孤独なフェダーイン

 目の前に転がる男。彼は体中から血を流している。多分、死んでいる。殺すつもりなど無かった。いや、わからない。突然の事だったから、思わなかっただけで、殺意は確かにあったのかも知れない。

 彼は族長の息子。しかも、将来は族長になる可能性のあった長男。だが、傲慢でどうしようも無い屑だった。強欲で、短気で、頭が悪い。

 彼とは色々とあった。そして、私は彼を殺した。殺す時は一瞬だった。生気を失った彼の瞳。何かを訴えたそうな瞳だ。だが、私からすれば、彼に恨まれる覚えなど無い。あれは当然の行為だからだ。誇り高きフェダイーン(戦士)だからこそ、自分の誇りに対して、どんな犠牲を払っても戦う。

 そして暗転していく視界。何もかもが幻のように消えていく。

 再び明るい世界が広がる。

 「それでぇ、ここはテストに出るからなぁ」

 数学の教師が黒板を前に授業をしている。窓の外を見れば福岡の街が見える。ここは福岡市にある高等学校。どうやら授業中に居眠りをしたようだ。あと少しで夏休みに入ろうとしているこの時期、ギラギラと太陽が照り付け、全てを焼き付くしそうだ。その日差しはアフガンの方が強かったが、日本の高い湿度はアフガンの暑さを遥かに超えた暑さを感じさせた。

 久しぶりに見た夢だ。あの屑野郎を殺した時の事。あの時、人を殺したのは初めてでは無かった。別に後悔とかそんなのを感じたことは無い。ただ、あのまま村を飛び出したために今頃、村はどうなっているか。病に倒れた族長はどうなったか。それだけが気になるだけだ。だが、所詮はあの村での自分は余所者でしか無かった。いつか、あの村を離れるだろう。それだけは幼い頃から理解していた。

 「森口ぅ!前に出てこの問題を解けぇ。昼寝しとったらあかんぞぉ」

 教師に怒鳴られて、私は慌てて席から立ち、黒板へと向かった。サラサラと黒板の問題を回答して、席に戻り、再び窓の外を見た。どこまでも平和で豊かな国だ。アフガンでの生活を思えば、ここは楽園だと思うのが普通だろう。学校の勉強なんてしたことが無かったが、やってみるととても面白かった。何も学ぶ物が無く、あるのは家畜の世話と畑と銃の扱いだけだから。こうやって、知識を得ていくことは何よりも面白かった。無論、ゲームなども面白いと感じたが、まずは勉強をして、同い年の人間よりも遅れている分を取り戻すの必死だった。結果的に偏差値としてはかなり高い部類になった。心配していた母方の伯母もとても上機嫌になる程だ。


 生き残るために殺すための技術を仕込まれた幼少期。そして物心ついた頃には自動小銃を持って戦場を駆け抜け、最新鋭の兵器を持つ兵士からテロリスト集団まで殺した。10歳を超える頃には手には血の臭いと硝煙の香りが染み付いていた。だが、この3年間の平和の中でそれもいつの間にか抜けていた。もし、あの事件が無ければ、こうやって日本に来て、勉強が出来ていたかわからない。いつまでもアフガンの片隅で生きていたかも知れない。

 もう、フェダイーンでは無い。ただの日本人だ。そう、ただの日本人として、ただこの平和を享受すればいい。それだけだ。そう思ってただ、遠くを見ている。生きている事が空白だと感じる。

 アフガンから帰って来た少女、森口佐緒里。

 長身痩躯でショートカットの髪が似合う美少女だ。筋肉質な体躯は同性からも人気があるようだが、彼女の切れ長の瞳は常に何かを睨んでいるようで誰も近付けない。だからこの3年間、友達が出来たことは無かった。だが、孤独は慣れている。


 平穏な一日が今日も過ぎていく。そう思っていた。福岡の空は青く、どこまでも澄み渡っている。空はアフガンでも同じだ。彼女は頬杖を突きながら、そう思った。この空の下でアフガンの村人達は今日も変わらない生活をしているのだろうか。故郷のように思い浮かべるあの地。

 彼女がそう思い浮かべている時、遥か彼方の空で一瞬、何かが光った。佐緒里は反射的に床に伏せて机の下に隠れた。刹那、激しい衝撃を体に感じた。教室の窓は全て割れて、飛び散る。激しい爆風。ただの爆弾じゃない。こんな強力な爆発はアフガンでも味わった事が無い。彼女の記憶からすれば、村に来ていた戦場カメラマンが話してくれた原子爆弾が思い出させる。爆発すれば大きな街が吹き飛ぶ爆弾だと聞いた。

 衝撃が静まり、すぐに周囲を見渡す。同級生達が倒れている。多くの生徒が飛び散ったガラス片でケガをしたようだ。佐緒里はすぐに近くのケガ人の応急処置をする。何人かの生徒がスマホで助けを呼ぼうとした。

 「俺のスマホが使えねぇぞ!」

 「どうなっているの?」

 「地震か?」

 生徒達が口々に騒ぎ出す。一種のパニック状態だ。佐緒里は静かに彼等の言葉を聞き分けて、状況を判断する。スマートフォンや携帯電話は通話が出来ないのではなく、電源が入らない状況。天井を見れば、蛍光灯が消えている。教室のエアコンも。この一帯に停電が起きている。爆弾によって変電所や発電所が破壊されれば広域の停電はあり得る。だが、スマホやケータイが動作しないとなると、普通の爆弾じゃないのは確かだ。やはり原子爆弾だと考えるべきだろう。強力な爆発力だと強い電磁波も同時に発生させる。それが、電化製品に影響を与えると聞いている。

