崩落した街で静かに踊る。

 かつて・・・ここには大きな街があった・・・らしい。

 それは・・・少女が生まれる遥かに・・・昔。

 もう・・・覚えている人間は誰も居ない。

 親は・・・居ない。

 正確にはそれは親と呼べる人だったのだろうか・・・。

 それさえも解らない程に過去の事になってしまった。

 ただ、一人、ここに残された少女はただ、時間が過ぎるのを眺めていた。

 瓦礫だけがそこに街があった事を教えてくれる。そんな場所でどれだけ多くの人が死んだのか。それさえも現在は昔の話。ただ、風化していくだけのかつての街の残骸と共に、そこに存在するのが彼女に残された唯一の生活だった。

 そんな彼女に残されたのは唯一、古びたリボルバー拳銃だけだった。黒光りするそれは毎日、彼女が丁寧に拭き上げたからに過ぎない。

 

 ニューナンブM60

 

 38口径のリボルバー。回転式の弾倉を持つ拳銃の事である。かつての日本で、新中央工業(現ミネベア)が開発・製造した拳銃である。

 装填数は5発。使用する弾丸は38スペシャル。それの強装弾である38+P弾までは可能なようだが、日本の警察では公式に使用したデータは無い。

 S&W社のM36という傑作拳銃をベースに開発された拳銃だ。初めて採用されてから、長期間、製造が続けられ、S&W社からの輸入に切り替わるまでに多くの警察官の腰に携えられた。

 

 この街に人は戻って来ない。正確には戻って来られない。それ程にこの街は多くの禍を受けた。その原因はかつてあった大きな戦争である。その結果、この街は破壊されるだけじゃなく、人すら住めない地になってしまった。だから、ここは棄てられた。

 そんな地を少女は笑顔で歩く。瓦礫の山を越え、時折、アスファルトの裂け目から咲いている小さな花に心を休める。そして、吹き抜ける風に優しさを感じた。どれだけ失われた地であっても、自然は力強く生きている。人よりも強く、自然はこの地を浄化していく。この崩落した街は彼女にとって、唯一の場所だった。


 「機長より、キャビンへ。着陸準備に入る。準備をしろ」

 灰色の瓦礫と伸び放題の草木で緑に染まった街の上を一気のオスプレイが飛来した。ゆっくりと旋回しながら、飛行機モードからヘリモードへと転換していく。そのまま、オスプレイは比較的瓦礫の少ない広場に向けて降下を始めた。

 激しいプロペラの風圧が溜まった埃を吹き飛ばし、土埃が立つ。その中に5人の防護服姿の兵士達が降り立つ。彼等は手にした自動小銃を構えながら周囲を確認した。一人の兵士が腰のセンサーを確認する。

 「放射能の濃度は異常なし。少しでも検知したら、退避する。良いな?」

 その内の一人が彼等に告げる。彼がリーダーなのだろう。皆はそれに頷く。

 彼等の手には最新鋭の31式複合小銃が握られている。主にケースレス弾を用いる自動小銃だが、銃にはアタッチメントでランチャーや散弾銃などが装備が出来ることが特徴だ。

 「ここは核弾頭が落ちた場所ですけど、思ったより放射線濃度がありませんね」

 部下の一人が不安そうな顔で言う。

 「もう減衰しているからな。だが、気を付けろ。ここは『立入禁止区域』だ。何が起きるかわからないぞ」

 「だけど・・・本当に居るんですか?」

 他の部下が不安そうに尋ねる。

 「さぁ・・・な。残っているとすれば・・・前世紀の忌わしき名残だ」

 男はそう答えてから、前進を指示する。


 少女は瓦礫の山で微かに聞こえる足音に耳を澄ます。誰かが来た。懐かしい人間の足音でわかる。ゆっくりと・・・何かを探している足取り。

 「あぁ・・・人が来たのですね。おもてなしをしないと」

 彼女は軽やかにステップを踏んで、久しぶりのお客様をもてなす準備をする。

 彼女は普段から来ている紺色のセーラー服の上から白いエプロンを着る。そして、瓦礫の中からテーブルを持ち出し、椅子をその周りに並べる。さらに欠けたティーカップを並べ、最後にポッドを取り出す。

