第5話 誠実な男

「万菜美は、顔で損してるよねぇ」

 

 啓介の講義終り待ちで、手持無沙汰に樹里愛と学内食堂で時間を潰していた。いつも通り他愛ない話を二人でしていた筈なのに、樹里愛の突拍子もない、且つ容赦のない一言に、万菜美は顔を顰めた。


「どうせ樹里愛みたいに綺麗じゃないですよぉ、だ」

 一目見て、「美人」だと思われるのが、樹里愛の顔だ。鼻ずしも通っていて、どちらかというと西洋よりの迫力美人と言ってもいい。

 反して万菜美は、化粧の力も借りて可愛いといえる顔だが、美人の部類には到底入らない。どう逆立ちしたって美人とは言われないことくらい、言われなくても分かってる、と思えば、「勘違いしないの」と樹里愛に鼻を押された。そういう仕草さえ色っぽいのだから、わが友達ながら嫌になる。


「万菜美がもっと地味顔だったら、きっと万菜美好みの男の子が寄ってくるのよ。誠実で、万菜美のことを思いやってくれる優しい男が。

 だけど、あんた、生地可愛い顔だから、馬鹿な男の性欲刺激して、あんたも馬鹿だからその勢いに絆されちゃうのよねぇ」


「ちょっと、馬鹿馬鹿いわないでよ。第一、啓介は誠実じゃない」

 今度の男は大丈夫だと力説すれど、樹里愛はハァとわざとらしくため息で返すだけだ。


「ああいうのは、誠実じゃなくて、自分の欲望に忠実っていうのよ」

「はぁ? 何それ! 人の男、馬鹿にしないでよ!」

 万菜美が声を荒げると、樹里愛はもう一度、その綺麗にマニキュアとラインストーンで彩られた指で、万菜美の鼻をムニュッと押す。


「本当、あんたのそういう可愛いトコロ、分かってくれる男に早く出会えるといいわねぇ」

「だから啓介がいるじゃない!」

 万菜美がそう返したところで、

「何々? 俺の話?」

嬉しそうに万菜美の肩に手を置いてきた。万菜美は啓介を見上げて、嬉しそうに笑いかける。

「啓介!」

 樹里愛に言わせれば子犬が尻尾を振っているようだと言われるその笑顔は、啓介も大好きらしく、いつも蕩けるような甘い笑みを万菜美に返してくれる。


「なぁなぁ、夏休み、旅行いかねぇ?」

 啓介が生協で見つけたのだろうパンフレットを万菜美にちらつかせた。

「旅行? いくいく! 楽しそう!」

「……樹里愛ちゃんも暇だったら一緒に行く? 俺の車、7人乗りだから他にも誘ってみようか?」

 啓介が樹里愛を見ながら問いかけると、樹里愛は「あら、そう?」と口角をあげて微笑んだ。同い年には見えない色香に、啓介がドギマギしないか万菜美は一瞬、不安げに啓介を見たが、笑っている啓介にそんな素振りは見られず、純粋に樹里愛にも声をかけているように、万菜美には見えた。


「本当、お馬鹿ちゃん……」

 ポソリと小さく呟いた樹里愛の言葉は、万菜美に言われたものだったのか。それとも啓介に言われたものだったのか。


「え? 何々?」

と嬉々として問いかけてくる啓介を遮るように、「樹里愛!」と万菜美が咎める声をあげると、樹里愛は「ふふふ」と艶やかに笑った。


 結局、旅行は啓介が声をかけたらしいが他には集まらず、三人で行くことになってしまった。それでも大好きな啓介と、気心知れた樹里愛となら、楽しい旅行になるだろう、と行く前は心弾ませてその日を心待ちにしていたのだ。


 本当に、楽しめると思って。



####



 うす暗闇の中、のどの渇きで万菜美は目が覚めた。頭がぼんやりとしているのは、夢の途中で目が覚めたからだろうか。


「ここ……どこ……?」


 自分が寝ているのが布団だということは分かる。服は着替えていないし、枕元には荷物もあった。ただ、旅館やホテルではないことは、枕元にある仏壇で分かる。


(というか、仏間で就寝って……)


 自分は死んだのか? と万菜美は思ったが、生活感溢れる部屋の雰囲気で違うと分かる。流石にこんなに日常めいた天国や地獄もないだろう。

 そして、直ぐにあの幽霊のことを思い出して、ゾッとした。


(そうだ、上森さん……)


 上森の車の中にいたはずだ。

 気味の悪い幽霊に、わけのわからないことを言われ――

 そしてどうしたのか?