 佐緒里は手早く、教室内で負傷した生徒の応急処置を終えた。幸いにも命に関わりそうな大きなケガを負った者は居ないようだ。福岡の街を見る。あれだけの衝撃波があったにも関わらず、それほど大きな被害を受けたようには見えない。街はとても静かだ。これだけの大惨事なら警察や救急、消防がサイレンを鳴らして動いているはずなのにそれらを一切、聞く事はなかった。多分、電磁波によって、車も動かなくなっているのだろう。最近の車は全てコンピューターが入っている。強い電磁波を受ければ回路が焼けて壊れる。それで動かなくなる。自衛隊などに使われる車両はそれを考慮して、電磁波対策が施されているらしい。だが、それが本当かどうかなんて、確認した事は無い。

 「お前達!ここで待機だ。先生はちょっと職員室で、これからどうするか話し合って来るからなぁ」

 数学の教師はそう言い残して教室を出て行く。何とか教室内は冷静さを取り戻しつつあった。あれが爆弾だと理解している者はこの教室には居ないようだ。皆、竜巻とか突風だと思っている。それが普通かも知れない。そのお陰で、パニック状態が思ったよりも早く回復が出来たのだから、感謝した方が良い。普通ならパニック状態でいち早く逃げ出そうとする生徒が廊下や階段で重大な事故を起こす可能性もある。とにかく、慌てずに行動することが大切だ。


 佐緒里は窓から福岡の街を見ている。あれが爆弾なら何処かの国の攻撃に違いない。また落ちてくる可能性がある。決して、気を緩めてはいけない。要注意だ。

 20分程して、担任の教師がやってきた。

 「みんなぁ、すまんな。職員室でもテレビもラジオも電話まで壊れて何もわからないんだ。今、市役所に何がどうなったかを聞きに行って貰うから状況がわかるまで待機なぁ。ケガしている奴はもう少しの辛抱だ」

 学校の教師が市役所に行ったからと言って、状況に変化は無いだろう。まずは自衛隊が救出に来るのを待つべきだ。このような攻撃を受けたという事はすでに自衛隊は把握しているはずだ。原子爆弾を投下する為には飛行機かロケットが必要だ。自衛隊の防空が間に合わなかった所から、使ったのはロケットだろう。すでに自衛隊が防空システムを完全に起動させたとするならば、二発目、三発目が落ちてくる可能性は低いはずだが、これだけの被害を与えたという事は敵には何か考えがあるのかも知れない。油断は出来ない。

 教師が市役所に向かってから、さらに10分が経った頃、福岡市の上空にヘリコプターが飛来した。その数は20機程度。他の生徒達も気付いたようだ。同じ色のヘリが彼方此方に着陸を始めている。

 「自衛隊だぞ!」

 誰かがそう叫んだ。確かに軍用ヘリに見える。だが、佐緒里はあれが自衛隊の保有するヘリではないことを察知していた。自衛隊が持つヘリは米軍が持つヘリと同型だ。今、飛行しているヘリはどう見てもロシア製のヘリに似ている。幾度もアフガンで見てきたのだ。間違えるはずが無い。特に佐緒里の視力は両目共に2.0を超える。数キロ先を飛翔するヘリもよく見える。その胴体には赤い星のマークがあった。遠目からだとあれが日の丸に見えてもおかしくは無い。

 嫌な予感がする。フェダイーンの血が騒ぐ。戦場で散々嗅いだ戦の臭いだ。殺し合いをする時には独特の緊張感が漂う。多分、今、佐緒里の身体からもその緊張感が漂っているだろう。それを感じ取れる者が教室に居るだろうか。こればかりは戦場を知った奴じゃないとわからないだろう。

 佐緒里は戦う為の道具を探す。モップやそんな物じゃない。確実に相手の身体に致命傷を与えられる物だ。ふと、筆箱が目に入る。開くとそこにはしっかりと先端が研がれた鉛筆が入っている。最近の高校生はシャーペンを使う事が多いが、佐緒里は力が強い為、2Hの鉛筆を使っていた。

 筆箱からしっかりと研いだ鉛筆を三本程胸ポケットに入れる。武器になる物は教室内を見渡してもこれぐらいだろう。平和な日本ではナイフ一本でも意味なく所持していれば罪に問われることもある。不用意な疑いを避けることも安全に生きる為の極意だ。戦士は無駄な戦いをしないものだ。

 「おっ!こっちに向かって来るぞ」

 「救援だ!」

 一機のヘリがこちらに向かって飛んでくるのを見て、クラス中が歓声に沸き上がる。佐緒里はそれを不安そうに見ていた。あれが想像通り、他国の軍隊ならば、これは侵略に違いない。流石に民間人を皆殺しにするとは思えないが、決して、安心は出来ない。


 輸送ヘリが校庭に着陸する。その胴体には赤い星が付いている。やはり、あれは外国の軍隊だ。佐緒里はすぐに教室を出た。そのまま女子トイレへと入る。まずはやり過ごすことだ。状況をよく見て動く。

 ヘリから降りてきた兵士はブルバック式自動小銃を持っている。彼等はすぐに校舎へと入ってきて職員室へと向かった。職員室の扉が開けられる。自動小銃の銃口を向けられ、その場に居た教員達はそれが自衛隊とは違うとすぐに察した。銃口を向けられて、怯える教師達。

