Choral Love 3

 * * *


 旅館から五分ほど歩いたところにあった小さな神社で夏祭りが開かれていた。

 地元の人しか行かないような小さなお祭りだったけど、ちゃんと屋台もあって子供からお年寄りの姿まで見受けられた。

「いい雰囲気ですね」

「そうね……」

 子供なら楽しいとはしゃぐのだろうか。

 中高生なら胸が躍るのだろうか。

 少し大人になった私たちにとって、小さなお祭りの雰囲気はどこか落ち着くものだった。

 日本の原風景は、私たちにとってもきっと原風景。今の日々に疲れて旅をしてきた私たちだからこそ共感できるなにかがあるのだ。

 たとえ、こうして二人で夏祭りへと足を運んだ機会が過去に無かったとしても。今の時間とこの空気が懐かしいのだ。たまらなく。

「なにかやりますか?」

「うぅん。こうやってお祭りの空気の中を歩いているだけで、私は十分よ」

 そっと、私は右手で山崎君の左手を握りしめた。

「せ、先輩!?」

 最初は本当に自然体だった。

 だが、やがて。

「えっ、やだっ、私ったら……!?」

 自分がしでかしたことに脳の理解が追い付いて、あわてて手を離す。

「あはは……ごめんなさい。いきなりでびっくりしたでしょ」

 なにか話を変えよう。

 ええっと、そうだな、えっと……。


「先輩」


 私の右手と山崎君の左手がもう一度つながって。

 そのうえ、さっきと違って、私と山崎君が向かい合う格好になった。

「機会をずっとうかがっていたんですけど……ダメですね、今を逃しちゃ」

 私を見つめてくる山崎君の目はなにひとつ変わっていなかった。

 観客席からステージを見上げていたあの日から。


「ずっと高松先輩のことが好きでした。高校のときから、ずっと先輩のことを追っかけていました」


「……うん」

「僕にとって先輩はステージの上の人でしたからあの頃はしゃべることすらできませんでしたけど……」

 そうだね。

 あの頃は私は歌うだけで、あなたは聴いているだけだった。

 でも、そうじゃなかったんだね。

「こうして先輩と夢のように再会することができて。こうして一緒に旅をすることでわかりました」

私が歌声を届けている間に、あなたは芽生えた気持ちを大切にしてくれていたんだね。


「僕のあの日の気持ちはなにひとつ間違っていなかったということです」


 ふぅ、と一息ついた山崎君は温かな笑みを浮かべてくれた。

「ごめんなさい。急にこんなことを言ってしまって」

「うぅん」

 今度は私が伝える番だ。

 今度こそ私が手を差し伸べる番だ。

「実を言うと、昨日は少しウソを吐いちゃって」

 今思うと、あのときとっさにあんなことを言ってしまっていた時点で、山崎君のことをどこかで意識していたんだろうな。

「はい?」

「恋愛相談の話」


 昨日の電車の中でのやりとりだ。

 ――そうだよね、うん。高校のときの一年後輩の子だよね。覚えてるよ。

 ――山崎君のことが好きだって相談を受けたことがあって。

 ――いや、どういうこともなにも。山崎君のことが好きなんですけど、どうにかしてくれませんかって。

 ――うん、まぁ。だって山崎君って、音楽部では有名だったし。

 ――川原奏さんって覚えてる?

