Choral Love 1


 私は疲れていたのだ。

 高校卒業後、音大に進学して、そしてプロの歌手になり。

 アメリカやヨーロッパを駆け巡って、世界中で歌声を届けた。

 でも。

 仕事が増えて、歌うことが当たり前になっていくうちに、だんだんと自分を見失っていった。

 どうして歌うのか、歌うことでなにをやりたかったのか、わからなくなってきていた。

 そんな答えの出ない日々に疲れ、思い切って休みをもらって一人旅に出た私。


「うわぁ……」

 一人旅のさなかで、私は高校時代の後輩と再会した。

 その彼に連れてきてもらったのは一面に咲く向日葵畑。

「素敵ね……よくこんなところを知っていたわね」

「えぇ、仕事柄ですけどね」

 黄色と茶色と緑色の三色で埋め尽くされた大地。

 雲一つない透き通った青一色で塗られていた空。

 力強い、原色の色使いがまぶしくて。じわじわと、心の中にあるなにかを溶かしていくのが分かった。

「向日葵って、みんな同じ方向を向いているのよね……」

 かつて音楽部のメンバーを束ね、みんなで前を向いて、合唱をしていた日々を思い出す。

 ただ、ただ、歌うことが大好きだったあの日々のことを。

 胸のあたりにこみ上げてくる懐かしい感情を一度ぐっと抑えて。

「うん」

 今なら、きっと。

「……山崎君!」

 幾輪も咲く向日葵たちを従えて、私はまっすぐに彼の瞳を見つめた。

 かつて音楽会のたびに足を運んでくれた彼が私をこんなに素敵なステージへと誘ってくれた。

 それがなにを意味するのか――その自分なりの答えを彼に伝えよう。

「歌ってもいいかしら」

 彼はこくんと頷いた。

 話は後でもいい。今は思うがままに歌い上げよう。

 彼が真剣にステージを見上げていた、あの頃のように――。


「さぁ、


 新しい物語を始めましょう」




Choral Love




 ――どうでしょう、先輩と二人で、二日間どこかを巡るというのは。


 高校時代の後輩である山崎君と再会して、フリーきっぷを手渡されたのは昨日のことだった。

 歌手の仕事をお休みして、放浪の旅に出ようとした私。結局やることなんてなくって、ただなんとなく電車旅を続けていた私にとって、旅行誌のライターをやっていた山崎君が声をかけてくれたことは、とてもありがたかった。

「……ふぅ」

 昨日は都会のビジネスホテルで一泊して、今日は朝から夕方まで電車旅。

 あまり先輩に暑い思いをさせたくないから、ということで、山崎君は最終の目的地だけを決めてしまって、太陽の出ている間は冷房の効いている電車か駅にいられるようにスケジュールを組んでくれた。

 電車の車窓からは山間の緑が見えたり、海の青が見えたり。山崎君がこのあたりの名物はこうだとか、ここにはこういう産業や伝統があるだとか、そのつど解説してくれたから、私は飽きなかった。

 そして今は海沿いにある温泉旅館に泊まって、お湯を楽しんでいるところだ。


「忘れないよきっと~幸せな恋の歌だから~」


 女風呂には誰もいなかったものだから、自然とお気に入りの歌を口ずさんでいた。

 山崎君と出会って、向日葵畑で熱唱したのは昨日の夕方のこと。

 歌手としての活動に疲れて、こうやってお休みをもらってしまったわけだけど、歌うということ自体は好きなままだったということを再確認できただけでも、旅に出てよかったと思う。

 そして、山崎君ともう一度出会えたことも。あの日、熱心に私たちの活動を見守ってくれていた山崎君だからこそ、私にあの向日葵のステージを用意してくれたんだって、わかるから。


 ……あれ?

 心のなかでひっかかることがある。

 高校時代の山崎君は私たちを見ていてくれた。

 私たちは音楽部のメンバーとしていろんな場所で歌っていた。

 山崎君は私たちの歌う姿が好きだった。

 だから、時を経た今になっても山崎君は歌う私を見たかった。


「それだけ……なのかな」

 ふと、昨日ついてしまった「ウソ」のことが脳裏によぎる。

 このまま考えているとのぼせてしまいそうだ。お風呂から上がってから、考えるとしようか。


 もう一度出会えた山崎君とちゃんと向かい合わないと、失礼だと思ったから。

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