第3話 女子大生と幽霊
とんぼ返りで戻された先は、旅館ふもとの町の警察署だった。一時間半をかけて離れた場所に二時間かけてパトカーで引き戻された。
そこで初めて万菜美は警察署というものの二階に案内された。テレビで見たようなスチール机の取り調べ室、というわけではなく、極めて普通の、応接室のようなところへ案内されて、万菜美は働かない頭で、必死に何かを考えようとする。
しかし、樹里愛が殺された──という、どこの二時間ドラマだなんて展開に、当然頭がついていくことはなく、目の前の父親と同じ年齢程の厳つい顔をした刑事の説明を理解しようと務めることで精一杯だった。
刑事の話は極めて単純だった。
樹里愛の部屋で寝ていた男──当然ながらそれは万菜美の彼氏だった、田上 啓介が朝、露天風呂へ行った。よくも自分に浮気現場を見られた後に暢気なものだと思ったが、それは考えないことにした。
とにかく、啓介が風呂に入って戻ってくると、樹里愛はまだ布団を被って寝ていた。
だから、啓介はそのまま一人で朝食を食べに行き、再びその部屋に戻る。
しかし、戻ってきても樹里愛はまだ起きておらず、不思議に思って布団をめくってみると、頭を鈍器で殴られ死亡している樹里愛を発見したという。
「で、小岩井さんも白羽さんたちと一緒に旅館に宿泊していたと聞いたのですが、あなただけ、何故か朝食の時間である七時前に、チェックアウトもせずに旅館から出ているんですね」
(はい、彼氏の浮気現場を見て頭にきてましたから)
だけど、ちょっと待って、と思わず言いたくなる。
彼氏に浮気されました。
浮気相手の女は殺されました。
本人である万菜美自身は、早朝、チェックアウトもせずに慌てて宿を出ました。
そこまで考えれば、それが何を意味するかなんて分かっている。
「わ、私、殺してませんっ!」
上ずった声でそう言えば、刑事は厳つい貌をニコリともせずに、
「衝動的に──ってこともある」
と言った。
「た、確かに浮気されて、うわっ、て思ったけど、それで殺そうだなんて思うわけないし!」
「なるほど、浮気されたんだ」
どうやら啓介は言ってなかったことを、万菜美は馬鹿正直に自分から言ってしまったらしい。あわあわと閉まらない口で、
「いや、その、それでも、殺してないですから!」
と弁明すれども、刑事は無情にも別の言葉を万菜美に叩きつける。
「今朝、君が友達の部屋で『死ね』と言っていることを聞いたって人がいるんだよ」
(はい、言いました──!)
でも、それはかなり早い時間だった筈だ。万菜美が自分の横に恋人である啓介がいないことに気付いたのは、早朝五時。隣の部屋で浮気現場を確認したのもその時間だ。
それから直ぐに宿を出たので、そんな時間に一体誰が……と思ったが、直ぐにハッと気付く。
「あ、あの、啓介──、彼がお風呂に入りに行ったのって何時だったんですか?」
「五時半頃だったと言っている」
「わ、私、その頃には旅館を出ていますから!」
「だが、君が乗っていた電車は六時四十五分発だ。あの旅館からふもとの駅まで徒歩で約一時間の道のりだが、急いで戻って殺してから降りても十分間に合うだろう?」
「車、車に乗せてもらったんです!」
「それなら余計におかしい。車なら六時前には駅に着いただろうし、始発の六時五分に間に合ったんじゃないのか?」
確かにそれに間に合っていれば、こんな濡れ衣は着せられなかっただろう。
頭の中であの体格のいい上森の姿が過った。過ると同時に、自分の間の悪さを呪った。
あの時、パンクくしたタイヤの交換など手伝わずに、先に駅に来ていれば良かった。そうすれば疑われることもなかっただろう。だけど、折角乗せてもらったのに、そのまま置いていくのはどうしても忍びなく、まさかこんなことになるとは思わなかったので手伝ってしまった。
「乗せていただいた方の車がパンクしたんです。乗せてくださった人に問い合わせてください!」
「その人の名前とか、分かる?」
万菜美は上森の社員証を思い返す。社名は忘れたが、名前は印象的で覚えていたのだ。おじさんの割にずいぶん若々しい名前だな、と。
「上森……上森 昴さんです!」
名前だけで上森が捕まるとは思えなかったが、はっきりとそう名前を告げた瞬間、刑事の顔が不機嫌そうに歪んだ。
「上森 昴?」
「そうです、上森 昴さんです」
「がっしりしてる割に、顔だけ青びょうたんみたいな男か?」
酷い言われようだが、ある意味的を射ていたので、万菜美はブンブンと首を縦に振った。
刑事はグッとソファの背もたれに背をもたれさせると、うんざりしたように呟く。
「また、あいつか……」
どうやら上森は刑事の顔見知りだったようだ。どういう関係かは分からなかったが、なんとかなるかもしれないと思うと、万菜美は安堵した。
#####
「随分、疲れた顔してんね?」
昼食後、上森 昴は、喫煙室に入るなりそう友人の白戸に言われ、珍しく顔をしかめた。
「車が今朝、パンクしちゃってさ」
「それは災難。だから今朝、遅かったのか」
「そ。折角早く家出たってのに、いつもと同じ時間で、課長には嫌味言われたよ」
昴が肩を竦めると、白戸が声を立てて笑った。
「ま、いいじゃん。いつもの上森なら、パンクの修理してる時に【死体】と遭遇してんだろうが、今日は何も遭遇しなかったんだろう?」