 そこから先の記憶がない。

 気が付いたらこんな風に民家に寝ていたというのは、寝てしまったのだろうと分かるのだが、あの状態で寝られたとは思えない。


(まるで強制的にシャットダウンされたみたいな……)


 あの幽霊の少年の仕業だと、何故か反応的に悟る。そうでなければこんな簡単に意識が途絶えることなどあり得ないはずだ。

 あまりのことに不気味さと、恐怖が忍び寄る。

 それでも必死に平常心を保とうと、枕もとにそのまま置いてあった鞄を引き寄せた。

 鞄の中から携帯を探し当て、時間を確認すると、午後十一時で、まだ一日も経過していないことに安心する。

 次にここがどこだろうと思い、布団から抜け出て障子を開け、恐る恐るながら廊下に出てみる。

 良くも悪くも、昔ながらの日本民家だ。

 古くて狭い板張りの廊下なんて初めてで、どこか某国民的アニメの家を思い出す。今は雨戸が閉められているが、障子と面した左側は庭があるのだろうな、と想像にたやすい。右側でもある障子側には、自分の出てきた部屋も含めて二部屋あったが、もう片方の部屋は明かりも漏れていない真っ暗闇なので誰もいないか、もしくは誰かいるとしても寝ているかもしれない。

 廊下の行き止まりまで行くと階段があった。その階段の上を見上げれば、部屋から明かりが漏れている。誰かいるのかもしれない。

 いつも以上に慎重に階段を上り、今度は襖で仕切られているその部屋の前に立つ。

 ドアではないので、この場合、ノックはおかしいだろう。

「あの……、すいません……」

 とりあえず声をかけてみると、「あ、はい」と直ぐに男の人の声が返ってきた。中から物音が聞こえて、出てきたのは紺色のТシャツにハーフパンツというラフな格好の上森だった。


「上森……さん?」

「朝まで寝てると思ったんだけど起きたんだね。おはよう」

 夜半だというのにどこか間の抜けた挨拶に、「あ、おはようございます」と返すと、上森は風呂上りなのか石鹸のにおいを香らせながら、

「小岩井さん、気を失っちゃってたから家に連れてきたんだ」

と説明してくれた。


「揺り起こしても起きないし、意識のない女性をホテルに連れていくのって、例えシングル頼んでたとしても、何か言われちゃいそうでさ……。俺にとっては地元だから、結構知り合いが駅前なんかザラにいるんだよ」

「ご、ごめんなさい……!」

 自分が意識をなくしたばっかりに、思いのほか、迷惑をかけてしまったらしい。

 上森は「いいよ、気にしないで」と笑うと、

「下の部屋、ばあちゃん寝てるから、お風呂とか明日でもいい?」

と尋ねてきた。


「いえ……! 明日、そのまま帰りますから!」

「でも、寝汗かいてるみたいだよ?」


 スッと手がのばされて、右目横の髪を梳かれる。どうやら汗で張り付いていたらしいそれを身体の通り大きな手で触れられて、万菜美は思わず首を竦めた。


「あ、ごめん!」

 上森としては意識してしたことではなかったのだろう。万菜美の様子に気恥ずかしそうに慌てて手を引っ込めたので、万菜美も恥じらいながら頭を下げた。

「す、すいません!」


「本当は何か食べるものとか用意してあげたいんだけど、この家、それ程大きくないし、小岩井さんの隣の部屋で寝ているのばーちゃんだから、居間に行くにしてもそこ通らなきゃなんないから、無理なんだよね。あ、トイレなら小岩井さんの部屋のすぐ横にあるから」

