自殺するアンダースタディたち

深夜太陽男【シンヤラーメン】

第1話

     ○


 金がない。いよいよやばい。対策はない。万事休すである。

 社会人として働き始めて改めて生活費のやりくりの難しさに直面した。働ければどこでもいいとなんとかこぎつけた就職先、賃金はまあよろしくない。その割に労働拘束時間は長く帰れない日も多い。もちろん残業代は出ない。ブラック企業というわけだ。転職を考えるが、またあのやるせない就職活動を再開するのは億劫だ。学費ローンの返済もあるし、何より働かないで生活を維持できるほどの貯蓄はない。贅沢や娯楽とは程遠い毎日のはずなのに払うものを払ってしまえば何も残らない。

 今の生活をしながら副業でもっと金を稼げないか。ネットの広告に初心者でも簡単にできる金融トレードの広告を見つける。詐欺みたいなものかと普段なら警戒するが貧困は判断力を鈍らせる。ギャンブルとわかりながら借金をしてそれにつぎ込んでみた。倍に増やして返済すればいいと甘い考えだった。簡単に増やせるということは簡単に減るということである。知識のない人間が挑んだところで利益が出るどころか損失はどんどん増えていった。運だけではどうにもならない。取り戻そうとまた借金をしてみるがマイナスはどんどん増えていく。いよいよこれ以上借金ができなくなった。当然自分の給料ではどうにもできない状況なので親や友人を頼った。案の定、自業自得や負け組と罵られ全員に縁を切られた。負け組がいなければお前たちが負け組の仕事をさせられるというのにと、まさに負け犬の遠吠えをするしかなかった。腹をくくって生活保護の窓口に行ってみれば、長蛇の列に嫌気がさして帰ってきた。郵便受けに突っ込まれている督促状の束はもう見る気もしない。電気も水道も止められた。食料も尽き、携帯電話の充電も僅かだった。

 生き続けるのが面倒くさい、俺は自殺を決意した。


     ○


 とは言え自殺を本気で考えるのは初めてで具体的にどうすればいいのかわからない。検索してみると自殺防止を呼びかける記事にいくつもヒットするが精神論で諭そうとするものばかりで具体的な対策は何もなかった。どうやら人に迷惑を掛けずに楽に着実に低コストで死ぬ方法はなかなか見つからなかった。最後くらい派手に散ってやろうかとも考えたが話題になるのは一時的ですぐ忘れ去られるものと思うとそれも虚しい。

 しばらく調べていると『アンダースタディ制度』というものが見つかった。名前は聞いたことはあるがどうしてそれが自殺に結びつくか興味があった。

 アンダースタディとは代役という意味らしい。そこそこ昔、保険会社と医療メーカー、それに大学や国の医療研究機関が協力し、遺伝子情報から細胞や臓器を生成する技術を用いて事前に自分の臓器を複製しておくことで、不慮の事故や病気になった場合でも臓器提供を待たずに拒否反応が限りなく少ない自身の臓器と交換ができる制度である。当時は倫理観の問題など多々あったがこれにより救われる命は確実に増え、国はこの制度を義務化。今ではほとんどの国民にアンダースタディが用意されている。臓器がバラバラに冷凍されているのかと思いきや、生まれたときからクローンのようなものが作られて同様に成長させられ、今でももう一人の自分の肉体がどこかの施設の培養液か何かに浸かっているという話だ。昔の人間は未だに生理的気持ち悪さを引きずっているが、それが当たり前だと思っている時代の人間がもうほとんどだ。

 素晴らしい制度である反面、アンダースタディの運用方法も問題視され始めた。アンダースタディの保持権利は当人、当人が死亡した場合は遺族にその権利が譲渡される。高い保険金やアンダースタディの保持資金を長年ずっと払い続けても法律上使用が許されるのは臓器交換などの場合だけである。しかしそれでは割に合わないと考える人間が多くなった。ある女優が美容整形という私的利用のためにアンダースタディを使ったことが話題になった。法律的にはグレーゾーンであり非常に物議が絶えなかったが、人々はアンダースタディの活用方法を見出し、やや非合法なことに手を染出す者が増えていった。

 ある者はアンダースタディの臓器を発展途上国に売りさばいた。国内では臓器の需要などもう少ないがまだまだ他国ではかなりの値段が付く。奴隷や兵士として売り出すこともあるらしい。さらには死んでしまった人間の代わりにアンダースタディをまさに代役させて社会的に生かし続けるという都市伝説もある。著名人が遺書にそう残したり、一般の遺族でもやっていたりするそうだ。記憶のデータ化や生前の遺留物から人格をパターン化する技術は進んでおり、当人の再現率は高水準なんだそうだ。アンダースタディに関する法律はまだまだ細分まで行き届いていないのが現状だ。