 「あぁ・・・久しぶりにお客様にお茶を出すのですね。緊張してしまいます」

 少女は笑顔でそう呟く。


 兵士達は瓦礫の山を静かに歩く。彼等の緊張は最大限だった。僅かな物音にも過敏に反応する。鍛え抜かれた彼等でさえ、ここは危険な場所だった。

 「くそっ・・・なんで、こんな任務・・・」

 部下の一人が毒づく。

 「無駄口を叩くな。任務だ。我々は目的を達成すれば良い」

 リーダーが軽く窘める。

 防護服の中は暑い。だが、その生地越しに危険な放射能が舞っているかも知れない空気があると思うと、暑い以上に恐怖を感じる。早く任務を終えて、帰りたかった。


 静かな時間だけが過ぎている。鳥の囀りが時折、聞こえる。ここは何とも長閑な場所だ。人間が去り、アスファルトの隙間から草木が生え、生い茂る。動物たちも増えた。コンクリートジャングルは自然に満たされたのだ。

 少女はお茶の準備を終えた。そして、来客を待つ。

 あと少し・・・あと少しで、久しぶりのお客様が姿を現す。

 彼女はその瞬間を待ち侘びた。


 先頭の兵士は瓦礫から潜望鏡カメラにて、先を確認する。

 「マジかよ」

 彼はヘッドアップディスプレイのモニターを確認しながら、そう呟く。

 「園田。何があった?」

 「カメラの映像を送ります」

 リーダーのヘッドアップディスプレイにも同じ画像が映る。それを見て、彼も驚く。

 「これは何の冗談だ?」

 その画像には一人の女子高生がエプロン姿でお茶会の準備をしていた。彼等の常識からすれば、それはもうギャグでしか無い。あまりに出来の悪い冗談だ。

 「あれは・・・標的ですか?」

 部下が怯えながら尋ねる。

 「あぁ・・・間違いが無い。と言うか。こんな場所でいつまでも人なんて生きていないはずだよ・・・あれは確かに標的だろう」

 「じゃあ・・・やりますか?」

 「先手必勝だ」

 男達は銃を構えた。初弾はすでに装填されている。安全レバーを連射へと変えるだけだ。彼等は慎重に隊列を組み直し、そして、先頭に立つ二人の兵士が飛び出した。彼等の後方に広がるリーダーを含めた三人は彼等を援護する。

 「あれ?」

 飛び出して、銃を構えた男達は呆気に取られる。

 そこにはお茶会の為のテーブルセットしか無かった。彼等が狙ったはずの目標の姿はそこには無かった。二人の兵士は慌てた。1秒も掛からずに相手の姿が消えたのだから当然だろう。

 「いらっしゃいませ」

 女の声が真横から聞こえた。二人の兵士は驚きながら右を向く。そこには一人の女子高生が深々とお辞儀をしている。彼等の思考が一瞬でぶっ飛ぶ。撃つよりも彼等は飛び退く事を選んだ。本能がそうさせる。とにかく得体の知れない相手から離れる。身体がそうした。手にした銃を撃つ事もせずに。

 「撃て!」

 その様子を見たリーダーが慌てて、叫ぶ。兵士達は慌てて、手にした銃を構え直そうとする。だが、それよりも早く、女子高生は拳銃をエプロンのポケットから抜き、親指で撃鉄を起した。

 ニューナンブM60はダブルアクション時のトリガーアクションが悪い。だが、逆にシングルアクション時のトリガーアクションはとても良く、命中精度は段違いに高い。その為、撃つ場合は撃鉄を起した方が良い。

 相手の頭は僅か1メートル。外す距離じゃない。

 1発目が放たれる。38スペシャル弾が防護マスク越しのその眉間を貫く。そして、撃鉄は落ちたままだが、再び引金を引く。どうしてもトリガーアクションが悪いのでガク引きになりそうなのを気にしながら、もう一人の男を狙う。

