま降下し続けるロボットに、猛ブレーキをかけさせた。
「んげっふ!」
ずべっしとばかりにロボットの胸に押し付けられる私の身体。
抱きついた二機のロボットは、【ザ・パシフィカ】軌道エレベーター基部の目前で急激な減速を開始した。
ぎょぎゃぎゃぎゃぎぎゃぎぎゃ~っ!! という大変鼓膜によろしく無い怪鳥の断末魔みたいな暴音を、ヘルメットごと私の頭蓋骨に響かせながらロボット二機は減速していく。
地上420キロから見下ろした景色に比べたならば、眼球から瞼の裏を見る程に近くに迫った地面が迫る。
地上まではすでに目測でも1キロは軽く切っている。とても今の降下速度で安全に停止できるとは思えなかった。
『ゼルラ、やっぱこのコースじゃ止まれそうにないからステーに向かうわ』
『やっぱり? 了解した。ステーに向かおう!』
何か、また私には分からない会話をパイロット達がしている。
〈ステー〉って何だ? その疑問は、すぐに解かれた。
降下減速中のロボットが、ほんの僅かだが急に向きを変えたのだ。
「ひっ!」
僅かなコース変更でも生身の私には結構な負荷だ。事前に言っていただきたい!
ロボットの肩越しに前方(地上)を見れば、ロボットの向かう先がわかった。
ピラーの地上1キロ付近からは、柱を支える為のワイヤーが周囲に何本も伸び、巨大な雪の結晶のような人工島の端へと繋がっている。まるで逆さにした傘の柄の根基のように。
ロボット二機は、そのワイヤーの上に進路を変えたのだ。
このままピラー壁面を通るよりも、ワイヤー上を通った方が地上までの残りの距離が長い分、減速距離を稼げるという判断なのだろう。
………そのワイヤーの事を〈ステー〉と呼ぶらしい。
確かに軌道エレベーターの柱に対しては細いワイヤーにしか見えないけれど、この距離で見れば、半自動車形態のロボットが乗っかるには充分な太さがあり、確かにワイヤーというよりもステーと呼ぶのが合ってっそうだ。
そう、目測で太さは5メートル弱ぐらい?
ここで想像てほしい。時速数百キロで、ガードレールも無い不安定なワイヤーの上、地上から数百メートルの高さを疾走する気分を……。
「ぎにゃぁぁあぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁあぁぁぁぁああああああぁぁぁぁあああぁ~!」
もしそばで聞ける人がいたならば、きっとドップラー効果のなんたるかを実感できたであろう悲鳴を上げながら、私はただ必死にロボットの胸にしがみついた。
ベルト無しでジェットコースターに乗るような気分……どころではない。ほんのちょっとコースがずれたら、今度こそロボットごと私らは地上数百メートルから落下するのだ。
眼下に見える景色は、近づいただけでなく、急激に減速している為に私の動体視力で追える範囲となり、待ち受ける地上の建物や道路、そこを通る自動車類や、携帯カメラをこちらに向けて佇む歩行者達のディティールが鮮明に見え、私の恐怖心を刺激しまくった。
ステーは、反比例のグラフのように、縦方向から水平方向へと緩やかにカーブしている。それこそジェットコースターように。
お陰で私がGに押しつぶされる寸前で、落下の向きとスピードとを、地上へ向かう方向から水平方向へと半ば強引に偏向させることに成功した。
減速でロボットの胸に押し付けられる力が、足元から突き上げられるようにして、地上へ向かう重力と分離するのを感じる。
『と~ま~れ~っつ~の~っ!!』
踏ん張るゼルラ氏の呻きが聞こえる。
ステーの高さはあっという間に地上数十メートルにまで下がっていた。
なんとか地上へ、ビターンとばかりに、ド派手にタッチダウンするのは回避できそうだ。
けどやった! やっと地上だ! と安心するのはまだ早かった。替わりに、今や心配すべきは人工島の端から海へ向かって、猛烈な速度で飛びだすことへとなっていたからだ。
ロボットのスピードは、ホーム手前の電車くらいにまで落ちていた。
ステーの基部まであと数百メートル程だ。そこは同時にこの広大な人工島の端でもある。その向こうは水平線が臨む太平洋だ。
このまま減速し続ければ、なんとかその直前で停止できそうだ。
まったくベタな映画じゃあるまいし、なんでこうも何もかもギリギリなんだろか! 別に余裕をもって助かっても良いんだよ!
