残響

 太平洋戦争末期


 南方

 富山の田舎町の出身の若い兵士には島の名前を聞いてもあまり良くは解らない。ただ、練兵場で訓練したら、ここに連れて来られた。それだけだ。連れて来られる時の輸送船でも、いつ、潜水艦に魚雷を撃ち込まれるか、いつ空から敵の戦闘機が飛んでくるか解らないぞと言われ、常に監視をしろと怒鳴られていた。でも、まだ、その時は戦争がただ、怖いとしか思っていなかった。

 所属する部隊はこの島を防衛する連隊に組み入れられ、すぐに作戦に参加する事になった。ほとんどが新兵ばかりの部隊だった。皆、怖さを紛らわすために威勢を良くしたりしている。

 連日、米軍の爆撃や砲撃、艦砲射撃を浴びせられた。密林の奥深くで仲間の部隊や基地から響き渡る爆音と地響きに怯える。それらが止む夜だけが安息だった。だが、それでも怖いだけだった。まだ、敵と相対したわけじゃない。戦争がどうなっているかなど、下っ端の兵士が解る事じゃなかった。ただ、これだけ連日、大量の爆弾や砲弾を撃ち込まれるのはかなり劣勢なんじゃないだろうか?そんな風に思っている時に小隊長がやって来た。

 「米軍基地への攻撃作戦が開始される。これは玉砕覚悟の戦闘になる。お前等の多くは初めての実戦となるだろうが、訓練通りにやれば、やれるはずだ。良いか。忘れるな。目の前の敵を制圧せねば、日本が生き残る術は無いんだぞ?」

 小隊長の言葉に皆が掛け声を上げた。本当に実戦が始まる。手にした銃だけが頼りだった。

 

 九九式短小銃

 

 日本陸軍最後の歩兵小銃である。三八式小銃の後継として開発され、威力増大と九九式軽機関銃などとの実包共有を図って、7.7ミリ口径の九九式普通実包へと大口径化への変更が行われた。これによって、従来の三八式歩兵銃とは一切の共通点が無くなり、補給面などで、混乱が起きたとされるか定かではない。それ以外にも三八式からの変更点では温度差の激しい戦場において、銃身が反る事が懸念され、銃身上部を覆うなどが施されている。尚且つ、銃身長も歩兵の疲労を軽減させる目的の為に他国の小銃と同様に短くされる事になった。

 更に戦争の形態が変わり、航空戦力が増大された事で、歩兵の対空戦闘力を増大させるために対空尺儀などが装着された。九九式普通実包も三八式が用いた三十八年式実包に比べて、対物射撃による効果増大が図られている。

 三八式と九九式を比べるならば、一世代分程度の隔たりがあるモデルチェンジとなったが、これは他国の小銃が自動化へと向かっている中において、有効であったかどうかは解らない。しかし、後に九九式小銃の一部は戦後、GHQの命令で30-06弾への改造が行われ、一部、韓国軍にも供与され、朝鮮動乱に用いられた経緯もあり、スポーツ競技用にも程度の良い九九式が相当数が外国に流れた事からも、世界的な評価を受けた事は間違いが無い。

 そんな銃を抱えながら、初めての戦闘に緊張をする。

 密林を移動する。常に敵のパトロールと出くわさないように、慎重に動く事が求められた。私語は禁止。ただ、静かに歩くだけだ。鳥の声や虫の声、木々の音が五月蠅い。いや、何でも五月蠅く聞こえるのかも知れない。心臓は嫌にバクバクと鳴っているのが解る。

 「止まれ!」

 小隊長の指示で行軍が終わった。

 「着剣」

 腰に提げた30年式銃剣を取り出す。それを小銃の銃口部分に装着する。白銀色に輝く刃。これで誰かを刺すのかと思うと怖かった。小隊長は軍刀を抜く。軽機関銃が支援の為に用意された。

 密林の中にある米軍基地。

 そこは滑走路のある飛行場であり物資集積場だった。ここを陥落すれば、敵の地上部隊や航空部隊は暫く作戦不能に陥るはずだった。このために連隊は残存する全部隊を攻撃に回していた。