 男は必死に銃を撃とうとするが、撃たれた男の影に女子高生が入ってしまい、撃てない。その間に放たれた弾丸は防護マスクを貫き、彼の口から入って、脊髄へと抜ける。

 二人は一瞬にして絶命した。彼等の体が影になり、女子高生を狙えなかった三人はただ、その様子を見ているしか無かった。二人が崩れ落ちる時、リーダーは撃てと命じながら引金を引いた。だが、女子高生は軽やかに舞うようにステップを踏み、その場から飛び去り、瓦礫の中へと消え去る。


 「園田と飯島がやられた!全員、全周囲警戒!」

 リーダーは叫ぶ。残りの二人は周囲を囲むようにして銃を構えた。だが、次の瞬間、乾いた銃声が鳴り響く。途端に最後尾の男がフラリと倒れた。

 銃声に気付いて、リーダー達は振り向く。

 「バカな・・・いつの間に」

 圧倒的な速度としか言いようが無い。まるで陸上の短距離走の選手並の速さじゃなければ移動が出来ない距離を彼女は走り切った事になる。それは兵士達の想像を超えていた。

 「う、撃て!撃つんだ!」

 一瞬、呆気に取られたリーダーだが、慌てて、彼女に照準を向けようとすると再び少女は軽やかにその場から消え去る。リーダーは倒れた兵士を見る。相手の持っているのは拳銃だ。それならば、兵士達が着用しているボディアーマーの防弾能力で充分に止められるはずだった。

 「柳田!しっかりしろ。あんなチャチな拳銃だったら大丈夫だろ?」

 倒れた男は反応をしない。目は瞳孔を開き、完全に死んでいる事が解る。リーダーは何故と思って、見ていると首筋に銃弾が撃ち込まれた傷があった。敵は的確にヘルメットとボディアーマーの隙間に銃弾を撃ち込んでいるのだ。どれだけ集弾性能が高いと言っても、これは半端な腕前じゃない。

 「ば、化け物だ」

 残された部下が怯える。

 「慌てるな。相手は拳銃だぞ?」

 リーダーは彼を落ち着かせるように言うも本心では自身も怯えていた。

 

 女子高生は軽やかに瓦礫の間を擦り抜けていく。そして、兵士達をからかうように時折、姿を見せる。兵士達は翻弄されるように銃口を向け、発砲を続けた。弾丸は瓦礫を穿ち、ただ、彼等を疲弊させるだけだった。

 瓦礫の山から飛び上がる人影。兵士の一人がそれに銃口を向けるも逆光で捉えきれない。彼の前にスタっと着地したのは女子高生だった。フワリと持ち上がったスカートが下りる前に細く白い腕がスラリと伸びる。その先にある黒い塊は容赦なく炎を挙げた。一撃で彼の喉は撃ち抜かれ、彼の延髄に弾丸がめり込む。

 部下が撃たれた瞬間、リーダーは駆け寄りながら、女子高生を撃った。小口径ケースレス弾の軽い反動を腕で受け流しながらの連射を続ける。それは狙って撃っているわけじゃない。とにかく弾幕を張るつもりで、彼女に向けて発砲した。

 無数の弾丸が女子高生に襲い掛かる。だが、彼女はその弾幕をまるでワルツを踊るように軽やかにクルクルと回転しながら躱す。細い白い腕が天を掴むように伸ばされる。その先にある拳銃の撃鉄をカチリと起こしリボルバーの最後の銃弾が銃口と合う、そして踊りが終わる。リーダーの銃は弾を切らした。彼女は天に向けていた腕を水平に下ろす。

 「これで・・・終わりかと思うと名残り惜しいです」

 男は慌てて予備弾倉を取り出そうとする。だが、彼が見上げたその時、銃口だけが見えた。それが彼が最期に見た光景である。

 崩落した街に乾いた銃声が鳴り響き、一時の喧騒は、静寂の中へと消えた。

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