……と思ったら、ステーを下り切り、人工島島端の真っ平らな地面にまで到達したところで、ばすんッという破裂音とともに、つかまっていたロボットが急に傾いた。
『わ! バーストした!』
ゼルラ氏が喚いた。
足元を見れば、自動車形態になったロボットの脚部、巨大な後輪タイヤがパンクして、むき出しになったホイールが地面に擦れて盛大な火花を上げていた。
怪鳥の断末魔めいたブレーキ音が、電動ノコギリの鍔競り合いみたいな音に変わる。
地上420キロからここまで、無茶をしまくったタイヤがとうとう限界を迎えたのだ。
同時にロボット・ゼルラ機のブレーキングが止まり、車体が盛大にスリップし始めた。
前方のセナジン機が、スリップするゼルラ機を抑え込みながらブレーキングを続けるが、一機では私らのロボットごと止まるには、僅かだが距離が足りそうにない。
ここまで来て!
目前にはこの人工島の終端が迫っていた。ここからは良く見えないが、人工の切り立った崖みたいになっている。海上からは結構な高さ――少なくとも空母やタンカーの甲板くらいの高さはありそうだ。あまり落ちて安全そうではない。
この宇宙服って、着たまま海に落ちたとして水に浮くのだろうか? このロボットだってやっぱり水には浮かばないよねぇ?
どうすべきか考えているうちに崖は目前に迫る。
「あわわわわわ…………」
あと岸壁まで数十メートル! スピードはもうジョギング位の速さにまで落ちている。だけれども、ロボット二機分の重たさを考えれば、そうそう止まれるものではなさ気だ。
『ああーもう! 仕方が無いなあ……』
突然、前方のセナジン氏がそうぼやくと、ゼルラ機を抱えるロボットの腕を伸ばして一端離れ、前方に向けて踏ん張っていた下半身を180度回してこちらに向けると……、
『ていっ!』
ゲシッとばかりに、セナジン機が、私の掴まるゼルラ機の背中を、そのタイヤになってる両の脚で思いっきり蹴っ飛ばした。
「がっ!」
何すん!? と当然思ったが、何をしたかったのかはすぐに分かった。蹴られた反動で私の掴まるゼルラ機がさらに減速したのだ。
これで岸壁の手前で止まれそうだ。しかし、蹴った方のセナジン機は、その反作用で減速するどころか岸壁に向かってさらに加速してしまった。
『あ、おいセナジン!』
ゼルラ氏もその状況に、さすがに慌てた声を出す。
そのままセナジン機は、私たちの眼前で岸壁の向こう側へとふわりと消えた。
その数秒後に、岸壁の正に手前で、お尻をはみ出させるようにしてゼルラ機が止まった。
地上420キロの位置エネルギーから転じた運動エネルギーを、やっと使いきったのだ。
先ほどまで響いていた、車体とコンクリが直接擦れるかん高い金属音が止んだ。かわりに、ここがどこかを知らせるように波の音が聞こえる。
だが、私達が助かった事を喜ぶのはまだ早かった。
ここまで数々の苦難をクリアしてきて、結局誰かが死んでお終いだなんて納得できない!
