英雄の丘

 第301高地。

 それは軍の地図にだけ記されただけの何でもない丘だ。

 多分、地元民にはちゃんとした名称があるのだろうけど、遠く離れた地からやって来ただけのただの兵隊にはそんな事はあまりにも些細な事で、敢えて調べるまでも無かった。

 問題はその丘は部隊を布陣させるには程よい広さと、丘の麓に広がる平野を見渡せるだけの高さがあると言う事だ。簡単に言えば、ここに大砲を置けば、この戦場に全ての敵を狙い撃ちに出来るという絶好の場所だった。

 当然ながら、戦局を大きく分けるこの丘の占領が最重要となるのは必至で、これまでも丘を求めて、何度も攻撃が行われた。だが、互いに丘を挟んで、布陣しているので、どちらかが進軍をすれば、当然ながら、相手も出て来て、この丘で激突する事になる。それ故に丘には無数の死体が転がり、僅かばかりあった森も砲撃で全て吹き飛んでいた。

 未だに戦争は歩兵による突撃にて、勝敗が決まる。ガトリング銃なる連発銃もあるが、それは大砲と同じくらいに重い為に、この丘を駆け上がる事は出来なかった。まだ、後方の部隊は前装式の銃を使っているが、我々、最前線の部隊には諸国で広がっている後装式の銃が配備されている。


 ドライゼ銃


 別名、ニードル銃とも言われる銃だ。プロイセンで開発されたボルトアクションライフル銃。紙製薬莢を用いて、前装式とは比較にならない程、簡単に弾を装填する事が可能となった。更には前装式の場合、構造上、銃を一度、立てて、銃口を真上に向ける必要があった。それをこの銃は射撃姿勢を変えぬままに弾を装填する事が出来る。それ故に、戦場での歩兵の戦い方は大きく変容した。兵士達は地面を這いつくばり、目標へと向かい、射撃にて、敵を狙撃、または牽制しつつ、近付いた所で、突撃をする事が出来るようになった。

 我々は必死に地面を這いつくばり、匍匐前進にて、丘の頂上を目指す。すでに丘の上には敵の先遣隊が到着しているからだ。撃ち下ろされる銃撃。弾が頭の上を掠めるように飛び去る。だが、それは隊列を組んで、行進しながら隣の仲間が倒れたり、弾が飛び去るのを見送るに比べたら、何とも、怖くは無かった。

 銃声と黒色火薬特有の白煙が濛々と丘の上を覆う。

 我々も、次々と発砲を繰り返した。どれだけの弾が敵に当たったか。そんな事は正直、誰にもわからない。とにかく、敵の銃撃の間髪を狙って、進み、突撃のタイミングを計るだけだった。

 ドライゼ銃はとにかく射程が短い。長距離の銃撃は後方に立つ、前装式銃を持つ歩兵達が支援してくれる。簡単に言えば、後からも弾が飛んでくるのだ。少しも頭が上げられない状況で、丘の頂上が見えて来た。敵兵の姿も見える。敵も必死だ。

 「吶喊!吶喊!」

 将校がサーベルを振るった。突撃ラッパが鳴り響く。これを合図に後方の歩兵隊は射撃を止める。我々は銃を持って、丘の頂上へと突撃をする。突撃をする時は声を大きく張り上げる事だ。これは恐怖を打ち消すのと相手を威嚇するためだ。

 突撃なんてのは最後は気の持ちようだ。長い銃身の先に取り付けられた細長いニードル(針)で敵を突き刺すのだ。相手だって、自分の持つ、銃剣やサーベル、拳銃を振るうのだ。それは勢いで敵を圧倒するしか、勝ち目などありはしない。

 わぁああああああ!

 幾重にも怒声が重なり、地響きを感じる程に足音が重なる。丘の上に飛び出れば、そこには同じように怒声を上げる敵兵が銃剣を振るう。銃声が幾重にも重なる。

 目の前にあった顔は私を睨み、殺そうとしている。多分、奴も同じことを思っただろう。俺も殺すつもりだ。手にした小銃を突き出す。その先に装着されたニードルが奴の腹を貫く。奴の小銃の銃剣は残念ながら、一足、遅かったようだ。私はそのまま力任せに圧して、彼を地面に放り捨てた。まだ、敵兵は居る。次々と襲い掛かって来る敵兵に小銃を振るう。指揮官が拳銃を撃ちながら丘を制圧しろと叫ぶ。そんな簡単じゃない。敵味方入り乱れた戦場。小銃を失った者は素手で、石で、まさに原始時代の争いのようだ。

 国旗を持った兵士が倒される。敵兵が我が国の国旗を奪おうとする。それをさせるわけにはいかない。ドライゼ銃のボルトを左に回し、後ろへと引っ張る。薬室が開き、そこに紙製弾丸を装填する。そして、ボルトを前に押し込んで、元に回す。となりで爆発音が聞こえた。隣で同じように射撃をした奴のボルトが破裂して、その衝撃で仲間が倒れた。ドライゼ銃は鉛球を紙で包むというサボ構造なので、どうしても銃身、薬室内にカスが溜まり易い。日頃の掃除を怠ると、それが元でボルトの閉鎖不完全が起きり、破裂したりするのだ。ドジな奴だと思いながら、俺は狙った。国旗をに群がる敵兵を。

 ドゴンと言う低い銃声と共に白煙が濛々と銃口から吹き上がる。弾丸は敵兵の一人を地面に転がした。怒号と悲鳴、銃声が鳴り響く。どこまでも五月蠅いはずの戦場がいつの間にか無音に聞こえる。

 俺は駆け出した。手には小銃。目の前に立ちはだかる敵兵を突き刺し、殴り倒し、撃ち殺した。勝ち負け、生きに死になど、関係ない。この無音の地獄を、俺はただ、駆け抜けた。地面には敵とも味方ともつかぬ、泥だらけの死体だか、生きているのかもわからぬ奴が倒れている。それを飛び越え、踏みつけ、俺はその先に居る敵兵へと飛び掛った。

 敵も丘を取る為、必死だ。次々と敵兵が雪崩込んで来る。幾ら、殺しても足りない。やがて、ニードルは折れた。銃弾も撃ち尽くした。俺はここで、死ぬ。敵兵を殴り、倒してから俺は天を仰いだ。

 タタタン!

