Prologue 3
* * *
ステージの真ん中で輝いていた高松先輩の姿は、今でも脳裏に焼き付いている。
溢れんばかりの存在感はまるで生命力あふれる向日葵のようだった。道端の雑草のような僕にとっては、先輩は憧れの的だった。
「うわぁ……」
先輩が向日葵のようだ、というのは、あくまで僕の勝手な想像だったけど。
一面に咲くこの向日葵畑を見て、先輩は目を輝かせていた。
「素敵ね……よくこんなところを知っていたわね」
「えぇ、仕事柄ですけどね」
黄色と茶色と緑色の三色で埋め尽くされた大地。
雲一つない透き通った青一色で塗られていた空。
力強い、原色の色使いがまぶしくて。じわじわと、心の中にあるなにかを溶かしていくのが分かった。
「向日葵って、みんな同じ方向を向いているのよね……」
先輩は右手で胸のあたりをぎゅっと抑えている。
やがて、意を決したように、うん、と一つ頷くと。
「……山崎君!」
幾輪も咲く向日葵たちを従えて、先輩はまっすぐに僕の瞳を見つめてきた。
「歌ってもいいかしら」
僕はこくんと頷いた。
先輩の真剣な表情から、なにかしらの覚悟を込めていたことはわかったけど。
話は後でもいい。今は先輩の歌声を聴こう。
先輩に憧れてステージを見上げていた、あの頃のように――。
「さぁ、
新しい物語を始めましょう」
その一言で始まった先輩のステージ。
先輩はまったくあの頃と変わっていなかった。力強くて、透き通っていて、聴いているこちらが思わず身を乗り出すような――僕が心を奪われたあの頃の先輩のままだった。
よかった。
本当によかった。
先輩があの頃の姿を、声を、失っていなくて。
こうしてまた、出会えることができて。
思わず流れ出ていた涙を、先輩にばれないようにそっとぬぐった。
何曲か歌い終わってから、先輩は深々と一礼した。
夢の舞台もこれでおしまいだ。名残惜しさに後ろ髪をひかれながらも、力いっぱいの拍手を僕は返した。
「どうだったかしら」
「よかったです。いや、本当によかった……!」
僕はまだ興奮していた。
「その、うまく言葉にならないですけど……高校の頃を思い出しました。あの日のステージの上で力強く歌っていたあの先輩のままで……」
ここまで言い切って、先輩の表情が強張っていたことに初めて気づいた。
「本当に……?」
「間違いないですよ。だって……」
ずっと僕はあなたのことを見ていましたから。
「そっか。よかった」
ここでようやく先輩は柔らかな笑みを浮かべてくれた。
「私ね。疲れていたんだと思うの」
高校卒業後、音大に進学して、そしてプロの歌手になったこと。
アメリカやヨーロッパを駆け巡って、世界中で歌声を届けていたこと。
でも。
仕事が増えて、歌うことが当たり前になっていくうちに、だんだんと自分を見失っていったこと。
どうして歌うのか、歌うことでなにをやりたかったのか、わからなくなってきていたこと。
「それで先輩も……」
「うん。無理矢理お休みをもらっちゃって。でも休んでいてもすることなんてないから、ちょっと放浪の旅にでも出ようかなって思ったの」
やっていることは同じでも、自分から休みを取って、自分から旅に出かけようとした、先輩のほうが僕の何倍も行動力があった。
このあたりは、やはり先輩らしいな、と思う。
「やっぱり私、歌うことが好きだったんだね」
なにが先輩を苦しめたのか、薄っぺらい人生を歩んできた僕にはわからない。
「ここで歌うことができて思い出せたよ……ありがとう、山崎君」
でも、先輩の力になれたのなら。これ以上にない幸せだ。
「こんな僕でも力になれたのなら嬉しいです」
「くすっ」
どうか、向日葵のような先輩にはいつまでも笑っていてもらいたい。
ずっと、ずっと、僕の憧れの的であってほしい。
「やっぱりいい子だね、山崎君は」
「えっ?」
「会話をしたのは今日が初めてだったけどね。なんとなくわかってたんだ」
先輩は僕のことを知っていたとさっき言っていた。音楽部では有名だったと。
たとえ会話を交わさなくても、歌い手と聴き手の間にはなにか通じ合うものがあったのだろうか。
「原田君の恋、実らなくてよかったのかもね」
少し不穏な言葉を残してから。
「これからどうしましょう。さっき仕事柄、って言ってたけど、山崎君は今この辺りに住んでるの?」
「そうじゃなくって、僕、旅行誌やタウン誌のライターをやっているんです。このあたりまではまだ取材でも来たことがあるので」
「そっか。それじゃ、お姉さん、あまり詳しくないから教えてほしいな。ご飯食べる場所と寝るところを」
先輩が一歩僕に歩み寄る。
前言撤回。
「その代わり、僕のお願いを聞いてもらっていいですか」
憧れているだけじゃ、あの頃のまま。
別々の線路を進んでいたのに、今こうやってまた合流できたのだ。
「このフリーきっぷ、明日以降も使えるんですよ。残り四回分なんですけど」
先輩は歌い始める前に、こう言ったのだから。
「僕一人であと四日使おうと思っていたんですけど……どうでしょう、先輩と二人で、二日間どこかを巡るというのは」
新しい物語を始めましょう。
「はい。喜んで」
この向日葵畑から、続く未来へと。
Bound For Their Future...
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