『お~いセナジン? 無事か!?』
ゼルラ氏が私を抱えたまま、ロボットの上半身を岸壁から乗りださせ、眼下に広がる海面を覗いた。
『やっほ~い』
そこには、ゼルラ機を引き寄せるのに使ったワイヤーを岸壁に打ち込んで、海面に足が触れそうな高さでぶら下がるロボット・セナジン機に姿があった。
…………ひらひらと手を振って、とても元気そうでいらっしゃる。
『…………まったく……』
セナジンの無事を確認すると、ゼルラ機は岸壁ギリギリの地面に、ペタンと座り込んだ。
私はロボットからよろよろと降りようとして、急に何かに引っ張られて超ビックリした。
引っ張ったのは、誰あろう自分自身だった。ロボットの胸にある取っ手を必死で掴んでいた右手が、掴んだまま放してくれなかったのだ。
「あれ? ………あれ?」
自分でも笑ってしまうくらいに、右手は私の意思を無視して、ハンドルを握り続ける。
私はあいている左手で無理矢理指をこじ開けてようやくハンドルを放すと、パタリと地面に崩れ落ちた。何故か地面にぶつかった瞬間が、低軌道ステーションからここまでの道程のなかで一番痛かった。受け身をとる元気がもう無かったのだ。
些末なことだが、ロボットの胸になぜ取っ手が付いているのかがちょっと分かった。このハンドルはロボットに乗り降りするのに丁度いい位置にあったからだ。
このハンドルをこの部分に付けることにした人はグッジョブだ。
助かったんだよね?
……ここ天国じゃ無いよね?
……夢でもないよね?
頬をつねって確かめるには、ヘルメットが邪魔だった。
震える手で、なんとか宇宙服のヘルメット外すと。湯気を上げながら頭部が解放された。
バシャリとヘルメット内で流していた汗が地面へと滴り落ちる。
ヒリヒリする程に冷たく感じる風が頬を撫でる。
何せ大気圏突入で散々あぶられた後だもんね。
潮風の匂いが鼻をくすぐる。頬をつねるまでもない。ここは間違いなく海のそばなのだ。
仰向けになると、ヘルメットで遮光されていない日の光がベラボーに眩しかった。上空を舞う数羽のカモメが逆光となって見える。
背中にどっしりとして揺らぐことの無い人工島の地面を感じた。
ここは地球……地上、太平洋、赤道直下に浮かぶ人工島の上………。
私は帰ってきたのだ。
「うお~いユカリコ無事か?」
誰かが私を呼んでいた。聞き慣れない声だった。だってもう無線越しじゃないから……。
視界の隅に、大きく前後に開いたロボットの後頭部から、誰かの上半身がむくりと起き上がらせ、私を見下ろすのが見えた。
ああ! あなたがあの……!!
まったくもって唐突に、鼓動が早まるのを感じた。
いやいや、ここは命が助かって、溶けちゃう位にほっとするとこでしょうに。
だが私の心臓は、そんな私の常識的な要求を無視して、今までの人生ではついぞ味わったことのない感覚を与え続ける。
まるで胸の奥が焦げ付くような……キュンとするような……そう、これはまるで………。
私はこの感覚を、かつて一度だけ、ある人を相手に感じたことがある。それはもう黒歴史としてカテゴライズされているけれど、それでも、そう、この感覚はまさしく……。
一つは職業方面に関する〈夢〉。
もう一つは恋愛方面の〈夢〉、彼氏彼女が欲しい、両想いになりたい。運命の恋人と出会いたいというアレだ。
絶対絶命の大ピンチに、颯爽と駆けつけ、命がけで私の生命を救ってくれた人……ついでに可変人型ロボットのパイロット!
これって、世に言う白馬の王子様的な……映画か何かだったら絶対に…………いやいや、だって顔も知らないのに!
一目ゼルラ氏の顔を見たいよ。そう思うのだが、逆光となったゼルラ氏の姿は黒いシルエットとしてしか見えなかった、そしてその輪郭も急激にぼやけてきていた。
私は私を救ってくれたゼルラ氏に対し、突如沸いてきたこの感情に大混乱に陥っていたが、同時に、肉体的な限界にも達していたようだった。
私の意思とは無関係に、身体の方は勝手にスリープモードに移行しようとしている。
猛烈な睡魔のような何かに襲われ、私は堪えることが出来ずに瞼を下ろした。
微かにヘリのローター音が聞こえる。救助ヘリでも来たのかしら?
私の思考はそこでふつりと途切れた。
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