 幾重にも銃声が鳴り響く。俺の後ろから、増援がやってきたのだ。彼等は必死に攻めて来る敵兵に向かって次々と銃撃を加える。俺は仲間と共に後方へと戻り、疲れ切った身体を休める。

 夕刻まで丘の攻防戦は続いた。結局、俺らは丘を取れなかった。無論、奴等もだ。この丘は地獄・・・いや、天国だ。誰からも奪われる事を拒む。多分、ここは神によって、支配された禁忌の地なのだろう。この地を神から奪い取った者こそ、英雄となれるだろう。


 死んだ奴の銃が集められて、壊れた銃と取り換えられる。夜は銃の整備をする時間だ。松明の灯りの中で、銃身や薬室のカスを取り除く。あとどれだけ、あの丘を駆け上がれば、あの場所を奪えるだろうか。どれだけの人間の血を吸ったら、神は満足するだろうか。それさえも解らぬまま、弾薬を詰めた木箱が馬車に載せられてやってきた。兵士達は弾薬を自分の弾薬袋に詰め込んで、戦いに備える。

 翌朝、朝靄が森に漂う。数メートル先さえも見えない。こんな日は、確実に敵は丘に攻め上がるだろう。それはこちらも同じだが。

 指揮官は前進を命じる。連日の突撃で、兵士達はボロボロだ。それでも命令ならば、従う。兵士の多くは貧しい農家の子どもだ。帰る場所など無い。戦い、散っていくだけだ。散らずして、国に戻り、給金を無事に貰えれば、御の字なわけだ。

 俺は銃を手に持って、行軍する。隊列を組み、足並みを揃える。軍楽隊が無いだけマシだ。ひと昔前なら、軍楽隊を引き連れて、派手に攻め入るもんだ。

 丘を登る。集めきれなかった死体がまだ、ゴロゴロしている。戦争ってのは悲惨なもんだ。と思うのは戦争でただ、被害を受けただけの市民か、客観的にしか見ていない将校ぐらいなもんだろう。本当に戦場で戦う兵士からすれば、悲惨とか蛮勇とかどうでも良い事だ。目の前に居る敵を殺して、生きて帰って、金を貰って、遊ぶことだけだ。それに悲惨も糞もあるか。

 血の臭いなんて、朝露で流れている。薫るのは蒸せ返る草木の香りだけだ。突撃ラッパが鳴り響く。軍楽隊が無くなっても、全員に指示を知らせるためのこれだけは無くならない。俺らは誰よりも早く、この丘を駆け上がるために走った。靴底に鋲が打たれた長靴はしっかりと足に食い付くように藁を隙間に入れてある。それが暑い。だが、少しでも早く、とにかく走る。丘の頂上が見えた。

 タターン

 銃声と共に鉛球が頭の上を飛び越す。俺らはすぐに伏せた。敵も上がってきている。考えることは皆同じだ。さぁ、これからはこの丘を求めた人間共の宴だ。

 神様よ。よく見ておけ。


 ボルトを引いて、弾丸を薬室に詰め込む。そしてボルトを戻した。敵が突撃を始めた。それに向けて撃つ。敵が腹を撃たれて倒れた。良いぞ。当たる。

 銃声と怒号が交錯する。白煙が目に沁みる。ある程度、撃てば、敵はもう、目の前だ。俺は立ち上がり、目の前の敵を突き刺した。まるで波と波が左右から押し寄せて、ぶつかり合うように兵士達はぶつかり合い、血を飛ばした。

 俺の真横で、上官が死んだ。こうなりゃ、指揮官なんて、関係ない。前へ、前へ。ただ進むだけだ。今日は止まらない。敵をこの丘から圧し出すのだ。我が国の国旗が靡く。さぁ、戦え。この旗を丘の中央に据える為に。

 かつて、中世の英雄譚を聞かされて、誰もが英雄になりたいと思った。それが男の夢だと思った。初めての戦場は怖くて、いつまでも怖くて、だけど、死にたく無くて、必死に戦った。手にした銃は傷付き、いまにも折れそうだった。だが、俺の命が絶えるその日まで、どうか持ってくれ。飛び散る敵の血で頬が濡れ、敵の銃弾や刃で、体中が傷付いている。それでも前に進む。前に。前に。

 もう、音など何も聞こえない。そこは真っ白い世界だった。敵兵は俺を恐れ、逃げ出す。戦え。戦え。それしか無い。俺は神からこの丘を奪い取るのだ。

 戦いは終わった。多くの将兵が擦り切れるようにこの地で消えた。俺は今日も生き残った。旗は丘の上に靡いている。だが、丘の下にはまだ、ここを諦めていない亡者共が蠢いている。俺は明日の戦争の為に銃を整備した。

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