 「我々は中華人民共和国の人民解放軍だ。ここは我々が制圧した。すぐに生徒達を体育館に集めろ。命令に従えないなら、抵抗をしたとして、射殺するぞ」

 流暢な日本語で彼は教師達に告げる。それに逆らえる者など誰も居ない。教師達は兵士に付き添われながら、生徒達に体育館へ移動するように指示を出した。生徒達も自動小銃を持った兵士が自衛官じゃないのは一目でわかった。恐怖に怯える教師の姿に彼等も同様の気持ちとなり、中には泣き出す者も出た。だが、皆、大人しく、体育館へと移動した。


 数人の兵士が校舎内にまだ残っている者が居ないかを探索する。特にトイレなどを探索していた。女子トイレの個室に隠れた佐緒里は近付く足音を感じた。隠れる場所が無かったとは言え、トイレは安易過ぎたかもしれない。やり過ごせればそれでよかったのだが、難しいかも知れない。

 「誰か居るか?居たら出て来い。殺しはしない」

 ちょっと片言の日本語で声が掛けられた。兵士はそのまま、トイレの中に入って来た。手前の個室から中を検めていく。その音は近付いてくる。佐緒里は胸ポケットから鉛筆を取り出す。それを逆さに持って、親指で鉛筆の尻を押さえる。扉が開かれた。そして銃の銃口が中に入ってきた。その銃身を掴み、引き込む。素人の兵士なら引金に指を掛けていて、この瞬間に発砲してしまうだろう。だが、先遣隊として来た兵士ならそれなりに練度の高いはずだ。だから不用意に引金には指を掛けていない。引き摺り込んだ兵士の首筋に鉛筆を突き刺す。それは神経の集まった脊髄を貫く。兵士は何も出来ずに倒れた。一撃で彼の脊髄を貫いた鉛筆はそのまま気道を貫き、首を貫通した。そして一気に鉛筆を引き抜く。空いた穴に血が流れ込む。多量の血がトイレの床を汚す。彼はこのままトイレで死ぬだろう。佐緒里にはどうでも良いことだが、彼女は彼の手から自動小銃を奪う。

 「変な銃ね」


 95式自動歩槍(QBZ95自動小銃)


 中国が開発したブルバック式の自動小銃だ。これ以外にも03式自動歩槍(自動小銃)がある。主に棲み分けは95式が特殊部隊など少数の部隊向けで、03式が多くの一般部隊向けだ。

 それまでソ連が開発したAK系のライセンス生産品である。56式自動歩槍などを使っていたが、装備の近代化を図るために新規に開発がされた。全てが独自開発だと言われるが、実際には弾薬の小口径化はフランスなどをお手本にした感じであり、全体のスタイルもスタイヤ社のAUGなど、開発時に流行していたブルバック式自動小銃をお手本にした感じだ。作動メカニズムに関しては信頼性の高い、ガス圧利用方式で、ロータリング・ボルト方式を採用している。この辺に関しては従来のカラシニコフの影響が強いとも言える。

 そんな細かい情報など佐緒里には無い。だが、佐緒里の経験の中からはこんな形の銃は触ったことは無い。変わった銃だが、触りながら使い方を理解する。さらに兵士からはボディアーマーを奪う。ボディアーマーには血が付着していたが、手洗い場の水で洗う。

 「サイズはちょっと大きめかな」

 佐緒里は制服の上からボディアーマーを着た。ボディアーマーには弾倉ポーチを含めて、兵士に必要な装備が全て装着されている。ボディアーマーを着た佐緒里は次の行動を決める為に考える。

 「さて、どうやって逃げるか」

 兵士が一人、音信不通になれば、敵はすぐに校内を探索をするはずだ。彼が担当した階の捜索をすれば、トイレで死んでいる兵士の死体などすぐに発見されるだろう。そうなれば、敵はこの学校に抵抗する者が居ることを察知する事になる。そうなれば、維持でも探し出そうとして警戒するだろう。そなれば、簡単に逃げ出す事は困難になる。

 ただ、現状において佐緒里が入手した情報があまりにも少ない。まずはこの学校の状況だ。体育館に教師や生徒が集められたという事は敵の命令中枢もそこにあるだろう。彼等が使用するヘリはロシア軍が使っているミル171だ。搭載が出来る兵士の数は24人。今、一人殺したから、23人。1人で何とか出来る数じゃない。

 次に学校周辺の状況。敵がどの程度市街地などを制圧したかだ。ヘリがこれだけ投入してくるとなれば、中国海軍の艦船が沿岸地域まで近付いている証拠だ。すでに港湾施設を制圧して本格的な上陸を始めている可能性がある。

 そして、自衛隊の動きだ。九州地区には自衛隊最強の西部方面隊が居る。様々な事情から敵の侵略を許したとしても、反撃に出ないわけがなかった。彼等がどのように動いているか。それによっては時間を稼いで、救出を待つという手もある。

 だが、以上の点を考えてもまずはここから脱出した方が助かる可能性が高いと佐緒里は考えた。だが、どのようにして逃げるか。体育館の生徒、職員数は300人以上、これらを見張るだけでも多くの人手が割かれているはずだ。さらに自衛隊や警察の動きを警戒する為、学校の周辺に歩哨を立てれば、それでも数が割かれるはずだ。実際に校舎内を捜索しているのは5人程度だろう。それでも広い校舎を手早く捜索するには数が足りない為に1人づつに別れて、捜索していたのだろう。それがこちらには有利に働いた。そして、もう一つ幸いなことは彼等が個人用無線機を携帯していないことだ。昨今の部隊だと、兵士個人にも無線機を持たせて、連絡を密にする場合があるが、彼等はそれをしていないようだ。これなら、敵がこの兵士の死亡を確認するには暫く、時間があるだろう。


