第8話 ふるふるはとうげのこえ

 上森 昴は、生まれてこの方、幽霊なんてものを見たことがない。そして、そんなものが存在しているならば、何故、自分に会いに来ないのか、と思う位に、諦めてもいた。

 幽霊でも見えるのなら会いたいし、話をしたい。

 そう何度思ったことか。


 それでも現実はシビアで。

 昴が見たいと願っても、決してそれらは姿を現さなかった。だから、彼の中で、幽霊といったものは、【いない】ことになっている。


 では、今、目の前の人間がそんなものを見えるのだとしたら、それは本当に見えているのか。それとも、自分を謀っているのか。若しくは、その人間自身が幻覚を見ているのか。


 目の前の、まだ少女と言ってもいい年齢の女性が、その三つの内のどれなのか、昴には判断しかねた。


「えっと……。白い、着物の男の子が、いる……かなぁ?」

 戸惑いながら、小岩井万菜美がそう言ってきたので、昴は苦笑しながら、

「昨日もそう言っていたけれど、小岩井さんて、そういうのが見える人なの?」

と問い返した。

 昴自身は見えないし、信じてもいないが、見えると称する人を根っこから否定する気もない。


 ましてこの状況で、彼女が『見える』と自分に嘘を吐く必要性もないのだから、きっと、友人が死んでしまったことがショックで幻覚が見えているのかもしれない。そんな例、聞いたことはないが、昨日の夜も眠れなかったであろうことは、彼女の目元の隈で分かったし、彼女の今の精神状態が通常でないことも理解できる。

 だから、極度の緊張状態における幻覚というものが一番近いんだろうな、と思っていたら、その横面をバチンと叩かれたようなパンチの効いた一言が、彼女から返ってくる。


「え? 死神? 何それ?」


 耳慣れたフレーズだが、ここでいきなり彼女の口から出てくるには、あまりにも唐突すぎた。


「ドウガネの十人殺し……?」


 もう一言、紡がれた瞬間、昴はガッと彼女の肩を掴んでいた。


「誰から聞いたの?」

 冷静さを欠いた声だとは分かっていた。それでも、そう問わずにはいられなかった。

 祖母は、そんなことを彼女に告げ口しないだろう。祖母こそ、その話を忘れたがっている第一人者なのだから。


 ならば、昨日からこの少女はそれを知っていたのか。警察で聞きでもしたのだろうか。


 次々に疑問が頭の中を過るが、彼女は困惑した顔を更に青ざめさせて、首を横に振る。

「だ、誰にも聞いてません!」

「じゃあ、どうしてそんなこと知ってる」

「だ、だって、言えって言われて……!」


 誰がそんなことを彼女に言えと言うのか。彼女は、まるで何かいるみたいに後部座席に目を向ける。昴もそちらに目を向けるが、そこは当然何もない。


「小岩井さん、あまり大人をからかっちゃダメだよ?」


 きっと、警察から色々聞いてしまったのだろう。そう思いながら優しく咎めると、彼女は今にも泣きそうな顔をして、切羽詰まった声で叫ぶ。


「私だって言いたくないけど、言って信じてもらえって……! そうしないと、樹里愛を殺した犯人、教えてくれないって……!」


 よほど悔しいのだろう。後部座席を睨み付けながら、「何でこんなこと言わせるのよっ……」と抗議する姿は、まるで本当にそこに誰かいるようで。


 ゾクリ、と背筋に寒いものが伝わる。


 そんなものはいない。見たことさえない。いない。いては、い、け、な、い。


 全否定しようとする昴に、最後通牒として突きつけられた言葉は、昴以外誰も知りえない筈のもので……


「ふるふるはとうげのこえ!」


 やけになったようにそう叫んだ彼女は、「これで最後だそうです!」と付け加えた。


 まるで何かの呪文のような。否、何かの呪文に近いその言葉は、今は昴以外知りえない言葉で、昴はナイフで切られたかのような胸の痛みを覚えながら、それでも感服せずにいられなかった。


 そして、何も見えないし、聞くことも出来ない、そこに何かいるとも思えない後部座席を睨み付ける。


 いつからそこにいたのか。分からないし、知りたくもない、『何か』の存在を、認めざるを得なかった。そうでなければ、彼女こそ超能力者か何かで、自分の頭の中を読んだとしか思えない。一瞬、そちらも考えたが、超能力者にしろ霊能力者にしろ、非現実な存在なことは確かで、何故、今になってそんな存在が自分の前に現れたのか、苛立ちさえ感じつつも、後部座席の『何か』に言う。


「随分、悪趣味なんだな」


 『何か』は何も答えない。代わりに助手席の彼女が、まるで口寄せのいたこのように返答してくる。

「……車に乗る人間のことは、その人間の過去も含めて全部……見える……って」


「うわ、やだ」と万菜美が心底嫌そうな顔をしたが、それは昴とて同じだ。


 過去も見えるというのであれば、この車に乗る前の出来事も知っていることに頷ける。だが、それをワザワザ昴に突きつける厭らしさに、見えない相手ながらも嫌悪感が募る。

 隣に座る彼女は既に涙ぐんでいた。巻き込んだのは彼女の筈なのに、まるでこれでは、彼女が巻き込まれたかのようだった。

 そう思い、後部座席の『何か』に問いかける。


「お前は彼女に言われる前から、そこにいたのか?」

「……いた、って返してます……」

「お前は何だ? 何でこの車にいる……?」

「……偶々、姿を借りただけだって……。そして、幽霊じゃないって……」

「幽霊じゃない? じゃあ、何なんだ?」

「……アラカミ……? ミコト……様、だそうです」


「──っ」


 思わず「ふざけるな」と叫びそうになった。しかし、怒鳴り散らせば、その瞬間に隣の少女が声を上げて泣きそうなのが、直ぐに分かった。

 彼女ももう限界だった。

 自分と『何か』の中立ちをしていることに、非常に怯えている。

 当たり前だろう。先ほどまで穏やかだった昴が、こんなにも怒りを顕わにしている。


「……この車の中でしか、存在できないって……。だから、誰か声を伝えられる人間を探してたって……」


 震える声で、彼女は言った。

 きっと、『何か』が探していた、声を伝えられる人間が、彼女なのだろう。


 あまりの馬鹿馬鹿しさに反吐が出そうだった。


 昴は、それ以上は何も返すことができずに、「ごめん、ちょっと外出る」と言うと、そのまま車の外に出て、乱暴にドアを閉める。とにかく頭をクリアにしたくて、彼女を一人で残すことも躊躇わずに、外へ出てしまった。


 いっそのこと、幽霊と言われた方がどんなに良かったことか──。


 アラカミ……荒神様。


 頭の中で、音と繋がる言葉の意味に、昴は絶望した。


 断ち切れない、『何か』の糸に、まだ自分が絡まっていることを知って──。

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