 密かに移動させていた榴弾砲や山砲が砲撃を開始する。砲弾は散発的ながら、基地の至る場所に落下し、爆発した。基地からサイレンが鳴り響く。それと同時に密林から信号弾が上がった。それを見た小隊長は刀を振るう。

 「突撃!」

 その号令と同時に兵士達は走り出した。

 小銃の安全装置はしっかりと掛かっている。

 突撃する時は大声を上げる。とにかく叫び、とにかく走る。

 目の前の敵目掛けて、身体ごと、飛び込む感じだ。

 次々と砲弾が敵基地内で炸裂する。支援のための軽機関銃の弾幕が塹壕に収まる敵の頭を上げさせない。次々と撃ち込まれる銃弾で仲間が倒れた。だが、それに怯えていたら、自分も殺される。とにかく叫べ。とにかく走れ。

 米軍も必死だった。重機関銃が唸る。その一発は身体を引き千切ってしまう程だ。だが、簡単には当たらない。刀を持って、前を走っていた小隊長が倒れた。だが、例え、将校が倒れてもその亡骸を踏み越えて突撃せよと習ってる。兵士達は一団となって、敵陣へとなだれ込む。

 塹壕に飛び込めば、あとは暴れ回るしかない。銃口を向ける米兵の腹に刃が刺さった。彼は驚いたような顔でこちらを見ている。年齢は自分と同じぐらいだろうか?アメリカ人の顔は皆同じに見えると言っていた奴が居たが、そんな事は無い。同じ人間だ。目の前で刃を刺され、苦悶の表情で私を見ている彼だって、同じ人間だ。

 痛いのか?

 そう声が出そうだった。慌てて、銃剣を抜く。その瞬間、彼は体の支えを失くしたようにドサリとその場に尻餅を着いた。口から血がドバッと吐き出した。そのまま、身体をくの字にして、倒れ込む。

 銃声が彼方此方が聞こえる。敵に向けて発砲する仲間たち。誰もが必死だった。生き残るために。飛行場の方から爆発音が聞こえる。駐機していた敵の戦闘機を何処かの部隊が爆破したようだ。作戦は成功だった。敵の倉庫から物資を運び出す。何人かの米兵が捕虜になるべく、頭に手を挙げさせられていた。だが、将校の一人が彼らの頭を拳銃で撃った。相手は無抵抗なのにと思ったが、そもそも、まともに基地も無い部隊では捕虜を扱えるはずも無いと思うしか無かった。

 その時、空から轟音が聞こえる。それは低空で迫る敵の戦闘機だ。両翼に仕込まれた幾本の重機関銃が唸る。地面を耕すように迫る銃弾の雨を何人かの兵士が喰らって、爆発したように散った。強烈な弾丸は兵士の身体など軽々と貫き、その破壊力で身体は引き千切られる。血が飛び散り、内蔵が吹き飛んだ。一目で彼がもう生きていない事が解る程に。

 必死に米軍が掘った塹壕に飛び込む。戦闘機は一機だけじゃない。何機も飛来して、地上掃射していく。奴等からすれば、味方の仇討ちだ。我々が恨む義理は無い。ただ、塹壕の中で必死に耐えるしかない。

 「貴様らぁ!敵に向かって撃たんかぁ!」

 軍曹が叫ぶ。そうだ。やらなければ終わらない。小銃に取り付けられている対空照儀を立たせる。必死に空に銃口を向けた。こんなのが当たるのか?そんな疑問しか無かった。とにかく狙って撃つ。それしか無い。

 散発的に空に向かって発砲される。だが、その数十倍の弾丸が地上に降って来る。地獄だった。どれだけの時間が経っただろうか。周囲が静かになり、塹壕から頭を出すと、そこには多くの死体が転がっていた。日本兵もアメリカ兵も。それは多くの死体だ。生き残った仲間たちはすぐに士官の呼集に応じて、集まる。

