Prologue 2

 * * *


 昼食を摂り終えた後で、時刻表を片手にこの後の方針を考える。

 東へ行く、ということだけは決めているとはいえ、無計画すぎるのもまずい。山の中の秘境駅で野宿するというわけにはいかないので、せめて終電までにはビジネスホテルがある程度の街にたどりつかないといけないのだ。

 とはいえ、ここからこの地方最大の都市まで電車で一時間ほど。そこは日本三大都市の一つだから食うにも寝るにも困らない。

 これなら、二、三ヶ所は途中下車してぶらぶらと歩いても大丈夫だろう。

 編集長からもらったフリーきっぷは五日間有効だ。厳密には五回分であり、一度に五人で、といった使い方も可能なのだけど、あいにく僕には同行者もいないので、その可能性は考えなくていい。

 今日はあくまで旅の序章。本格的な旅は明日以降になるだろう。


 入線してきたクロスシートの普通電車に乗り込む。

 仕事に追われる時期には、こういった当てのない一人旅に憧れたものだけれども、いざやってみると、なにも目的がないというのも難しい。

 今の僕を縛るものはなにもない。だけど、縛るものがないゆえに、なにか行動を起こす――今でいうと電車から降りる――必要がないのだ。

 これが具体的に行きたい場所があるだとか、誰か同行者がいるとなれば、話はまた別なのだろうが。

 まるで今の僕は糸の切れた凧のように、風の吹くままに宙を浮いている。

「次は原ヶ瀬、原ヶ瀬です――」

 この電車は六駅しか止まらないが、次の駅でもう四駅目だ。

 ここはかつて有名な合戦があったところで、僕も取材のために一度足を運んだことがある。が、兵どもが夢の跡、と言わんばかりに目ぼしいものがあまりないので、今あらためて降りる気はしない。

 当てもない旅とはいえど、さすがになにもないとわかっている所に行く気はしないのだ。

 結局、この電車も最後まで乗ってしまうことにするか。そこでまた考えよう。こんな調子だと、日が暮れる前に、今日の最終目的地に着いてしまいそうだけど。


「目の前の席、いいですか?」


「どうぞ」

 この電車は向かい合わせのクロスシート車両だった。乗客の数は疎らとはいえ、四人席が全て空いているところはなかったのだろう。

 腰よりもさらに下まで伸びたロングヘアが特徴的な若い女性だった。向かいの窓際の席に座ろうとしたが、手にしていた大きなキャリーバックに目をやると、うーん、とうなった。

「どうしました?」

「このかばんをどうしようかと思って」

 通路側の席の前に置いてしまえば出入りの邪魔になるだろうということか。

「僕は最後まで乗っているんで大丈夫ですよ。それに、この電車はそんなにお客さん乗ってこないと思いますし」

 後半は勘だけど。乗客が万が一増えてきたら、そのとき考えればいい。

「ありがとうございます」

「いえ」

 女性は軽く一礼してから、ようやく席に腰掛けた。

「…………!」

 面と向かい合って女性の顔を見る形になって、僕は気づいた。

「高松先輩?」

「えっ……」


 高松麻梨子先輩。午前中に夢に出てきた、高校時代の先輩だ。

 いくら年月が経っているとはいえ、かつての想い人だ。顔を忘れるはずがない。


「あなたは……」

「あっ」

 とはいえ、それはこちらの話。

 当時、僕は彼女に話しかけたことは一度もなかったし、向こうはこちらのことなんて覚えていないだろう。

「待って。思い出す。見たことある気がする」

 僕のことを覚えてくれていたらな。

 そんな淡い期待を抱いてしまう。でもそんなことはありえなくて。


「……山崎君だっけ」


「えぇぇぇぇぇぇ!」

 ……ありえちゃったよ。

「あれ、違った?」

「いや、正解です」

 一生分の運を使い果たした気分だ。

「そうだよね、うん。高校のときの一年後輩の子だよね。覚えてるよ」

 ぎゅー。

 僕は頬をつねる。

 痛いけど、やはりこれは夢じゃなかろうか。接点が無かったはずの先輩が僕を覚えているなんて、どこかで世界が改変されたとしか思えない。あの夢で見た出来事が現実になったというのか。

「どうして僕なんて覚えているんですか? たしか、高校では一度も話したことなかったですよね」

「あー……」

 しまった、という表情だった。

「ま、いいか。もう時効だよね」

「なにか問題でもあったんですか」

「山崎君のことが好きだって相談を受けたことがあって」

「……は?」

 初耳だった。

「どういうことですか?」

「いや、どういうこともなにも。山崎君のことが好きなんですけど、どうにかしてくれませんかって」

「いろいろと意味がわからないのですけど……そんな相談受けてたんですか」

「うん、まぁ。だって山崎君って、音楽部では有名だったし」

 えぇっ……。

「いつも前の席で真剣に私たちの合唱を聴いてくれる子がいるって。学園祭だけならともかく、外の音楽会にまで足を運んでくれたらわかるよ」

「そうなんですか」

 そこまでチェックされていたとは思わなかった。

 ……あれ? これ、当時に勇気を出して声をかけていたら、脈があったんじゃないか。もしかして僕は大きなチャンスをみすみす見過ごしていたのでは。

「川原奏さんって覚えてる?」

「そんな子もいたような……」

 僕がいうのもなんだけど、地味な子だった気がする。

 たしか高校二年のときのクラスメイトで……いわれてみれば、音楽部のメンバーだった気が。

「うん。その子が山崎君とクラスメイトだというから話は聞いてたよ」

 そんなところに接点があったのか。

 今まで考えないようにしていたけど、僕にはいくらでも先輩とお近づきになるチャンスがあったというのに、ことごとく見逃し三振を繰り返していたのだろう。

 なんてヘタレな僕。

「ははは……」

「あれ、山崎君。どうしたの」

「いえ、こちらの話です」

 反省しよう。

「その感じだと結局結ばれなかったんだろうなぁ。あの子、元気にしてるかな……」

 当時、僕のことを好きだった子がいる。

 そのこと自体が僕にとっては驚きの事実だったけど、いまさら彼女の名前を聞く気にはならなかった。

 その頃の僕は届かない恋に身を焦がしていたのだから――。

「原田君」

「……は?」

 今、高校時代に仲良くしていた親友(男)の苗字が聞こえた気がするのだけど。

 全校生徒の人気者だった、生徒会長様(男)の苗字が聞こえた気がするのだけど。

 気のせいだよね。やっぱりこれは夢なんだよね。

 ――忘れよう。

「次は新垣、新垣、終点です。金城方面へは、次の新垣でお乗り換えください――」

「あら、もう次なのね」

 あっという間のできごとだった。

 二度と会うことがないと思っていた先輩と会うことができて、こうしてわずかではあるが、話をすることができた。

 ……それでいいのか?

 一度きりの夢で、終わらせてしまっていいのか?

「あのっ」

 大の大人が緊張のあまりに声が裏返ってしまった。

「うん?」

「先輩はこのあと……どうされるんですか」

 あの頃と比べてほんの少しだけ得たありったけの勇気をここで使う。

 そうしないと、一生後悔すると思ったから。

「うーん。特に予定はないのよね」

「はい?」

 予定もないのにぶらり旅だなんて。僕じゃあるまいし。

「山崎君はどこへ行くつもりなの?」

「いや、僕も似たようなものでして……」

 あ。

「でも、行ってみたいところはあるんです」

 旅行誌で仕事をしているものだから、ある程度はどこにどんな見所があるのかということくらいはわかっている。

 もし。先輩が僕と同じだというのなら――。

「ついていってもいいかしら」

「……はい!」

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