 さて、それが自殺とどう繋がるか。なんと借金地獄で自殺した人間の代わりにアンダースタディが返済のために生かされているという実例があるらしい。しかも当人は自殺したと見せかけて遠い土地へ高飛びし身分詐称し新しい人生を歩んでいるのだと。噂でしかないがいくつも事例がある。どうやら銀行や金融会社、そして裏社会の輩が政治的圧力で無理矢理このようなことをしているらしい。この国の病死や事故死だけでなく自殺率まで減っているのはこのような裏があるからなのかもしれない。

 俺はすぐにでも自分のアンダースタディを確認することにした。


     ○


 自分のアンダースタディについての問い合わせは担当の行政機関の窓口で簡単にできるらしい。使用に関しては医師の診断書や重要書類の類が色々必要になるが、確認程度ならさもない話だ。

 五体満足の自分の身代わりさえ確認できれば後はシンプルだ。自宅に遺書を残し足がつかないようにとにかく逃げる。後のことはなんとしてでも負債を回収しようとする業者と面倒を回避したい遺族でアンダースタディを用意してもらう。俺自身は新天地にて、ちょっとした額で偽の戸籍をでっち上げてくれる業者に頼るだけだ。俺は売れるものを全て売り捨て必要最低限の資金を用意し、覚悟を決めた。


     ○


「あなたのアンダースタディは既に使用されました」

 窓口の事務員は淡々とそう告げた。身に覚えのない話だ。臓器交換するほどの大手術などしたことはないし、アンダースタディ制度が義務化された時代に出生したので存在しないはずがない。扱える権利は当人にしかないはずなのだ。理由を問いただそうにも事務員はそれ以上取り合ってくれなかった。守秘義務か面倒くさいのかは態度を変えなかったのでわからなかった。

「再びあなたのアンダースタディを用意することは可能ですがいかがしますか?」

 そんな金はない。俺は失望して自宅に帰るしかなかった。

 遺書とゴミしかない部屋。こんなはずはないとつぶやきながら俺は部屋中の書類を漁り始めた。アンダースタディを使った形跡がないか、アンダースタディに関わることならなんでも良かった。

 遺書が見つかった。俺自身の筆跡のもの。なぜ二つもあるのか。

 そうか、俺自身がアンダースタディだったのか。


     ○


 見覚えのない駅名。こんなにも遠い土地に来るのは初めてだった。賃金はなんとかもったが復路分はもうない。後はそこからひたすら歩いた。雪が降っている。ちゃんと道の上を歩いているかもよくわからない。金はないが時間だけはとにかく有り余っている。人が少ないところへひたすら歩みを進めた。よっぽどの田舎だ。コンビニどころか自販機すらない。空腹と眠気に耐える。このまま倒れそうだったがまだ死ねない。遠くにお目当ての顔を見つけた。何か必死に作業している。農業か何かだろうか。

「よお」

 声を掛けてみるとそいつは驚いた表情をした。目を丸くしている。そりゃそうだ、自分と同じ顔が目の前にあったら妙な気分だろう。俺だってそうだ。

「どうしてここを……?」

 確かに形跡らしいものは何も残ってはいなかったが、自分が逃げそうな場所は自分ならなんとなくわかるものだ。

 とりあえずもう一人の自分を押し倒して包丁で何度も腹部を刺してみた。暴れまわっていたがしばらくすれば動かなくなった。これ、自殺になるのか? 自分も、もう一人も真っ赤に染まっていた。もう一人はすぐに冷たくなった。

 考えもなしに歩き回った。とりあえず倒れるまでは歩こうと決めた。自分と同じようにアンダースタディを身代わりにし逃げてきた人間はいっぱいいるようだ。少し歩くだけで、自分と同じ顔に殺されて倒れている人間が転がっていた。アンダースタディのほうも殺した後はどうしていいかわからず呆然としているようだ。すぐに後を追う者もいた。おそらく全国でこのような事態が発生しているのだろう。みんな考えることは一緒だ。アホらしい。

 どれだけ歩いただろうか。もう疲れた。腹に包丁の先を当てて、その場に前のめりに倒れた。痛みはなく、広がっていく自分の血液の温かさのみがわかった。寒くはない。この温もりは、俺自身のものだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

自殺するアンダースタディたち 深夜太陽男【シンヤラーメン】 @anroku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