 「物資を運び、陣地へと戻る。仲間の死体だが・・・残念だが、すぐにここにも敵の部隊が来る可能性が高い。置いて行く。すぐに行動しろ」

 多くの仲間たちに手を合わせ、米軍の物資を手に取り、密林へと戻っていく。陣地に戻ってみて、はっきりした事だが、部隊は半分にまで減っていた。しかも、その中には片腕を失ったりして、戦力にならない者も多く居る。全体でどれだけの兵士が生き残っているのか解らないが、それから数週間は総攻撃は無かった。しかし、平穏だと思っていたが、湿っぽい洞穴の防空壕や塹壕での生活。足りない食料。栄養失調で倒れる者が出て来ると次はマラニアや赤痢が流行った。何もしなくても兵士達は次々と倒れていく。

 自身も痩せ細って来た事に気付く。暑い。暑い。朦朧とする程に密林の奥は暑い。食事にありつく為に密林の中を歩き回る。果物、トカゲ、蛇。食べられる物は何でも集める。それしか無かった。もう戦争なんてどうでも良かった。生きて帰る。それしか無かった。

 だが、密林の奥地で日本兵が苦しんでいる頃、アメリカ軍は掃討作戦を企てていた。彼らが物資の陸揚げをしている入江に駆逐艦が二隻、入って来て、主砲の仰角を上げる。そして、始まった。

 艦砲射撃が密林を襲う。木々が吹き飛び、防空壕内の連隊本部すら、押し潰されるんじゃないかという衝撃を受ける。次々と放り込まれる砲弾。艦砲だけじゃなかった。敵の砲兵部隊も砲弾を撃ち込んでいる。さらに空には飛行機の編隊が飛来して、爆弾をバラ撒いていく。

 爆音と地響き。ただ、じっとしている事さえ出来ない。爆風に身体を飛ばされ、何度も土砂を被り、いつ、死ぬかもしれない恐怖を味わう。仲間が恐怖の余り、逃げ出した。その瞬間、彼の身体は爆風で飛び散った。その血や内臓を全て頭から被った。気持ち悪い感触、臭い。恐怖の余り、吐いた。吐きながらも、とにかく頭を地面に擦り付けた。長い・・・あまりに長い敵の攻撃だった。地形が変わる程に撃ち込まれた砲弾。フラリと立ち上がると、仲間たちは誰も居なかった。

 血塗れの姿でとにかく、その場から逃げ出す。手にした小銃を杖代わりにして、とにかく逃げた。多分、ここに米軍が来るだろう。何度も、何度も頭の中には爆音が聞こえる。それは今は無いはずの爆音。頭について離れない。怖い。怖い。

 必死に逃げる。北も南も解らない。ここが周囲を海に囲まれた島だという事実さえ忘れて、逃げる。もう、ここに居たくない。日本に帰りたい。その一心だった。

 「freeze!」

 米兵の声が聞こえた。そこには何人もの、米兵が居た。彼等は手に小銃を構え、こちらを狙っている。その威圧的な雰囲気に恐怖して、小便を漏らした。怖い。怖い。涙が止まる事なく溢れ出る。助けて欲しい。誰でも良いから、この地獄から自分を助けて欲しい。

 手は杖にしていた小銃のボルトを操作する。鋭い操作で、薬室に弾丸が放り込まれる。そして、構えようとした瞬間、重なり合う銃声が聞こえ、身体の彼方此方がどこかに飛ばされたようになった。

 熱い。

 痛いより先に感じたのは熱さだった。まるで火の中に飛び込んだように全身に熱さを感じ、そして、痛みに変わる。地面に倒れた時、激痛で何も考えられなかった。

 空が見える。

 密林の隙間から見える空。

 響き渡る銃声。こんな誰も知らない場所で、誰にも見守られずにただ、死ぬんだ。

 喉の奥底から叫ぶ。それは声にならない叫び。米兵達はすぐに駆け付けたが、全身に銃弾を受けた若い兵士はその場で死んでいた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る