第2話 全部なかったことに出来たら
「私、白羽
万菜美にとって、大学で初めて出来た友人が樹里愛だった。すらりと細い、だけど出るとこはバァンと出ている極めて男受けの良さそうな彼女は、やはりその見た目に違わず、男の影が絶えることはなかった。
万菜美も男運の悪さの割には男受けの悪くない容姿だったせいか、コロコロと彼氏が変わったので、二人は学校内でも遊んでいる女子の部類に分類されてしまっていたが、そんな周りの目を樹里愛が気にすることは全くなかった。
「だって、恋愛ってそういうものでしょ?」
同じサークル内の子の彼氏を、飲み会後に持ち帰りしてしまった時、彼女は泣き叫ぶ女の子に、ケロリとした顔でそう言ったものだ。
「樹里愛〜、そんなんだとあんたいつか刺されるよ?」
流石に見かねた万菜美がそう言えば、樹里愛は軽く肩を竦めてから、万菜美をそのパッチリとした二重の色っぽい目で見て、
「可笑しな話よね」
と笑った。
「何が?」
「だって、浮気って一人じゃできないのよ。相手がいて初めて出来る。しかも女の細腕じゃ力で押し倒すことなんてまず無理じゃない? 男が合意して初めて浮気になるのに、二人じゃなくて責められるのはいつも一人。女の方。いっつも不思議」
「そりゃ、当たり前でしょ。自分の男、とられたら相手の女を恨むわよ」
「そこが間違いなのよ」
樹里愛はきっぱりと断言する。
「男が自分のもの──、そう思うことがおかしいのよ。人間なんて誰も、誰かのものになんて絶対ならないのに……」
「樹里愛……?」
「自分のもの──そう思った時点で、その女の負けなの。男なんて、絶対自分のものになりやしないって思ってなきゃいけない生き物なんだから」
自分と同じ二十歳には思えない樹里愛の言葉を、万菜美は何とも言えない気持ちで胸に刻んだ。
それが樹里愛なりの訓告だったなんて、まさかその友人に彼氏を寝取られるまで思いもよらなかったが。
#####
(勘弁してよ!)
ローカル線に揺られながら、万菜美は深く溜息を吐いた。
というのも、駅まで親切に乗せてくれた上森が、
「誰も君の他には車に乗せてないんだけど……」
と若干引きつった顔で万菜美に言ったからだ。
その後はどんなに万菜美が説明しても、誰も乗っていなかった、子供なんていないとしか言ってもらえず、結局、「俺、仕事だから」という体のいい逃げ文句を残して、上森は万菜美とは逆方向の電車に乗って仕事に行ってしまった。
万菜美と言えば、そんな逃げの姿勢の上森に、辛うじて乗せてもらった礼を述べるだけで、他に何も言うことが出来ずに上森を見送るだけだった。
(どう考えたって、本当に男の子がいたはずなのに!)
確かに車の中にいる間、上森は後部座席の男の子に話しかけることはなかったし、男の子も万菜美たちに話し掛けてくることはなかった。それをおかしいとどこかで感じながらも、あまりにもはっきりとした存在感だったので、そのままそれが人間だと思ってしまったのだ。
しかも質が悪いことに、見えていたのは万菜美だけで、車に乗せていた張本人である上森は何も見えていなかったのだから、何それ、怖いんですけど、だ。
折角、上森の言葉で僅かばかり浮上したはずの気分は、朝っぱらからの心霊現象で、一気にトーンダウンした。
(今日は朝からなんつー日なの……)
いっそのこと全部忘れてしまいたい。いや、忘れさせろ。
彼氏と友人の浮気現場も。
早朝からの怪奇現象も。
全部なかったことに出来たら、どれだけ良かったのだろう。
そう思いながら溜息を吐いたとき、電車はこのローカル線では比較的規模の大きい有人駅に着く。万菜美は朝から疲れ切った身体でその駅に下車する。
温泉街ふもとの乗車駅からは、すでに一時間半を経過していた。ここで乗換えて特急に乗れば帰宅できる筈だった。
駅構内の階段から外を見遣れば、パトカーが駅の外に見える。赤色灯が回転しており、何か事件があった雰囲気を醸し出していた。
「浮気に幽霊に、今度は事件……てか?」
思わず口元を緩めながらそれを眺めていると、
「小岩井 万菜美さんですか?」
と誰かに声をかけられて、万菜美は視線をそちらに向けた。
目前には、明らかに警察官の格好をした男が二人、硬い表情で万菜美を見ている。
「は、はい、そうですが?」
何も思い当たることはないのだが、嫌な汗が、じわりと脇に滲むのを感じた。
警察官は定期入れのような警察手帳を万菜美に見せると、一言、言う。
まるで刑事もののドラマの中で言われるような、定番の言葉を。
だけど、万菜美にとっては酷く非現実で、言葉を。
「ご友人の白羽 樹里愛さんが亡くなられました。つきましては事情をお伺いしたく、署までご同行願いますか?」
(はい……?)
一瞬、何を言われたのか分からなかった。 ただ、あの浮気現場で、布団から見えていた樹里愛の白い手を思い出した。それだけだった。
ほんと、全部なかったことに出来たら、どれだけ良かったのだろう──
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