物騒な白戸の言葉は、他の人間ならば絶対昴に言わないことなのだが、空気を読まない性格ゆえか、白戸は気にせず昴にそう言った。昴としても下手に距離を置かれるよりはその歯に衣着せぬ白戸の言動は有難かったし、多少直球すぎても、事実だったので、いつものことだと軽く流せる。
今日も白戸の軽口に、苦笑いを浮かべながら「別のには遭遇したけどな」と笑った。
「別のって?」
「女子大生と幽霊」
煙草に火をつけた白戸がブハッと吹き出した。
「凄い組み合わせだな」
「家から駅まで向かう途中で、駅に向かって歩いてる女子大生拾った」
「え? ナンパ?」
「違う。彼氏が旅館で浮気したらしく、怒って一人で帰る途中だったらしい」
「旅行先で浮気ってすげえ彼氏だな」
確かに、と昴も思った。しかも、浮気された女子大生は、昴から見て浮気されるような女の子には見えなかった。目鼻立ちのしっかりした今時の、だけどケバケバしくはない女の子。決して頭の悪そうには見えなかったのが、男運が悪いことを嘆いていた。単純に男を見る目がないんだろうな、と運転しながら昴は思っていたのだが、勿論彼女にそんなことは言わなかった。
「しかし、よく男の車に乗り込んだな。いくら駅から遠いっていっても警戒心少なくねぇ?」
それは確かに言えることだったが、トボトボと道を歩いていた彼女が、なんだか可哀想で、つい昴は車に乗るように誘ってしまったのだ。
「俺一人だったら乗らなかったんだと思う……」
昴は思わず顔を顰めて、そうぼやいた。白戸が首をかしげて、
「誰か一緒に駅まで乗せてきたのか?」
と尋ねてくる。
たまに民宿の客を、近所のよしみで宿の主人に頼まれて駅まで乗せることもあることを知っていた白戸がそう尋ねると、昴はいよいよ眉間のしわを深くして首を横に振る。
そして、嫌そうに呟く。
「俺の車の後部座席に、子供が座ってたんだと。だから親子連れだと思って乗ったらしい」
「うわ! 今、ゾワッとした!!」
白戸が肩を竦めて自分の両腕を摩った。
昴だって、駅でその話を聞いたときは、酷くゾッとしたものだ。昴に当然子供はいないし、車に乗せていた覚えもない。なのに、車に乗せた彼女は、子供がいたから乗ったと言うのだ。怖すぎて、駅で降ろした時は、あいさつもそぞろにホームに逃げ込んでしまった。
「あー、帰りたくねぇ……」
昴には何も見えないが、帰りも同じ車で同じ道を通って家まで帰らなければならない。それを思うと憂鬱すぎて、ガクリと首を擡げた。
「いい加減、お前も家出ればいいのに」
「流石にばーちゃん一人には出来ねぇ」
昴の自宅は、祖母と二人暮らしだ。昴が出て行ってしまうと祖母が一人になってしまうので、出ていくつもりはさらさらない。幸い、仕事は総務のお蔭で、月末に残業が立て込むが見通しは立て易い。普段は十時前後には帰宅出来ている。
温泉街から少し離れているが、そういった融通の利く会社の総務に入れたのは、祖母の息子であり、昴の叔父が、この会社の部長職についているからで、きっと採用理由には、多少交通の便が悪くても、昴に自分の母を見てほしいという叔父の他人勝手な願いも込められていると、昴も分かっているし、小さいころから自分を育ててくれた祖母を見捨てることなんて、昴には出来なかった。
「なぁなぁ、お前の車のトランクに、誰か子供の遺体でも入れたんじゃねぇの?」
「馬鹿かお前。そんな怖いこと言うな」
流石に車のトランクまでは確認してこなかった。というか、軽自動車のトランクなんて車内と直結しているのだから、何かいたら分かるし、それが死体なら猶更匂いで気づく。
悪趣味な白戸の言葉に、昴は流石に嫌悪を顕わにして吸っていた煙草をもみ消した。これ以上会話しても面白がらせるだけだと思ったからだ。
そろそろ戻るかと、時間を確認するために携帯を取り出して見てみると、携帯の液晶タッチパネルが、いつもの暗証番号の画面ではなかった。触れてもないのに、Twitterの画面が開かれていたのだ。スラックスに手を突っ込んだ時にいじってしまったのだろうか?と思いながら、その画面を閉じようとしたが、見たこともないユーザのツイート画面だったので、思わず文章を読んでしまう。
【うは。泊まってた旅館で殺人事件www】
短いツイートだったが、その呟きの内容が物騒だったので、昴は思わず画面を凝視してしまう。呟きの時間は四時間前。現在の時刻は一三時近いので九時頃の呟きだと逆算できた。
気にすることはない、と思ったのだが、何だか胸騒ぎがして、そのユーザーのツイートをスクロールしようとした時、喫煙室に再び誰かが入ってきた。
「昴」
この会社で昴を名前で呼ぶ人間は一人しかいない。
「叔父さん」
顔をそちらに向ければ、案の定、叔父がこちらを見ていた。その顔はいつも以上に強面で不機嫌だ。冷酷無比の人事部長の名は伊達ではないと思わせるが、このタイミングでその顔となると、嫌な予感しかしない。
「何?」
とりあえず次の言葉を促す。促したくなかったが、促す。
すると、叔父は嫌そうな顔のまま昴に言う。
「警察署の雉沼さんからお前に電話だ。折り返し連絡してほしいらしい」
あまり出してほしくなかった名前に、昴も思いきり顔を顰め、横にいた白戸が面白そうにニヤリと笑う。そして、ポソリと呟いた。
「流石、死神」
その二つ名を平気で俺に言うのはお前くらいだ、と内心苦りながら、昴は、今日はもう午後は仕事にならないだろうと、本当に叔父の縁故採用で良かったと有難く思った。
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