 トイレから出て、階段へと向かう。この学校の校舎の造りは4階建ての校舎が平行に2棟あり、それを東側の端で繋いだような構造だ。階段はその端の部分にある。西側の端には非常階段として外階段が用意されている。だが、非常階段は丸見えの構造なので、敷地内などを歩哨している敵に見付かる可能性がある。必然的に内階段を使うしか無い。教室を隠れながら、階段へと近付く。すると下の階から何か日本語じゃない言葉が聞こえる。

 どうやら合流の段取りになっているようだ。すでに他の階の探索を終えた兵士達が集まっているのだろう。上の階に向かって大声を出している。中国語なので、何を言っているかわからないが、声のトーンなどからすると、ただ単に仲間を呼んでいるのだろう。笑うように大声を出して呼んでいる事からあまり、緊張感は感じられない。彼等からすれば、高校生を探す程度はその程度のことなのだろう。

 佐緒里は耳を澄ます。声で相手の人数を確認する。声は2人。そして、足音が聞こえる。階段を上がってくる足音だ。それも2人。相手は2人だとする。

 相手の数がわかった。やれない数じゃない。ただ、銃は使えない。銃声が響けば、敵を呼び寄せる。佐緒里はボディアーマーに装着されている銃剣を鞘から抜く。そして、階段手前の教室に入り、入口付近に潜んだ。

 相手は階段を上がり、中国語で何かを叫びながら、教室の扉に手を掛ける。一瞬だ。一瞬で始末する。佐緒里は覚悟を決める。教室の扉がガラリと開かれた。先頭に入る兵士は特に銃も構えずに中を見た。刹那、隅に隠れていた佐緒里は彼の胸に銃剣を突き刺した。肋骨をかわすように斜め下から刺し込まれた刃は一撃で心臓を貫いた。

 男は一瞬で心臓を破壊され、悲鳴も上げる事も出来ずに意識を失い、失血死した。銃剣を引き抜く。多量の血が噴出す。刺された男はそのまま前のめりに倒れた。後続にもう一人が居るかと思ったが、誰も居ない。もう一人は別の場所を探しているようだ。慌てて、敵兵を確認するために佐緒里は廊下に出た瞬間、もう一人の兵士と目があった。彼は慌てて銃を構えようとした。佐緒里は咄嗟に銃剣を投げた。それは回転しながら兵士の眉間に突き刺さる。兵士はそれで死んだ。構えようとした自動小銃は安全装置を外す間もなく、リノリウム張りの廊下に落ちた。ここで発砲されていたら、かなり分が悪くなっていただろう。

 佐緒里は銃剣を取り戻してから、再び階段へと向かった。階段を降りていくと別棟から女性の悲鳴が響き渡った。それと同時に大声を上げる男の声。自分が助かる為なら、無視すべきだろう。だが、佐緒里は声の方向へと走った。そこは保健室だ。扉から中を覗くと兵士がベッドの上で女子生徒に圧し掛かっていた。どうやら保健室で休んでいた女子生徒が逃げ遅れたのを見付かったようだ。それを兵士が襲い掛かっているようだ。

(屑野郎が)

 佐緒里は昔の事を思い出した。

 3年前。アフガンの村で、佐緒里は族長の息子に襲われた。彼は以前から佐緒里に目を付けていたようだ。だが、族長の目もあって、手出しはしてこなかった。

しかし、族長は病に倒れてから、族長の息子は何度も佐緒里に迫った。佐緒里はそれを全て断った。そしてあの夜。族長の息子は二人の仲間を引き連れて、襲ってきた。眠っている佐緒里に拳銃を押し付けて脅す。そして服を引き千切ろうとした。佐緒里は抵抗した。力では負けても、戦闘の実力では佐緒里は村でも屈指の実力だった。

 佐緒里に押し付けた自動拳銃を奪い取り、そして発砲した。弾丸は息子の胸板を叩いた。彼は胸を撃たれて、驚いている。簡単に拳銃を奪われるなんて馬鹿な奴だ。意識が下半身ばかりにいっているからこんなドジな事になる。やるなら、相手を縛るなりして自由を奪ってからにすべきだった。

 佐緒里は冷静に分析しながらも、怒り狂っていた。さらに撃つ。弾丸は族長の息子の腹、足、そして顔面に撃ち込まれ、彼は倒れた。異常な銃声に外で見張っていた仲間が銃を持って入ってきた。その瞬間、彼等の顔面に銃弾を撃ち込んだ。それで終った。

 佐緒里は三人を殺したことを病床の族長に伝えた。彼は静かに佐緒里を拾った時の事を伝える。佐緒里が飛行機事故の被害者である事。その時、本当の両親が死んだ事。そして、現場で拾ったパスポートが授けられ、日本に帰るように言われた。理由は何であれ、族長の息子を殺した事はこの村では良い事が起きないだろう。佐緒里は族長の言葉に頷き、朝が来る前に村を出た。

 それから、佐緒里は男は屑ばかりだと思っている。そして、目の前でもまた、1人、屑野郎が女を苦しめようとしている。心の中で怒りが沸騰する。

銃剣を手にしてズカズカとベッドへと向かう。兵士は女子生徒に襲い掛かるので手一杯で、佐緒里に気が付かない。佐緒里は男の襟首を掴み、思いっきり後方へと投げ飛ばす。ズボンを下ろして下半身を剥き出しにした男は大股を開いた状態で尻餅を付いて転がった。

