第7話 神様は知っている
「昨日は泊めていただいて、ありがとうございました」
万菜美が深々とお辞儀をすると、おばあちゃんは「また来ぃね!」と嬉しそうに皺々の顔でくしゃりと笑ってくれた。
上森が玄関前に用意してくれた軽自動車に乗り込み、万菜美は何度もおばあちゃんに手を振って別れた。
「ごめんな、うちのばあちゃん、うるさくて」
車を走らせながら、上森がそう言った。
「そんなことないですよ。楽しいおばあちゃんでした」
本当にそう思ったのでそう返せば、上森は満更でもないのか、少しだけはにかみながら「ありがとう」と返した。その姿からも上森が自分の祖母を大切にしているのが伺えて、しみじみ万菜美は上森の人の好さに感心してしまう。
(本当、優しい人なんだろうな)
あんまりにも優しいから、普段の万菜美であれば、その優しさに絆されていたかもしれない。但し、それは普段の万菜美であればであって。
「いや、そうでもないぞ。結構コイツは薄情だ」
背後から、自分の思考さえも読み取って話しかけてくる硬質の透き通った声さえなければの話だが。
(うわぁあああああああああああ……!!!)
本当は、玄関前に寄せられた軽自動車を見たとき、絶叫したかった。
「無理無理無理無理!」と連呼したかった。だけど、上森もおばあちゃんも軽自動車の中をまったく気にしていなくて、そこに人がいるなんて思ってもいないように、普通にしていたので、万菜美は何も言えなかった。
まさか、車の中にまだあの、白い着物姿の男の子がいるなんて──。
「小僧も、小僧の祖母も、儂が見えんからな」
そう言いながら、軽自動車の後部座席にドカリと座り込み、その白い素足を運転席と助手席の間に突き出している。
(これ、何てホラー?!)
いっそのこと血みどろ幽霊だったら、また気絶でもできただろうが、至って普通の少年に見えてしまうのだから質が悪い。しかも、上森とおばあちゃんには見えなくて、万菜美一人だけに見えるとなれば、何を言ったところで説得力がないように思えた。
少年は万菜美だけに聞こえているとは思えない、少年特有の柔らかだがどこか硬質の声で、更に話しかけてくる。
「小岩井 万菜美。昨晩は泣いたのか? 小僧がお前の目元を見て、気にしてるぞ」
子供とは思えない、いや幽霊だから子供なのは見た目だけなのかもしれないが、少年は容赦なく万菜美の隠したいことを突きつけてくる。
友達が死んだのだ。泣かないわけがあるか、と思う。言わないだけ、見せないだけで、どうしようもない気持ちで一杯なのだ。しかも、自分の元彼はまだ捕まったままで、犯人さえ誰だか分からない。万菜美本人の疑いは晴れたとはいえ、悶々とした気持ちでいるというのに。
「そんなこと思ったところで、死んだ人間が返ってくるか」
(うるさい、幽霊。黙れ!)
眉間に皺を寄せてそう心の中で叫べば、後ろの席からクスクスと意地の悪い笑い声が聞こえてくる。
「儂は霊ではないぞ。そんな下っ端と見誤るな」
(じゃあ、何なのさ!)
「この男の業に巻かれてここに居る。この車を社とする神だ」
「かみ……神?!」
いきなり口を開いた万菜美に、上森がビクリとして「どうしたの?」と聞いてきた。万菜美は慌てて首を横に振って、俯いた。咄嗟に後ろを向かなくてよかったと思う。
上森は万菜美の方を気にしてはいたが、万菜美がそれ以上何も話さないのを見て取ると、再び無言で車を走らせてくれる。
万菜美は俯きながら、必死で頭の中で問いかける。
(神様って、神様?)
「そうだ、儂は神だ。よきに計らえ」
(嘘! どう考えても幽霊じゃん!)
「愚かな。お前に降りかかろうとしていた火の粉を払ってやっただろうが」
(……?)