 ――うん。その子が山崎君とクラスメイトだというから話は聞いてたよ。

 ――その感じだと結局結ばれなかったんだろうなぁ。あの子、元気にしてるかな……。

 ――原田君。


 そしてさらに向日葵のステージで歌った後もこうとどめを刺したのだ。

 ――原田君の恋、実らなくてよかったのかもね。


「原田君の恋愛相談は受けたことがあるけど、相手は音楽部の別の女の子」

「あ、やっぱりそうですよね」

 山崎君はよかったーと胸をなでおろした。苦し紛れのウソだったけど、それなりに信じていたようだ。

 悪いことしちゃったかな。

「山崎君のことが好きだったのは奏ちゃんよ」

 山崎君と奏ちゃんは私の一学年下で、クラスメイトだった。

「川原さんだっけ」

「うん。もう悲しいほど覚えてないんだね」

「ごめんなさい……」

 奏ちゃんは大切な後輩だったから山崎君が覚えていないのは寂しい。

 でもそれは、結局、高校生活の間で、奏ちゃんが山崎君に対してアプローチできなかったことを意味する。

「でも、どうして川原さんが僕のことなんか……そりゃクラスメイトだったからそれなりに会話はあったけど」

「それをあなたが言うかな」

 頻繁に会話をする仲じゃなくっても人を好きになることがあるんだって、あなたが身をもって教えてくれたというのに。

「奏ちゃんはね、真剣に私たちの歌声を聴いてくれた山崎君の姿を見て好きになったんだよ」

「あ……」

 いきなりこんなことを言われても戸惑うよね。

 もしあの日、私が山崎君の想いを知っていたら、やはり同じように戸惑っていたのだろうか。

「でも僕は……」

「わかってるよ。それは奏ちゃんも。わかってなかったのは――」

 あの日の私くらいだ。

「実はさっき、奏ちゃんから電話がかかってきて。歌手活動お休みされているようですけど、どうしたのですかって」

 今でも奏ちゃんは私のことを心配してくれている。私のことを大好きな先輩として見てくれている。

 だからこそ――山崎君への想いが芽生え始めている今だからこそ、奏ちゃんと向かい合わなくちゃいけなかった。

「それでね、昔のことを聞いたの。そしたら……奏ちゃんはわかっていたんだね、山崎君が奏ちゃんじゃなくてずっと私を見ていたということ」

「…………」

 自分の好きな人が見ているのは自分じゃなくて先輩だった。

 その事実を知ったとき、奏ちゃんはどれほど辛かっただろう。

「でも、奏ちゃんは優しい子だよ……。私は歌うことと音楽部のみんなをまとめることで精いっぱいで、山崎君の想いなんて気づかなかったから。下手にそのことを言うと、私までモヤモヤしたものを抱えてしまって、今までの関係が壊れてしまうって思ったんだね」

 電話口の向こうの奏ちゃんは泣きながら謝っていた。

 ごめんなさい。私が臆病で卑怯だったからなんですって。山崎君に告白する勇気がないくせに、山崎君が私を好きなことを私が知ってしまえば、もうずっと山崎君と結ばれることはなくなるから嫌だったんですって。

 でも、そうだとしてもね、奏ちゃん。あなたが一人で抱え込むことじゃないのよ。

「それなのに私はそういう裏事情も知らないで、のんきにアドバイスにもなっていない恋愛アドバイスをしていたのよ。笑っちゃうわね」

 叶いもしない恋愛のアドバイスを延々と聞かされてるなんて、かわいそうすぎる。

「だからね、私決めた」

 書きかけの古い物語はきちんと終わらせよう。

 これから新しい物語を始めるために。


「あの日叶わなかった奏ちゃんの想いも、あの日届かなかった山崎君の想いも……全部私が鈍感で間抜けだったせいなの」


 実際のところどうだったなんてどうでもいい。

「私は奏ちゃんや山崎君の一つ上だもの。後輩君たちはね、先輩に甘えて、余計なものは背負わずに笑っていればそれでいいの」

 そうして、みんなで笑いあえたらそれでいい。

 みんなで楽しまないと美しい合唱は生まれないもの。

「優しいんですね、先輩」

「そうかな?」

 私が好きな人みんなが幸せになれたらいい。それだけのこと。

「もし川原さんと話をする機会があれば、一度話をさせてください。僕からも伝えておくべきだと思うので」

「そのあたりのことは任せるわ」

 これで奏ちゃんも吹っ切れたし、もしかしたら告白とかするのかもね。

「…………」

「先輩?」

 いや、結果はわかってはいるのだけど。

 それでも不安になってしまうのだから、恋というものは厄介だ。

 だから。



「山崎君!」

「はい!」


 私は恋の歌を歌おう。


「私のことを好きになってくれてありがとう」


 聴いてくれる人が幸せになれる、そんな恋の歌を。


「私もあなたのこと、好きになってもいいですか」


 歌は時を越えるもの。


「これから一緒に……歩いていきませんか」


 いくつもの届かなかった想いを今へと伝えよう。


「今度は……二人で一緒に歌いましょう」


 この想いを歌い始めるのは――今からでも遅くない。



Let's Sing Their Love Song...

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夏色の旅歌 九紫かえで @k_kaede

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