第9話 神隠し

「さい、て──!!」


 万菜美は大声で叫びたいのを堪えながら、小さな声でそう後部座席のミコト様にそう言った。ミコト様は痛くもかゆくもないといった表情で、

「アイツが信じたんだからいいだろう」

と返してくる。


「そういう問題? 一体、私に何言わせたのよ! さっぱり分かんない言葉ばっかりだったけど、上森さん、凄く顔色悪くなったじゃない!」


 青ざめた顔で車の外へ出ていった上森は、万菜美の前で初めて煙草を吸っていた。部屋を訪れた時も煙草の匂いはしなかったし、上森の傍にいて煙草の臭いを感じることもなかったので、滅多に吸わないのだろう。そんな人が、こうして車の外で吸っている姿を見ると、余程自分は上森に触れてほしくないことを言ってしまった気がする。


「フルフルとか、アラカミとか、わけわかんないし!」

「そのどちらももう二度と言わない方がいいだろう。その言葉はどちらもアイツの逆鱗だ」

「……っ。そんなこと、私に言わせたのっ? もし、信じてくれなかったら、私、怒られてたんじゃないの?」


 先程の上森は、激しい怒りを必死で堪えようとしていた。もし、万菜美が後部座席のことを告げずに、いきなり先程のような言葉を紡げば、間違いなく万菜美に対して怒鳴りつけていただろうと考えるに容易かった。


「アイツ以外、生きている人間は知るはずのない言葉だからな。信じるしかありえんだろう」


 後部座席で胡坐をかき、頬杖をついたミコト様は、外の上森に視線を投げかける。


「アレはどうやったって儂の声を聞き取ることができないからな。儂の気配を感じる輩がたまに車に乗ることはあったが、儂の声も姿も、正確に見て聞くことができるのは、お前だけだ」

「ぜっんぜんっ、嬉しくないしっ!」

「そうか? 儂は嬉しいぞ。お前にかかった穢れを露払いしてやる程度には、儂はお前を気に入っている」


 子供のくせに、妙に色めいた視線をこちらに投げかけてきたので、万菜美は露骨に顔を顰めた。


(何? 幽霊に好かれるほど男運悪いわけ?)


「幽霊ではない。神だと言っておろうが」

「勝手に人の思考読まないでよ!」

「この車にいる限りは、お前の全ては儂のものだ。お前の考えていること、お前の生い立ち、お前に纏わる縁、全て儂の掌中にある」

「ちょ……、やめてよ! 何、そのストーカー発言! キモイ! キモ過ぎるっ!!」

 思わず車の中から自分も外に出ようとすれば、カチリと勝手に車のロックがかかった。


「!!」


 慌てて鍵を開けようとしたが、押せば解除できるはずの車のロックは、ビクともしない。


「小岩井さん?」

 車の外にいた上森も、ロックの音で気づいたのだろう。訝し気に中に問いかけてくるが、万菜美のせいではない。必死に、「開かないんです!」と叫べば、上森がギョッと驚いた顔になる。


「小岩井さん? 何? 何て言ってるの?」


 そう問われ、今度は万菜美がギョッとした。

 この軽自動車は、旧型だし、車の防音性能などないに等しい。


 薄いスモークも貼っていない窓ガラスでしか隔たれていない車の中の声が、外に漏れない筈がなかった。


 なのに、上森は万菜美の声が聞こえないようで、万菜美は慌てて自分のシートベルトを外すと、運転席の方へ移動してそこのロックも解除しようとする。しかし、車のロックは解除できない。

「上森さんっ!」

上ずった声で、窓を叩きながら上森に助けを呼んだが、その声さえ上森には届かないようだった。


 そっ、と戯れるように万菜美の髪を一房、ミコト様は手に取ると、その手触りを楽しむかのように親指と人差し指で擦る。その感触に、背筋がゾクゾクとした。言葉には表現しにくい。嫌悪でも、快感でもない。触られていると確かに認識しているのに、その端から砂が零れ落ちるように、何も触っていないという感覚が身体を走る。

 触られているのに、触られていない。

 聞こえているのに、聞こえていない。


 何かがおかしい。何もおかしくない。


 頭の中がどうにかなりそうだった。


 ミコト様は、「くくく」と声を立てて笑うと、言う。


「儂は神ぞ? 余り不躾なことを言うと、このままお前の全てを取り込んで、儂の中にしまい込むぞ? 神隠しというものは、神が気に入った人間を自分の内に取りこんでいる場合もあるのだ。お前も儂の中に取りこんでやろうか?」

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい! もう悪態吐きませんっ!

 だから、許して!」


 脊髄反射のようにそう謝罪した。僅かに目じりに涙が滲んだが、それさえもこの神様には『快い』ことなのだと、何故か分かってしまう自分が嫌だった。

 ミコト様は「なんじゃ、つまらんの」と言いながら、カチリとロックを外す。


 上森が慌ててドアを開けると、万菜美は半泣きで車から飛び出して、その腕にしがみ付いた。


「大丈夫? 小岩井さん」

「ううー、ううううー……」


(もう、二度とこんな車乗るかっ! スクラップにでもなっちまえ!!)


 心の中でありとあらゆる罵詈雑言をミコト様に向かって投げかけつつも、力の限り上森にしがみ付いた。いくら見えるし、話せるといえども、非人間的な力を見せつけられれば、当然恐怖する。

 後部座席の神様は悪びれもせずに、こちらを見て微笑んでいた。

 何か言いたげだが、何故か何も話さない。


「?」


 訝しげに思いながら、上森を掴んでいた手を放すと、上森は慌てていたのだろう。下に落としてしまった煙草を拾い、携帯灰皿に捨てる。

 それを横目に申し訳なく思いつつも、万菜美は確かめるようにミコト様を見ていた。


 段々、万菜美の視線は険しくなっていく。


 そして、怖い思いをしたはずの車中にもう一度顔だけを突っ込むと、

「ミコト様、本当にこの車の中だけでしか、何も出来ないのね……」

と呟いた。


 ミコト様はいたずらがばれた子供のように笑うと、

「儂の巫女は、なかなか鋭い」

と、喜色満面で言った。

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