「わざわざ儂の社であるこの車のタイヤをパンクさせて、お前のアリバイとやらをつくってやっただろうが。それがなければ、お前が今頃、女殺しの犯人だ」
可笑しそうに己を神様と名乗る少年は言った。
思わず、万菜美は顔を上げて、ミラーで少年を確認してしまう。鏡越しなのに、不思議なことに確かに少年の姿が、万菜美には見えた。
少年はミラー越しに万菜美と目を合わせると面白そうに言う。
「偶然だと思ったか? お前が乗ったのも、途中でタイヤがパンクしたのも、全部、お前が旅館に戻っていないという証拠を作るためだ」
(そんな……)
確かに、あのまま歩いていけば始発には間に合った。刑事の話では、戻って樹里愛を殺害し、そのまま走って駅まで降りれば、始発にも間に合う時間だったと言っていたではないか。それなのに、万菜美は始発に間に合わなかったし、それ以降の時間はずっと駅で電車待ちをしていた。駅の防犯カメラや万菜美の購入した切符で、駅構内にずっといたことは証明できた。つまり、樹里愛が殺害されたと思われる時間帯全てで、万菜美はアリバイが出来ていたのだ。
「もし、始発で帰っていれば、次の無人駅で降りて旅館に戻ったのではないかと、色んなことを疑われて、当分警察署にいただろうさ。始発には殆ど乗車する客もいない。お前が次の駅で降りようが降りまいが、誰もわからない」
起こりうる現実を提起され、万菜美は唖然とする。確かに始発で帰っていたら、殆ど乗客はいなかっただろう。上森がいて、しかも直ぐに証言してくれたから、万菜美はすんなりと釈放されたのだ。
それがなければ、自分はきっと今日も、いや、もっと長く、警察署にいたのだろうことは、容易に想像できた。
(でも……なんで君がそこまで……)
「君ではない。ミコト様、と呼べ」
少年はドカッと遠慮なく万菜美の助手席を蹴ってくる。足癖の悪い自称神様だ。それでも、この少年──ミコトの……
ドカッと再び助手席を蹴られ、強い口調で指摘が飛ぶ。
「ミ・コ・ト・さ・ま!」
……ミコト様の言う通りであるならば、自分を救ってくれたということになる。
(どうして?)
どうして助けてくれたのか、不思議に思いながらもう一度ミラー越しに目を合わせると、ミコト様は子供とは思えない妖艶な笑みを浮かべて言う。
「無垢なる魂≪たま≫の娘よ。儂の社の巫女にお前は選ばれた。とくと務めよ」
(巫女?)
巫女ってあの巫女か。神社でお正月に着物姿でお守り売っているあの女の子か。
脳裏に巫女服姿の自分が浮かんだが、どこの風俗の女の子だといった感じで、我がことながらどう考えても似合わなかった。
しかも、万菜美は処女ではない。巫女というのは、生娘でなくては駄目ではないのか、と色んなことが頭を駆け巡るが、そんな万菜美の混乱を、ミコト様は感じ取って可笑しそうに笑っている。
「小岩井万菜美。お前、言っていたな。男運が悪いのだろう?」
確かに言った。この車に最初に乗ったとき、後ろにミコト様が乗っているにもかかわらず、そう上森に愚痴ってしまっていた。
ミコト様は後部座席で神様らしくなく足を組むと、片肘をついて顎に手を当てながらこちらを見ている。
「お前の男を見る目もないが、そもそもお前の魂≪たま≫にも因がある。
お前の魂≪たま≫は神である儂が心地よくなるほど無垢だ。別にお前の性格が無垢だというのではないぞ。偶さかにお前の魂≪たま≫が無垢なだけだ。魂≪たま≫の清廉さは、人の業とは無関係だ。何人の男と寝ようが、何人の人を殺めようが、その性質は変わらない。その清らかさは、心やましい人間を近づける。汚したい、落としたい、そう思う輩がお前に近づくから、お前の男運はないのさ」
(え……何か、凄く嫌なこと言われた気がする……)
直に、万菜美の男運のなさが、万菜美の性格や、好みの問題ではない、と言われたのだと、理解できてしまったことが悲しい。しかも魂≪たま≫とやらの性質であると言われてしまえば、それは生涯、万菜美は男運が悪いままということではないのだろうか。
軽く絶望しかけたのだが、それを許さずに更にミコト様は畳みかける。
「そして今度は、更なる穢れを呼んだ。それが偶然か必然かは神である儂にも分からぬが、まこと、人の縁の奇異さは、いくらこの世に留まろうと飽きぬことだ」
更なる穢れが何なのか、万菜美にだって分かる。普通に生活していれば、決して起こりえないこと。そして起こってほしくなかったこと。
(ねぇ……)
万菜美は自分からミコト様に心の中で話し掛けていた。ミコト様は万菜美の神妙な態度に、言わずとも何かを感じ取っていたのだろう。ニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべる。
その表情は、本当に、神様らしくでも、子供らしくでもない。
(ミコト様は、知っているの?)
「何を?」
ワザとだ、と思った。思えば昨日だって何もかも知っているような口ぶりだったではないか。「間違えて殺された」と、この神様は言っていた。間違えた、というだけの根拠があるならば、当然、
この、【神様】は知っているのだ。
(誰が、私の友達を……樹里愛を殺したの?)
ミラー越しに、ミコト様の次の言葉を構えた瞬間、車が突然ハザードを上げて、路側に止まった。
万菜美は後部座席に集中していた視線を思わず運転席に向けてしまう。
運転席では僅かに青い顔をした上森が、ハザードをつけたまま、こちらを見た。
「あのさ……」
口を開いたのは、ミコト様ではなく上森だった。
上森は極めて不本意そうに、だけど、確信を持った口調で万菜美に問う。
「もしかしなくても、後部座席に何か見えてるんだよね?」
あれだけ無言で後部座席を見つめていれば、昨日からの態度で自ずと察せるというものなのだろう。
青ざめた上森の顔に、万菜美は何と答えればいいのか困ってしまった。
はい、います。自称、この車の神様が。
──なんて、果たしてこの目前の男は信じてくれるのだろうか
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