 「おい・・・屑野郎。女を舐めているんじゃないよ」

 佐緒里は兵士を睨み付ける。だが、兵士も負けていられない。佐緒里を睨み付けて、怒鳴る。刹那、佐緒里の蹴りが彼の顔面を蹴り飛ばした。彼は鼻血を出しながら倒れる。派手に後頭部を打って頭がフラフラするようだ。半泣き状態になっている。

 「泣け・・・喚け・・・ここが地獄だと言うことを教えてやる」

 佐緒里は手にした銃剣を振るった。彼は慌てて腕でそれを止めようとする。だが、その動きを読んでいた。彼女の刃は彼の左手の指だけを切断した。親指を残して四本の指が切断されて床に転がる。

 「ひぃひぃいいい」

 声にならない悲鳴が兵士から起きる。彼は必死に中国語で何かを喚いている。

 「黙れ豚が!」

 さらに佐緒里は刃を振るった。右手の指が切り取られ、痛みで上がらなくなった腕を無視して、左の耳、右の耳を切り落とす。彼は逃げ出そうとした。だが、その足を思いっきり踏みつける。

 「黙れ・・・黙れ・・・黙れ」

 彼女の的確な蹴りはすでに彼の膝関節を折っていた。佐緒里は彼の足すらまともに動けないようにした。この段階に至るまでに普通の人なら気絶をしている。だが、彼は厳しい訓練を受けてきたのだろう。気絶をしなかった。そして、恐ろしい光景を彼は見る事になる。腕も蹴りで折られ、動かない。そして、佐緒里は器用に兵士の瞼を切り落とした。もう、彼は目を閉じて、何も見ないようにするという選択肢は無い。刃が目玉に刺し込まれる。それを閉じることも出来ずに最後まで見た。

 男の悲鳴だけが響き渡る。左目がくり貫かれ、続いて右目がくり貫かれた。それで、彼は気絶した。次、もし、生きていれば、彼はこれからの人生、地獄を見て、生きる事になるだろう。それぐらいの事をしたのだ。当然の仕打ちだと佐緒里は思った。

 (いつまでも留まっていられない。すぐに脱出をしないといけない)

 今の悲鳴はやり過ぎた。多分、異常事態が起きている事は敵も気付いているかも知れない。

 「あなた、ここは危険よ。早く逃げなさい」

 ベッドの上で震える女子生徒にそう告げた。だが、そうは言っても何処に逃げて良いのかは佐緒里にすらわからない。

 佐緒里はすぐに移動を開始した。敵はこの異常事態に対処する為に動くはずだ。まずは校舎から出ないといけない。窓を開けて、校舎の裏手から外に出る。そこに敵の姿は無い。このまま、学校の敷地から抜け出しても良いが、さっきの保健室に残っていた女子生徒の事もある。敵を攪乱しておく方が良いだろうと佐緒里は判断した。


 校舎の外を静かに駆け抜ける。視野は固定しない。どこに敵が現れるかわからない。素早く敵を見付け、すぐに対応する。戦いで勝つ為には如何に先制するかに懸かっている。一瞬の判断を誤ったら、死ぬだけだ。死にたくなければ、一瞬に全てを掛けるしかない。

 銃声が鳴り響いた。

 佐緒里は素早く地面に転がるようにして伏せる。そして周囲を確かめた。だが、誰も居ない。自分に向けて発砲された銃声じゃない。また、銃声が鳴った。音の方角は体育館の方角だ。佐緒里は嫌な感じがした。体育館には生徒達が集められている。これが威嚇射撃なら良いが、違うとしたら。佐緒里は考える。もし、自分が殺した兵士のせいで、人質が殺されているとしたら、それは自分の責任かもしれない。

 (くそっ・・・卑劣な)

 佐緒里はこのまま、同級生達を見捨てる事は出来なかった。体育館へと向かって、走り出す。銃声は続いている。体育館の入口には敵兵が居る。彼の視野を避けて、体育館の裏手へと回り込む。何とかして、体育館の中を覗き込める場所を探さないといけない。

 佐緒里が慎重に体育館の裏手を進むと、兵士の姿を確認した。彼は周囲を念入りに見ながら歩いている。警戒している敵は倒すのも難しい。静かに、彼の死角から近付く。少しでも気取られれば、危険だ。銃は常に構えている。見付かれば撃つしかない。そして背後に迫ったら、銃剣を抜く。そして襲い掛かった。

 佐緒里の銃剣が兵士の首をスッと掻き切る。気管支と動脈が切られ、血がまるで噴水のように飛び散り、空気が漏れる。彼は何とか反撃をしようと手にした自動小銃のセレクターを左手で動かそうとした。だが、それよりも早く、佐緒里の銃剣が首筋から垂直に体に刺し込まれる。刃先は肉体を切り、心臓を貫いた。銃剣をスルリと引き抜くと、彼はその場に崩れ落ちた。流れ出す多量の血は地面を濡らしていく。

 佐緒里は兵士が死んだのを確認してから、周囲を見る。敵の姿は無い。すぐに体育館の通風用口から中を見る。全校生徒や職員が体育館の中央付近に集められている。中では悲鳴や嗚咽が聞こえる。卒倒して倒れている生徒も居るようだ。彼等の前に教師達が生徒の前に並べられている。そこに一人の中国軍の兵士が何かを詰問しているようだ。その横には5人ほどの教職員が倒れている。どうやら殺されたようだ。彼は詰問して、望む答えが得られないと殺しているようだ。ここが戦場であるとするならば、別段、珍しくも無い光景だ。情報を得るために処刑をしながら恐怖を与える。迫る死への恐怖に誰も黙ることが出来なくなる。