「いえいえ! 寧ろ泊めてくださった本当にありがとうございます」

「いいよ、いいよ。色々あって疲れたんだろうから気にしないで」

 そう言うと、上森は「あ、ちょっと待って」と言って部屋の中に戻る。

 一瞬開いた襖の奥から、男性の部屋……というよりは、まるで高校生男子のようなごっちゃりと色々せせこましい部屋の中が僅かに見えたが、上森はその中に万菜美を招き入れるようなことはせずに、先程と同じように外に出てくると、「はい、どうぞ」と缶のお茶を万菜美に手渡した。


「のど乾いたら飲んで。部屋に小さな冷蔵庫あるから、冷たいよ、それ」

 確かに上森に手渡されたお茶は、ひんやりと冷たく、夏場外に置いておいた時のような水滴もついていなかった。


「ありがとうございます」

 とてものどが渇いていたので有難くそれを受け取ると、

「じゃ、色々話したいことあるかもしれないけれど、それは明日ね」

と上森に言われた。


「明日は土曜で仕事休みだから、駅まで送っていくよ」

 そう言われて、一瞬、車の中にいた少年が頭を過る。思わず上森の背後に目を向けたが、少年の姿はないし、先ほど家の中を歩いた時も、少年らしき影さえ見なかった。


(やっぱり……疲れからくる幻覚とかなのかな……)


「小岩井さん、どうしたの?」

 黙ってしまった万菜美を見て、上森が訝し気に見下ろしてきたので、万菜美は慌てて笑顔を作ると、

「すいません、それじゃ明日はよろしくお願いします」

と頭を下げた。


「じゃ、眠れないかもしれないけれど部屋に戻りな。おやすみ」

 上森が優しく万菜美にそう言った。


(う、もっと話したい……)


 何となく人恋しい。

 色々ありすぎたせいもあるし、あの幽霊のことも考えると部屋に戻ることが少し怖かった。それが顔に出たのだろう。

 上森は「う……」と小さく言葉を詰まらせてから、ガシガシと頭をかくと、「もう一回待ってて」と言って、部屋に戻って、また何かを持って戻ってくる。


「……何もしないと誓えるけど、年頃の子、部屋に入れちゃ、ばーちゃんの逆鱗に触れそうだから、これで勘弁して」


 差し出されたのは、万菜美の上半身程の大きさもある大きな三毛猫のぬいぐるみだった。ノテッとした長い体に短い手足。可愛いように思えるが、目つきが非常に悪いので、どちらかといえばブサ可愛い類のぬいぐるみに、万菜美はポカンと上森を見上げてしまう。


「いや、別に、買ったやつじゃなくて。ゲーセンでとったやつだから」

 さも自分の趣味じゃない、と言いつくろうが、それにしては埃ひとつ被ってないし、どう考えても首に巻いているリボンは、後付けされたものだ。

「……」

 何気に万菜美の視線が、上森の今着ているТシャツの腰のあたりに移る。先程、パッと見た時に、そこにあるものが気になったからだ。分かりづらいが猫のシルエットがワンポイントで刺繍されていた。


 上森も万菜美の視線の先に気付いたのだろう。慌てて手でそのワンポイントを隠したが、それではやましいことがある、とバレバレだ。


(ヤダ、この人可愛い)

 万菜美は思わず笑いそうになるのを必死で堪えて、「ありがとうございます」とだけ返す。しかし、その声の震えに気が付いたのだろう。


「ばーちゃんが猫アレルギーで、猫飼えないんだよっ!」

 観念したように、半ばやけ気味に上森が言うので、ついに我慢出来ず万菜美は吹き出してしまった。


 お蔭で、その後は怖い夢も、男の子の幽霊も見ることなく、猫のブサ可愛いぬいぐるみを抱きしめて、長い夜を終えることが出来た。

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