Choral Love 2

 * * *


 夕食を終えて、私と山崎君は部屋でくつろいでいた。

 こんなにゆっくりとした時間をすごすのは、いったいいつ以来になるのだろう。

「ありがとうね」

 山崎君にはちゃんと伝えておかないと。

 昨日、そして今日と。私は水を得た魚のような時間をすごせているんだってことを。

「その……こんな感じで大丈夫でしたか」

「うん?」

「いや、旅行なのにほとんど電車に乗っていたなって」

 あはは、と山崎君は自嘲気味に笑ってから。

「実のところ、昨日先輩と出会うまでの間に気づいたんですよ。この歳にもなって目的もなく炎天下を歩くのはしんどいなって」

 世間からみればまだまだ私たちは若者と呼ばれる年代だ。そんなに自虐的になることはないと思うんだけど。

 でも、体力旺盛だった高校生の頃からは、時は流れているわけで。

「いや、僕はいいんです。でも、さすがに先輩を汗びっしょりにはさせたくなかったんで」

 それは今日のお昼に聞いたこと。これが彼なりの私への気遣いなんだろう。

「うん、気遣ってくれてありがとう。私は退屈しなかったよ」

 予定だらけの日々に疲れていたんだ。なにもないくらいがちょうどよかったのだ。

「車窓も山崎君の話も面白かったしね。まだまだ日本には知らない場所がいっぱいあるんだって思ったわ」

 もし。

 私と山崎君が高校生だった頃に、こうやって会話を交わす仲だったとしたら。

 こういう感じだったのだろうか。それとも違った関係になっていたのだろうか。

「そう思っていただけたのでしたらよかったです」


 ――こんなに楽しいのだったら、あのとき、ちゃんとお話しておけばよかったな。


 いまさらどうしようもない「たられば」が次から次へと湧いてくる。

 会話をほとんど交わすことがなかった音楽部の部長の女の子と聴衆の男の子。

 今まで別々の人生を歩んできた。でも、こうやってまた出会うことができて。

 会話を交わすこともできた。短い間だけど、同じ時間をすごすことができた。

 山崎君とお話したい。山崎君のことをもっと知りたい。

 そう思ってしまうのは……ただのノスタルジーなのだろうか。


「先輩!」

 山崎君の声で我に返った。それと同時に着信音が耳に入ってきた。

「あ。電話鳴ってるね」

「ちょっと僕、旅館の中を散歩してきますね」

 携帯電話の発信元の名前を見てどきっとした。

「う、うん……」

 山崎君が気を利かせてくれてよかった。

 仕事の話だったら今は全部スルーするつもりだったんだけど、そうじゃなかった。

 山崎君が部屋を出たことを確認して、一度深呼吸をしてから、私は電話に出た。


 + + +


 降り続く雨はいっこうにやまなかった。

 部活動が終わってからも音楽室で後輩の練習に付き合っていたのだが、気がつけば完全下校時刻も近い。


「そろそろ帰ろっか」

 音楽室にいたのは私と、その後輩の川原奏ちゃんの二人だけ。

「ごめんなさい。個人的なわがままを聞いてもらって」

「うぅん、私のことは気にしなくていいから。それより……」

 奏ちゃんとの個人レッスンに付き合っていて、少し気になることがあった。

「歌声は問題ないけど、ちょっと表情が暗いというか……。なんだか悩み事でもあるのかな?」

 部活の顧問や他のメンバーが気づかないほどの、些細な違いだったんだと思う。でも奏ちゃん一人だけの歌声を耳にすると、私は彼女がなにかモヤモヤを抱えているように思えたのだ。

「やっぱり……」

「うん?」

「高松部長は鋭いですね」

 こうやって部長である私と二人きりになろうとする時点で、なにかあるんじゃないかなって思うもの。

「部長にばれちゃったなら言っちゃいます」

「うん。その方がきっと楽になるよ」

 なんでもない後輩からの相談。

 部長だからだとかそういうこと以前に、大切な後輩だった奏ちゃんの力になりたかった。

 ……それだけのはずだった。


「私、好きな人がいるんです――」


 + + +


「先輩」

 山崎君が部屋に帰ってきたのは、私がちょうど電話を終えたタイミングだった。

 もしかしたら外で待たせてしまっていたのかな。

「どうしたの?」

 さっきまでと変わらない調子で私は応対した。

「いや、さっきフロントのあたりまで散歩していたら、外から音が聞こえてきたんですよ」

「うん」

「どうやら地元の夏祭りでもやっているんじゃないかと思ったんです」

 夏祭りか。

 男の子と二人でお祭りに行くというシチュエーションは、女の子なら胸が躍るものね。

 だなんて、奏ちゃんに全然役に立たないアドバイスをしたこともあったっけ。

「それで、ほら、今日はずっと電車に乗ってばかりでしたし……、もしよかったらですけど」

「うん。行きましょ」

「……はい!」

 ほっとしたようで、そして心から嬉しそうな山崎君の笑顔。


 ――なんでもっと早く気付いてあげられなかったんだろう。


 その一言をぐっとこらえて、私は出かける準備をした。

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