 (日本人の命なんて何とも思わないって事か)

 戦場に居れば、人の命が安くなると感じることはよくある。それはまるで蝿を叩き殺すように人が死ぬからだ。それを知っているからこそ、佐緒里は奴等を許せない。体育館の中には10名程度だろう。外には残りが配置されているが、多くは敷地の外で警戒しているのだろう。やれるかどうかわからないが、このまま放置しておくわけにはいかない。

 ヘリはグランドの真ん中に駐機している。ヘリにはパイロットが二人。ヘリを警備する兵士が1人。

 佐緒里は体育館の正面入口を警備する一人を静かに迫って、銃剣で刺し殺した。それから植え込みを使ってグランドに回り込む。グランドの周囲の植え込みは隠れるにはちょうど、良かった。静かにヘリに狙いを定める。

 95式自動歩槍のセレクターは銃本体の左側にあるが、フォアハンドの近くにあり、左手の親指で動かせるようになっている。フルオートを選ぶ。そして狙いをヘリの横に立つ兵士に定める。そして、引き鉄を引いた。

 激しい銃撃が兵士を襲う。ブルバック式の利点は肩に近い部分に機関部があることで支点と力点が近いという関係が生まれ、跳ね上がりが少なくなることがある。そして、95式自動歩槍の場合、小口径の弾薬な為、生じる反動も少なかった。結果、フルオートでも安定した射撃が可能になり、弾丸は兵士の身体に吸い込まれていく。そして、そのままヘリの操縦席を撃つ。防弾仕様となったヘリの風防ガラスに弾丸が当たり、蜘蛛の巣状の跡が次々と出来ていく。パイロット達は突然の事に驚き、慌ててヘリを飛ばそうとする。だが、メインローターの回転はすぐには上がらない。ヘリはバランスを崩しながらも飛び立とうとしている。佐緒里は弾倉を交換して、さらにテイルローターを狙った。ヘリを撃墜する時はメインローター直下にあるエンジンか、テイルローターを狙うのが良い。航空機は全般的に軽くするために装甲が脆弱だ。自動小銃の弾丸が軽く貫通する。テイルローターが変な向きに傾き、派手に吹き飛ぶように破損した。同時にヘリは操縦士の意思とは違う動きをして、ただでさえ、バランスを崩していたヘリがそのまま斜めに傾いて地面に転がる。メインローターのブレードが派手に吹き飛んだ。

 体育館の中で教師達を詰問していた一級軍士長(軍曹)は外で起きる銃声を聞いて、驚く。それは部隊を指揮する中尉もだ。中尉はすぐに一級軍士長に部下二人を付けて、状況を確認させに行く。残りの二人の部下にはいざとなれば人質を盾にするよう命じた。

 一級軍士長は体育の正面入り口から外を見る。そこには血を流して倒れる部下の姿がある。その姿に彼は血が凍る想いだった。敵は目と鼻の先まで迫っていたわけだから。そしてグランドでは自分達が乗って来た輸送ヘリが横倒しになっていた。

 彼は部下に敵を探せと命じる。二人の部下はすぐに体育館から飛び出す。だが、刹那、グランドの茂みから銃撃があった。二人の兵士は成す術なくその場に転がる。一級軍士長は慌てて発砲があった茂みに銃撃を加える。

 ヘリを撃墜した佐緒里はすぐに弾倉を交換して、体育館の入口を狙う。今の騒ぎに必ず、体育館の敵は動き出すからだ。そして、二人の兵士が姿を表した。彼等は素早い動きで移動をしようとしたが、狙いを定めている佐緒里はそれを逃さない。フルオート射撃される銃弾が彼等を襲う。数秒で彼等は体育館前に倒れる。

 二人の兵士を殺したが、体育館の入り口から銃撃を受ける。佐緒里はすぐに匍匐しながら場所を移動する。敵は確実に佐緒里の位置を確認したわけじゃなさそうだ。だが、脅威はそれだけじゃない。校門の方からも銃撃が始まった。どうやら敷地外を警備していた歩哨が銃撃に気付いて戻って来たようだ。数は三人。

 佐緒里は劣勢に陥ったと感じた。茂みに潜んだとは言え、それは防弾性など皆無だ。見付かれば集中的に撃たれて、ハチの巣になるだろう。だからと言って、逃げ出す事も難しい。

 数分間の銃撃が終わった。一級軍士長は校門の所に居る部下を手信号で呼び寄せる。三人は敵を探りながら一列になって体育館に向かって歩き出す。佐緒里は静かに狙う。だが、一連射で三人を仕留められない。彼等は上手く、間隔を空けている。

 「かなり、訓練されているな」

 佐緒里は忌々しく彼等を見る。だが、確実に敵兵の数は減っている。当初に比べて、脅威の度合いは下がっている。佐緒里は必ず、皆を助けると思った。

 三人は体育館の中に入る。学校では防弾性の高い場所など無い。姿を見せないこと、敵が撃ち辛い対象の近くこそが安全な場所だ。それが体育館となる。体育館は周囲を鉄筋コンクリート、扉は鉄扉となっている。風を通すための通風孔などが至るところにあるのと、二階部分に窓が多い事などが大きな問題だったが、それらは兵士を貼り付けることで中尉はカバーできると考えていた。


 佐緒里は周囲に敵兵が居ないのを確認したら、静かに体育館に近付く。二階の窓には敵兵が周囲を確認しているようなので、彼の視野を確認して死角から迫る。体育館の広さから言えば、全方位をカバーするには数が足りないようだ。体育館には幾つか入口があるが、そのほとんどは鉄扉で閉じられている。正面入り口も閉められた。多分、鍵が掛けられたので開かないだろう。中の敵は人質を盾に籠城する作戦に出たようだ。

 (通風孔も塞いだか。ガラスを破って撃つという手もあるが、全員を撃てない。人質を危険にするだけだろう。ここは諦めて、自分だけでも自衛隊の駐屯地に向かうべきだろうか?彼等にとって人質は助かるための大事な物だ。簡単には殺さないとは思うが。ただ、初夏の気候の中で締め切った体育館の中でどれだけの生徒が耐えられるだろうか)

 佐緒里にとっての不安は耐え切れなくなった生徒が続出した時、敵兵が数を減らすという虐殺行為に出る可能性を危惧した。やはり、ここで彼等を仕留める必要性がある。

 入るには二階の窓からが一番侵入し易いという結論に達する。だが、侵入する為には色々と準備が居る。そこで佐緒里は校舎へと戻る。彼女は工作実習室へと向かう。そこには色々な工具が揃っている。佐緒里はそこで物色をする。その時、ガタリと音がした。慌てて、自動小銃を向ける。だが、入り口に居たのはさっき、保健室で助けた女子生徒だ。彼女は心底驚いたようで茫然としている。

 「あなた・・・逃げなさいって言ったのに?」

 「で、でも、どうやって逃げたら」

 確かに、街の状況もわからない。下手をすれば、敵部隊と遭遇する可能性もある。普通の女子高生がこんな状況で逃げろと言われてもどうしたら良いかわかるわけが無かった。

 「校舎の中で隠れていたら、あなたの姿を見て・・・」

 「そう・・・じゃあ、手伝って」

 佐緒里は考える。1人では難しくても、仲間が居れば、可能性が高くなるかも知れない。そして、一つのアイデアを思い付く。

 体育館の中は蒸し暑くなってきた。鍛えられた兵士達でも、さすがにこの不快指数の高さに眉をしかめる。だが、緊張は解けない。中尉は常に周囲に目を配らせる。現状で体育館の中には7人が居る。3人は二階に上がらせて窓から外を見張らせている。一級軍士長を含めて3人は一階の通風孔などを見張らせている。そして、自分は人質達が怪しい動きをしないように銃口を向けている。

 中尉は思った。いつまでこの状況が続くのかと。果たして、この侵攻作戦は成功するのか。自分は上からの命令を受けて行動するだけだが、当初より疑念を抱いていた。こんな強引な作戦が簡単に成功するはずなどない。

 敵国に侵攻して、民間人を人質にして、日本国と交渉をする。こんなのは軍人の任務とは思えなかった。だが、命令だからやるしか無い。それしか、全てに困窮した我が国を救う方法など無いのだ。

 中尉がそんな想いに耽っていると突然、ガラスが割れる音がする。彼は部下達に状況を確認させるが、どこにもガラスが割れた所など無い。すると、突然、白煙が漂い始める。それはある鉄扉からだ。そこには「倉庫」と書かれている。

 敵は火を点けたのか?

 中尉はまさかの事態にすぐに一級軍士長に消火を命じる。彼はすぐに体育館に設置してある消火器庫から消火器を取り出し、倉庫に向かった。鉄扉を開くと、白煙が濛々と噴き出す。その光景に生徒達がパニックを起こす。中尉はすぐに黙れと中国語で叫ぶが、それがパニックに拍車を掛けた。

 刹那、銃声が響き、ガラスが割れた。同時に二階から何かが落ちてきた。それは部下の一人だ。激し銃声に生徒達は更にパニックになる。中尉はもう、この混乱を収拾出来ないと思った。人質を撃つか?そう思った時、二階から銃撃を受ける。そこには一人の女子生徒が居た。彼女は上から狙いを定める。兵士達が次々と撃ち殺される。中尉は慌てて彼女に応戦する、女子生徒はすぐに身を隠す。

 消火を諦めた一級軍士長が戻ってくる。彼は近くに居た女子生徒を羽交い絞めにした。中尉も彼を見習って人質を捕まえた。他の人質を乱射するという手もあったが、むしろ、この混乱に乗じて、学校を逃げ出すべきだと考えた。すでに正面入り口の鉄扉は鍵が開けられ、生徒達は溢れるように飛び出している。

 相手がパニックになって乱射するような輩じゃなくて助かった。

 佐緒里は乱射が始まればすぐに射殺するつもりだったが、生き残った二人は人質を取って、混乱に乗じて逃げ出すつもりだった。自動小銃を背中に回して銃剣を手にする。そして二階から彼女はダイブした。そこには体育館の正面入り口から逃げ出そうとする一級軍士長の姿がある。彼の背後に飛び降りる。そしてその首の付け根に刃を刺し込んだ。一瞬だった。彼は佐緒里が飛び込んだ勢いも受けて、グシャリと床に叩き付けられた。

 中尉は生徒達の波に揉まれながら外に出る。泣き叫ぶ女子生徒を歩かせて何とか敷地の外を目指そうとした。

 佐緒里は作戦が成功したと思った。女子生徒に体育館裏手に回って貰い、体育館の倉庫の窓を工作室で手に入れた鉛の重しで割り、束にした発煙筒を投げ込ませたのだ。それでパニックが起こしてか外の雨水用の排水パイプを伝って二階に上がった佐緒里が窓ガラス越しに敵兵を射殺して中に侵入。二階から一階を狙撃するという作戦だった。そして狙い通り、ほとんどの敵を撃ち殺した。一か八かだったが、成功して良かった。だが、一人だけ残った。

 自動拳銃を女子生徒のコメカミに向けて、中尉は何かを中国語で怒鳴っている。そして、校門へと向かっていた。周りの生徒達はそれを見ながらも自分達が撃たれないために隠れるしか無かった。

 中尉は体育館に銃を構える女子生徒の姿を見た。その姿は堂に入っていて、とても素人には見えない。撃たれると思った。彼は女子生徒を盾にするように身体の前にする。それは大きく視界を塞ぐことでもあった。

 殺される。

 中尉はそう思った。そもそも、それぐらいの覚悟は作戦が始まった時からしていたはずだ。だが、本当の死が目の前に近付く恐怖に彼は勝てなかった。今にも引鉄を引きそうだ。手がガクガクと震えるのがわかる。

 どれだけ厳しい訓練も平然と行ってきた彼がどうしてこれだけ恐怖を感じるのか。わからなかった。だが迫ってくる女子生徒の目を見た瞬間、彼の心臓は張り裂けそうだった。まるで虎のようなそんあ獰猛さを感じた。絶対に助からない。そう思わせるだけの気迫が彼女にはあった。

 何度も、中国語で、こいつを殺すと怒鳴った。だが、彼女には効いてない。いや、伝わらないのかも知れない。日本語でどう言うんだ。日本語のわかる兵士はすでに死んでいる。どうしたらいいか?本当にこの人質を殺すべきか?いや、そうすれば、一瞬でこちらも撃ち殺されるだけだ。いや、それ以上かも知れない。手足を撃たれて捕虜とされ、あの多くの生徒達から暴行を受けるかも知れない。我々はそれだけの事をしたのだ。死よりも恐ろしい暴力を受けるのか。いっそ、自分で自分の頭を撃ち抜く方が楽かも知れない。

 佐緒里は静かにゆっくりと彼に近付いていく。構えた銃の性能からすれば、人質を外して犯人だけを当てるというには不可能に近い。犯人だけに当たる可能性は3割以下、人質に当たる可能性も3割。外す可能性が4割というところだろう。さらに、敵が焦って、人質を殺してしまう可能性からすれば、発砲は危険だ。だからと言って、このままを続けることは難しいだろう。現状でこの学校の周辺に敵がどのように展開しているのかわからない。敵の増援が来たら、終わりだ。

 「銃を置け!もう後が無い」

 日本語でそう彼に言ってみたが、伝わっていない感じだ。言葉の壁は大きい。

 何とかしないとまずい。捕まっている女子生徒は恐怖でパニック状態になり、暴れ出した。男が締め付けて力づくで抑えようとしている。そして、その瞬間、彼は反射的にだろう。拳銃の銃把で殴ろとした。その上がった右手に狙いを定める。左手はセレクターを単発から連射に切り替える。そして引鉄を引いた。激し銃撃が彼の右手に集中して、千切った。拳銃も穴だらけになる。女子生徒は前のめりに倒れるようにして逃げ出した。男も後ろに崩れるように倒れる。

 中尉は終わったと思った。暴れ出した女子生徒に一瞬、苛立って手を挙げた事が失敗だった。だが、もう遅い。すでに右手に感覚など無い。痛みなど伝わる前に一瞬で吹き飛んだからだ。そしてバランスを崩して背中から倒れて行った。逃げる。そうだ。逃げるしか無い。倒れた彼はすぐに逃げようとした。体は硬直しているのか上手く動かない。まるで犬のように四つん這いになって走り出そうとする。

 連なる銃声。

 それが終わった時、校門の前に一人の軍人の死体だけが残った。


 佐緒里は敵の残存が居ないかを確認して回る。そして安全を確認が出来てから、生徒達をグランドに集める。皆、怯えていたが、安心したのか、落ち着いていた。佐緒里は彼等の前で話す。

 「全員、聞いてくれ。ここは中国人民軍に制圧されている。敵の増援が来る可能性がある。すぐに退避しないと危険だ。我々は自衛隊の駐屯地がある方面に向けて移動すべきだと思う。きっと自衛隊は今頃、反転攻勢の準備をしているはずだ。上手くすれば、自衛隊に救出して貰える可能性もある」

 佐緒里の言葉に異論を唱える者は居なかった。皆、この恐怖だった体育館から出る。教員が先導して生徒達が列を成して、学校から出て、佐緒里の言う通りの方向に向かった。佐緒里も銃を持って彼等の殿を務めた。正直、この先に中国軍が居ないという確証は無い。だが、可能性だけで言えば、敵の行動が沿岸部分からだとすれば、奥へは勢力が広がっていないと考えるべきだろう。空を見ると飛行機の編隊が幾つも海へと飛んでいく。

 あれは自衛隊だろうか。海の方では黒煙が幾筋も昇っているのが見える。何がどうなっているかなんて何もわからない。だが、それでも生き残る為には必死で足掻かなければいけない。かつて、フェダイーンと呼ばれた少女は自分の中のそれを信じて、生き残るために必死に足掻く。それこそが人間のあるべき姿だと思って。

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